母の喪さえあけてないなか、父が倒れた。

 今も意識不明で入院中だ。

 仕事人間だった父。

 母が半年ほど前に他界した。

 がんを患い、発覚した三か月後に亡くなった。

 実家には父が残された。

 仕事しかしてこなかった人間で定年後もそのまま会社に残り現役でバリバリ働いている。

 お湯さえ満足に沸かせない人間が、一人暮らしをできるのか。一人娘として不安になる。


「大丈夫だ。母さんに死ぬ前しっかりしごかれた。どうにでもなる」


 余命宣告された母は自宅で息を引き取った。

 その間、父は母から家事を仕込まれたらしいが、どこまで真実か……。

 わたしらを心配させないための方便の可能性も高い。


 わたしは一週間おきに父の元に訪れていた。

 家は掃除も行き届き、冷蔵庫を確認すれば食事の下ごしらえなども入っている。


 母がいるときと何らかわらない。


 関心すると同時に不安にもなる。

 飽きっぽい性格の父がどこまでこの状況に耐えられるか。

 それとも母以外の別の女性がいて……。


 一か月前、母の死から一か月が経ったある日、わたしたちは仲人である夫の会社の上司の葬儀に出なくてはならなくなった。

 前日の通夜にも参列しなければならない。

 運悪く土日で暇を持て余す智司を一人にするのも心配だ。 


 そこでわたしは偵察がてら息子を父の元に向かわせることにした。


 土日の休日、おじいちゃん家に泊まってきなさい。

 最初は、めんどくさいと難色を示したが、小遣いもらえるかもよ、と言うと二つ返事で了承した。

 それに一日三時間のゲーム使用期限を、その土日だけ解禁してやった。

 当時はまだ息子はゲームに夢中だった。

 息子の顔色が一気に華やいだ。誰かに似て現金な奴め。


 父の家はわたしたちが住むマンションから五十キロほど離れている。息子は電車を乗り継ぎ、わたしの実家へ向かった。

 わたしといっしょに何度も電車で通っていたから、ルートは心配ない。二人のときは切符の購入や電車の時間など息子に任せるほどになっていたほどだ。


 そんな息子に甘えたのが仇となった。


 訪問するなり智司は父が倒れている姿を目撃を目の当たりにする。

 気丈にも息子は一一九に通報して救急車を呼んだと言う。

 智司自体、あまりの出来事で詳しいことは覚えていないらしい。


 通夜をキャンセルしたわたしが搬送された病院に駆けつける。

 脳卒中だそうだ。救急車のなかから、もう意識不明だったそうだ。

 お医者さんに説明を聞く。今すぐどうこうと言う状態ではないが、意識が戻るかどうかはわからないと言われた。

 心の整理がつかないまま診察室を出ると、休憩スペースにいる智司の姿を確認する。

 駆け寄り息子に抱き着く。

 息子は冷静にわたしを突っぱねると、病院の床に座り込んでベンチを机代わりにして折り紙折りに戻っていった。


「すいません。うちの病院は急性期の病院でして。お父様のような長期入院の患者をこのまま受け入れるわけにはいかないんです。紹介状を書きますので、そちらに移っていただけないでしょうが」


 電話に出た病院の事務課の人間にそう告げられた。

 容態が変わったのかと気をもんだが、ひとまず一安心だ。

 でも、問題が解決したわけじゃない。


 入院費に治療費、おむつ代などの諸経費は我が家の悩みの種でもある。


 それに加え、この転院だ。また何かとかかりそう。


 大丈夫、何とかなるよ。

 楽観主義者の夫はあまり気にしてないよう。

 そうは言っても家計をやりくりするのはわたしだ。

 今のうちはまだいいが、この先、好転する可能性もわからない今、不安ばかりがつのっていく。


 悪夢を見はじめたのもこのころから。ストレスがあんな夢を見せたのだろう。

 その週の日曜日、わたしたち家族は父の転院のため、病院に向かった。

 転院先の病院に行くと、異様に広い病院の個室に案内された。

 大部屋と違って個室は差額室料がかかってしまう。

 入院を手伝ってくれている男性看護師に、


「すいません。うちはこんな贅沢な部屋でなくても……」


 と訪ねるが、


「医長から託っております。こちらでかまわないと」


 医長? どういうこと?

 もやもやしたまま荷解きをしていると、白衣の初老の男性が部屋にやってきた。


「四阿さんの娘さんですか」


 男性がわたしに声をかけてくる。

 男性看護師は直立不動で立ち尽くしていた。


「白川医院の院長の白川です」


 医長自らの挨拶に思わず面食らってしまう。そして

「お母様の葬儀には参列できず申し訳ありませんでした」


 と深々と頭を下げた。


「さっちゃん。わたしのこと覚えてない? 康夫。西田康夫」

 いきなり砕けた言葉で白川が訪ねてきた。夫も不審がっている。


 西田康夫……。白髪のわりに黒々したげじげじ眉毛に目が行く。これって……。


「ああ、康兄にぃ……康兄だ」


 昔住んでいた公団住宅の向かいに住んでいた西田さんちの一人息子の康兄だ。中学と高校では家庭教師をしてもらったこともある。


「思い出した、よかった。懐かしいねえ。わたしもびっくりしたよ。転院してくるのが四阿のおじさんだと聞いて……。色々、聞くとおばさんが亡くなっておじさんも脳卒中になったなんて」


 康兄は悲し気に伏せる、わたしの父を見下ろした。


「いろいろあって、この病院の婿養子になってね。ま、何とか人並みにやってるよ。お父さんとお母さんには大変お世話になった。君たちは命の恩人なのに不義理をしてしまって」


 そう言って康兄は首をさすった。

 康兄は一度、医学部受験に失敗している。その時、彼は自宅に生えた松の木で首をくくっている。

 突発的だったのだろう。西田家はその日、誰もいなかった。首を吊ったその時、たまたま外食から帰ってきたわたしたちは向かいの家の敷地内で踏み台が転倒する音がし、うめき声を聞いて駆けつけたわけだ。

 発見が早かったので事なきを得なかった。 


 ことを大きくしないため、父の知り合いの個人病院に康兄を連れていき、検査を受けてもらった。発見が早かったため大事にはならなかった。

 小学生のわたしはただ泣いていた記憶しかないけど。

 受験中、ノイローゼ気味で近寄りがたい印象だった康兄は、それからがらりと変わった。

 憑き物が落ちたようだ。次の年には希望の医学部に合格。

 わたしが高校、大学受験のときには無償で勉強を見てくれたほどだ。


「お金のことは気にしないでいいから。それにおじさんはうちのチームで絶対、回復させる。さっちゃんたち四阿家がいなければ、今のわたしはないも同然。絶対何とかするから。こう見えて、うちの医師たち結構優秀なんだ。わたしと違って」


 そう言うと康兄は豪快に笑った。勉強終わり、家庭教師代としてうちで夕食を食べる康兄も、こんな声で笑っていたっけ。


「康兄……、白川先生、ありがとうございます。よろしくお願いします」


 深々と頭をさげる。ここは康兄に甘えることにした。


 もちろん、入院費などはきちんと支払うつもりだ。そこまで甘えるわけにはいかない。

 でも康兄の病院で診てもらえると思っただけでも相当、気分が楽になった。

 それからは日に一度は電話で、康兄が直々に父の様子を知らせてくれるようになった。

 治療法については康兄に一任する。彼なら間違いはないだろう。


「おじさん、痛みに反応して目を開くようになってきたよ」


 倒れて以来、何の反応を示さなかった父は、転院してから状況が好転しだしていった。


「根気よくつづけてみよう。道はきっと開かれるはずだから」


 夫に報告すると彼も喜んでくれた。


「たまには慰労も兼ね、先生を呼んで夕食でもふるまってあげたら」


 それは良い考え。たまには気が利くじゃん。久々に夫を関心する。

 通話を追え、台所に向かい、何を作ろうか思案する。


「なに、これ」


 台所には捌かれた鯛の残骸が置かれ、大皿に下ろされた鯛の切り身が盛られている。

 鯛など、買った覚えも、当然、捌いた覚えもない。

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