#87 畏怖


 仮眠室にいた絹川を起こしたのは、スマートウォッチのアラームだった。緊急事態を告げる自動音声が室内に響き、夢から一瞬で引き戻される。ベッドから降り、上着を羽織って部屋を飛び出した。


 管制室はいつもより騒がしかった。管理班の面々が通信でやり取りを交わしている。メインモニターには夥しい数の点が表示されている。ピリオドを表出した者の所在を示すオレンジの点が、ざっと50はある。階段を下りながら、点がすべて江東区にあり、その場に佐久間と嶋田、神崎と国見がいることを理解した。

 モニター前に近づくと、松川班の中谷綾管制担当がこちらに気づいて軽く右手を挙げた。しかしすぐに手元に視線を戻し、作業を再開した。代わりに、同じく日勤だった矢代班・高崎優弥たかさきゆうや管制担当が小さく手招きをする。


「休憩中にごめんね。寝てたでしょう」

 穏やかに詫びる彼に笑って首を振る。「状況はどうですか」

「江東区東陽二丁目で反応多数、隊員全員招集中。いま、櫻井さんが松川班全員を中心部に飛ばした。矢代班こっちも追って現地に向かうよ」

「ほかの配置はどうしましょう」


 空いた席に腰掛ける。管制室で同時にモニターに向かえるのは3人までだ。夜勤の須賀班・永田、笹岡班・吉岡、そして非番の河野こうの班・内堀うちぼりは階下のサブルームに集まるだろう。

 班員のグラインが次々に起動し、分割されたモニターに各自が捉える映像が表示される。崎森班はいずれもまだ敷地内にとどまっている。櫻井隊員一人で多数の隊員を現地に移すには時間がかかりそうだ。

 表出者が増えるにつれ、救急要請も多数出ている。これほど現地が騒々しいのは絹川にとっても初めての経験だった。


灯子とうこちゃん、仮眠中に起こしちゃって悪いわねえ」


 犬束いぬつか第一中隊長の柔らかい声が降ってくる。振り仰げば、平時と変わらない温和な笑みをたたえた彼女が目を細めて自分を見ている。


禄郎ろくろうくんとお揃いね」


 そっと髪に触れられる。「大村とお揃い」は、「寝癖がついている」と同義だ。触れられた場所に手を当ててみる。耳のあたりの髪がぴょんと跳ねていた。恥ずかしさがこみあげ、手櫛で整える。


「みんな、聞こえてるかしらね。状況はさっき綾ちゃんが話した通り」


 犬束が隊員に向け声を発した。絹川もヘッドセットを装着し、映しだされているモニターに集中する。耳元と背後から、犬束の声が重なって聞こえる。


「東京本部と千葉中隊から増援が来るから、少しのあいだ踏ん張りましょ。松川班と矢代班に現地周辺は任せます。崎森班は援護に回って。笹岡班は万一の襲撃に備えて中隊本部で待機、須賀班と河野班は他の区域で表出者が出ないか警戒してちょうだい。本部管理班から援護が来しだい、現地に飛ばします」


 モニターの向こうで、松川が「りょーかーい」とゆるい返事をした。一瞬のうちに射撃体勢に入り、立位でTシャツにジーパン姿の青年を撃った。彼が手にしていたアーチェリーが音もなく消える。別のモニターでは嶋田が群衆の注意を集め、遠山がそのうちの一人を遠距離から狙撃した。

 犬束はその様子に目をやり、続ける。


「制圧には減退弾を使ってね。人命最優先ですが、やむを得ない状況であれば射殺も許可します。管制担当のみんなは、表出検知がシェルター内から出たらすぐに解錠して人員を配置しましょ」


 首肯し、モニターを切り替えて避難所の一覧を表示させる。

 緊急警報が発報され、多数の一般人はシェルター機能のある建造物に退避済みだった。だが、シェルター内で異能犯罪者が生まれる可能性も否定はできない。検知反応を注視し、状況によってはシェルターを解錠して一般人の被害を最小限にとどめるのも管制担当が担う重要な役目である。


「綾ちゃん、コールに反応しない人はいた?」

 問いを掛けられ、中谷は手元に視線を落とした。

「神崎隊員、国見隊員、河野班長の3人です」


 3名の現在位置が表示される。神崎と国見は工事現場内にいる。河野は「シンクレール」の店内にいるようだが、いずれも近隣の防犯カメラに姿は映っていない。空間を転移するピリオド保有者がいる証拠だった。


「取り込み中みたいね。聡史さとしくんが戻るまで、河野班は私が指揮します。航大くんもいなくて大変でしょうけど頑張りましょうね」

『犬束隊長、準備できました』

 別のモニターで樋高ひだかが――正確には彼の操るアライグマのぬいぐるみが――ぴょこんと手を挙げた。

「ありがとう。仕事早いわね。崎森班から現地に向かいましょ。じゃあみんな、何かあったらすぐに連絡ちょうだいね。また生きて会いましょう。行ってらっしゃい」


 各々が返事を返し、通信は一度途切れる。すぐに東京本部と通信をつなげば、面識のある隊員の姿がモニターに映しだされ、絹川の緊張はほんの少し和らいだ。


『第一は大変やねえ』

「こんな事態は私も初めてで……大垣おおがきさんの顔を見たらちょっと安心しました」

『あは、嬉しいこと言ってくれるやん』


 大垣大海ひろうみはそう言い、キーボードを素早く叩いた。彼が愛用している高価なヘッドホンは首にかけられている。先ほどまで装着していたようで、パーマのかかった明るい茶髪は耳のあたりがぺたんと寝ていた。

 大垣は樋高の先輩にあたる。岐阜中隊で実働隊員をしていたが、能力を買われて本部管理班に異動となった。管理班になって5年ほど経つらしいが、射撃の精度は木島飛鳥きじまあすか宮沢みやざわくるみといった射撃を得意とする1級隊員に比肩する。本部隊員の模擬練に付き合い互角に渡り合っているというのだから、体術やグラインもかなり腕が立つ。


『カナメぇ、飛ばす場所この辺でええかなあ』


 彼はのんびりした口調で言い、位置情報を寄越した。送られた場所をマップに重ね合わせる。本部棟入り口に向かっていた崎森もちらりと端末を見やり、確認した。


『問題ない。岡崎と玉池、中村が後方で』

『おっけー。新山にいやまちゃんと岡崎ザキさん、カズと木島さん、カナメと一閃いっせんにしとくわ』

『それでいい』


 隊員を2人組に分け、接近戦担当と狙撃担当に分ける。本来は接近戦を得意とする中村が狙撃側に割り振られるのはピリオドの相性を考慮してだろう。


『絹、そっちに予備のグラインある?』本部棟入り口にいた中村が問う。『2つ用意してほしいんだけど。国見と河野くん、いま丸腰でしょ』

 河野班が非番だったことを思い返し予備機の所在を確認しようとしたが、先に大垣が画面にグラインを掲げて見せた。

『あ、俺さっき準備しとったで気にせんでええよ。2人が戻ったら渡しとくわ』

『さすが。助かります』


 中村の礼に大垣はひらりと手を振って応じた。樋高に呼ばれて来たばかりのはずだが、最初からこの場にいたかのように状況を把握している。

 転移系のピリオド保有者は珍しく、どの中隊でも重宝され管理班に配置される。彼のピリオドがもし違う性質のものだったなら今ごろは班長クラスになっていたに違いない。岐阜中隊でも最初は管理班に推す声が大きかったが、抜きんでた実力を評価した中隊長が意見を押し切って実働に配置したと聞く。

 崎森が合流し、班員が揃った。玉池と岡崎はスナイパーライフルを装備している。


『中村さん、今日は帰りが遅くなっちゃいそうですけど大丈夫です?』

 玉池が首を傾げると、中村は大仰にため息をついた。

『定時で帰れるって言っちまった。引っぱたかれるわ』

『きのう、有給で一日一緒だったんじゃないの? 買い物のお供だったんでしょ』木島が笑い混じりに言った。

『帰りが遅かったんで、買ったもんは今晩開けようって約束してさっさと寝たんすわ』

『なに買ってあげたんですか?』と、新山みさき隊員。

『だいたい服。ファッションショーやれそうなくらい。カメラマンやって、って言われた』

『可愛らしいじゃあないですか。着飾った姿を見てほしいんでしょう』岡崎辰哉たつや隊員は目を細めた。

『ほんなら一閃のためにもよ片付けてやらんといかんね』大垣も笑って応じる。『カナメ、いつでもええよ』

『了解。……多対一になる、負傷者がいたら狙撃組後ろに任せて救護を優先。援護に回るときは合流した班員の指示に従え。絹川はシェルターの検知反応を注視、異常があれば俺か木島が向かう』

「分かりました」


 和やかに談笑していた隊員らの顔つきが緊張を伴ったものに変わる。崎森が合図をし、大垣がピリオドを駆使した。本部棟入口にいた6人は姿を消し、次の瞬間には現場至近に降り立った。


『俺は他の班も見とるで、移動したくなったら声かけてな』


 大垣が隊員らに掛ける声を耳にしつつ、全員の現在地を把握する。

 国見と神崎の現在地を中心として、付近一帯を松川班が、その外側を矢代班が囲み、崎森班がそのさらに外側にいる。

 松川班はすでに半数近くを制圧しており、制圧の気配を読み取った者が外に逃れ、矢代班が対応している。崎森班の区域には松川班・矢代班のエリアから逃げて来た者とその場でピリオドを表出した者とが混在し、避難者も多ければピリオド表出者も多かった。

 なぜこれほど多くの者がピリオドを表出しているのかに考えを及ばせる暇はなかった。絹川は自らの役割をこなすことに意識を集中する。



 *****




 ゆっくりを目を開いた猪瀬いのせは、河野を見て驚きの表情を浮かべたが声は出さなかった。静かに左右をうかがい、自らの置かれている状況を把握しようと努めていた。

 風間かざまと呼ばれた女と高柳たかやなぎが動きを見せないと察すると、河野は彼女らから視線を外さずに思考を深める。


 4階か5階建ての廃ビル。外の天候からして、都内から県外へ飛ばされた。転移したのは人間のみ、身体に異常は見られない。風間は相手の身体を硬直させる変異型ピリオドの持ち主、発動条件や範囲は不明。この空間に転移させた者の所在も不明だが、変死事件に加担している可能性がある。


「どうやって脱出しようか考えてる? 意味ないよ」

 風間が挑発するような口調で言った。傍らでくずおれていた高柳が張られた頬を押さえつつ、静かに立ちあがる。風間に隠れるようにしてこちらをうかがっている。

 河野は静かに問うた。


「君と、安田って人がやったの?」

 主語を伏せた問いに、風間はあっさりと頷いた。

「安田さんは場所の提供だけ。殺したのは私」

「なぜ」

「あいつらは生きていると周りに害を及ぼすから」

 淀みない答えだった。教師に名指しされた生徒がすらすらと問いを返すのに似ていた。

「害?」

「私を邪険にしたんだよね。声かけたら舌打ちして睨みつけたり、渡したクーポン券をその場で破ってみせたり。ひどくない?」 首を傾げ、眉を下げて風間は訴える。次いで、彼女は高柳を指さした。「この人に前世を見てもらったらビックリ。みーんなイジメの加害者。相手を自殺に追い込んだ奴もいた。やっぱり人間、生まれ変わったくらいじゃ根っこの部分は変わらないんだね」

「だから殺した?」

「世間のためだよう」風間はにっこりと笑みを作る。「あんなのが生きてたらまた被害者が出るでしょ」

「性的暴行を加えたのはどうして」

「いちばん堪えるじゃん、ああいうタイプには。組み敷かれて尊厳とプライドを肉体ごと踏みにじられるのって、ざまあみやがれって感じじゃん? 生き残って子ども作られたらたまんないしね。人間性に欠陥のあるやつの遺伝子は残しちゃいけないと思う。……あいつら、前世では人前で無理やり脱がせたり、援助交際を強制したりしてたんだよ。自業自得でしょ」


 殺人や性暴力を正当化しようという空気は感じられなかった。自分の行為を正義だと信じて疑っていない者特有の口ぶりだった。


「面白かったなあ」こらえきれなくなったのか、風間は両手で口を覆った。「身体が動かないと分かったとたん、急に態度変えて謝りだしてさ。棒を突っ込んだら泣きだして。そうしてまで生きたいんだ、許される価値が自分にあると思ってるんだ、ってめっちゃウケた。……だからかな、その人は許してあげたくなったんだけど」


 風間は猪瀬を指さした。猪瀬は何かつぶやいたが、窓に打ちつける鉄砲雨にかき消される。気にせず風間は続けた。


「元レイプ魔、元殺人犯。そんなん、再犯するに決まってるじゃんね。猪瀬さんは自分の立場をよーく分かっていて、自分の存在が世間にどれだけ害を及ぼすかをわきまえて、迷惑をかけないようにリタイアしようとしたんだよ。なんで邪魔したの」

「なぜ彼女に罪を被せようとした?」

「質問に質問で返す男は嫌われるよ」風間は呆れたように首を振る。「私は捕まるわけにはいかないもの。後ろ暗いところがある奴をこの世から引きずり降ろさなきゃいけない」

「自分だって犯罪者なのに」

「犯罪、ねえ。……これって犯罪かな? 腐ったミカンは箱から出される。形の悪い商品は製造ラインで弾かれる。それと同じじゃん? 私は世に出回った粗悪品を弾いただけ」


 被害者らが生まれ変わり、殺された記憶を思い出してピリオドを表出したらどうする。問いを重ねようとするも、それも風間の目的かもしれないと河野は感じた。

 被害を思い出しトラウマに苦しめられる未来、あるいは、異能犯罪者と化し遡臓を摘出され生まれ変わりに終止符を打つ未来。苦痛は今世のみにとどまらず、来世にも影響を及ぼす。風間はその因果を理解し、利用している。


「元犯罪者は早いうちに絶滅させないと。次の被害者が出る前に」


 腰につけた黒いシザーケースに手をやった風間は、鈍色にびいろに光るハサミを引き抜いた。切っ先が鋭利に研いであり、一突きすれば致命傷を与えられそうだった。


「立てますか」猪瀬に問う。彼女はびくんと身体を震わせるも、ゆっくりと身体を起こした。

「俺が足止めします。1階まで下りて建物を出てください」

「そんな、相手は刃物を」


 げんを継ごうとした猪瀬の口の動きは河野を見て止まる。彼女は河野が右手にサバイバルナイフを持っているのを視認し、同時に、空いた左手に音もなくアイスピックが現れる瞬間をもの当たりにした。


「一人で逃げられますね」


 念を押すように言うと、猪瀬は小刻みに頷き、階段を下りはじめた。

 踊り場でちらりとこちらを見た彼女の目に、不安と心配、そして一抹の恐怖が浮かんでいるのを河野は見逃さなかった。その恐怖心が自らの置かれている現状にではなく、音もなく現れた凶器を手に平然としている自分に向けられていることにも気付いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る