【少女の心開きすぎ問題について】一話の最後にも記述致しましたが、これは終盤で納得のいくよう構成したつもりになります。その終盤を読んで、まだ疑問に残るようであれば指摘を頂きたく思っておりますが、基本的にはこの問題に関する指摘は、その終盤以降でお願い致します。


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太陽が半分ほど沈んだ夕焼けの空。私は子供たちの元へ向かう前に、一度、彼女のところへ寄ってみた。

 ドアノックをするが、中から反応はない。寝ている可能性を考慮してそっと扉をスライドするが、彼女は昨日のように、窓の外を眺めているだけだった。

「由紀奈ちゃん」

「……小桜さんですか」

「未希さんって呼んで良いよ」

「……未希さん。何か用ですか?」

 割と素直に応じてくれるらしい。これは面倒くさいからあしらわれているのか、私へ懐いても良いという意思表示なのか。

「今から病院の子供たちと遊ぶんだけど、由紀奈ちゃんも来ないかなって思ってさ」

「いいです」

「どうして?」

「……難病患者に、病気以外で苦しみを与えないでください」

「……?」

 私が頭に疑問符を浮かべていると、彼女からため息が漏れた。

「そんなところ行っても馴染めないですから、私」

「……でも、そういう子も、少ししたらみんな仲良くなってるよ?」

「私は度を超えた人見知りなんです。現に私、誰からもお見舞いに来られたこと、ありませんから」

「え? 今までお世話してた人は?」

「両親が亡くなって、祖父母の元で暮らしてましたが、交通事故で亡くなりました。私だけ一命を取り留めたんです」

「……そっか」

 彼女が今説明した事実を、もう一度心の中で復唱した。

 両親が亡くなって、祖父母の元で暮らしていたら、その二人も交通事故で亡くなった。

 彼女は今、確かにそう説明した。

「……えっと」

「ああ、気にしないでください。反応に困るのは分かります。もう忘れてください」

 彼女が今、どのような表情をしているのか分からない。だが、少し、ほんの少し、彼女の声は震えていたように思う。

「……気が変わったら来てね。第一病棟の三階、ニ〇四号室だから」

「はい」

 最後に「バイバイ」と手を振って病室を後にした。彼女から反応はなかった。


「ロン!」

 最近の子供は、何かとトランプで勝つとそう言いたがるらしい。年寄りの方が、いつも食堂で麻雀をやっているのが影響したのだろうか。

「うわー、未希お姉ちゃん負けちゃったよ~」

「お姉ちゃんざっこ~い!」

「これでも大人なの~?」

 盛大に煽られ、私は「何を~!?」とノリノリで腕まくりした。

 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、時刻はすぐに二十二時を回った。


 一旦事務室に戻ると、珍しくこの時間帯に部屋からタバコ臭がなかった。

「お、小桜、お疲れ様」

 声のしたソファの方へ目を向けると、小刻みに地団駄を鳴らしながらライターをカチカチさせる、引き攣った笑みの福瀬先輩がいた。

「先輩、吸わないんですか?」

「え? 何を?」

「タバコですよ」

「うふふふ! 冗談きついわね! アタシがタバコをこんなところで吸うわけないわよ! ねぇ? 橘先生?」

 彼女の視線を追うと、奥のデスクトップで仕事中の橘先生が笑みを向けてきた。細身で愛想のある、患者からも信頼された先生だ。

「そうそう。福瀬さんがタバコなんて吸うはずありませんって」

「ですよね~!」

 今にも禁断症状を起こしそうな先輩は、笑顔でそう相槌を打った。

「ところで小桜、昨日、由紀奈ちゃんの様子はどうだったの?」

 先輩がそう訊いてくると、橘先生も興味深そうにこちらを覗いてきた。

 私は昨日を思い返し、思わず笑みをこぼしながら答えた。

「順調です。平均的な十二歳の体つきをしてますし、人格も大人びていて、少なくとも今の段階では、赤ちゃんにはほど遠いと思います」

「待って、順調って言ったかしら?」

「はい」

「あの子、笑った? 追い返されそうにならなかった?」

「あー、追い返されそうにはなりましたけど、何とか笑わせて、心を許してもらえそうな感じになりました」

 そこまで話すと、橘先生は椅子から立ち上がりこちらに向かってきた。

「へえ、あの子が笑ったのか。そうか、そうか……」

 先生は嬉しそうに何度も頷くと、タバコを取り出し、火を付けて切り出した。

「実はあの子、明日、手術することになってるんだ」

「え?」

 タバコを咥えながら先生はそう言い、見せつけるように先輩の隣に座った。

 先輩は先生をスルーして、手術の説明をしてくれる。

「手術って言っても、前に言ったように不治の病だから、それで病気が治るわけではないわ。あくまで進行を遅らせるものよ。あの子は発症してから、今で半年が経過しているから……そろそろやっておかないと、ってわけね」

「……十二年かけて赤ちゃんに戻るわけじゃないんですか?」

「そうよ。個人差があってね、中には一年も経たずに完全に進行してしまうケースもあるの。最長でも三年程度ってところね」

「じゃあ、いつ由紀奈ちゃんが戻るか、正確には分からないんですね」

「そう。……って」

 先輩は先生のタバコを見てガミガミ怒鳴り始めた。私はそんな光景よりも、由紀奈ちゃんの今後に頭を悩ませていた。

 そして、そんな悩みに侵されている時には、もうすでに事務室を出ようと体が動いていた。

「――あ、小桜!」

 すんでのところで先輩に呼び止められる。

「昨日言い忘れていたけれど、あの子を病室から外に連れ出すのは絶対にやめてちょうだい! 良い!?」

 先輩と取っ組み合いになりながら、先生も同じような文言を伝えてきた。

「どうしてですか?」

「大変なことが起きるのよ。とにかくダメ」

 大変なこと、と言われても、身体呼応症候群の説明からはあまり想像がつかない。

 私は「分かりました」とだけ返して、早歩きで由紀奈ちゃんの元へ向かった。


「ロン!」

 そう小声で叫んで、私は由紀奈ちゃんの病室の扉を開けた。

「何ですか、それ」

「最近の子供は、何かとトランプで勝つとそう言いたがるっぽいよ。造語らしい」

「しれっと嘘吐かないでくださいよ! 麻雀から影響されただけですよね!」

 由紀奈ちゃんは相変わらず、いつもの体勢で何かをしているわけではなかった。だが、初対面の時よりも圧倒的に反応してくれている。

「まあまあ。そんなことよりも麻雀やろうよ」

「出来るわけないじゃないですか! 私を何歳だと思ってるんですか!」

「まあまあ、そう言わずに。ほら」

 椅子に座り、家から持ってきたDSとカセットを彼女に渡す。

「あの、このカセットは?」

「ん? 麻雀だけど」

「明らかに格闘ゲームのパッケージしてるんですけど!」

「そんなに文句ある? とりあえず、一度挿し込んでみてよ。それで分かるから」

 彼女は有無をいわさぬ速度でカセットを挿し込み、電源を入れて画面を見る。

「あの、麻雀なんですか? これ」

「うん。ほら、キャラクターが牌を持ってるでしょ?」

「どこにもそんなのありませんよ! リアルファイトしてるじゃないですか! もう……何なんですかあなたは……っ」

 そう叫ぶと彼女はDSを机に置きいて布団に突っ伏した。

 ほどなくして、表情を整えた彼女は窓の外を眺め、気だるそうに呟いた。

「はぁ……もう、あなたと出会ってからおかしくなっちゃいましたよ」

「それは良いことだね」

「はぁ……」

 もう一度、彼女は大きくため息を吐いた。

 訪れる静寂の中、彼女は窓の外だけを見つめていた。

 今なら答えてくれるかもしれない。あの質問に。

「ねぇ、由紀奈ちゃん。……いつも、どこを見てるの?」

 そう問うてから数秒後、彼女は口を開いた。

「……別に、何も見てません。ただ、時が過ぎるのを待ってるだけです」

「ふーん」

 私は立ち上がり、窓に両手を当てて寒蘭を見渡した。

 規則的に立ち並ぶ屋根の群れに、点々と散らばる田んぼ。普通、こういった上空から俯瞰すると人が蟻のように見えるが、夜や田舎ということもあり、街路樹が照らす道路には人の影は一つも見えなかった。

 そんな、特徴もないただの田舎の風景の奥にうっすらと見える、壁のような山々。それら全てを覆う星が煌めく夜空は、優しい光で寒蘭を包み込んでいた。

「こんなに綺麗なのに、ただ時間を待ってるだけなの?」

 そもそも、どうしてただ時間を待つだけで、病気に抗いもしないのか気になるところだが、訊けば気を悪くしてしまう気がしたので我慢した。

 ほどなくして、彼女は不満げに答えた。

「悪いですか?」

「いやいや、悪くはないけど、時間を待つだけなら、寝てたり、適当にゲームでもしてた方が有意義じゃないかなって」

「……まあ、少しは景色を楽しんでいる部分もありますよ。ただ、もうここからの景色は飽きちゃいました」

 彼女の顔を覗くと、少し寂しそうにこちらを見ていた。

「……」

 ここで自分の中で、少し葛藤が起こる。

 病気に抵抗する意味として、彼女を外に連れ出して景色を眺めさせてあげたいが、それだと先輩と先生から言われた「外に出すな」という警告を無視することになる。

「……ねえ」

 そう、彼女は初めて自分から私に話しかけてきた。

 そして、今までの彼女からは想像しがたい『笑顔』を向けて、私にお願いした。

「連れてってくれませんか? もっと、良い景色の場所に」

「……うん」

 気がつけば、私は頷いていた。

 本人が了承する限りは大丈夫だろうと思っていたし、単純に私が負けてしまったのもある。不幸と絶望が絡みついた彼女が見せた、その笑みに。

「でも、他の人に見つかったらヤバいから、絶対に見つからずに抜け出すよ?」

「はい!」

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