#94 欠格
神崎は本所の職員に連れられてゆき、彼の姿が扉の向こうに消えると、大村は所長室へと向かった。隣に並ぶと、彼がいった。
「連れ出して悪いね。神崎くんのメンタルケアを頼みたくて。君が途中まで一緒だったと聞いたものだから」
「なにかやらかしたんですか、神崎」
「管制室で映像を見てきてくれるかな。大垣くんには話を通してある。僕は所長と話をしてくる。護衛はいらない」
所長室の前には本部の隊員がすでに控えていた。終わったら連絡するよう大村に言い置き、国見は来た道を引きかえして途中にある管制室のドアを開けた。
モニターや室内の配置はそう変わらないが、部屋じたいは第一中隊のそれより広い。管理班の一部は第一中隊の援護に回っており、他方では別の異能犯罪者の出現で別班が出動中のようだった。みな、入室した国見に目をやっても、注視することなく仕事に戻ってゆく。
飛び交う通信を耳にしつつ、大垣に歩みよる。足を組んで姿勢をやや崩した彼は、片手でタイピングを、片手でモニターをスイッチングしている。国見の姿に気づくと、おお、と声を上げた。彼が動くと、首にかけているヘッドフォンも揺れた。
「お疲れのところ、ご足労やな」
「現場は落ち着きました?」
「制圧完了。こっち側の死者はゼロ」
モニターが切りかわり、小学校の校庭らしき場所に集まっている崎森班の面々が映しだされた。崎森と
表出騒ぎが起こってから数時間が経過し、グラウンドはほの暗く、班員らを外灯が照らしている。
いっせいに各班が動いたことですぐに制圧が完了するかと思われたが、表出者は波状に現れた。第一波の表出者が暴走し、恐怖心をいだいた者がピリオドを出す。それが繰りかえされ、予想をこえる数の表出者が出た。
特に多かったのが子どもだ。記憶を思い出したとき、未成熟な子どもは歯止めが効かない。小学生から中学生にかけては、ピリオドを出すと暴走する可能性が他の年代よりも顕著に高い。
煌々とした外灯のもと、
『報告書の量がとんでもないことになりそうですねえ』
そうぼやく玉池に、前方の柵に腰掛けていた
『俺ら、明日は日勤でしょ。帰りてえー』
通信を終えた木島が合流し、中村の隣に腰かける。
『割り当てられた場所が悪かったね。中村くんの日ごろの行いのせいだったりして』
『まさか。崎森さんの徳が足りないんでしょ』
ブランコ脇のジャングルジムに寄りかかっていた
『不本意ながら、約束破りになってしまいましたなあ』
『ね。まァた文句言われちまう』
『仕事ですもん、しょうがないですよ』とりなすように新山が言うも、中村は肩をすくめた。
『そこまで聞き分けがいいと思う? あいつ』
『誕生日の翌日に早く帰るって約束しておいて残業かー、マイナスポイント高いな』
木島の声はいささか楽しそうな雰囲気をまとっていた。面白がっているともとれる。
端末での通話を終え、崎森が輪にくわわった。
『大垣、今日の夜勤どっちだ?』
「井沢さんのほうやけど……この調子じゃあ職員は泊まりこみやろなぁ。ミヤちゃん、さっきから走りまわっとる」
大垣の返答を受けて国見は管制室を見わたした。ふだん常駐している記憶研職員の
崎森はさらに通信でやり取りを交わしてから、中村に目を向けた。
『中村は帰ってよし。ほかは戻って残務処理』
『マジ!? やったー!』
両手を突きあげて喜ぶ中村を、玉池が「いいなー!」と羨ましがる。
『ただし、明日は本部医療班のヘルプに入れ。摘出手術の補佐と司法解剖』
『えっ』崎森の言葉に、中村の顔が歪む。『日勤よりハードじゃないですか! 俺もこっちで報告書作りますよ』
『お前の代わりに神崎が入る。安心して行ってこい』
『いやぁ、新人に報告書作りは任せらんないでしょ』
『神崎が作る報告書のほうがお前のより3億倍マシ』
『真顔で言われると傷つく……木島さんも横でウンウンうなずくのやめて?』
崎森は気にせず大垣に声をかけた。『悪いが、家まで送ってやってくれ』
「ええよ。早く帰すなんてカナメは優しいなあ」
その言葉に中村は崎森を指さす。『この人を優しいって言うなら、世の中の9割がたは優しい人になりますよ』
崎森はしらっとした目つきで首をかしげた。苦々しく中村がつぶやく。
『そのすっとぼけ顔、腹立つわァ……』
『中村さん、お疲れさまでした。あした頑張ってくださぁい』
玉池が手を振り、ほかの面々も続いた。
『……じゃあ崎森さんのご好意に甘えて、お先に。……
「はいはい」
その場から中村の姿が消える。大垣はほかの班員を移送したのち、国見へ神崎のグラインが残した記録映像を見せた。
河野が建物に戻った場面では、床に散ったおびただしい量の血に思わず眉をしかめた。風間にかけよる神崎に目を凝らす。大垣がちらりとこちらを見た。
「これは、いつもの神崎隊員なん?」
「ええ」食い入るように画面を見つめ、確信を深める。「いつもの神崎です」
級付けで対峙した鬼気せまる威圧感はない。画面内の河野も同じことを考えていたのだろう、風間の処置をしつつ彼に問いかけた。
『君がやったの?』
『はい。俺が、自分の判断でやりました』
さっき顔が青白く見えたのはこのせいかと合点がいった。両手を斬り落とした罪悪感。彼はまだ、藤村春の医療の腕がどれほどのものか知らない。取り返しのつかないことをしたと悔いているように見える。
画面から目を離さずにたずねた。
「藤村さんは?」
「手術中。さっき始まったばっかり。高柳は塩原くんが治療しとるけど――」
大垣は言葉を切った。続く言葉を察し、国見は手元に視線を落とした。
せっかく守ったというのに。この棟のどこかで治療を受けているという河野を案じた。同情に似た思いが寄せる。また、彼が自分の立場だったら神崎になんと言葉をかけるかという問いも浮かんだ。
自分が被虐待の過去を彼に話した日を思いだす。彼がなんと言ったかを
*****
明るい光で照らされ、神崎は覚醒した。目を開けて身体を起こすと、見知らぬ記憶研職員がおり、横に塩原と国見が立っていた。
検査の後処理を終えたのち、塩原から高柳松子の死を知らされた。そして、風間花蓮が手術中で、状況から察するに成功の可能性が高いとも告げられる。心から安堵し、思わず顔を手で覆った。
「まだ手術中なので、あくまで予想です。接合しても障害が残る場合もあります。状況を見たところ、神崎さんがなんらかの罪に問われたり、ICTOを追われたりはしません。これだけは先にお伝えしようと思って」
そう話し、塩原は河野の様子を見てくると言って去った。
神崎は国見とともに、本部の休憩スペースで大村を待つことにした。椅子に腰かけ、じわりと身体ににじみだす疲労を感じつつ、考えた。
無我夢中ではあったが、ひとりの人間の両手首を斬り落とした。指を鳴らすと思った。空間が遮断され、猪瀬とふたりになり、風間と対峙する。猪瀬を守りきれるか不安だった。どうしても指を鳴らさせたくない。その思いが強かった。
あれは自分の中にいるらしい志賀新助のしわざではない。自分の意思だ。結論づけるとかえって罪悪感が増す。あの行動は正しかったのかと自問自答する。
映像を見た国見にもたずねた。
「俺の行動は正しかったんでしょうか」
同意してほしい。図らずもその思いが透けた声音になったのを感じた。
「あの状況なら仕方ない」国見は静かにこたえた。「銃もグラインもなかった。一般人もいた。状況が変われば不利になる可能性もあった。俺は支持する」
望んだ答えをもらったはずが、神崎の心に残る引っかかりは消えなかった。浮かない顔のままでいる神崎に、国見は釘を刺した。
「あとから理由をつけようとしても、自分に都合のいい嘘にしかならねえよ。今日みたいな決断は、これから何度も迫られる。手首を落とすかどうかの判断で済んで良かったくらいだ」
「……はい」
言外に甘さを指摘され、うなずいた。国見と別れる寸前、彼がくだした判断は早かった。自分に任せて河野を助けてこいと告げた彼は、ためらいも逡巡もなかった。踏んだ場数の差では
気持ちを整理するのに深呼吸を繰りかえす。が、ちっとも落ち着かなかった。
足音が近づき、壮年の男性職員が姿を見せた。彼は自らの身分と名を告げ、座していた神崎たちの向かいに掛けた。猪瀬の治療と遡臓検査が終わったと告げたのち、彼は白色の混じる髪を撫でつけながら説明をはじめた。
「いまはまだ眠っていますが、記憶は調整しました。減退薬も投じたのでピリオドは衰えています」
「摘出手術はいつになりますか」 国見の問いに、彼は小さく首を振る。
「それが、あいにく
「いったん帰す? 護衛はつくんですか。風間と高柳以外に彼女を狙う者がいるかも」
「申し訳ないが、護衛も難しいです。明日以降にも同じ騒ぎが起こるとも限らない以上、こちらの態勢を変えるわけにはいかないと井沢副本部長が。他県からのヘルプも要請していますが、護衛までは手が回りそうにありません」
「そうですか……」
彼は何度も頭を下げて去った。説明をしているあいだも廊下はひっきりなしに人が通っていった。国見は
「俺らはこっちに泊まる。明日の朝、猪瀬さんと班長と一緒に戻る」
「大村さんは?」
「2・3日は缶詰だってよ。
「……さっきの
「どーぞ」国見は手でうながした。
「猪瀬さんが遡臓を摘出しても、ネットで話題になっている事実は残ったままですよね」
「そうだよ。自分の前世が何者だったか彼女は忘れる。でも高柳が発信した記事は残る」
「覚えていない前世の罪で、他人から指をさされつづける?」
「事実としてはそうなる。……ピリオドを出しても遡臓を摘出しない例は知ってるだろ」
「ICTOに加入すること。彼女はそうはならないんですか」
「
その言葉に神崎は顔を上げた。「じゃあ、俺は」
「志賀新助は」国見が言葉を重ねた。「逮捕前に死んだとされている。その点でお前は該当しない。ルールの穴を突いたようなモンだけどさ。それから、前世犯ならぜったいに加入できないわけじゃない。今世の人格と素行に問題がなく、それでいてピリオドが特異あるいは稀少なもの……異能犯罪者確保に有利な能力か、同じ能力が少なければ特例で加入が認められる。例はそう多くないらしいけど」
「猪瀬さんの能力は」
「言い方は悪いが」国見はことわりを入れて続けた。「あの
猪瀬は欠格事由に該当し、なおかつ特例には当てはまらない。彼女のピリオドは深化した。間違いなく数値は上昇し、一般人として生活をするには
摘出すれば前世は忘れる。思いだすこともない。だが、高柳の残した記事で猪瀬の前世を知る者は彼女を避けるかもしれない。覚えてもいない前世で彼女の人生がゆがめられるのではと危惧した。高柳が亡くなったことで記事が下火になったとしても、激高した猪瀬が高柳を殺したと憶測をまき散らす者がいないとも言いきれない。
前を向こうとしている彼女の前途に暗い影が落とされている気がして、神崎は手を強く握った。
「前世で罪を犯しても、今は別人です」
誰かに
「人間性の問題じゃないんだよ」国見は諭すように言った。「罪を犯す大半の人は、大きな覚悟なり衝動性なりを持ってことに及ぶ。その瞬間はとんでもなく緊張したり、高揚したり、我を忘れたりする。一生忘れられないほどに。そういう感情こそ遡臓に残って、来世で思いだしたときに強いピリオドを生む。覚醒した瞬間に自分が制御できないほどの強いピリオドだ。それを制御できないまま、前世の強い感情がほとばしって理性を凌駕した結果、危害が及ぶ。だから俺らは前世犯をマークしてるんだ」
前世の記憶に感情を絡めとられる。自分が自分でなくなるような感覚に覚えがあるだけに神崎は継ぐ言葉を見つけられなかった。国見の端末が鳴り、話はそこで終わった。
翌日、国見と神崎は猪瀬を迎えにいった。彼女は個室で昨日の男性から詳しい説明を受けていた。受け答えを見るに、彼女の記憶は「高柳と風間に誘拐され、殺されかけた」となっているようだった。
説明を終えた彼女を連れて廊下に出ると、彼女は立ち止まり、神崎に向かって深々と頭を下げた。
「助けてくださって、本当にありがとうございました」
「いえ、俺はほとんどなにも」
「とんでもないです。神崎さんは命の恩人です。それに――」
猪瀬はふっと視線を外した。神崎の後方に目をやると、とたんに彼女の顔が晴れた。雷雨ののちに雲の合間から射しこんだ陽光を思わせる、晴れやかな表情。
後ろを振りむいた。廊下の向こうから、河野が歩いてくる。
ふいに、国見に腕を引かれた。
「じゃ、俺らは先に行って車を回してきます」
国見はそう言って歩きだした。河野に小さく頭を下げ、神崎もまた、猪瀬の後方にあるエレベーターへと足を向けた。
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