「これ、ドッキリとかじゃないよな」黒いネクタイを緩めながら曲沢が言う。


「お前、有名人でも何でもないだろ。ただの素人にドッキリしかける奴なんかいるか。それに通夜の席だぞ、そんなところで、あんな悪戯する不謹慎な人間なんかいるもんか」


「もしかしたら、別府の自殺自体がドッキリなんじゃあ」

「馬鹿らしい。話になんねえ」


 俺は椅子の背もたれに身を預けながら呆れた。

 曲沢が悲鳴をあげるアクシデントはあったものの通夜は滞りなく終わった。通夜振る舞いにも誘われたが、こういうのは親族たちだけが良いだろうと、俺たちは辞退した。

 曲沢の馬鹿の一件もある。何だか居づらかったし、奴も気もそぞろだった。これ以上、粗相はできない。


 明日は仕事で流石に告別式までは出られない。

 その旨を告げ、またご自宅にお伺いしますと父親に言い、俺たちは葬儀場を後にし、近くのこのファミレスに落ち着いた。


 陽気で、あいつの家に行くたびに夕飯をふるまってくれた奴の母親は能面のような顔でずっと葬儀場のなかの会食場に持ち込まれた遺影を眺めていた。

 遺影は最初こそ、別府の顔だったが、祭壇で曲沢が驚いてからはずっと、あの階段の写真に変わったままだった。少なくとも俺と曲沢には。お母さんは階段の写真を見つめている。他の人間には写真は別府の馬鹿ずらのままらしい。


「小川、お前にもあの階段の写真、見えたんだろ」


「ああ。お前が驚いてから、遺影に目をやったら階段の写真になっていた。それまでは普通の別府の顔だったのに」


「俺も最初は普通だった。焼香の時、見上げたら突然、あの階段で……」


 ウエイトレスが注文を聞きにやってきた。

 人に聞かせる話じゃない。メニューを広げて適当に注文する。曲沢はあれもこれもと注文していく。


「曲沢。俺、正直に言うわ。あの遺影のなかの階段の写真、見覚えがあるんだ」

 ウエイトレスが立ち去るなり俺は悪友に声をあげる。


 曲沢が中腰をあげる。「ま、ま、ま」中座したまま、どもり声をあげた。

「まさか、お前も」そういって曲沢がストンと腰を落とした。


「お前もって。遺影の顔写真から階段の写真に変わったから悲鳴をあげたんじゃないのか」


 俺の言葉に曲沢が頭を抱えた。


「それもある。でも……この数日、オレ、金縛りに遭ってて、その間、部屋のなかにありもしない階段が現れるんだよ。それがあの階段で……」


 思わず俺も腰を浮かせそうになった。

「それ一緒」


「一緒?」曲沢が首をかしげる。


「俺も金縛りになって階段の幻が……」


 どういうことだ。二人そろって同じ怪現象なんて……。


「なあ、別府も同じ金縛りになんて遭ってたとかないよなあ」


 曲沢が眉をしかめる。


「自殺の原因も関係あるのかなぁ。あの階段。そもそも何なんだ、あれ。階段の幻覚なんてわけがわかんねえぞ」


 曲沢が右の手のひらを耳にあてがう。


「何だ、それ」


「シィ! 静かに。音、この音」


 音? 耳をそば立てる。


 い、い。店の雑踏のなか、聞き覚えのある音。さらに耳を凝らす。ぎぃ、ぎぃ。これは金縛りの時に聞く……。


 音を先を見極めようと店内に目を這わせる。ある場所で視線が固まった。


「おい、あれ。別府んとこの……」


 テーブル席の一つに別府の母親が座っていた。


「あ、お母さん。でも葬儀場にいるはずだろ。こんなところにいるわけない」


 曲沢が不審げに声を漏らす。

 お母さんが席を立つ。視線に俺たちが入ったようだ。

 深々とお辞儀をした。

 座ったまま俺は頭を下げた。視界の端で曲沢も頭を下げたのが見える。

 そのままトイレの方へ歩いていく。


「通夜振る舞いが終わって一息ってわけ、でもないよなあ」


 曲沢の言葉が詰まった。彼女がいたボックス席を見て固まっている。

 怪訝な友人の態度に俺はまた曲沢の視線の先を追った。

 件のボックス席、別府の母親がいた。

 さっきトイレに席を立ったはずなのに。

 帰ってくるには同じ通路を通らなければならない。

 俺も曲沢も彼女の同行を見るとはなしに見ていた。

 トイレから引き返したのなら、その姿を目撃しているはず。


 彼女が立ち上がる。俺たちに視線が向く。深々と頭を下げる。そして席を離れてトイレへ向かう。さっきと同じ動作が繰り返された。彼女の後姿がトイレの区画へ消えていく。


 後姿を見失った瞬間、曲沢がヒィと悲鳴をあげた。ボックス席を目がこぼれんばかりにひん剥いて見つめている。

 席には別府の母親が。


「どうなってんだよ、これ」


 震えた声で曲沢が言う。

 彼女は立ち上がり、俺たちに気付く。そして深々と頭をさげた。

 真向臭さが鼻を衝く。


「む、息子はのり気じゃなかったのに。お前らが肝試しするって言うから、神社で肝試しするって言うから」


 俺たちのボックス席から声があがった。

 俺の隣に和装の喪服姿の初老の女がいる。


「べ、別府の、お、お母さん」その姿に俺は声をもらす。

「やりたくなかった。あの子はやりたくなかったのに……。肝試しなんてしたから、だから、息子は……、息子は……」


 苦し気に声を吐き出す。

 曲沢が悲鳴をあげた。絶叫する。

 大の男が店のなかで悲鳴を上げているにも関わらず、気にかける店員もいなければ、不審に思う客もいない。

 件のボックス席では別府の母親が深々と頭を下げている姿が視界の端に見える。

 じゃあ、ここにいるのは!

 次の瞬間、照明が落ち、店内が真っ暗になった。

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