始まらなかった僕の夏、行間に飛び込んで

@tokakasa

第1話

2020年、僕の夏は始まる前に終わっていた。

 今年の夏は今まで一番予定が詰まっているはずだった。今年が最後でついにレギュラーを獲得した部活の大会。クラスメイトと東京旅行を兼ねて行うはずだった東京五輪のボランティア。それらは全て春を迎える前から突如現れたあの流行病によって全てが白紙に戻された。いや、白紙になるよりも数段ひどいものだった。

 本来であれば始業式が行われたはずの時期にテレビに流れていた今年の夏季大会の中止のニュース。全国大会に出られるような強豪ではないけれど、それでも高校生活のほとんどすべてをかけていたと胸を張れる程度に本気だった青春の最後の一年は始まることすら許されなかった。顧問からは特例で秋以降の大会に出場できると連絡が有ったが僕はそれを選べなかった。後輩からしたらいつまでも居続ける先輩ほど嫌なものはないだろうし、自分の熱をそこまで持続できる自信がなかったのだ。高校生活の全てだと思っていた三年の大会への熱は想像以上の速度で冷めてしまった。顧問と相談して早めの引退を選択し、今は受験勉強に舵を切っている。今年は夏休みも春の振替でほとんどなく、夕方までは学校、その後晩まで塾という何の面白みのない生活になりそうだ。

 例年通りであれば終業式が行われているような日付だが、今日も一日普通に授業を受けていた。僕たちからすれば例え受験勉強にほとんどを費やす予定だったとしても高校最後の夏休みがなくなるのは言葉に出来ないほどの理不尽を感じる。しかし、先生たちにとっても同じようで三年生は受験に向けて秋から冬に成る前に教科書を終えて受験指導に入るのが例年の流れだが、今年に限ってはそもそも冬休みが明けても教科書が終わらないかもしれないと、職員会議で問題になっていて授業時間を増やすかもしれないと担任がぼやていた。そうなってしまえば既に時間割を決めている塾の夏期講習に関してももう一度考えないといけない。もうグランドで泥まみれになることも出来ず、毎日机に向かうだけの毎日。こんな青春を五年後、十年後僕たちは笑って話せるのだろうか? 

 既に一部が始まっている夏期講習の帰り、僕は電車に揺られていた。少し上の大学を目指している僕は地元のみんなが居る所ではなく、電車に乗らないといけない進学塾に通っていた。毎年それなりの合格実績を出している塾だけ有ってスピードも早く、終わるのも夜遅い時間だ。春から続く時差出勤やらなんやらで帰りの電車もそれなりに空いている。疲れた脳を休めるためにもゆっくりと椅子に座れるのはありがたい。ありがたいけど、どうしても思考が嫌な方向に進んでしまう。

 どうして僕たちだけがこんな理不尽な目に合わないといけないのか。去年スタンドから見ていた先輩たちの様に最後の大会に出ることもできない。負けて悔し涙を流すことすら許されなかったのだ。

 担任から参加を進められたオリンピックのボランティア。連絡が有った担当業務は選手も競技も見れないようなものだったけれど、自分もオリンピックを感じることができるのだと無邪気に喜んでいた。両親に頼み込んでお小遣いを出してもらってクラスメイトと東京観光も楽しみだった。スカイツリーに登ってみたい。新宿や原宿のオシャレな店で買物をしたい。もし有名人にあったらどうしよう。なんて想像だけが膨らんでスマホ片手に予定表を作ったりなんかもした。楽しかったなあ。

 でも、それも全部消えてなくなってしまった。このまま放課後そのまま電車に乗り込み塾で数時間授業を受け、今と同じ様に仕事帰りのサラリーマンと同じ電車に乗る。これを数十日繰り返して僕の夏は終わるんだ。そう思うと無性に涙が溢れそうになる。

 こんなことで泣いてたまるか。既に少し目が潤んでいる僕を見て向かいに座っている人の良さそうなおじさんが心配そうにこちらを見てるんだ。このまま泣くなんて情けないことをしたくはない。

 そんな強がりをごまかすようにカバンからテキストを取り出して読み返すことで気分を変えよう。そう考え、今日の授業だった現国のテキストを取り出す。今日の内容は宮沢賢治に関してだった。その辺りの内容が書いているページを読み返すが何も頭に入ってこない。こんな気持で作者の気持ちを聞かれても考えられるわけもない。

 そういえばこれを話していた先生は学校の方か塾の方だったか、宮沢賢治の作品は今無料で読めるらしい。それもスマホで読めるなんて言ってたし気分転換に読んでみるのも良いかもしれない。もしかしたらここで読んだ内容がどこかの試験に出るかもしれないし。そうでなくても一応は名作と言われているものだ。全くの無駄になるということもないだろう。

 そうして適当に検索欄に単語を入力しいくつかのページを渡っていけばそのサイトは直ぐに見つかった。青空文庫という名前みたいだけど、そんな晴れやかな気分では無いのに皮肉なものだ。

 そのままランキングページがあったから見てみれば一番上に「宮沢賢治、銀河鉄道の夜」と合った。名前ぐらいは流石に聞いたことがある。それでもあらすじすらぱっと思いつかないその作品をとりあえず読み始めた。

 半分ほどを読み進める頃には降りないといけない駅を過ぎてしまっていた。それぐらい読書に集中するなんていつ以来だろうか。慌てて降りた駅は本来降りるべき自宅の最寄駅よりに比べて小さく、ホームも一つしか無いような駅だった。時刻表を見てみれば次の電車は二十分も待たなければいけない。地図アプリで調べてみればここからそれぐらい歩けば駅に着くようだ。迷った結果僕は歩いて帰ることを選んだ。親に少し遅れると連絡を入れ改札を出た。近い割に降りたことがない駅だからか、どこにでもあるような駅前のロータリーも新鮮に見える。

 先程まで読んでいた本の影響だろうかふと上を見上げれば少しの星空が見えた。繁華街でないとはいえ、流石に駅前では細かい星々まで見ることは不可能だろう。それでもいつ以来かわからない程度に久しぶりに見上げて夜空になにか胸の内が満たされるのを感じた。本来の夜空を彩る月や星以外にもマンションやビルの照明たち。きっとこれは都市部でしか見ることの出来ない星空だろう。そうしている内に僕の心はこの頼りない明るさの天の川を横切る汽車が見えた気がした。そうしている内にどうしても読みかけの銀河鉄道の夜の続きが気になってしまい、少し迷ってスマホを改札に当ててホームへと戻っていった。

 ホームに一つしか無いベンチ。真上にある電灯のせいで先程よりも星は見にくいがそれでも今の僕に些細なことだ。ポケットからスマホを取り出し、ロックを解除すれば先程までの続きがそこには広がっている。そうして僕は夏のジメジメするような暑さも忘れて続きを読み始めた。

 主観的にはあっという間に電車がホームにやってきて流石にこれ以上遅くなるわけにはいかないと、乗り込んだ。さっきまで乗っていた電車より更に人が少ない車両は物語を読むには適していた。ホームで待っている間におおよそ読み終えていたそれを今度は降りる駅に到着する前に読み終える。読み終えた僕の心は確かに銀河鉄道にいた。今目の前の車窓から見えるどこにでもあるような住宅地の夜景も今だけは何か特別なものに見えた。そうして今度こそ間違えずに降りるべき駅で降り、帰宅した。

 次の日学校での昼休み、僕は図書室へと向かった。二年と少しを経ても授業以外でここに来るのは初めてだった。ドアを開け入ってみれば昼休みに来る人間は少ないのか、年下の図書委員は触っていたスマホを急いで隠していた。それ横目に僕は図書室の奥、小説コーナへと向かっていく。そこに並んでいる本のタイトルを読むだけで僕の心のワクワクが大きくなるのを感じた。「十五少年漂流記」、「海底二万里」。ぱっと見ただけでそんなタイトルが並んでいる。どうやら作者順に並んでいるようで横に横に進んでいけば国内外の色々な小説が並んでいる。タイトルだけは聞いたことがあるもの、試験の範囲だったから教科書に乗っている部分だけ読んだ記憶のあるもの。それらですらもう一度読みたい。そう強く感じていた。手当たりしだいに手に取り本を開く。あらすじや目次、最初の数ページを読む度に僕の心は本の中に飛び込んでいった。ここには冒険がある、探検がある。それが一冊や二冊なんて数ではなく視界を埋めるほどギッシリ棚に詰まっている。そしてその棚が何台も横に並んでいる。

 ここは僕の冒険の始まりなんだ。現実での冒険は消え去り、青春の結晶であった夏大会もなくなってしまった。それでも今だけは忘れてしまおう。今まで十数年生きてきた中でもしかしたら初めて自分の意思で小説を読もう。そして僕だけじゃない今までも、そしてこれからも、多くの自分のような人間が出発し体験する冒険へと飛び込んでいこう。

 本棚の向こう、窓の奥にある夏の青空を今年に入って初めて晴れやかな気分で見れた気がする。

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