7
その後、食いついたわけを子供たちに話すと、「遊びは今度で良いから」なんて風な文言で私たちを無理矢理そこへ向かわせた。正直、ここまで気を遣える子供はそうそういないんじゃないだろうか。かなり成長しているらしい。感謝の念しかなかった。
佐木駅に到着して、まず実感するのは、これでもかというくらいの都会さだった。そりゃ、東京とかと比べるとまだまだなのかもしれないが、広い世界を知らない私にとってそれは、大都会の景色だった。
まず、ただの駅なのに、体育館かと思うくらいに広かった。いや、実際にはそんなものの非じゃないくらいにそこは広かった。何せ、壁かと思っていた場所には店が並んでおり、そこからどこまでも奥にこの建物は続いていたのだ。
外に出ても店は並び続けていた。マクドだったり、ミスタードーナツだったり、セブンイレブンだったりと、大人気店なだけに人だかりも多い。それと地味に、セブンイレブンという都会専用コンビニを拝見出来たことにも感動した。
横に二階への階段が配置されていた。そこを上った先は、何かの店の裏口みたいな通路に続いていた。何かの店、というのは、その何かの店自体はすぐ横に見えているのだが、窓から中を覗いても、本当に何の店かも分からなかったからだ。席についてお客さんが何かを飲みながら話している辺り、喫茶店なのだろうか。とにかく入り口も見当たらなくて、不審者に思われそうだったので急ぎ足でそこを去った。
その去る時のことだった。二階から外の景色が図らずとも視界に映してしまったのだが、私は思わず足を止めてしまった。
その瞬間、まるで私たちを祝福するかのように鳩の群れが幻想的に、映画の演出みたいに空を覆って羽ばたいた。それに圧倒されるのは束の間で、その先に広がる都会の景色にも目を引かれてしまう。
まず、てっぺんが見えないくらい高層の建物がいくつも並んでいることに驚いた。マンションだったり、会社だったり、デパートだったり。お店もいくつか並んでいたが、看板には見たこともないロゴばかりが表記されていて、どれが何の店なのかも分からなかった。
駅を抜けると、小さな時計塔を囲うように円型の道路が、またそれを囲うようにバス停の看板とベンチが並んでいた。田舎にも似たような場所があるが、大きさとしてそこは、寒蘭の二倍以上の広さだった。
バス停を抜けた先に見えた景色には、正直な話、度肝を抜かれた。真ん中に敷かれた一本の道路の左右には、これでもかというくらいにびっしりと建物が並んでいた。そしてそんな夢みたいな道は、視界に映る限りでは終わりがないように見える。はるか先に大きな山の影があるが、そこまで続いているんじゃないか、なんてありもしない錯覚を抱かせるほどに、この道には一目置かざるを得なかった。
「未希さん」
「ん、何?」
「もう終わりましたか?」
「え」
高野市に訪れた時には、一緒になって景色に感動していたはずだが、今回は何も思わなかったらしい。繋いだ手をぐいっと引っ張って、平気な顔でこちらを見ている。
「由紀奈ちゃん、もっと良く見てみ? 田舎では絶対に見られない、圧倒的なまでの近代さがここにあるんだよ! この高層な建物の数々、辺りに行き交う、田舎では信じられないほどの人の群れ、何だか心が洗われない!? すごくない!?」
私は、好きなアニメを必要以上に布教したがるオタクみたいに、この景色に潜むノスタルジックさを彼女に説明する。だが彼女には、「小さい頃に住んでましたから」と一蹴されてしまった。
「そっか。……え、小さい頃に住んでたの?」
さらりと新情報が露見した気がする。すぐに問い詰めると、彼女は悩ましそうに頭を抑えながら、「ええ」と答えた。
「今思い出しました。多分、ととりんのぬいぐるみを渡された後に、引っ越して来たんだと思います。割と鮮明に思い出せますから、幼稚園児くらいにはなっていたかもしれません……」
「なるほど」
引っ越して来たとなると、本籍地をここに変えていて、なおかつ、まだここに住んでいるのなら見つけ出すことが出来る。が、そう簡単にはいかない予感がしていた。
「由紀奈ちゃん、今は学校に通ってるの?」
「一応卒業扱いにはなっています」
「幼稚園は?」
「通ってません」
「なら、小学校に訊いてみれば、お母さんの住所って分からないかな」
「ああ、確かに! と言いたいですが、無理ですね」
「え、どうして?」
「小学校に入学した時にはもう、私はおばあちゃんの家に引き渡されていましたから、親も住所も調べても、おばあちゃんのものになると思います」
「そっかぁ」とため息を吐いて、あの親御さんに書いてもらった住所のメモを少し握りしめてしまう。
「じゃ、行こうか」
「はい」
彼女は繋いだ手を揺らしながら歩き始めた。
目的の家は、駅から徒歩で一時間以上かかる住宅街の一角にあった。それが彼女の家なのか、インターホンを鳴らす前に答えは出た。
「あ! これだ!」
彼女は目的の家が視界に入ったタイミングから何やら目を凝らしており、数十秒後、確信を持ってそう叫んだ。
私たちは駆け足でそこへ向かう。が、その家の看板を見て、同時に足を止めた。
そこには『福瀬』と表記されていた。感動の余韻に浸る間もなく、私たちの口からはため息が漏れてしまっていた。
「また引っ越して、福瀬さんの家になった……ってことですか」
「そうみたいだね」
ということは、ほとんど確定で母親は佐木市から出てしまったというわけだ。ほどなくして、もう一度私たちはため息を吐く。その矢先に、福瀬家から声が聞こえた。
「小桜さーん!?」
福瀬家の庭を手入れしていた、歳の入ったおばあちゃんが、こちらに元気良く手を振っている。私にはそれが誰だか分からなかった。
「え、えっと」
反応に困っていると、彼女は「
その瞬間、繋いでいた由紀奈ちゃんの手に力がぎゅっとこもる。洋子さんがこちらに近づいてくる度に強くなり、やがて道路まで出てくると、彼女は私の背後に隠れてしまった。
「あれ……由紀奈ちゃん……?」
洋子さんの口から予想外の言葉が出てきた。由紀奈ちゃんはそっと顔を出し、彼女を覗く。同時に洋子さんは、嬉しそうな表情でこちらに駆けてきた。
「うわぁ! 由紀奈ちゃん! おおぉ……っ!」
洋子さんは少し戸惑いながらも、彼女を抱きかかえようとする。だが由紀奈ちゃんは余計と怖がってしまい、洋子さんの手を避けるように逃げた。
「すみません、この子、極度の人見知りなんです」
洋子さんが悲しむ前に説明しておく。彼女は「ああ~」と苦笑いで納得したように頷いた。
「洋子さん、先輩から由紀奈ちゃんの話を聞いたんですか?」
「え? え、ええ、そうよ、確か。いや、確かってなんだ。そうだった、そうだった」
彼女は年相応の記憶力で恥ずかしそうに後頭部を掻いて笑った。私も愛想笑いを返しておくが、由紀奈ちゃんは相変わらず怯えたままだった。
だが、次の瞬間、ここに来て初めて彼女の口が動いた。
「認知症……?」と。諦めずに、必死に現実への執着心を一つでも増やそうとしていた。
洋子さんは「おお」と驚いた顔で漏らして、「難しい言葉知ってるねぇ」と彼女の頭を優しく撫でた。その手は振り払わずに、俯いてはいたものの、受け入れていた。
「由紀奈ちゃんの言う通り、認知症で正解だよ~」
「そ、そうですか」
彼女は決して洋子さんの姿は視界に入れずにそう返した。洋子さんは大きく笑って、また頭を撫でてあげると私に向き直る。
「中入ってくかい? お茶出すよ」
「ああ、はい。ありがとうございます」
一応、前にここに住んでいたはずの彼女の母親について、何らかの情報を持っている可能性がある。一応、誘いを受けておくことにした。
玄関に入り、目の前の薄茶色の壁を右に進んだ先に居間は広がっていた。そこをさらに右手にリビングやトイレ、バスルームが、左手に物置と寝室が配置されている。どこも障子で仕切られた状態であるらしく、庭が一望出来る外の廊下は、昔ながらの家といった感じだ。
「今、お茶を入れるからね、そこに座ってて」
「わざわざありがとうございます」
「良いの、良いの」
そうやってリビングの椅子に二人で腰をかける。そこで私は、徐々に彼女の繋ぐ手の力が弱まっていることに気がついた。
顔を覗いてみると、この家を隅から隅まで見渡して、まるで何かを探しているかのようだった。
「……未希さん」
「ん?」
彼女は数秒口をもごもごさせた後、悩ましそうに首を傾げて言った。
「……部屋の間取りとか、見覚えがあります」
「……と、いうことは?」
「前にこの家にいた、と思います」
「おお~」
ようやくそれらしい手がかりを見つけることが出来た。
ほどなくして洋子さんはお茶を出してくれた。正面に座って、彼女は訊いてくる。
「で、何かここに用だったんか? 悩ましそうにしてるけど、何か力になれそうなものはアタシにあるかな」
「あ、でしたら……」
私はここに来た経緯をきめ細かに説明した。
全てを理解した彼女は、顎に手を当てて昔を探るように思考タイムに入った。
不意に由紀奈ちゃんの方を見てみる。どういうわけか、顔を青ざめさせて体を震わしていた。
「ゆ、由紀奈ちゃん?」
「え、どうしたの?」
「いえ……何でもありません……」
彼女はそう無理に笑うが、笑みも引き攣っており、確実に体調を悪そうにしていた。
まさかと思い、私はすぐさま身体呼応症候群についてスマホで調べ上げる。だが、特に今回の彼女のような症状は見当たらなかった。とはいえ、この病気には圧倒的に情報が不足している。未発見の何かが起きたのかもしれない。
「由紀奈ちゃん、大丈夫なんか? 横になるか?」
洋子さんが彼女の肩に触れると、それをすさまじい勢いで振り払い、私の胸へ抱き着いてきた。
私はすぐに彼女をおんぶし、玄関へ駆ける。
「すみません洋子さん! 病院まで運んできます!」
「え、ええ……大丈夫なんか?」
「まだ分かりません! お邪魔しました!」
素早く靴を履き替え、彼女の靴を持って急いで駅へ向かった。
腕時計で今の時刻を確認する。特急に乗れば、だいたい病院まで一時間ほどだろう。久しぶりに全力疾走した。
結論から言って、彼女の体には何の異常も見当たらなかった。ただの貧血で間違いないと断定された。
私は久しぶりに事務室に寄っていた。福瀬先輩に呼び出されたのもあるし、呼び出されていなくとも、先輩の家か実家か分からないが、とにかく母親と会ったことを話したかった。
事務室に入ると、また先輩はソファでくつろいでいた。タバコを吸っていない辺り、今日も橘先生がいるらしい。少し部屋を見渡すと、奥のマイデスクから先生が笑顔で手を振っていた。
「で、小桜、最近あの子の調子はどうなの? 今日は貧血起こしたらしいけれど」
先輩は後頭部をガシガシ掻き、手持無沙汰な様子で貧乏ゆすりしながら問うてきた。
「最近では子供たちとも仲良くなりましたし、順調そうだと思います」
「ふ~ん。そういえば、アタシの家に来たらしいわね。そこで体調悪くなったって、電話が入ってきたわ」
「あ、今日はお邪魔させていただきました」
ぺこりと頭を下げると、「真面目か」と呆れた顔でツッコまれた。
「で、えーっと、あの子の母親を探しているらしいわね。死んだってあの子から聞いたけれど、生きているの?」
「ああ、はい。多分、の範囲ですけど。ちなみに何か、心当たりあったりします?」
投げやりで訊いてみるも、当然彼女が知っているわけはなかった。
「おばあちゃんも知らないと思うわ。というか、その多分に懸けて、見つからなかった時はどうするの? それこそ、現実への執着心がなくなっちゃいそうだけれど」
「あ、それは……」
正直、その可能性は全く考えたことがなかった。妙に彼女の言う情報がリアルだったので、母親は生きているとどこかで確信してしまっていたのだろう。
だが、母親の生死が可能性であることは彼女自身が一番理解出来ているはずだ。それに、死んでいても絶望しないようにするのが、私の役目だ。
「見つからなくても、何とかします」
「その根拠は?」
「それが私の役目だからです」
私は心の中に宿る確固たる意志を、瞳に炎を燃やす勢いで奮い立たせた。
彼女はそんな私の意思が感じられたらしい。くすりと微笑むと、幸せそうなため息を漏らした。
「あの子、本当に変わることが出来たのね」
「一応……」
「そこは自信を持ちなさいよっ」
少し引き気味になっていると、からかうように笑われる。その後、先輩はソファに寝転がると、おもむろに天井を見つめて、少し、寂しいような、悲しいような笑みを浮かべた。
「本当、良かったわ、あの子。あなたがいてくれて。アタシには無理だったから」
「……」
彼女から感じられる悲しみが、病気に打ち勝てないと分かっているからなのか、一度、彼女に大敗したからなのかは分からないが、とにかく彼女は、まるで恋人を失って、強がっている人みたいに引き攣った笑みを浮かべていた。
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