#71 外出


「同一犯で間違いないと思います」


 ディスプレイの向こうにいる犬束いぬつかあきら第一中隊長に私見を述べる。

 彼女は「あらまぁ」と眉をひそめた。少なからず犯人に対し不快の念を抱いているのは見て取れた。柔和な彼女の顔立ちと頬に手を当てたそのしぐさには悠然と構えている印象も同時に受けた。

 母さん、俺テストで赤点取ったんだ。そんな報告に対して発されるのと同じ声音の「あらまぁ」であった。

 彼女の隣に控える河野は、でしょうね、と言わんばかりに小さく顎を引いただけだった。相変わらず感情が読めない。

 塩原しおばら代助だいすけはデータを表示させ、報告を続けながらも河野の表情をじっと観察していた。


 初めて本部で顔を合わせたとき、河野は14歳で塩原は12歳だった。当時の彼はまだ喜怒哀楽が分かりやすかった。崎森の指導でともにグラインの習得に励んだ際には、壁の向こうに転がっていく自分の手を引いて助けてくれたこともある。転び方がおかしいと口を開けて笑うこともあった。ただ、笑ったあと、ふっと真顔に戻り思い詰めた表情を浮かべることがあった。笑うという行為そのものへ罪悪感を抱いているふうにも見えた。

 訓練が終わり、塩原は藤村ふじむらはるの元へ配属された。河野は級付けで1級をもらい、本部に残った。以降も顔を合わせる。年々、彼の表情は乏しくなっていっているんじゃないかと思う。

 笑みを見せることはあっても、古びた機械に油を差して動かしているようなぎこちなさがある。彼のなかに根差すものが大きくなればなるほど、その表情は塩原がかつて見たものとは別物へと変容していくように感ぜられた。


 都内東部で連続している若い女性の変死事件。すでに解剖が済んでいる被害者のデータを警察から取り寄せて確認したところ、今回の江東区の事件と同一犯であることが分かった。

 手口はいずれも異なる。江東区は刺殺だったが、江戸川区の女子大生は絞殺、葛飾区のOLは撲殺。足立区の女子高生は飛び降り自殺と断定され司法解剖は行われていない。取り寄せた現場写真にのみ、手がかりが残されていた。


『全部見えたの?』河野がこちらに向かって問いかける。頷いて応じる。

「見えたよ。それほど強くはないけれど」


 共有している画面に、それぞれの現場で撮られた写真を一枚ずつ表示させた。川べりで見つかった絞殺死体、廃倉庫の敷地内で伸びきった草に紛れるように打ち捨てられていた撲殺死体、アパートの一室で発見された刺殺体。それらに、タッチペンで見えた通りに色をつけていく。

「本人を覆う膜のように見えます」

 彼らが分かりやすいように、自らの目に見えているものを正確に写した。青いペンで被害者の身体を囲む。


 塩原は「違和感の視覚化」という感覚型ピリオドを有する。本来そうあるべきものが何らかの理由でその状態でないときに、青白く発光して見える。

 誤植のあるチラシや時刻のズレている時計は一目瞭然だ。レントゲンやMRI画像を見れば異常のある部分が光って見える。隊員の手当てでは、流れる血のなかから一発で出血箇所を特定することができる。完璧に能力を使いこなすには至らず、身体の異常は生命維持に支障が生じるレベルでないと反応しない。

 医学面でかなり有用なこの能力はピリオド全般にも反応する。能力を発動している者はその身体をぼんやりと青い光が縁取る。使用の痕跡が残っている者や物質もまた同じく。

 似た能力を持つ者を一人知っているが、彼女と違って塩原は発言の虚偽までは見抜けない。嘘をついているのが分かれば藤村のサボりを見咎められるのだがと時おり惜しく思う。


『身体を拘束させる力で、同時に呼吸も止まるのかもしれないわねえ』

『何らかの条件下になると止まる、というのも考えられますね』


 犬束と河野が私見を述べるかたわら、被害者らの写真に目をやった。14歳から26歳、年齢はバラバラ。互いに面識もない。居住地、経歴、養育環境、家族構成、いずれも異なる。顔つきや背格好も違う。死亡時はメイクをしており、素顔と印象はやや異なる――いわゆる「化粧映えする顔」という点だけは共通している。


「それと、申し上げづらい話ではありますが」慎重に前置きをして塩原は触れた。「全員、性的暴行を受けています。内容は報告書の通りです」

『ひどいわねえ』犬束はさらに顔をしかめた。

『へえ』


 河野は興味なさそうな相槌を打った。「だと思った」というニュアンスの相槌だった。


「また何かあれば連絡します。他の方々にもよろしくお伝えください」

『代助くん、わざわざありがとうね』

「いえ、それでは」


 短いやり取りを終えて通話を切る。別件の解剖報告書を仕上げようとファイルを開いたところで部屋のドアが開き、喪服姿の藤村が入って来た。ジャケットは脱ぎ、腕にかけている。


「お疲れ様です」

「おつかれさまあ」


 彼は入るなりネクタイを緩めて冷風の当たる位置に陣取った。ウェリントンフレームの眼鏡を取って顔を拭い、生き返るー、と人心地ひとごこちついている。

 冷蔵庫からポットに入った緑茶を取り出し、グラスにいで渡してやった。 


「ありがと」藤村は受け取るなり、喉を鳴らして飲んだ。よほど外は暑かったのだろう。

「どうでした、ご両親」

「いやあもう、大泣き。号泣。慟哭。大変だった」


 江東区の事件で犠牲になった滝澤たきざわ彩友さゆの両親は、娘の死因を詳しく知りたいと警察を通じて連絡を取ってきた。すでに彼女の事件は公になっており、続く女性変死事件は世間の耳目じもくを集めつつある。犯人がまだ捕まらないことはマスコミの恰好の餌になった。連日、変死を遂げた被害者の周辺が騒がしいと聞く。

 滝澤彩友は一人っ子だった。愛娘を亡くした両親の心情、しかも他殺で性的暴行を加えられていたとあらば、狼狽するのは目に見えていた。


「午後にもう1件来ます。おそらくは同一犯」声をかけると、彼は苦々しい顔を浮かべた。

「状況は?」

「江戸川区在住、一人暮らしの女子大生。自室で首を吊っていましたが、足元にラグとブルーシートが敷いてありました。遺書はなし」

「ラグとブルシ? 江東区のと同じだな」

「駆け付けた機動隊員が江東区で臨場したのと同じコンビだったらしく。即座に気づいて回してくれました。現場状況としては自殺で矛盾ないそうです」

「へえ」


 端末と空になったグラスをデスクに置いた藤村は、ネクタイを首から抜きさり室内の隅に置いてあるロッカーの前に立った。覆う形で取りつけてあるクリーム色のカーテンが引かれる。衣擦れの音が部屋に響く。カーテンの向こうで藤村は続けた。


「報告はもう上げたの」

「今しがた。犬束隊長と河野に」

「河野くんかあ」苦笑交じりの声。思わず振り向く。締めきられたカーテンに向けて問いかける。

「何か問題でも」

「若いからね、彼」

 藤村さんも若いでしょう――そう言いかけ、自分が彼よりも6つ年下だと思い至り、やめる。「そりゃ、第一では一番若い班長ですが」

「違う、今の若さじゃなくてトータルの話」


 トータル。小さく口でその音を転がす。しゃっ、という音とともにカーテンが開き、藤村が制服にハーフ丈の白衣といういつもので立ちで現れた。

 報告書をまとめる塩原を横目に、藤村は悠々と己の定位置である紺色の大きなソファに寝転がった。人の身体に応じて自在に形を変える柔らかなそれを、藤村はたいそう気に入っている。彼が帰ってすぐに仕事に取りかかることは滅多にない。よほど喫緊きっきんの件がない限り、小一時間は寝転がっている。


「河野くんの前世は知ってる?」そう口にしてから、「こう聞くと大村さんみたいだな」と彼は笑みを零した。

「なんとなくは、噂で。調べたわけじゃありません」

 本人が口にするまで詮索しない。塩原は昔からそのスタイルを貫いていた。視界の端で寝転がっている上司の前世すら知らない。

「そういうところ、君らしいね。……河野くんは前世、17歳で亡くなっている。他の班長陣は少なからず成人を迎えるまで生きていたのに比べ、彼だけが早逝そうせい。そして、今年で22歳」

「大人になってからの期間が短い、と?」

「そういうこと。大人としてはルーキーなわけ。大人びてはいるが、情緒的な面は子どもかもしれない。それに今回の件は彼の前世とも似通っている。感情に理性を絡め取られて暴走しないといいね。……ま、俺の私見だけど」

 そこまで言い、藤村は肩をすくめてみせた。結局は私見ではないか、と塩原は呆れた目を向ける。

「藤村さんのほうが子どもでしょう。少なくとも河野は仕事をサボったりしません」

「サボってない、適度に休息しているだけだ。この仕事って国家公務員の割にブラックだよな」

「国家公務員だからブラック、の間違いでは」

「言えてる」


 ぴりり。

 藤村の端末が着信を告げた。動くそぶりすら見せない彼に代わり、キーボードを叩く手を止め、伏せてあるそれをひっくり返して画面を見、彼に向けて掲げた。


「井沢さんです」

「無視」

「いいんですか」

「どうせ回した報告書へのお小言でしょ、用があるなら君の端末に掛けなおすさ。俺はこのクソ暑いなか外出して娘を亡くしたばかりの両親に悔やみの言葉を掛けその死因を詳しく説明してきて骨が折れたし気を遣いまくったんだ、すり減った体力と精神力が回復するまでひと休みさせてもらうのがすじってものだろう」

「井沢さんの真似ですか、その長台詞は」

「よく分かったね、どう?」

「本家には遠く及びませんね」

「それを聞いて安心した」


 仕方のない人だ。

 ため息をつき、端末を元に戻す。着信音が途切れるまで数コールかかった。藤村は仮眠を取る心づもりらしく、両腕で顔を覆った。眠気がピークならば音もなく仮眠室に引っ込むのがつねなので、わりに元気らしい。

 塩原が画面に視線を戻した刹那、自身の端末が鳴った。ポケットから取り出し相手を確認すると、無言で端末を藤村の腹めがけてほうった。端末は見事に彼のみぞおちに着地してワンバウンドし、彼は「ぐえっ」と、蛙のような声を上げた。






 *****









 塩原からの報告後、犬束は離席した。部屋には河野のみが残される。

 ちょうど昼時に差しかかっていた。

 端末を繰り、宮沢くるみ1級隊員にコールする。2コールもしないうちに、彼女のきりりとした声が耳に届いた。


『いかがしましたか』

「所用で外出する。2時間以内には戻るけど、何かあれば指揮をよろしく」

『了解です、お気をつけて』


 待機番の日に河野が外出するのは珍しい。そもそも、テロや大規模災害といった不測の事態に対応できるよう体制を整えるのが待機番の役目で、外出はあまり推奨されていない。事務処理をするか、訓練をするかが大半の過ごし方だ。

 更衣室で白シャツと黒のサマージャケットに着替えた。エレベーターで1階に降りると、食堂から出てきた大村と出くわした。


「珍しいね、外出?」

 興味深げにこちらを見る彼が眼鏡をかけていないのを見て、河野は胸の内で無意識に安堵した。

「たまには外で食べようかと」

「いいねえ、良い店だったら教えてよ。そうだ河野くん、ここ最近発表された遡臓の研究で面白いものがあるんだけど知ってる?」

「知ってます」

「なあんだ残念。でもさ、近親相姦で生まれた子が直系の祖先の生まれ変わりになる確率が高いなんて誰が調べようと思ったんだろう。いろんな研究者がいるもんだね」

「そうですね」初耳の情報だったが調子を合わせる。

「倫理的な問題もあるし公表に踏み切るのは早いと僕は思っていたんだが、リークする記事が出てさあ。封建的な考えが残っている国や地方でどう捉えられるかが不安だよ」

 大村の研究者然とした意見に、思わず河野は問うた。

「祖先に会いたいという理由で近親相姦が起きると?」

「ありえなくはないだろう? 旧時代の風習を懐古して再現する人もいれば、いまだにガスや電気の世話にならない部族もいる。血統を重んじてそういう決断を下す可能性はゼロじゃない」

「……恐ろしい話ですね」

「君はそう思うかもしれないが、それが光明こうみょうだと思える人もいる。職人技や一子相伝いっしそうでんの伝統芸能なんかは特にね。……でもさ、例えばある名跡みょうせきの四代目の子どもに、二代目だった人が運よく生まれ変わったら襲名はどうなるんだろう。五代目になるのかな。それに、子どものほうが親より芸達者になったら、それはそれで軋轢あつれきが生まれるだろうし」


 話しつつも自らの考えを整理している様子の大村に、長話になるだろうかと嘆息しかけた。しかしその独り言は、彼の端末が鳴動することで遮られる。画面に犬束の名が出ているのが見えた。


「出がけに引きとめて悪かったね。気をつけて行っておいで」

「お気遣いどうも。行ってきます」


 通話をしつつ手を振る彼がエレベーターに乗りこむのを見届けてから建物を出た。

 むわりと熱気をまとった空気が肌に触れる。手でひさしをつくって空を見上げた。雲はないが、夕立は来るかもしれない。

 猪瀬志保の経営する喫茶店まで車で30分ほど。どの道を通るか考えつつ車庫に向かった。

 車庫のシャッター前には見知った顔が並んでいた。きびすを返そうかとも思ったが、彼らがこちらに気づいて挨拶をしてくるほうが早かった。

 国見と神崎、二人とも上着を替えていた。おおかたどこかに連れだって出かけるのだろうと挨拶を返して素通りし、端末を管理システムにかざす。空車の車番しゃばんが表示され、エンジンがかかった音がした。そちらに向かって歩を進めようとする。横に神崎が並んだ。


「どちらまでですか」

「君らは君らで出かけるんじゃないの」

「え?」彼は河野の返答に目をしばたたかせた。

 何のことかと眉根を寄せると、神崎は言った。「隊長からお聞きではないですか」

「何も聞いてない」

 いったい何のことかと訝しむ。国見が口を開いた。

「俺たち、隊長の指示で来たんです。班長の外出に同行するようにと」


 河野は、猪瀬志保を調べていることも彼女の経営する喫茶店を訪れようとしているのも、犬束はおろか、誰にも話していなかった。

 思考と行動を読まれている。どこまで見透かしているのかと、敬意とともに、ある種の恐ろしさがない交ぜになった。


「……そう。昼飯に出るだけだ。奢るよ」


 運転役を買って出た神崎を制し、自ら運転席に乗りこむ。助手席に国見が座し、その後ろに神崎が乗る。

 何より犬束の侮れないのは、その察しの良さがピリオドによるものではない点だ。

 河野は素直に上司の慧眼けいがんに敬意を抱いた。大村が話しかけてきたのも、訓練場にいた二人が車庫に向かうまでの時間稼ぎだったのではないかと思ったが、大村のことだから分からない。

 考えることを放棄し、運転に集中した。



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