#79 誘拐


 河野の頭上で、単語が浮かんでは消えていく。ぽっと現れたかと思えば別の単語が覆いかぶさるように出てきて、次の瞬間にはまったく別の単語が水泡のごとく湧きあがり、束の間その存在を大村に誇示し消え去ってゆく。

 猪瀬志保の話を聞き、河野の脳内には過去にまつわる単語が去来しはじめた。犯人の名であったり、母にまつわる単語であったり、自らが受けた行為に関するものだった。

 彼らの前方で身を潜めている三澤隊員からの映像を切り替える。後方に位置する玉池・神崎の存在に猪瀬は多少の注意を向けているが、他の隊員の存在には気づいていない。


「大丈夫っすかね」

 隣で、永田ながたはやて管制担当がつぶやいた。大村は足を組みかえ、椅子に背を預ける。

「大丈夫。思い出してはいるけれど、コントロールできてる」

「そっすか」

「心配?」

「心配とは違うかな。信頼してるから」

 永田もまた、大村と同じように背を椅子に預けた。大きく伸びをし、口を開く。

「心配するなら、猪瀬さんのほう。ネットニュースの記者が興味津々で嗅ぎまわってるらしくて」

「誰からの情報?」

「神崎。機捜きそうの刑事から聞いたんですって。スクープ連発の敏腕記者で、嘘が分かるとかなんとか」

 永田は、大村の視線に気づくと一転して眉をひそめ声を落とした。

「その記者がピリオド持ちだったらヤバくないっすか。この人の前世が知られるかも」

「そうだね」


 検知されていないのなら、日常生活に支障のない能力。それでいて記者の仕事に生かせるたぐい。発言の真偽が分かるだとか、隠しごとを察知できるだとかいうタイプを想像した。

 より高度な能力であれば永田の言うとおり猪瀬の過去が露見する可能性もある。店を訪れ河野とかち合えば、彼の過去も知られるかもしれない。

 ピリオドの幅は広い。なにせ発動条件が「前世の強烈な体験や記憶」だ。みな異なる人生を歩む以上、バリエーションは多岐に渡る。数多くのピリオド保持者と出会い発動要因を探ってきたが、系統立てて説明できる法則は見つかっていない。


 消防士だった須賀は、燃えさかる炎にはばまれ要救助者を救えなかった経験を何度も味わい、瞬間移動という能力を得た。

 河野班の清水梓3級隊員が射撃にひいでるのは前世の従軍経験によるものだが、笹岡班の本田光里みつり3級隊員のそれは廃人レベルにのめり込んでいたゲームが要因である。

 被虐待児だった国見は父親の暴力がきっかけで亡くなったが、「もっとゲームで遊びたかった」という思念によって他者をゲームコントローラーで操る能力を手にした。

 神崎いわく、彼の母は寝坊が遠因で事故に遭い命を落とし、今は目覚まし時計いらずの身体になっているという。

 

 何が原因になり、何を引き起こすのかは予測できない。日常のほんの些細な習慣や趣味が影響するかもしれないし、死にぎわにいだいた感情や願望が形となることもある。

 ピリオドを決するのは転生した瞬間か、あるいは前世で亡くなった瞬間かの論争は記憶研のなかでも意見が割れている。さながら、人類が何度も「心は脳と心臓のどちらにあるか」と論争をしているように。

 画面の向こうで静かにたたずむ河野を見つめる。今もなお、数多あまたの感情を表現する言葉が浮遊し、立ち消えている。

 彼の場合は凶器だった。自らを傷つけた二つの凶器がそのまま具現化されている。


 河野が両親に連れられて記憶研本所を訪れたとき、大村は探査専門科長の地位にいた。

 国立記憶科学研究所で遡臓検査に携わる職員は知識や技能に応じていくつかのランクに分けられる。下から順に「一般職員」「研究員」「研究員技師」「研究員主任」「専門科長」「専門官」「室長」「所長」であり、ピラミッド型の構造で上の階級ほど人数は少ない。

「所長」は記憶研のおさを指し、警察でいうところの警視総監に当たる。現在の所長はいまや誰もが一度は読んだことのある『遡臓のすべて~未解明の新臓器のなぞ~』を上梓じょうしした楢橋ならはし康二こうじ博士である。その次が各支所・支部の室長たちとなり、現在の大村は序列の上位に属する。


 記憶研職員はAIが解析した遡臓検査の要約内容を確認し、状況により映像を確認する。これは一般職員以外なら誰しもが行うが、プライバシー保護のために記憶の持ち主がどこの誰か分からない状態で処理される。

 厳重に管理されているのは重大な事故や事件に関係した人物の検査映像で、こちらは遡臓検査や研究目的であれば「研究員主任」以上、捜査目的であれば「専門科長」以上でなければ閲覧できない。定年までに研究員主任になれたらおんの字とされている記憶研で、そのハードルはかなり高い。

 また、捜査目的であっても「専門科長」は上官が指定した対象人物しか閲覧が許可されない。見たい人物の映像を自由に見るには「専門官」以上の地位が必要で、必然的に人数は限られる。

 研究のために多くのサンプルが欲しいなら昇進しなければならないし、上の地位にいる者ほど事件性のある人物の遡臓研究を行う割合が高く、かつショッキングな映像を見る機会が増える。


 河野は要約の段階で「誘拐殺人事件の被害者」と結果が出た。即座に閲覧権限が「専門科長以上」に引き上げられ、楢橋博士の許可のもとで大村が内容を確認した。

 前年に専門科長に昇進したばかりの大村は、それまでいくつかむごい映像を見る機会があったが、河野の映像は一線をかくしていた。

 数日は食欲も失せ、映像に出てきた者と風貌が似ている職員がいれば条件反射で身体がびくついた。今後もこういった映像を見る生活が続くのであれば精神的に耐えられないかもしれないと、仕事を続けるかどうかを悩んだ日もあった。


 映像を確認後には事件の詳細を調べ、関係部署に報告をした。考えられるピリオドは幾つもあった。

 水に沈める。骨を折る。窒息させる。体感温度を下げる。拘束する。視覚を奪う。歩けなくさせる。瓶を具現化する。狭いところに閉じ込める。声を出せないようにする。

 数え上げて三十以上の候補があった。

 挙げられるだけの候補を出し、祓川隊の井沢隊員――当時、河野家のある世田谷区を主に担当していた――に送付したところ、すぐさま電話で「これほどある候補すべてを想定し気をつけろなど無理難題もいいところだ、20kgの重りを両手両足につけた状態でドーバー海峡を泳いで横断する方がまだ容易たやすいだろう」と抗議の連絡があった。だが、口ではそう言いつつも彼なりにきちんと分析し対応を取っていたのだろう。彼の指揮下にいた崎森は、河野がピリオドを表出した場面に居合わせ、的確に対応した。


 宮城女子高生誘拐殺人事件は、発生から数十年が経過した現代でも時おり話題に上がる。

 犠牲者は県内の県立高校に通う女子生徒。加害者は二十代から三十代の男三人。加害者と被害者のあいだに面識はなかった。

 主犯は事件現場付近に居住経験があり土地鑑があった。誘拐現場は土地開発の手が伸びておらず過疎化が進んだ地区。街灯も少なく、高齢者の独居が多いために日没後の人通りは極端に少なかったと記録されている。

 被害者はその日、居酒屋のアルバイトで残業し午後8時過ぎに現場付近を通りがかった。主犯は周辺を車で下見しており、被害者が自宅への近道として現場を通ることを知っていた。事件後の調査でこの事実が明らかになり、主犯の「衝動的にさらってしまった」という言葉の虚偽が立証され、のちの裁判では検察側に有利に働いた。

 事件当日は仲間に車を出させ、目立たない場所に駐車し待ち伏せし、被害者を車に押し込めると30分ほど離れた場所の住宅に連れ込んだ。被害者は抵抗したが、主犯が持っていたサバイバルナイフで脅した。

 監禁場所は半年前まで主犯の親族が一人で暮らしていた家で、その親族が亡くなった際には不動産関係の職についていた主犯が荷物の整理や土地に関する処理を引き受けると言い鍵を預かっていた。

 三人は被害者に対し「抵抗すれば殺す」「お前の自宅は分かっている」「声を出せば家族にも危害が及ぶ」といった脅しの言葉をかけ、抵抗できない状態にしたうえで性的暴行を加えた。


 加害者らは被害者に対し「大人しくしていれば家に帰す」と再三告げており、被害者はこれを信じ、誘拐後三日間は大きな抵抗を見せなかった。その様子は河野の遡臓検査映像でも確認できた。

 加害者らは被害者を殺害するつもりはなかったと一貫して供述していた。加えて、「自分たちに懐いていた」とも主張したが、これはストックホルム症候群によるもの、あるいは油断を誘うための決死の演技だったと検察側は反駁はんばくしている。


 誘拐から三日目の夜、主犯ともう一人の男が外出した隙に、被害者は監視役として残った男に体当たりし、爪で顔を引っかくなどした。被害者が誘拐後初めて見せた抵抗に虚を突かれた男を手近にあった置物で殴打して逃走を試みた。

 だが被害者の挙動に不信感を抱いていた主犯が予定を切り上げて帰宅したことにより逃亡は叶わなかった。玄関先で鉢合わせしたときに主犯の頭上に浮かんでいた言葉は見るに堪えないものばかりだった。


 主犯は被害者の逃走未遂に腹を立て、殴る蹴るなどの暴行を加え、逃亡を防ぐ目的で片足の骨を折った。その後も性的暴行のほか、浴槽に顔を沈める、タバコの火を押しつけるといった行為をした。しだいに暴行はエスカレートし、極度に興奮した主犯は所持していたアイスピックで被害者の右目を突き失明させている。

 逃亡未遂から二晩経った朝、被害者は加害者らが寝静まったのを確認し、彼らの放置していた酒瓶を手にして一人に殴りかかった。瓶は300mlに満たない小さく細いものであったため、大きなけがを負うことはなかった。被害者が見せた最後の抵抗だったが、これをきっかけに加害者らは殺害を決意した。

 主犯は所持していたサバイバルナイフで被害者の腹部を複数か所刺した。いずれも傷としては浅く、殺すよりも痛めつけることを目的としたものだと検察側は指摘している。

 刺されてもなお被害者には意識があったが、主犯は残りの二人に命じて被害者を担ぎ上げて別室にあった上開き式の冷凍庫に押しこめ、扉が開かないように重い荷物を蓋の上に置いた。

 冷凍庫には酒盛り用の氷や飲み物のほか、被害者の右目をえぐったアイスピックも入っていた。

 加害者らは「しばらくは叩く音や声がしたが、そのまま逃げた」と供述した。その言葉通り、彼らはそのまま住宅を出、なに食わぬ顔で日常生活に戻った。


 被害者の母親は誘拐当夜に捜索願を提出していた。不審車両の洗い出しや地道な聞き込みが功を奏し、一人が任意同行され自供した。遺体が監禁場所の冷凍庫内から発見されたのは誘拐からちょうど一週間後だった。

 死因は低体温症によるショック死だったが、凍りついた手にはアイスピックが握られ、冷凍庫内には被害者が最後まで開けようともがいたのか無数の傷がついていた。司法解剖で意識を失うまでに少なくとも1時間ほどはあったことが判明し、被害者が味わった最期の1時間がいかに残酷なものだったかがクローズアップされ、厳罰を求める声が噴出した。


 しかし、インターネット上では被害者を誹謗中傷する書きこみも目立った。

 被害者が居酒屋でアルバイトをしていたのは客の男と出会うためであった、誘拐ではなく最初から合意の上だったという書き込みがなされた。

 実際にはそのような事実はなく、アルバイトをしていたのは離婚した父親が養育費の支払いに応じず生活が困窮したためだった。

 一部の週刊誌では「被害者は遊ぶ金欲しさにバイトをしていた」「派手な生徒だった」という記事が掲載された。被害者が加害者らに恭順するような態度を取っていたことが明るみになると被害者バッシングは過熱した。

 被害者の危機感のなさ、娘を夜に出歩かせた母親の落ち度を指摘する声も上がり、被害者の顔写真や通学先、自宅住所、母親の名前と勤務先が出回った。中には一見被害者を擁護するようでありながら、「アルバイト先を考えたほうがよかったのでは」「私だったら娘が夜遅く出歩くのを止める」といったように、遠回しに批判をにじませる意見もあった。

 マスコミへの対応のほか、自宅に届く娘の容姿や最期を揶揄する手紙、勤務先にかかってくる親としての責任を問う電話への対応で被害者の母親は次第に消耗していった。遺体発見から二か月後、犯人らの裁判を待たずして彼女は市営団地4階の自宅窓から飛び降り、娘のあとを追った。


 過熱するメディアスクラムにより被害者のみならず遺族までも亡くなったことを受け、世間の潮流は向きを変え、メディアバッシングに傾いた。

 この事件を機に遺族への取材にルールが定められ、一部事件においては被害者の顔写真を掲載しないことが決まった。取材に関するあり方を変えた事件としても後世に名を残している。


 ――私が死んだあと、母はどうなりましたか。


 前世を思いだした河野は、病室のベッドの上で聞いた。大村は重い口を開き、言葉を丁重に選んですべてを話した。河野の顔から感情が失われていくのを感じながらも、彼が望むとおりに真実を隠さず話した。

 すべてを聞き終えた彼は、祓川本部長の手を握ったまま「そうだったんですね」と静かに言った。一滴の涙も零さず、狼狽することも泣き崩れることも激昂することもなかった。


「河野くん、いま何考えてるんすかね」

 永田が小さくつぶやいた。

「さあ、なんだろうね」静かに答える。眼鏡を外して、両目をこすった。

「僕には分からないな」


 できることなら分かりたくない。分かってしまいたくない。

 胸のうちに言葉を押しこめると、左手に持っていた眼鏡は音もなく消えた。


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