「ポン!」

「うわあ!?」

 子供たちと遊んだ後、いつものように彼女の病室に入る。途端に奇声が聞こえてきた。

 私は背負っていた全ての荷物をベッドの前に降ろし、荷崩しを始める。

「な、何ですか、この荷物の量は」

「ん? 今日からここに住もうかなって」

「は、はい!?」

 彼女はまたもや奇声を上げた。

「……と、いうのは嘘で」

「嘘なんですか……」

「実は……今日からここに住もうかなって」

「嘘じゃないじゃないですかっ!」

 疲れたように彼女はベッドに横になると、少しの間、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。

「両親の了承は得たんですか?」

「うん、何とか。でも、認知症のおばあちゃんには、いくら病気の子のためだって事情を話しても、『出て行くならお前はウチの子じゃない!』って怒鳴られるばかりで……」

 そんなおばあちゃんが、私の家庭では一番偉い。どうにかしてほしいものである。

 彼女は「ふふ」を微笑むと、一瞬顔を両手で覆うが、躊躇った様子でその笑みを露わにした。

 何かツッコんでやろうかとも思ったが、今はそんな頑張る彼女を見届けておくだけにした。

「……と、いうわけで」

 粗方の荷崩しを終えると、私は彼女に向き直り、手を差し伸べた。

「今日は星でも観に行こう。絶対綺麗だよっ」

「はいっ!」

 彼女は幸せそうに頬を染めて、私の手を取った。


「涼し~!」

 昨日と同じ道を登る。彼女は前回、窓から外を覗き込んで流れる景色に浸っていたが、今日はそこまでテンションが上がっていないようだった。

「あれ、もう飽きちゃった? ここに来るの」

「え、どうしてですか?」

「だって、昨日みたいに大はしゃぎしないから」

「ああ……あれは、無理に『自殺出来る! やったー!』って喜んで、自分を騙そうとしてただけです。これでも十分満足してますから、気にしないでください」

「そっか、良かった」

 ひたすらに山道を登る。車の音で自然の有象無象を聴き取ることは難しいが、透き通っていて、でもどこか濁っている川のような瑞々しい匂いは感じ取ることが出来た。

 そうして私たちは、ついに目的地まで登り詰めた。途中で徒歩にならざるを得なかったため、彼女をおんぶして登ったのだが、正直かなり体にきた。開けた場所に出ると同時に、私は崩れるように草むらに寝転がった。

「未希さん、ありがとう」

 彼女が心配そうに上から覗き込んでくる。私はそんな、らしくもない彼女の腕をこちらに引っ張った。多分、面と向かって感謝の言葉を言われて、少なからず照れてしまったのだと思う。

「うわっ」

 体勢を崩す彼女の腹を抱え、私の胸を枕に、被さるように寝転がらせる。即座に彼女の両目を手で塞ぎ込んだ。

「え! さ、さっきから何なんですか!?」

「星を観る準備は整った?」

「え? あ、ああ、そうですね。サプライズですか、なかなか……」

 彼女は深呼吸を挟み、ゆっくりと胸を撫で下ろす。ほどなくして、「良いですよ」という合図と同時に、私は彼女の視界を開放させた。

「……うわぁ……」

 彼女のその言葉は、ほとんど吐息のように聞こえた。暗闇に浮かぶいくつもの小さな煌めきと、まるで彼女を待っていたかのようなグッドタイミングで出現した流れ星は、あまりにも幻想的で、神秘的で、山の自然も相まって、私までもが圧倒されてしまった。

「な、流れ星、消えちゃいました……」

 焦る彼女の手を握り、「また来るよ」ともう片方の手で頭を撫でてあげる。彼女はされるがままに星を眺め続けた。

 そうして、ただ天体観測をするだけの時間が、少しばかり長く続いた。話題がないとか、そういうわけではない。単純に私も彼女も、この景色に浸っていただけの話だ。

 そんな沈黙を、彼女は唐突に破った。

「……未希さんが子供の頃、サンタさんって信じてました?」

「え?」

 どういう風の吹き回しか分からなかったが、私は素直に肯定した。

 彼女は星空に手を伸ばして、ほどなくしてポトリとその手を落として語った。

「まあ……サンタさんでも何でも良いんですけど、とにかく、だいたいの子供が信じているものを、子供の時に信じてましたか、ってことです。ユーフォーとか、幽霊とか。ここら辺は、大人でも信じている人はいますが……、私は子供の頃から、神様の存在も信じてました」

「神様か……。特別な環境だったの?」

「お父さんが怪しい宗教団体の一員でしたので。物心つく頃にはお父さんは他界していましたが、いつしか私も、神様を信じるようになりました。それだけが、お父さんを知るすべだとも感じていました」

「……」

「ですが、度重なる不幸の連続で、私は神様を恨むようになりました。お父さんの教典には、神様を信ずれば、不幸から守ってくれる、と書かれていたからです」

 この時、私は少し杞憂してしまっていた。当たり前だ。だいたいの子供に宗教のことは難しくて理解出来ないはずだが、もしも怪しさを見抜けずにのめり込んでいた場合、彼女は今頃、どんな廃人生活を送っていたのだろう。

 あるいは、逆にそれが現実への執着心になって、病気と闘えていただろうか。

「……すみません、こんな身も蓋もない話をしてしまって。流れ星を観て、神様を思い出してしまって……。願いを込める、という意味では同じですから」

「ごめん……。何なら、もう帰ろっか?」

「いえ、大丈夫です。流れ星、また観たいですから」

 その瞬間、また夜空に一つの星が流れた。彼女は即座に起き上がり、両手を握って流れ星を見上げた。

 流れ星が観えなくなってからも一分くらい、彼女は同じ姿勢のまま祈り続けていた。

「……未希さん、今思ったんですけど、流れ星に込める願いって、一つまでですか?」

 少し落ち込んだ様子の彼女に、私は微笑んで「何個でも良いんだよ」と答えた。

「嘘ですね」

「え、どうして?」

「初めから一つって分かってましたけど、確認のために訊いたんです」

 彼女は小悪魔みたいにくすりと笑う。私は「なんだと~!」と子供と戯れるようなノリで彼女に飛びついた。

「うわぁ! もう、未希さんっ」

「えへへ。そんなに願いごとがあるの?」

 彼女は嬉しそうに頷き、自分の願いごとを指で数え始めた。

「生きたいし、未希さんとずっと今のまま一緒にいたいし、友達はいないけど、また学校に通ってみたいし……、結婚は女の子の夢なので、やりたいな、なんて……。あと、この記憶がリセットされる前に、一度で良いから、またお母さんに会ってみたいし」

「――え、お母さん?」

 両親は他界したのではなかったのだろうか。彼女は「はい」と当然のように頷いた。

「あくまで、生きているかもしれないという可能性の話なんですけどね。おばあちゃんとかにも他界したって伝えられましたし、私も、前までは現実に未練を残さないように、死んだんだと思い込むようにしてました。けど、おじいちゃんとおばあちゃんが、度々お母さんらしき人物と電話していたので、もしかしたらお母さんが生きているかもしれないんです。顔も名前も、どこに住んでいたかも分かりませんけど」

「……なるほど」

 その願いを聞き終えた後、私の口は自然に動いた。

「全部、叶えてあげる」

「え?」

「願い星の代わりに、私が」

「……全部ってことは、恋も結婚も、どこにいるのか……生きているのかも分からない、お母さんもですよね? そんな……無茶ですよ」

 確かに、彼女の言う通り無茶かもしれない。母親と住んでいた場所が思い出せないとなると、本籍地も分からないし、そうなれば、一般的に住所を探す手がかりはないに等しい。それに、彼女は恋も結婚もしたいと言った。この世の中に、彼女を一生養っていく覚悟を持てる人間がいるとは限らない。

 それでも、可能性は少しでもある。なら私は、それを叶えさせてあげたい。

「無茶だとしても、やるよ。任せて」

「……ありがとう」

 その言葉と共に、地面に一粒の涙がこぼれた。


 朝。事務室に入ると同時に、福瀬先輩に不満顔でこう言われた。

「小桜、謹慎」

「……え!?」

 寝起きで頭が回っておらず、聞き間違いかと思ったが、先輩がもう一度「謹慎」と繰り返したところで、ようやくそれを現実のものだと理解する。

「ちょ、先輩! どういうことですか!?」

「言った通りよ。絶対に病室から出したらいけないって忠告していたのに、それを無視して……。危うくあの子、死んじゃうところだったのよ!?」

「そ、それは悪いと思ってます……」

 先輩は深くため息を吐くと、私を事務室の外まで追い出す。他にも大勢の同僚や先輩に見られており、目の行き場がなかった。

「というわけで、小桜」

 先輩も一緒に外へ出ると、事務室の扉を閉め、強引に肩を組んできた。どういうわけか分からずされるがままにしていると、先輩はそっと顔を近づけ耳打ちした。

「しばらく謹慎、ということにしておいたから、あなたは早くあの子のところへ行きなさい」

「……え?」

 さらにこんがらがってしまい疑問符を浮かべると、先輩は周りを警戒しながら焦るように口を開いた。

「聞こえなかったの? 早くあの子のところに行って、一昨日や昨日みたいに笑わせるのよ。けれど良い? これは何も遊びじゃないわ。あの子を助けるための、看護師としての仕事よ。出来れば付きっきりでいなさい。これは先輩命令。あの子に、現実への強い強い執着心を持たせて、あなたがあの子を救うの。あの子に生きたいって言わせたあなたにしか任せられない……大事な仕事よ」

「……!」

 胸が太鼓のように高鳴り始める。戦の合図でも鳴らされた気分だった。

 私がそう思ったのは、昨日までの彼女との闘病生活が、頭の中では真摯に向き合っていても、現実問題、深夜帯しか会えないという過酷なものだったからだろう。だが、ようやく闘いの舞台が整った気がした。

 一日中、彼女といられるのであれば、私も彼女だけを考えることが出来る。

 先輩は最後に私の肩を二度強めに叩くと、ウインクして去るという粋な演出を見せてきた。

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