#65 思索
どんな話をしようものか、先ほどから考えあぐねていた。
視線は眼前のタブレットに表示されている料理を追っているが、神経は真正面に座る人物に集中している。当の本人は窓の外をぼんやりと眺めている。
「迷うなあ、ガッツリ系にしようかなあ」
真剣な声音で悩む隣の小平に、そうですねえ、と気もそぞろな相槌をひとつ。タブレットに視線を落としても、するすると目が滑ってゆく。眼前の人物はとうに何を頼むか決めている様子で、今度は頬杖をついて端末をいじり始めた。
白いシャツに黒いサマーカーディガンという服装のせいか、河野は年相応の――そこいらにいる男子大学生に見えた。ただ、そこいらの男子大学生と同じものを着ているはずなのに、どこか品の良さを感じる。
書店で彼とかち合ったのち、会計を終えて列を外れると文庫コーナーで小平と河野が話をしていた。歩み寄って改めて挨拶をしたが、河野はいつもと変わらず感情の読み取りづらい表情で「お疲れさま」とだけ返した。
小平は河野と遭遇してテンションが上がったのか、なんの本を買ったのかを尋ね、河野さんは書店より古本屋にいそうですよね、と言い、休日に職場の人と会うのってなんか楽しいですよね、と嬉々として話した。
それらの言葉にそれなりに返答をした河野は「昼は?」と水を向け、こちらが食べていないことを知ると「奢るよ」と短く言って先を歩き、最上階の一角にある洋食店に入った。気軽に入ることをためらわせる敷居の高さが漂う外観で、イタリア語なのかフランス語なのかよくわからない名前の店だった。
客はそれなりに入っているはずだが騒々しさはなく、簡易的ではあるが個室の作りになっている。穏やかに歓談する声が壁ごしに聞こえるくらいで居心地が良い。たいていファストフード店やカフェで食事を済ませる身からすれば、こういった店を知っていて躊躇いなく入れることに尊敬の念を抱いた。
「決まった?」
「あ、はい」
声をかけられ、慌てて見ていたページから適当に選んで注文ボタンを押す。『ご注文を承りました!』という文字が浮かび、それぞれが頼んだものが表示された。チキンソテーのレモンバターソースのスープセット、グリルチキン&ステーキのライスセット、桃の冷製パスタ。
注文順に表示されるので、神崎は小平が宣言通りガッツリしたメニューを頼んだのも分かったし、河野がパスタを選んだのも「それっぽいな」と思った。桃が好きなのかと思ったが、なんとなく河野に対して「辛いものが好きそう」という偏見があった。今日はたまたま桃の気分だったのかもしれない。
「ショッピングモールにも、こういうお店があるんですね」
興味深げに小平が店内を見回す。つられて神崎も店内を眺めた。
外見は格調高いホテルに似たつくりで、内装も趣向が凝らされている。照明のデザイン一つ、壁紙の一つを取ってみても安っぽさはなく、シックと華やかさが同居している。初々しい高校生のカップルが休日デートで訪れるような、仲睦まじい老夫婦が休憩して帰ろうとするときに足を向けるような店。
「大村さんに連れられて来たことがある。個室だから仕事の話がしやすい、って」河野はいじっていた端末を伏せて言う。
相槌の代わりに
何か話題を振るべきか、こういうときは上官が話をするのを聞いているのが筋か。とはいえ、積極的に話すような相手ではない。
そつがなく世渡り上手の自覚がある神崎でも、感情の機微が察しづらい河野相手にどう振る舞えばいいか測りかねていた。
「この3人、そこそこ年齢近いですよねえ」
室内の詮索を終えた小平がそれとなく口にした。
話題提供ありがとうございます。心中で先輩に謝意を述べ、口を開く。
「小平さんと同い年の人って、いますか?」
「いなかったかも。
「そうです。あと、
須賀班の門脇
彼女の名を聞き、ああそっか、と頷いた小平は河野に問いかけた。
「河野さんと近い人っています?」
「さぁ。気にしたことないな」
「……前から気になっていたんですけど、河野さんよりも若い班長っていますか」
意を決し、しかしそう気づかれないようさりげなさを装った質問を投げかけると、河野はちらりとこちらを見た。
「各支部に一人くらいは若い班長がいて……大阪には13歳の班長もいたはず」
「13歳……」
眼前の河野は神崎より3つ上で、今年で22歳になる。神崎にとってはその若さで実働隊員を束ね戦況を把握する班長職に就いていること自体が驚きだが、まさか13歳で同じポストに就く者がいるとは。
口を開けて驚いているこちらに構わず、河野は続ける。
「若ければ優秀ってわけでもないよ。須賀さんと
「河野さんは何歳で入ったんですか」
「14」
「前世を思い出すのが早かったんですね」
「できれば思い出したくなかったけどね」
やらかした。前世の話題はこの組織に属する人には難しい話題だ。
どことなく地雷を踏みぬいた気分でいると、タイミング良く配膳ロボットが仕切りをノックし、桃の冷製パスタを片手に入ってきた。
お先に、と言い置いた河野は、律儀に手を合わせて「いただきます」と発してからカトラリーを手に取った。
「気になる?」
「……何がですか?」
問い返すと、相変わらずの読めない表情のまま、フォークでパスタを器用に巻きながら河野は再度言った。「浄前教のこと、気になる?」
脇に置いたビニール袋に視線を落とす。白いビニールから書籍のタイトルが透けていた。
「詳しいことを知ったら、何か思い出すかと思って」
また仕切りがノックされ、配膳ロボットが熱々の鉄板を二つ持ってきた。じゅうじゅうといい匂いが鼻孔をくすぐる。
ナイフとフォークを手に持った小平が問うた。
「河野さん、その時代に生きていたんですよね」
「うん。全然覚えてないけど」
「さほど有名じゃなかったんですか?」と、小平。河野は咀嚼しつつ首を振った。
「教団本部であった殺人事件は覚えていない。信者が慈善活動をしているのは実際に見た記憶がある」
「当時のご出身はどちらですか」今度は神崎がたずねた。
「宮城。浄前教の名前自体は誰でも知っていたはず。……俺より
「松川さんからも聞きました、機会を見て聞いてみます。他に、誰かいますか」
「井沢さん」
「……」
「ぷっ、神崎さん、露骨に嫌な顔しましたねえ」
「冗談で言ったのに。分かりやすいね」
「その表情で言われると冗談に取れないです……」
正直に申告すると、河野がゆるく笑んだ。いたずらが成功した子どもがするような、胸の中に秘めている感情が蓋を開けてこぼれ出たかのような控えめな笑みだった。
「よく言われる。井沢さんにも言われた。『その顔で冗談を言うな、冗談か本気か分からないだろうが、能面をつけた能役者の演技のほうがまだ喜怒哀楽が分かるぞこの鉄仮面』って」
「鉄仮面……」
「君は? なんて言われたの」
「『甘っちょろい青二才のポンコツ』」
「相変わらずだな、あの人も」
その後はそれぞれが控えめに、かつ婉曲的な表現で井沢への愚痴を披露し、中村は入隊時に問題を起こしており、そのせいで井沢に目をつけられている一人だということを教えてもらった。中村が彼のことを、その
話は意外にも盛り上がりを見せた。小平が独自のルートで仕入れた様々な噂話の真偽を河野に問い、そこから話が膨らんだ。小平はデザートをねだってかき氷を頼み、河野もピーチタルトを頼んでいた。神崎は脳内の「辛いものとか好きそう」という彼への偏見を取り去り、代わりに「桃が好きらしい」という一文を加えた。
「デザートまでいただいちゃって、ごちそーさまでしたあ」
「ご馳走様でした」
会計前で河野に揃って礼を言う。そのときに彼の端末――支給品のほう――が着信を知らせた。軽く手を挙げてこちらの礼に応じ、彼は電話に出た。控えめの声で話しつつ、もう片方の手で私用端末を繰り支払いをしようとしているが、本が入った袋を持っているせいでやや難儀しているようだった。
とっさに彼の手からビニール袋を取った。
「持ちます」
「ありがとう、助かる。……いや、こっちの話。それで?
受け取る瞬間、片側の取っ手だけが手にかかり、ビニール袋の口が大きく開いた。露わになった本のタイトルが、無意識に目に入る。
『性犯罪者の思考を探る―行動科学と心理学から―』
『性暴力被害の裁判史』
文字を読み取り、文章として認識した途端、意に反して勝手に思考が巡る。
仕事に関する調査の一環? 彼の前世に関すること? 見なかったふりをするべきか? 興味本位で購入しただけ?
身体は脳と裏腹に、素早く袋を掴み直した。河野も、神崎がタイトルを見てしまったことには気づいていないようだった。
寄るところがあるという河野とは店先で別れた。小平とともに駐車場に戻る。黒いセダンの助手席に座ってシートベルトを締めると、エンジンをかけた小平がまたも腹をさすった。
「人のお金で食べるご飯は美味しいですねえ」
「がっつり食べてましたねえ。……河野さん、桃が好きなんですね。少し意外でした」
「ねー。もしかすると前世の好みが残っているかもしれませんよ。それにしても綺麗に食べていましたよねえ。いつも思うんです、綺麗に食べるなあって」ゆっくりと車が駐車スペースから抜けでる。「食べ方も丁寧というか、がつがつしていないし。やっぱり前世が女性だと違うんですかねえ」
「……女性だったんですか?」
本のタイトルがフラッシュバックする。小平はウインカーを出しながら言った。
「そうですよ。河野さんと矢代さん、笹岡さんと
まあ、なんとなく分かる感じしますよねえ。
呑気な声で左へハンドルを切る小平に、へえ、と空返事をした。
体温を上げるサバイバルナイフと、体温を下げるアイスピックを駆使する彼。
ピリオドという異能は、前世の強烈な記憶や経験が引き金となって表出する。
前世は女性。2045年時点で存命、当時は未成年。
頭にいくつかの単語が浮かぶ。それはいずれも河野の前世を突き止めるための検索ワードだった。確信のない考えだが、その正誤を証明するには検索するだけでことが足りてしまう。
詮索するべきでないと分かっていながらも、小平の目さえなければ端末を取りだして頭の中の検索ワードを打ち込んでしまいそうな浅はかな自分に、言い切れぬ罪悪感を抱いて家路についた。
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