#85 合流
『いません』
芯が通っていながらも柔らかさの輪郭を残す
今日も日差しが強い。ハンカチで首の汗を拭う中年男性を、青いワンピースを着た女性が颯爽とした足取りで追い越していった。
「ここもダメそうやねえ。車戻って休憩しよか」
「賛成! 暑すぎますって今日。グラインあると熱が籠るしさあ、もう」
嶋田が胸元を扇いで苦し気な声をあげた。神崎も額に浮かんだ汗を拭った。
予報では猛暑日になる今日は、朝から
蒸し風呂状態の体育館で防具をつけて稽古をした経験があるぶん、神崎は暑さに耐性がある。佐久間も、汗をかいてはいるが涼しい顔をしている。もっとも応えているのは嶋田で、北海道出身の彼にとってこの暑さは耐えがたいらしく、「このままだとやる気が中村くん並みになっちゃうよ」と弱音を吐いている。
飲み物を買いに行った嶋田を残し、佐久間とともに車へと戻る。
商業施設沿いの道は混んでいた。歩行者も多く、
「店舗限定のクーポンです、良かったらどうぞ」
スカイブルーのジャケットを着た若い男はポケットティッシュを差し出した。少し離れた場所では夏らしい花柄のワンピースを着た女性が二人組の女性に声を掛けていた。
「いまカットモデル募集してるんですけど、どうですか」
気になったのか
「暑いのに大変やねえ」
「こういう日くらいはロボット任せでもいい気がします」
「ほんまになあ」
いっときは客引きをロボットにさせるのが流行したが、生身の人間が配ったほうが受け取ってもらえる確率が高いのと、ロボットの維持費用が嵩むのとで今ではあまり見なくなった。
客引きを人力でやる代わりに、街頭配布限定クーポンで集客率を上げようとする店も多く存在する。ネット上で配布されているものより割引率が高く密かに人気だ。配布時間や場所を地図にまとめるサイトも存在し、特に若い世代に注目されている。
屋根のない駐車場に停めていたおかげで車内は熱気がこもっていた。冷房の風力を最大にし、冷えるまで車外で待つ。佐久間は松川と何事か通信を交わしはじめた。
冷房が効きはじめたのを見計らって運転席のドアに手を掛けると、佐久間に肩を叩かれた。松川と言葉を交わしつつ、彼女は指で後部座席を指ししめした。交代するから後ろへ乗れ、と受け取り、頭を下げて後部座席に乗りこむ。
佐久間は周囲に目を配りながらもリラックスした声音で会話を続けている。少ししてからコンビニの袋を提げた嶋田が戻り、助手席のドアを開けた。通話を終えた佐久間も運転席に座す。嶋田は樋高と話しているようで、笑いながら相槌を打っている。
「へえ。じゃあ井沢さんとはそんなに会わないんだ?」
井沢、という名に思わず身体が反応した。通信がペアリングされ、コントロールパネルのディスプレイにアライグマのぬいぐるみが映しだされる。
相変わらず樋高の姿は首から下しか見えない。彼は背後からアライグマの前脚を持ち、パペットのごとく動かした。
『現場が好きでフットワークが軽い人ですから。指揮が必要とあればあちこち行ってます』
「管制室で通信越しに部下にガミガミ言ってるイメージだったんだけどな」
『お小言は通信でたくさん言いますが、それほどでも。真面目に指導するときは別室に連れていきますし』
「意外にそういうとこはちゃんとしてるんだあ」
感心したように言い、嶋田は袋からアイスと水を取りだしてこちらに差し出した。ありがたく頂戴し、チョコレートバーのパッケージを破る。
佐久間も手渡されたバニラモナカを開封し、一口かじりながら言った。
「なーちゃん、元気やろか」
『なーちゃん?』
「
『ああ』アライグマが頷いてみせる。『ガミガミ言われてますけど、そのたび言い返してる方ですね』
「
「分かる。中村くん並みに遠慮ない」嶋田が同意する。
『聞いていて楽しいですよ。レスバの応酬見てるみたいで』
「そうなるわなあ。びっくりしたんよ、井沢班って聞いて。
東京都心を管区とする本部に在籍されるのは、射撃や格闘のみならずグラインやピリオド練度に至るまで高い技術を有する者に限られる。そこからさらに選抜された一握りの者は
祓川隊は副隊長二名が率いる井沢班と来栖班に分けられると須賀から聞いた。かつて在籍していた崎森は井沢班に、河野は来栖班に配属されていたという。
来栖副隊長の顔を見たことはない。書類で「来栖友弥」の名を見ただけで人となりは伝聞だ。井沢とは対照的に穏やかで温和な人物と聞く。配属は能力と適性で割り振られるといえど、大多数は来栖班配属を望むというのだから井沢の人となりは全国各地に知れ渡っているとみえる。
あまり思い出すと彼と対面した日の感情すら思い出しかねない。隣の座席の窓から見える風景をぼんやり眺め、なにも考えないことにした。
すると、眺めていた窓の外を通り過ぎる者がいた。助手席付近で立ち止まり、窓を軽く叩く。
嶋田は警戒するそぶりを見せたが、相手の顔を認めるなり助手席の窓を開けた。
「なあんだよ、びっくりしたじゃん」
「どーも。収穫どうですか」
腰を屈めて顔を見せたのは国見だった。七分袖のグレーのシャツに黒のパンツという出で立ちで、制服姿を見慣れているからか新鮮に感じた。
「後ろ乗りなよ、官舎まで送ろうか」
「とか言って手伝わせる気でしょ。非番ですよ、俺」
「アイスあげるからさあ。おじさんの車に乗っていきなよお」
嶋田はわざと太い声を出し、ラムネ色のアイスバーを彼に差しだした。手でよけるふりをして「食いかけじゃねえかよ」と言いながらも、国見は後部座席のドアを開けて身を滑り込ませた。
佐久間が振り向き、彼に微笑みかける。
「なに、手伝ってくれるん?」
「いいや? 途中まで乗せてもらおうと思って。歩くのダルいし」
「もう、先輩をタクシー扱いせんといて。このへん、よく来るん?」
「たまに。上の弟が近くで働いてるんで」
そうなんや、と返して佐久間はバニラモナカの最後のかけらを口に放りこみ、車をゆっくりと発進させた。大通りに出、駅とは反対方向に走らせる。片側二車線の道路は交通量も多ければ信号も多い。すぐに赤信号に捕まった。
すぐ脇の定食屋に行列ができているのを見、嶋田は「うまそー」と呑気な声を上げた。外装に既視感を覚え記憶をたどる。休日に沖野と落ち合った喫茶店はこの近くだったはずだ。
前世で級友が殺害されたのを機に警官となった彼。生まれ変わっても同じ職に身を奉じ、今も捜査に奔走しているに違いない。
彼にピリオドの知識があれば、どう見るだろう。行き交う歩行者の視線を嶋田が集める傍ら、考える。
被害者らの年齢は高校生から社会人までと幅広い。背格好や居住地、死因も異なっていた。接点も見つかっていない。
主犯は拘束系の能力を持っていると
「どうやって人を集めたんでしょうね」ぽつりとこぼす。隣の国見がちらりとこちらを見た。「被害者たちが?」
「はい。ここしばらく類似の事件がないのを見ると、誰かに的を絞っているか、ターゲットになりそうな人を探しているかと考えたんですが」
「被害者を連れこむのにはピリオドを使ってない、と」
「そういう能力を持っていたら、すぐに次の事件を起こす気がして」
「一理あるなあ」佐久間がサンバイザーを下げつつ指摘した。「問題はどうやったら女の子がついてくるか、やんな」
『初対面の他人についていきそうな年齢でもないですしね』樋高が応じる。
国見は頭の後ろで手を組み、シートに背をあずけた。
「相手が自分の名前を知っていたら警戒を解くだろうけど……だったら親か友達が何か知ってそうだよな。相手は自分の名前を知っている、でも自分は相手をよくは知らない、って関係性かも」
「有名人ならありそうやけど、みんな一般人やしなあ」
「警戒しないで相手の
『どんな状況です、それ。……いません』
「待って、いま考えてる」
ふたたび手を叩き、嶋田は腕を組んで考えはじめた。
警戒しないで相手の懐まで入れる職業。
ふと、母が見ていた海外ドラマが思い浮かんだ。
「タクシードライバーが誘拐殺人犯だったドラマを見たことがあります」
「タクシードライバー。なるほど」嶋田が頷く。「確かに、警戒せず相手の懐に入れる。むしろ、相手から入ってくる」
「実際に日本であったしなあ」
「マジですか」佐久間の言葉に、国見が目を丸くした。
「ウチのひいおばあちゃん、絶対にタクシー使わん人だったんよ。学生のころに女性ばっかり4人、タクシードライバーに殺される事件が地元で起きたらしくて、どうしても信用できん、言うて」
佐久間の曾祖母が年若いころとあれば、時代は昭和か平成だろう。防犯カメラや監視カメラが広く普及したのは平成中期以降のはずだ。まだドライブレコーダーもなかったかもしれない。
『タクシードライバーもたいがいは初対面ですよね。被害者が自分の意思でついていったと仮定するなら顔見知りが関与していそうな気もします』
「分かんないよ。中村くんみたいに顔を変えられる共犯がいるかも」嶋田が返す。
「銀行、病院職員、学校関係者なんかはどうですかね」
「銀行員の顔なんて普通は覚えねえだろ。学校関係者なら同級生から証言出るだろうし」
国見の意見に佐久間も首肯する。「全員、通院の履歴も特になかったはずや」
通りを1本入り、ビジネスホテルが連なる区域に車は入っていく。近場には飲食店が立ち並び、沖野と訪れた店が見えた。彼から過去を聞いた交差点に差しかかる。赤信号で車が止まり、歩道側の信号が青に変わる。
かっこう、かっこうと電子音が鳴っている。
音とともに、あの日彼と立っていた場所をなんともなしに見た。
あの日も暑かった。沖野は鞄からボトルを取りだして飲んでいた。脇を端末で通話しながらすり抜けて行った男がいた。綺麗な黒髪の女性が看板を持っていた。鳥の鳴き声を模した電子音が響いていた。
思い返すうち、ふとデジャヴを感じた。
あの日見た光景。ついさっき、佐久間と歩いていて目にした光景。
ともに、若い女性が道行く女性に声をかけていた。
――カットモデルを探しているんですが。
「……美容室」
「ん? なんか言った?」嶋田が耳に手を当ててこちらに身体を傾けた。
「美容室なら、客の個人情報を拾えそう」
『……カットモデルや店頭配布クーポンを口実にしたら、ついてくる人もいるでしょうね』
「施術中に話が弾めば、美容師の顔も覚えるかもしれん」
佐久間が真剣な声音でつぶやく。
店頭配布限定の割引を使えば履歴の残るクーポンサイトは使わない。日をあかずに偶然を装って接触すれば怪しまれる可能性も低い。
「美容室か、盲点だった」国見が感心したように言った。
「この前、ここで客引きをしていたのを見たんです」
『……ちょっと待ってくださいね』
樋高が言い置いた。カタカタ、とタイピングの音が漏れ聞こえる。
『この周辺……美容室はありませんよ』
「ない?」
『少なくとも、半径200メートル以内にはありません』
では、あの女性は何者だったのか。
嫌な予感がし、素早くシートベルトを外してドアを開け、車外に出た。
「神崎、どこ行くん!」
佐久間の声は後続車からのクラクションにかき消される。信号が青に転じていた。
対向車線を突っ切り、ガードレールを乗り越えて歩道に出る。歩行者が怪訝な目でこちらを見ている。気にせず周囲を見渡す。
あのとき、この場に立っていた女性を見ても何も感じなかった。自分に宿っているという第六感は何も自分に知らせはしなかった。女性が立っていた方向に足を向ける。びりびりと背がわななき、焦燥が強くなってゆく。
端末が着信を告げた。歩を進め、前を向いたままで応答する。
「はい」
『バカタレ、左見ろ』
国見の呆れ声が響いた。言われるままそちらを向くと、反対側の歩道をゆく彼と目が合う。瞬間、彼の手にコントローラが表出する。途端に自らの足は自制を失い、歩幅が急速に狭まり、牛歩のように遅くなる。
『単独行動すんなって松川に言われたんだろ』
先走った行動を
歩行者用信号が青になると国見がこちらに走り寄った。両足は自由を取り戻す。
「すいません、突っ走りました」
「俺じゃなくてクマさんと嶋さんに謝れ。……捕まえました。戻れます?」
国見は端末片手にちらりと後ろを振り向いた。クラクションを鳴らされたあと、車は左折していたらしい。ハザードランプを点灯して路肩に停まっている。
『神崎さん、女性がいたのってここですか』樋高の声が飛ぶ。
「はい。看板を持って、女性に声をかけていました」
『アングル的に、周辺の防犯カメラに映りそうですね』
「そうですよね。それに」ぐるりと見まわす。「あのとき、俺は何も感じなかった」
「感じなかった?」
反芻する国見に、頷きで返す。
真犯人が周辺にいたとしたら反応を見せてもおかしくないだろうに、どうして。
とたんに胸を焦燥が走った。さざめき、波を立て、身体中に揺らぎが伝わる。
まるで、いま自らが発した言葉に呼応するかのように、背がわななく。
何かを感じて後ろを振り向いた。数十メートル先に信号が見える。通り沿いの建物をひとつずつ見る。
赤茶色の雑居ビル。企業のロゴが書かれたビル。
小さな用品店。都市銀行の支店。
青いシートがかかった工事現場。
どくんと胸が鳴った。工事現場に目を凝らす。すぐ脇の敷地には瓦礫が小さな山になっている。その前をゆく通行人を目にし、小さく息を飲んだ。
「いました」
国見も即座にその方向に目をやった。
工事現場の前に立つ二人。同じくらいの背格好の女性。
見間違いかと思った。だが、樋高の声がその疑念を打ち砕いた。
『
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