「なるほど」


 男は玄関に入るなり辺りを一瞥する。

 僧衣をまとった男はそのまま雪駄を脱いであがりだす。


「一人じゃないね、何人かいるね」


 だらしない体を僧衣で無理やり引き締めた男はニコニコ顔で家のなかを見てまわる。 

 家族には内緒だ。夫と息子のいない時間を見て、来てもらった。


「もう、やりたい放題だね。これじゃどっちが住人だかわかりゃしない」


 男はクククと声をあげて笑った。


「畳の間はありますか? できれば畳の上がいい」


 男を唯一の和室に案内する。

 重たげに腰を下ろす。左手で畳を撫でながら男は、


「奥さんは後ろに座ってください。足は崩してもらって結構」


 言うなりブツブツ言いだした。ご祈祷がはじまったらしい。突然だ。

 心の準備もできていない。

 思わず辺りを見回し、うろたえてしまう。

 男は数珠をもみ鳴らしながら念仏をつづけている。

 部屋のなかには念仏と数珠の音だけが響いている。

 部屋がガタガタ揺れだしたり、わたしたち以外の者が声をあげだすこともない。


「終わりました」


 振り返りわたしを見ながら男が言う。

 え、もう……。ついて出そうになるのを何とか飲み込んだ。


「もう、安心です」


 数珠を懐にしまいながら言う。

 ガチガチ音がした。

 ベランダで音がする。

 目を遣る。

 ガラス戸の向こうにいた。


「つる?」思わず声が出た。


 ガラス戸の向こうにあるベランダに鶴がいる。

 たしか鶴は渡り鳥。どこかから飛んできて、うちのベランダに舞い降りたのか。

 でも何でこのタイミング。

 黒い首をピンと伸ばし、白い羽をベランダの狭い空間で羽ばたかせる。

 くちばしを上に向けると、きえええ、きえええ、トランペットの音色にも似た声で鳴きだした。


「さて」


 男が立ちあがる。

 鶴の姿が見えないのか、ベランダには目もくれず、居間を出ていく。

 そのままリビングへ歩いていく。まるで勝手知ったる我が家のように……。

 どうしていいかわらず、後を追う。


 廊下の奥で声がする。

 ちょっと待って。家にはわたし以外、誰もいないはずだけど……。

 それにあのお坊さん、どこから来たんだっけ? 誰が呼んだんだっけ?

 がやがやと人声に混じり、びえん、びえん、三味線に似た楽器の音色がしている。

 一番奥の扉から台所の様子が覗けている。


 誰かいる。何か、料理を作っているらしい。

 美味しそうな匂いが廊下に漏れている。何者かが台所を世話しなく動いている。

 台所からL時方につづくリビングの扉を僧衣の男が開けた。

 中年男の笑い声が轟いた。

 太った男、頭の長い老人が二人に、鎧武者のいかつい男が一斉にわたしたちを見つめる。


「悪い、悪い。遅くなった」


 僧衣の男がリビングのテーブルの一つに座りこむ。


「お勤め御苦労」隣の鎧武者が労をねぎらうように僧衣の肩を叩いた。

 い、意味がわからない。

 テーブルの奥のテレビの前には和装の女が三味線のような楽器を鳴らしていた。

 それを聞きながら男たちが酒を酌み交わしている。

 台所から烏帽子をかぶった男が料理を盛った大皿を持って現れる。

 酒の肴の登場に男たちが沸く。

 女は苦悶の表情を浮かべ楽器をかき鳴らす。

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