その後、私たちは彼女の記憶の欠片を頼りに、母親が住んでいた地域を絞り出すことにした。本籍地さえ割り出すことが出来れば、戸籍を辿って現住所を見つけ出すことが出来る。

「今分かっているのは、観覧車に乗ったこと、くらいですか……」

「それじゃ流石に少なすぎるね。お父さんの方は、具体的にどんな宗教だったの?」

「うーん…………神様が全て救ってくれる、的なものしか……」

 とりあえず私たちは車に乗り込み、いつでも出せる準備だけしておく。私はスマホで、全国の宗教団体を一通り見ていくことにした。

「……と、思ったけど……」

 数はざっと見て百以上はある。しかも神様を信仰する宗教なんていくつもあるだろうに、冷静に考えて無謀な策と言えただろう。怪しい、とワードを追加したとしても、特定までは難しい。

「あと、思い出せるのは……」

 彼女は頭を悩みに悩ませ、数分かけてようやく口を開いた。

「ととりん……が、いました。住んでいた地域に」

「ととりん……」

 すぐにスマホで検索をかける。画面に表示されたのは、鳥を極限までゆるくしたデザインのゆるキャラで、発祥は高野市という田舎らしい。ここから電車で一時間ほどかかる。

 私たちは早速駅まで向かい、電車で高野市へやってきた。

 田舎、とサイトに表記されていたものの、降りた駅の大きさは尋常じゃなかった。私たちが想像していた田舎というのは、駅の中にお土産屋なんてないもので、常に視界に人が映り込むなんて、もってのほかだった。

 だが、窓から見下ろす高野の住宅街は、それでこそ田舎、というべき風情を残しており、駅から山の方まで、木々に隠れながら坂道に家々が連なっていた。

 ボロ屋根も素晴らしかった。奥の方は苔まで生えた家も多数見つかった。決して遠くないその山頂部分にも住宅街は続いているらしい。目の前に広がるこの山を登っていくだけで、どれほどの感傷が洗われるだろうか。まるでノスタルジックな絵でも鑑賞しているような気分だった。

 左右も見渡してみるも、どこもかしこも住宅街ばかりだった。確かに田舎だ。お店も見えないし、高層な建物も駅前だけだ。ただ囲まれた山に向かって家々が群れを成している。

彼女はしばらくして、申し訳なさそうに言った。

「……すみません。何も分からないです」

「そっか。少し歩いてみる?」

「はい」

 私は彼女の手を取って、歩道を歩き始めた。

 店がない、というのは嘘だった。一見住宅街ばかりに見えたが、歩道の先はスーパーマーケットにその駐車場、ラーメン店と、なかなか人も確認出来る栄えた場所だったらしい。

 いや、こういった建物は手前の手前で、もっと先に進むことで、私たちが駅から見ていた景色に繋がるのだろうか。私は彼女の反応を窺うが、眉をひそめて難しい表情をしているだけだった。

「由紀奈ちゃん、景色はどう?」

「景色ですか? それはまあ、すごく良いものですが」

「とにかく、ここを観光してみようよ。それで何か思い出すかもしれないし」

 彼女は微笑んで、「そうですね」と頷いた。

 そうして、私たちは高野を思う存分巡った。とはいえ、結論から言って、かなり観光スポットが多く、全てを巡るのは一日では圧倒的に足りなかった。

 まず、ととりんに会うために道の駅に向かった。そこまで人気じゃないのか、ととりんとスタッフさんが頑張って客引きしようにも、人々は目もくれずに中へ入ってしまう。由紀奈ちゃんは「可哀想」と一言漏らして、ととりんの元へ走った。

 彼女はととりんの大きな羽に包まれ、無邪気に抱き返す。しかしスタッフが何やらチラシのようなものを配ると、彼女はととりんから離れ、一礼して私の元へ戻ってきた。

「ち、チラシはもらってあげてよ。その方が可哀想だよ」

 私は彼女の手を引いてととりんの元へ向かい、チラシを受け取ると、握手を交わす。ふと彼女に視線を落とすと、青ざめた顔でぶつぶつと何かを呟いていた。

「チラシ……勧誘……宗教勧誘……」

「あ、失礼しました」

 彼女の独り言に危機を察し、急いでその場を去った。

 その後、みろくの里という佐木市の遊園地に入り、観覧車に乗った。近くにある遊園地ということで、彼女の言う「観覧車に乗った」の観覧車が、ここである可能性があるからだ。

 景色の感想としては、視界に欠かさず映りこむ緑と、海に繋がる大きな川がものすごく自然を感じられて感傷的になれた。港や船、囲まれた海を見渡すと、孤島にでも来ているような気分にもなる。

 何か思い出せているのかどうか、彼女の様子を観察した。

「やっぱ、観覧車って怖いですね……」

 何も思い出せていないらしい。

 ひとまず休憩ということで、高野で有名な高野ラーメンを食べることにした。ラーメンの油は私もかなり嫌で、由紀奈ちゃんも苦い顔をしていた。だが、店員さんの熱烈な勧めとネットの高い評価に、私たちは一口味見をしてみることにする。普通のラーメンかと思いきや、その中にある濃さに、すぐに病みつきになった。

 昼からは、百光寺という高野のパワースポットに向かった。山頂にあるため、まずは山を登るところから始めなければならないのだが、後半はずっと疲れた彼女をおんぶしていたせいで、山頂に着いた頃には全身の筋肉が崩壊しそうになっていた。

 だが、身も心もバテた、というわけではなく、体力の余裕がない中、眩しい太陽に照らされた石の歩道、左右に並ぶ森林は私の心を癒していた。

 百光寺の外観は、まさに寺、といった感じの赤い内装、黒の屋根で造られていた。背後に巨岩だったり、そびえたつ絶崖だったりと、なかなか変な場所に建てたなと思いながら中へ入ってみる。

 中は一分もあれば一周出来るほどの大きさだった。真ん中には何やらお店が並んでおり、景色とお店で人が半分くらいに分断されていた。

「未希さん。肩車してください」

「肩車? 出来るかなぁ……」

 重い首を回し、身長の小さい彼女の股をうなじに付ける。同時に彼女が「やっぱいいです! 落ちる! 落ちます!」と暴れ出した。

「あ、暴れちゃダメだって! 落ちないから! 頭にしがみついてて!」

「やばいですって! 落ちますって!」

「落ちないって!」

 なんてやり取りを一分ほどしていると、観光客のこれでもかというくらいの目線と、幸せそうな微笑みに囲まれていた。恥ずかしくて仕方がなかったので彼女を降ろし、二人でぺこぺこと頭を下げ、もう一度肩車してあげる。

「未希さんってお笑い芸人みたいなのに、変なところで恥ずかしがりますね」

「はぁ……。ほら、それよりも景色観てみよ」

 そうやって、私たちは高野の景色を一望した。

 だが、あまりに発展したその景色を観て、私は一度、佐木市のものなのかと疑ってしまった。

 まず、高層ビルがいくつか建っていた。隙間が見えないほど、家々も並んでいた。大きな川には、高野で有名な高野大橋がかけられており、それを跨いだ先には、うっすらと港のようなものも見える。周りは山に囲まれており、自然は確かに残ってはいるものの、高野の様々な部分を見下ろすことが出来た。

 山の自然の匂いを感じながら、そのような街を一望した感想はあまりにも良くて、少しの間、私たちは石像のように動けなかった。数秒後、彼女は私の頭をポンポンと叩き、「すごいです」と漏らした。

 同調しか出来ない感想だったが、実際には同調出来なかった。目の前の景色に見惚れていて、口も体も動かなかった。

 以上が、今日で彼女と巡った高野の観光スポットたちだ。

 駅に向かう途中、私は彼女に「何か思い出せた?」と訊いてみる。

「すみません……、何も、見覚えが」

「そっか……」

「はい」

 彼女は力なく頷く。少し頼りない希望を胸に、役所で戸籍謄本が取れるか訊いてみたが、私たちの悪い勘は的中していた。

 電車の中で、彼女は私の肩にもたれてすうすう眠っていた。その頭を優しく撫でて、もう一度、何としても母親を探し出すんだと誓った。


 病院に戻り、事務室の前を通り過ぎると、いつも遊んでいる子供たちがわらわらと寄ってきた。

「未希お姉さん、どこ行ってたんですか?」

「昨日も遊べなかったでしょ? 今日は遊べるの?」

 中には親御さんも見受けられた。私は子供たちの頭を撫でて、「今行くからね」とみんなを集めた。

 由紀奈ちゃんの方へ振り返る。

「由紀奈ちゃん、やっぱり……ダメかな?」

 ここに彼女が加わってくれれば、子供たちと同時に彼女ともいられるので一石二鳥なのだがと思うが、彼女は俯きながら首を左右にぶんぶん振った。

「そっか。じゃあ、また後でねっ」

 寂しいが、彼女をそこに残して子供たちに付いていった。

「――ま、待って!」

 消え入りそうな声を何とか拾い、後ろを振り返る。そこには、私たちの方へか弱く手を伸ばす、不安そうな顔の彼女がいた。

 何か言いたげに口をもごもごさせている。私は彼女の言葉を待った。

 だが、子供たちは待てなかった。すぐに彼女の方へ駆け寄ると、「君も遊ぶの?」と無邪気に問いかけている。

「未希お姉さん、あの子も遊ぶの?」

 服の袖をぐいぐいと引っ張り訊いてくる。私はその答えを出すために、彼女をじっと見つめた。

 彼女は群がる子供たちに苦い顔で後退りしながら、「未希さん……」と弱弱しい声で助けを求めていた。

「どう? 由紀奈ちゃん。遊ぶ?」

「うー……」

 まだ悩んでいるらしい。が、若干上がった口角と、子供の頭に手を伸ばそうとして躊躇っている様子を見れば、答えは一目瞭然だった。

「あ、遊んでみます……」

 彼女がその言葉を発した瞬間、辺りが騒然とした。この光景を見ていた病院関係者が、こぞって拍手を送ってきたのだ。

 彼女は顔を真っ赤に赤面させながら私の胸に飛びついてくる。追い打ちをかけるかのように、子供たちが彼女に質問ラッシュを持ちかけた。

「何して遊ぶ?」

「どういう病気なの?」

「何歳?」

 彼女は目をぐるぐる回しながら「え、えっと」と戸惑いまくっている。子供たちの追撃は休む間もなく続き、彼女が逃げ出そうとすると、獲物を捕らえるかのようにすぐに囲まれた。

「よしっ! じゃあみんな! あのお姉ちゃんを連れて、いつもの部屋に行くぞー!」

 そう呼びかけると、子供たちは彼女の背中を押して私に付いてきた。


「由紀奈さん、トランプして遊ぼ?」

「トランプ? わ、分かった」

「トランプで何がしたい? 僕は真剣衰弱!」

「僕もそれ!」

「アタシはババ抜き! 由紀奈さんは?」

「え、えっと……」

 病室に入ると、彼女は真っ先に子供たちに座らされ、質問攻めをされる。彼女は戸惑いながらも何とか噛みつこうと、頑張って会話についていった。

「あの子、どういう病気なんですか?」

 子供たちを眺めていると、親御さんにそんな質問される。私は素直に「遡行型の身体呼応症候群です」と返した。

「何ですか? それ」

「簡単に言えば、 徐々に身も心も遡行して赤ちゃんに戻る病気ですね」

「うわ……そんなものがあるんですか……」

 苦しい表情で同情され、「そうですね」と苦笑いを浮かべるしかなかった。


 あっという間に二十二時になり、子供たちは各々の部屋へ帰っていった。

「由紀奈さん! バイバイ!」

「ば、バイバイ!」

 彼女はこの時間と通して、それなりに子供たちと馴染むことが出来ていたように思える。まだ初々しさは残しながらも、嬉々として手を振り返していた。

 病室に戻る。彼女をベッドに寝かせ、今日の感想を訊いておく。

「由紀奈ちゃん、子供たちとどうだった?」

 すると彼女は薄く微笑んで、

「子供ってすごいですね。あんなに初対面の人に……。それに、病で入院してるとは思えないくらい元気でした」

 と、今日の出来事を思い返しながら答えた。

「もちろん人見知りする子もいるけど、子供ってだいたい、初対面の人でもあんな感じだからね。心臓とかに病を抱えている子も、あとは検診を続けていれば退院出来る子もあの中にいるけど、私が何とか頑張って、みんな笑顔でいられるようにしたつもりなんだ」

「はい。なのでまあ……居心地は、良かったです。今度は、外で遊んでみたいです。他の子供みたいに、外で鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、サッカーしたり……」

「うん。じゃあ、明日はそうしよっか」

「は……ぃ……」

 彼女は眠たげに目を擦らせると、そのまま小さな寝息を立てた。


 早朝十時。彼女の要望通り、病院から少し離れた公園で、子供たちと彼女は仲睦まじく体を使った遊びをしていた。

「由紀奈さんが鬼だー!」

「わ、私!?」

「三十秒数えてねー!」

「もー、仕方ないなぁ。いーち……にーい……」

 彼女は何だか以前の私のような立ち位置にいるように見えた。本来なら私もこの場に参加しろと言われるのだが。こうやってベンチから親御さんと眺めるのも良いんだけど。

「子供たち、本当に楽しそうですよね」

 親御さんのうちの一人が話を振ってきて、咄嗟に「そうですね」と相槌を打った。

「小桜さん」

「何ですか?」

「子供たち、由紀奈ちゃんの病気のことと、小桜さんがずっと付き添って一緒に闘病してることを知って、自分たちも何か出来ないかと、彼女を遊びの中心にして笑わせようとしてるんですよ。一日中闘病してたら疲れるから、この時だけは小桜さんも休ませてあげたいって」

「え、そうなんですか?」

 親御さんは満面の笑みで「はい」と頷いた。

 子供たちの年齢と言えば、だいたい七歳から五歳程度の振れ幅だが、そんな歳にしてそこまで考えていたのは正直驚いた。病院生活を通して、色んな人の気持ちを学んだのだろう。何だか幼稚園の先生みたいに、子供たちの成長が愛おしく、そして感動してしまった。

「ですけど……本当のところ、由紀奈ちゃんの病気は治るんですか?」

 その質問には反応に困ったが、すぐに返答する。

「今のところ治りはしませんけど、病気の進行を抑えることは出来ます。現実への執着心を増やしていけば」

「現実への、執着心ですか……」

「はい。そのために私は、彼女の願いを叶えてあげたいんです。だからまずは、何としても彼女の母親を探し出さないと」

「母親……」

 親御さんたちは彼女の現状を察すると、反応が難しそうに黙り込んでしまう。

 その中で、「そういえば」と発する親御さんがいた。

「そういえば?」

「あ、いえ、引っ越す前のお隣さんの苗字が、確か雨森だったなーと。すみません」

 少し期待してしまったが、どうやらあまり関係のないことらしい。私は「いえいえ」と愛想笑いで返そうとするが、その声をいくつもの声が遮った。

「えー!? 由紀奈さんのママ、どこ行ったか分からないのー!?」

「やだよー! ママに会わせてあげたいよ!」

「そうそう! 可哀想だよ!」

 今の話を小耳に挟んでしまったらしい子供たちが、こぞってこちらに寄ってきた。私は心配をかけさせないために否定しようと考えるが、由紀奈ちゃん自身が頷いていた。

「そういえば、ママ! 前の家の隣の人が、雨森って人だったよね?」

 あの親御さんの子供がそんな質問をするが、結局、手がかりにはなり得ない。だが、単純な子供たちは親御さんに「どこ?」「どんな人?」と責め寄った。

「みんな、同じ苗字の人は全国に何人もいるんだからっ」

 子供たちにそう呼びかけるが、その親御さんは「良いんです」と愛想笑いを浮かべた。

「えっと、場所は佐木市で、下の名前は分からないけど、すっごく暗い人だったね。子供もいたみたいで、お父さんの方が宗教団体の一員だった気が……」

「しゅ、宗教団体の一員!?」

 私と由紀奈ちゃんは思わず食いついた。確かに同じ苗字の人なら全国にいくつもいるが、その中でも宗教団体に属しているとなれば、可能性としてはあるように思えた。

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