13

 ぎい、ぎいい。 


 音がする。階段を踏む音が聞こえる。

 階段が見える。急こう配の上りにくそうな階段。


 我に返る。俺は、私は確か……。体を動かそうとする。ダメだ。思うように動かない。これは確か、金縛りとか言う……。


 ぎぃ、ぎぃ、みしい。


「おい、しっかり持てよ。こんなところでこれ落としたら足、潰れんぞ」


「わかってるよ、いちいち喚くな。集中させろ。ただでさえ足元おぼつかねえんだから」


 三人組の男が角柱上の石を寝かせるようにして持ちながら、たすき掛けのように並んで階段を上っていく。


「ああ、気持ちわりい。俺、吐きそう。曲沢のもらいゲロ、時間差で来たみたい」


「小川、やめろよ、ここでやるな。頼むから」


「ああ、ちょっと頑張る」


 男たちはノロノロと階段を上っていく。


「それにしても爺さん、大丈夫か。動かないけど」 


 後ろを振り返った男がこっちを見ている。


「だって、ちょっと突き飛ばしただけだろ。バランス崩して腰抜かしてるだけだろ」


 もう一人が吐き捨てるように言う。


「それより落とすなよ、落とすなよな」


「ああ、気持ちわりい」


「小川、お前は吐くなよ」


「何で、俺たちこんな石持って、人ん家の階段あがってんだ」


「僕に聞くな、そもそも小川だろうか、これ移動させようと言ったのは。持ち上げたのはいいが、どこまでか考えているうち、神社を出たら、そしたら爺さんが家の前で掃除してるから」


「ああ。そうだ、そうだ」


「詰め寄る爺さんを蹴飛ばしたのは、曲沢、お前だぞ。爺さんよろけて転倒して。そのまま僕ら、この百度石持ったまま、勢いで爺さんの家に、気づいたら階段に……小川、頼むから、まだ吐くな!」


 重たげな音を立てながら三人が固まりながら階段をのぼり終えた。

 階上で嘔吐する音が響き、別の男の悲鳴が加わった。

 そうだ、私は男の一人に蹴飛ばされ、アスファルトにしたたか腰を打ちつけたのだ!


 動けないのはそのせいだ。金縛りなどではない! そもそも何だ、金縛りとは。

 這いずりながら家のなかに入り込む。

 けしからん! あいつら、人の家に勝手にあがり込みやがって。


 思うように動けないのが腹立たしい。


 歯を食いしばり、沓脱を、玄関を這いあがる。

 腕の力が抜けていく。匍匐前進もここまで……。

 背後に気配が。身をよじる。

 白装束の女が見下ろしている。


「ああ、ああああ」声がこぼれる。


 女が口元に人差し指を立てていた。

 胸のなかに暖かいものが込みあがる。涙がポロポロあふれ出す。何で、私、泣いているのだ?


「小川、結局、吐いてんじゃねえか」


「いひひひ、悪い、悪い」


 男たちの声が上で響く。

 女が私を引きづり部屋の奥へ進む。なすがままにされる。階段脇の廊下へ避難させられる。

 軽やかな音が階段から聞こえる。


 女が台所の扉を開けた。私を引きづりこむ。後ろから抱えられ口元を塞がれた。

 懐かしい女の甘い臭いが鼻孔を甘くくすぐる。


「それにしてもいいのかよ、人ん家にあんなもの持ち込んで」


「いいわけねえだろ、馬鹿」


「でも、シュールだよな。民家の二階の畳の上に百度石なんて。爺さん、どうやってあれ下ろすんだろ」


 三人の笑みが爆発した。そのまま出ていったようだ。


「まったく……、せっかくのお百度参りが……。とんだお邪魔虫のせいで……それにしてもあの人、もろ、あたしのタイプ……こりゃリセットして祈願やり直そうかな……」


 女の力が緩んだ。

 身をよじり、女に抱き着く。


 幼児が母親にすがるように彼女に抱擁する。やっと会えた、ようやく会えた。


 意識が混乱する。見ず知らずの女に郷愁と愛情の念が胸を込みあげる。


 耄碌もここまで来てしまったのか? それとも久々の女の感覚に理性が暴走しているのか。体が制御できない。


「何やってんだ、爺ぃ。気持ち悪い」


 女が声をあげた。

 女の肘鉄が頬に直撃した。彼女を抱きしめていた腕から力が抜ける。


「てめえ、乙女の体をきたねえ手で触りやがって」


 目の前に靴底が見えたのは一瞬だった。顔に激痛が爆発する。

 痛みがあちこちで炸裂する。


「やめてくれ、みさこ、俺だ、俺だよ、どうして、美沙子。やっと会えたのに」


 蹴りつけられながら俺は女に、美沙子に声をかける。


「爺ぃ、いつの間にあたしの名前を。何だ、こいつ、本当に気持ちわるい」


 蹴りつけられながらすがろうとする私に、美沙子は馬乗りになり、仰向けの私の頭を掴み上げると、床に叩きつけた。


「そもそも、お百度参りの姿を見られちゃった。どの道、ただで済ませるわけにはいかない。だって――」


「お参りの姿は決して他人には見せてはならないから」


 記憶のなかの美沙子の声が生声に変った。


 さっきまで家のなかにいたはずが、きれいな夜空に転じている。

 あれは一体……。

 思考がうまく繋がらない。

 ナラの木がざらざら揺れる。

 ククゥ、ククゥと生きたまま釘に打ちつけられたリスが悲し気に鳴いている。


 視界が急速に滲んて行く。白っ茶けていく。霧でも出てきたのか。目の前にいるはずの人間の輪郭がゆるゆるほどかれていく。


 視野がうまく像を結んでくれない。

 どうやら彼女、百度参りを邪魔され怒り心頭のようだ。

 美沙子、俺だよ、落ち着いてくれ!

 頭上で空気がしなる。

 女が振り下ろしたトンカチの鉄の塊が額にめり込んだ。

「みさ……こぉぅ」

「うるせえんだよ、さっきから。誰だ、それ」

 中年女の酒やけした、だみ声が轟いた。

                              



                                 ―終り―


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