第二話 射殺

 男の笑い声が飛び込んできた。

 智司のやつ、勉強してるかと思ったら……。

 テレビのバラエティでも見始めたんだろう。

 せっかく智司が好きなカツレツ作ってあげようと思ってんのに。

 息子は牛肉を薄くのばしフライパンいっぱいになるまで大きくしたものが好物だ。

 夫とわたしは購入したままの牛肉でステーキにするつもり。


 ステンレスのミートハンマーをカウンターに置く。


 中年男性と思しき豪快な笑い声がつづいている。

 ざっと手を洗いエプロンで拭う。

 キッチンから地続きのリビングを覗き、


「智司、勉強どうしたの。テレビはその後に……」


 あげた声がつまった。

 こっちを見た息子が不思議そうな顔している。


「テレビ? つけてないよ」


 モニターは真っ暗。リモコンもテレビ台の脇に置かれたまま。

 わたしの気配を察知し、慌てて消した、と言うわけでもなさそう。

 息子は首を傾げ、テーブルに向かう。

 教科書やノートは脇に追いやられ、紙と格闘していた。


「って、あんた。勉強してないじゃん」


 テレビは見てないが、また折り紙に没頭している。

 折り紙は最近の、この子のマイブームだ。

 つい、一か月前までは携帯ゲーム機にかじりついていたのに。


 ほったらかされたゲーム機は、今は夫の手に渡り、すっかり虜になっている。

 会社にまで持ち込んで、休み時間やっているらしい。

  大の大人が。息子がゲームをやっていたのを見るたび、なにが楽しんだと難癖付けてたのが、このざまだ。

 テーブルに向かい、智司の後ろに佇む。


「あ、ちょっと止めてよ」


 製作途中の折り紙をとりあげた。


「宿題あるんでしょ。先にそっちを片付けなさい」


 幾重にも織り込まれた紙片は、これから何が折られるのか、まったく予想がつかない。

 折り紙といっても鶴、やっこさん、紙鉄砲、犬、猫などわたしが子供の頃、母親に教えられ作ったものとはまったく別もの。

 リアルな姿を模した精巧な作りの折り紙に息子ははまっていた。

 ドラゴンや悪魔、ユニコーンなどを何百工程もかけて織り込む折り紙は最初こそ平面的だったが、最近では腕が上がったのか、立体的な作りになっている。

 下手なフィギュアよりリアルだ。

 織り方はネットで見て学んでいるらしい。


 紙は市販の折り紙では小さすぎ、息子は小遣いで文房具屋に行って、大きな模造紙などをカットして買ってきている。

文房具屋も息子の趣味に感心して、割安で紙を提供してくれるらしい。


 部屋には息子の作った折り紙がフィギアのように飾られている。

 関心した夫は折り紙を入れるため、ブラスチック板を使ってケースをこしらえてやり、智司はそのなかに造ったものを入れ飾っていた。


 今、取り上げた折り紙は新聞紙の差し込まれたチラシで作ったもの。試作品のようだ。


 智司は折り紙作家が作ったものをアレンジして、龍に亀の甲羅を合わせた「玄武」や、犬の頭をいくつも増やした「ケルベロス」、ライオンとヤギの頭を持った尻尾が蛇の「キマイラ」などの怪獣を量産している。


 先日のわたしの誕生日には、青い紙を使ってバラの花束を作ってプレゼントしてくれた。

 花弁を幾重にもつけた立体感のあるバラの花は本物そっくりの形状をしている。

紙をこよった茎に棘も再現され、ところどころに生えた葉も見事に再現している。


 十歳の子供が作ったなんて思えないほどの代物だ。

折り紙をはじめ、まだ三か月くらいしか経ってないのにこのクオリティ。

この子の才能にあらためて驚かされる。

 ゲームなんかより創造性が育まれ、よっぽどクリエイティブな趣味だ。


 が。


 親の立場としては勉強にも身を入れてほしいのが実情だ。


 笑い声が爆発した。またあの男の声。

 ぶつくさ文句を言いノートに手を取った息子。もちろんテレビはついていない。

 声は部屋から聞こえた、と思うのだが……。

これまで隣人の声など聞こえたことはない。マンションは六階。外から聞こえるのも考えにくい。

ラジオなんかないし、携帯でもない。だったら……。


「何、まだ何かよう」


 不審がるわたしに息子が不満げな声をあげる。


「ううん。何でもない。早く片付けちゃいなさい」


 テーブルを離れ台所に戻る。

 気のせいか……。気のせいだ。

 脇の下から汗が伝う。

 料理に集中する。

 台所のカウンターに戻り、息子のカツレツ用に肉を叩く。

 どんどんと音を立て、牛肉を叩き広げる。

 手首のスナップを利かせ木製ハンマーをヘッドを肉に叩きつける。


「え?」上がった声がうわずる。


 自分が握るハンマーに目をやる。

 木製のハンマー。いや、トンカチ。違う、小づちだ。

 小づちと言うのがぴったりくる。

 ちょっと待って。ミートハンマーは銀色のステンレス製だった。

 それがどうして、こんなものに。


 大体、こんなもの、この家で見たことないぞ。


 鳥肌があがる。

 木づちを放り投げる。

 ゴロンと大きな音を立てカウンターに木づちが転がった。


 放られた木づちに手が伸びてくる。男の手だ。成人男性の手。

 男の腕を見たまま固まる。

 ちょっと待って。部屋にはわたしと息子だけ。

夫の筋張った手とは違い、ふくよかな男の手。その手は木づちの柄を掴みカウンターから逃げていく。


 唇が震えている。


 手の伸びた位置からすれば、手の主はわたしの真後ろにいることになる。

 体は硬直したまま。振り返りたい衝動に駆られる。でも恐ろしさもある。


 また手が伸びてきた。

 その手にはステンレスのミートハンマーが握られていた。

木づちのあったところへ申し訳なさそうに置きなおして、手が消えた。


 体に力が戻る。

 身をよじり振り向く。


 誰もいない。じゃあさっきのは?


 疲れているのか。聞こえるはずのない声まで聞いているし。


 ずっと不眠症だった。それが原因?

 視界の端に廊下が見える。薄く開いていた。

 扉の奥に白いものが見える。

 オフホワイトのそれは袋。巾着みたいな袋。かなり大きい。ゴミ袋みたいな人間が一抱えするほどの。幻覚。またありもしないものを見ている。


これは一体なんだ!


 目を凝らしてるその時。

 扉が独りでにしまった。

 中年男の笑い声が轟く。

 体がビクンと震えた。

 笑い声がつづく。

 中年男の声に混じり、聞きなじみのある笑みがくわわった。

 リビングを見ると……。

 智司がテレビを見ながら笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る