#83 注目

 佐久間は海浜公園付近のショッピングセンターに向かうよう指示した。適当な場所に車を停めたのち、なるべく人通りの多い場所を徒歩で目指す。

「工事現場が多いな」

 いたるところに工事中の表示が出ているのを見、ひとりごちる。

 老朽化が進む建物が多く再開発が進んでいながらも、公園やショッピングセンターは充実している。海上輸送網の要所という土地柄、物流倉庫が多い。仕事と遊び、それぞれの目的で訪れる人がうまい具合に集まる地点だ。


「このへんがいいかな。始めよか」

 佐久間がスクランブル交差点の近くで歩みを止めた。通りを行き交う人々や交差する道路の先までまんべんなく見渡せる位置に陣取る。

『今のところ、対象はいません』 樋高ひだかが控えめに言った。『お三方の視界に映る範囲で顔が確認できる人はすべて見ました。AIのダブルチェックも通しました』

「顔が隠れていても見えるんやろ? 樋高くんは」佐久間の問い。

『マスクやブルカで隠れていても、顔全体の造作が分かります』

「玉池くんの能力と似てますね」 感心の言葉が口をついて出た。


 玉池は、砂塵や大雨といった視界をさえぎる事象の影響を受けない能力を有する。猛吹雪のなかでも方角を見失わず、閃光弾は彼に効かない。 

 樋高の視界もまた、どれだけ顔を隠そうとも彼の前では意味をなさないという点では似ている。


『相手の目が見えるのが条件です。サングラスや目隠し、フルフェイスヘルメットには通用しません。高柳松子は眼鏡をかけているようなので、その点は心配ないとは思いますが』

「顔認証にかかる時間はどれくらいかな。一気に何人まで把握できるか知りたい」 聞き役に回っていた嶋田がたずねる。

『1000人以上で数秒。100人くらいなら一瞬で』

「了解。樋高くんは僕の目線だけ見ていて」

 ちらりと嶋田が佐久間をうかがう。指で丸を作って彼女は応じた。「いつでもええよ」

「神崎くんって僕がピリオド使うとこ、見たことあるんだっけか」

 だしぬけに嶋田が問う。ここ一年の記憶を探り、神崎は答える。

「実地の映像を何度か。直接見るのは初めてです」

「オッケー。ちょっとびっくりするかもしれないけど勘弁して」

「はい」


 会話を交わす間にも、目の前をどんどん人が通り過ぎていく。

 三名がそれぞれ捉える映像すべてに目を通し、特定の一人を見つけ出す樋高の負担も決して軽くはないだろう。彼が一気に、かつ一瞬で顔を判別できるには嶋田の能力は不可欠だった。

 交差点に差しかかった車が停車する。四方向すべての車が動きを止め、歩行者用信号が青色に転じる。


「樋高くん、合図したら僕の視界に映っている人を見て。結果が分かり次第教えて」

『分かりました』

「じゃあ行くよ。3、2、1」

 嶋田は、目の前で手を打ち鳴らした。

「はーいみんなー、こっちに注目ちゅーもーく!」


 そう大きな声ではない。半径数メートルの範囲に聞こえるような声は、幼稚園教諭が園児たちの注目を集めるかのようだった。

 すると、人々がいっせいにこちらを見た。通りすがった者も、背を向けて歩いていた者も、走っていた者も、車を運転している者までが皆ぴたりと動きを止め、言葉も発さずにじっと嶋田を見る。

 何百人からの視線が一気に集まる瞬間を目の当たりにし、神崎の背はびくついた。示し合わせたかのように全員が首を曲げてこちらを見る光景には奇妙な恐ろしさがあった。緊張で身体が強張る。隣の嶋田は臆することなく身体の向きをわずかに変え、視界にいる全員をまんべんなく樋高に見せた。


『いません』 吸った息を吐いたくらいのタイミングで、樋高は結論を出した。

「了解。はい戻っていいよー」


 嶋田は再び手を打ち鳴らす。こちらを見てフリーズしていた人々は、何事もなかったかのように動きだし、めいめい散ってゆく。

 大衆の視線が向けられてから元に戻るまで、体感では3秒もなかった。


「樋高くん、びっくりした?」 茶目っ気たっぷりに嶋田が感想を求める。

『一斉に見られてびっくりしました。すいません、少し時間かかっちゃいましたね』

「慣れたら一瞬で済むようになるよ」

『はい。……かけられた人たちは嶋田さんを認識しているんですか? 見たことも覚えているんですかね? 運転中の人がかけられたら危険なのでは?』

 やや興奮ぎみに矢継ぎ早に質問を投げかける樋高を、嶋田は「おいおい、落ち着けよ兄弟。いったいどうしちまったんだ?」と、古い海外映画のような言い回しでなだめる。

『すみません、特殊型は見ることが少なくて、テンション上がっちゃいました』

「僕のことは認識してない。無意識に目がこっちに向くだけで、これくらいの時間なら見たことも覚えてない。やろうと思えば運転手の注意を引きつけて事故を誘発できる」

『範囲は決まっていますか?』

「視界に入っていればたいがいは。対象もコントロールできるよ。佐久間さんと神崎くんはかかってなかったでしょ」

『なるほど』


 特殊型は掛けた相手の思考に影響を及ぼす。仁科にしな隊員の有する人払いのピリオドは、たとえ対象が北に向かっていたとしても「そういえば本屋に行かないと」と南に進路を変えさせることができる。嶋田のこの能力もまた、道行く人々が自然と彼の方を見たくなるような思考の変化を生じさせているのだろう。

 その後も移動を続け、人が多い場所で嶋田が能力を使った。車移動は神崎がハンドルを握り、助手席の嶋田が目の前を通りゆく歩行者の視線を引きつけた。

 臨海部周辺をくまなく探したが、高柳は見つからなかった。他の二グループも成果はなく、その日は空振りのまま笹岡班と交代することになった。松川班は一度休憩を取り、夜勤明けの笹岡班とふたたびバトンタッチして捜索を再開することになっている。

 支所に戻る途中、通信で引継ぎを済ませる。夜目が利くという理由で玉池が助っ人に加わっており、運転中に荒っぽい言動になると話題の伊東いとう翔太しょうた2級隊員と同乗していた。

 伊東は、かんばしくない結果に終わった報告を受けて小さくため息をついた。


『嶋さんの能力でパパッと見つけられりゃはええんだけどなあ』

「建物内部にいる人は網羅できないからさぁ、ホテルの部屋に引きこもってたりしたら時間かかるかも」


 あくび混じりで嶋田が返す。幾度も能力を酷使して疲れたらしく、助手席を倒し、博多仁和加にわかの面を模したアイマスクを装着した。


「君たちも頑張りたまえ。サボるんじゃないぞ、朝までキリキリ働け」

 悪役じみた太い声を出す彼に、伊東は「うぜー」と笑った。

 そのとき、なにか運転中の彼のしゃくに障ることがあったのだろう、「はァ? っざけんなボケナス。まじでぶっ飛ばす」と低い声が通信に乗った。

「うわびっくりした、僕の言葉に怒ったのかと思ったじゃん」

『すんません、赤信号無視して突っきってきたバカがいて、つい』

『運転中は本性出るって言いますよねえ』玉池が笑いまじりに揶揄やゆする。『伊東さん、本来はこういう人なんだなあ』

『なに? 今さら気づいたの』

『怖ぁい。笹岡さんが同乗してもそんな感じなんです?』

『そこはわきまえるよ、さすがに』

「伊東くん、お嬢様言葉使うといいよ。『あらやだ、おブスな運転!!』って言ってみな。僕はそうしてる」

『それ、お嬢様言葉って言えます? そんな言葉づかいするヤツは隊に1人いりゃ十分でしょ』

「いいじゃん、別に。ねえ神崎くん? お嬢様言葉の使い手は多いほうがいいよね?」

「そこで話を振られたら俺もそうだと思われるでしょうっ」

『神崎さん、意外ですねえ』

『見かけによらねえなあ』

『へえ、カンカンは運転するときお嬢様言葉使うんだ?』

「ちょっ、松川さんいつから聞いてたんですか!?」

『あーりゃりゃ。明日出勤するころには全員に知れ渡ってますよ、可哀想に』

「嶋田さんのせいだ……」

「おいおいどこの誰だ、新人をからかう最低野郎は。先輩の風上にも置けないな」

『いやアンタだろ……ッんだこの車、ちゃんとウィンカー出しなさいよッんもう、おブス!!!』

『しっかりアドバイス受け入れてるじゃないですか』

「お、使い手が3人に増えた。やったね」

「俺を入れないでくださいってば」


 ごちゃごちゃと言いあっているうちに支所に到着し、宿舎に戻ったころには日はとっぷりと暮れていた。

 根も葉もない噂が松川によって拡散されていないことを切に願い、神崎は眠りについた。






 *****







 重い身体を引きずり、猪瀬はベッドに飛びこんだ。シャワーを浴びる気力すら湧かない。何もかも億劫だ。

 今朝からずっと、端末の通知がやまない。

 高柳の書いた記事が世に出て数時間もしないうちに、対応しきれないほどの連絡が飛び込んできた。


 これってあなたのこと?  付き合いの浅い知人からの探り。

 私は志保が悪い人じゃないって知ってるからね。学生時代の友人からの慰め。

 書かれていることは本当なの? 顔も忘れた大学時代の級友からは、野次馬根性が透けていた。


 仕事用の端末はそれ以上だった。銀行の担当者や取引先、寄付活動の関係者からの連絡は引きもきらず、猪瀬が取り返しのつかない過ちを犯したかのように「今後の対策」について話をしようとした。


 みんな勝手なことを言う。いや、悪いのは私か。

 

 出勤までの短い時間で負ったダメージが回復することはなく、沈痛な面持ちで家を出た。また高柳が追ってくるのではないか、自宅がバレていて誰かが直接文句を言いにくるのではないか、という恐れが歩を速めた。バスの中では顔をずっと伏せていた。


 人の顔を見るのが怖い。顔を伏せていても、後ろを歩く人の顔が浮かんできて邪魔だった。

 すれ違う人の顔が気になる。顔写真が出回っていたらどうしよう。自分を見て顔を強張らせるのでは、つかつかと歩み寄ってきて怒鳴りつけられるのでは。

 心臓は早鐘を打ち、何度も何度も家に帰ろうと立ち止まってしまう。

 いっさいから逃げてしまいたい。引き返して、自分のことを誰も知らない場所に逃げたい。その一心だった。


 開店前にも関わらず、遠巻きに店の様子をうかがっている人が見え、自分が店に近づくと写真を撮られた。ドアの前で深呼吸するひまもなかった。後ろから近づいてくる人の顔が浮かび、すぐさま身を滑り込ませてドアを閉めた。


 仕込みの最中だったスタッフたちは何か話していたようだったが、猪瀬の顔を見るなり一様に口をつぐみ、いつも通りに「おはようございます」と挨拶した。

 その声も振る舞い方も、昨日までのそれとはまったく違うぎこちないものに思え、その場にしゃがみ込んで泣き出したい衝動に駆られた。

 普段通りに開店準備を済ませてからスタッフを集め、ただ一つをのぞいては真実を話した。


 記事で取り上げられているのは自分で、内容に誤りはない。

 自分は前世で人を殺し、病気で亡くなるまで服役していた。

 

 ひとつだけ、記憶を思いだしたのはいつだったかは嘘をついた。

 立ち上げ前にはすでに思いだしていたのを、つい最近思いだしたのだと言った。後ろめたい気持ちを押しつぶし、誠実さを保つべくスタッフ一人ひとりの目を見て話を続けた。

 

 こういう経歴を持つ人間のもとで働くのが嫌だと考える人もいるだろう。一部の取引先からは今後について考えさせてほしいという連絡をもらっているし、幾人かの保護者からも心配の連絡が来ている。

 店も特定されていて、冷やかしでくる客が増えるに違いない。

 急な話だが、明日からしばらく店を休業する。休業中も給与は満額支払う。再開がいつになるかは分からないが、それまでに働き続けるかどうか考えて欲しい。


 休みを取っているスタッフには一人ずつ連絡を取った。反応はさまざまで、二人がその場で退職を申し出、二人は考えると言い、二人は残ると言った。残ると明言した二人にも、よくよく考えるようにと告げた。

 営業を開始すると、客の入りはいつもよりやや少ない程度だった。常連客はわずかで、ほとんどが初めて見る客だった。


 物珍しげに店内を眺める者や、店員に記事について問う者もいた。猪瀬が店長だと分かるやいなや、じろじろと品定めするような視線が張りついた。

 笑顔がぎこちなくなる。直截ちょくさいな物言いで批判する客にはただ頭を下げ、わずかに来た常連客の「また来るから」という言葉には涙が出そうになった。

 閉店するころにはスタッフはみなくたくたに疲れていた。一人一人に頭を下げ、全員が店を出るのを見届ける。休業の案内を掲示し、残務処理を終えると逃げ出すように裏口から出、タクシーを拾い帰宅した。


 毛布にくるまり、記事を開く。

 実に細かく書かれているが、猪瀬が話したのはこのうちの2割ほどしかない。自分の近況や考えについての部分だけだ。残りの8割は彼女によって補完されている。恐ろしいのは、捏造ではなくすべてが真実だということだ。今まで誰にも言ってこなかったことも彼女は知っている。

 充電中の端末をる。通知が多いせいでバッテリー残量が残りわずかだ。去り際に彼女が教えていった番号に電話をかけてみるが繋がらなかった。聞いてみたいことが沢山あるのに。

 目を閉じる。眠くはないが身体は疲労困憊だ。

 まぶたの裏に広がる暗黒のなかに、文字がいくつも浮かび上がる。


『最近の連続殺人もこの人の仕業じゃないの? 逮捕できないの?』

『誰か、こいつのこと尾けまわしてよ。自分がやったことの重大さが分かるんじゃない?』

『前世は前世だろ。いま真っ当に生きてる人に対してそこまで言うことじゃない』

『人殺しが子どもの食事支援とか怖すぎ。懐いた女児を犯して殺すつもりだったんじゃ……』

『この記事、本人にちゃんと許可取ったのか? アウティングじゃないのか? 人権侵害だろ。叩けと言ってるようなもんだ』

『犯罪者が生まれ変わってくるとかいうこの世のバグ、どうにかしてくれ』

『人間全員が清廉潔白なわけないじゃん。こういう人もいる世界だってどうして理解できないのかが分からない』

『こいつのこと擁護してる奴ら、隣人が前世で人を殺していても恐怖感じないの?』

『遡臓検査で前科持ち判明したらその場で殺してもいい法律、誰か作って』

『店の名前はシンクレール、江東区にある。名前は猪瀬志保。静岡県生まれの26歳。ネットにアップしてる写真からして住所は同じ江東区の5階建てマンション。近隣に住む人は注意せよ。住所はこちら』

『改心してますとかぬけぬけと言うのが腹立つ。被害者や遺族が生まれ変わっていても言えんのか』

『高校時代、1年間だけ同じクラスだった。人当たり良くていい印象だったんだけど、そっかー。なんか騙された気分』

『冷やかしで行ってみたら同じような魂胆のやつばっかりだった。店員も知らなかったみたい。詐欺師じゃん、もう』

『けっこうかわいい顔してるし、今度はこの人がストーカーされる番だね! 因果応報だね!』

『店も取り巻きの男が通い詰めてただけなんじゃないの?』

『日本から出てけ』

『かわいい 抜ける』

『店から何のアナウンスもなし。明日から休業するって知らせだけ。ちゃんと説明しろよ。誠意見せろや』


 流れる活字は音声を伴って耳の中に入り込んでくる。

 うるさい。うるさい。

 自分を指差す人々のすがたが見える。

 やめて、来るな。

 ひそひそと囁きあう声。罵声が聞こえる。

 うるさい、だまれ。

 彼らは口々に言う。「悪いのはお前だ」「人を騙して」「生まれてこなきゃ良かったのに」

 

 悪いのは全部私なのだ。思いだしたとき、すべてを諦めるべきだったのだ。安寧に暮らすことは許されない存在で、世の隅でひっそり暮らすべきだった。いや、人殺しに生きている価値もない。悔いても悔いても、あのとき手を掛けた彼女は戻らない。

 どうせこのまま生き続けても、つらいことが待っている。店は続けられないだろう。新しい仕事は見つかるだろうか。

 死んだら許してくれるかな。世間は安堵してくれるだろうか。どうやって死のう。ベランダから飛び降りる?


 次第に思考にもやがかかり、猪瀬はゆっくりと意識を手放した。


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