因果

#64 示唆

「まだまだ暑い日が続きますねェ」


 宗像むなかた悦志えつし解析室長の声が、画面を通じて室内に響く。藍色が鮮やかな扇子で風を起こし、彼は大きなあくびをした。「眠気」「疲労」「暑気」「温暖化」といった単語が眼鏡を通じて大村おおむらの目に入る。


「秋らしくなるには、もう少しかかりそうですね」

「そうですねェ、もう嫌になります」


 彼は暑がりだ。国立記憶科学研究所第2支所の解析室長室に足を踏み入れる際、夏場は必ず上着を持参するという暗黙の了解が存在するほどには。暑さに弱いならば、その肩まで無造作に伸びた髪をくくるなり切るなりすれば体感温度も変わるだろうにと思うのだが、本人にその気はないらしい。何かのポリシーを持って伸ばしているとも思える。理由を聞いたことはない。


「この前の浅草の件。全員退院したそうです」


 宗像が手元のパネルを操作し口火を切ると、デスクトップパソコンの脇にホログラムが浮きあがった。負傷した一般市民が運び出されていく場面が再生されている。救助をしているのは笹岡班の面々だ。

 ことが起きたのは、井沢いさわ黎明れいめい祓川隊副隊長が去った数時間後。現地は第1中隊が管轄する台東区浅草、浅草駅前から雷門にかけての人通りが多い一帯。当直で巡回密行に当たっていた笹岡ささおか班は荒川区・墨田区・江東区・江戸川区に散っており、現着がもっとも早かったのは周辺を見回っていた手塚てづか幸太郎こうたろう2級隊員であった。他の面々は管理班の櫻井さくらい智鶴ちづる隊員の能力で現地付近まで移動した。


 異能犯罪者が甚大な被害を引き起こす前に制圧することが求められるICTOにおいて、移動系のピリオド保有者は重宝される。各支部に最低2人、管理班に配属される。

 櫻井隊員は「駅に人を移動させる」能力を持つ。彼女の携行端末には駅の発車メロディーが記録されており、メロディーを聞くことで対象を任意の駅構内に移動させられる。

 一報を受け、笹岡の指示で現地至近の荒川区にいた福山ふくやま香織かおり1級隊員が移動を開始した。人気のない場所に福山が身を潜めると同時に櫻井がピリオドを駆使し、瞬時に彼女は浅草駅構内の物陰に転移された。


 その日の映像を再生する。福山隊員の目線カメラには、薄暮はくぼが迫り自動車のテールランプがまばらに光る中で、人だかりができ悲鳴と怒号がこだまする様子が収められている。

 人ごみを掻きわけた先で彼女が目にしたのは、サラリーマン風の男が学生と思しき女性を引き倒しているところだった。男はフラフラとした足取りながら、また次の標的を定めて歩を進めている。逃げ惑う人々が折り重なり、最前の幾人かは足がもつれて転んでいた。

 他にも幾人か、いずれも女性がアスファルトの上に横になっていた。拘束はされていないがぐったりとしている。

 触れることで相手の動きを制限する能力と察した福山は手塚に目配せをした。彼は頷き、男に触れられない距離を保って声をかけ、説得する素振りを見せる。


 福山は倒れている女性に駆け寄り、「大丈夫ですか」と声をかけた。首に手をやり脈があることを確認すると、そっと抱き起こした。女性の身体で自身の手元が見えないようにし、ホルスターから愛用の小型拳銃――デリンジャーを取りだした。

 人々の発する声とサイレンサーのおかげで、発砲音は誰にも気づかれなかった。男が被弾しても「よろけて転んだ」ようにしか見えず、即座に手塚が男の身体を支え、これまた誰にも気づかれないように減退弾を喰らわせた。

 男を警察に引き渡したころには伊東いとう翔太しょうた2級隊員も合流し救護活動を行った。ピリオドが解けたことで倒れていた女性たちの身体拘束も解け、会話ができる状態の人も出た。

 全員が病院に搬送され、うち3名がそれぞれ頭部強打による精密検査、足首骨折、上腕骨骨折により入院となった。いずれも高校生で、学内行事で浅草寺を訪れていたと報告が上がっている。


「警察が参考聴取した学生たちの端末から、不審な男が出てきました」


 宗像が音を立ててキーを叩くと動画が再生された。端末で録画された何気ない光景。撮影した女性は入院したうちの一人だと宗像は補足した。

 楽しげに級友と話す様子が流れ、手に持っている食べ物のアップになり、引きの画面で一時停止する。笑顔でクレープをほおばる高校生の脇を、浅草寺方面に歩いていく男が二人。自動で拡大し、輪郭が補正され顔認証照合がなされる。


「左が今回の逮捕された生島いくしまです。もう一人は顔のパーツを分解して照合したところ、鹿児島やら福島やらで発生した異能犯罪者の傍にいた男と一致しました」


 各県で確認された不審者の顔写真が男を囲む。パーツが抜きだされ、映っている男にはめ込まれると見事なまでに一致した。目は鹿児島にいた男と同じ。耳の形と口の形、輪郭は福島の男と同じ。髪質と髪色は岐阜で見かけた男。


須賀すが班長と神崎かんざきくんが遭遇した男と同一人物の可能性は?」

「ゼロではないですが、同一人物とも言いきれないですねェ。背丈はこの男のが低い。そちらの中村なかむら隊員のように顔を変える能力の持ち主であれば別人ですが、背格好ごと変える能力の持ち主であれば同一人物かも。現段階では何とも言えません」

 扇子片手に宗像は肩をすくめてみせる。「生島も、男とは面識がないと供述しています」

「初対面ですか」

「向こうが見知った様子で肩を叩いて声をかけてきたんですって。『生島、久しぶり。高校以来?』と。思い出せずにいると、親しい人物でないと知りえないことを言ってきた。自分が思い出せないだけかと思い出そうとするうちに頭がぼやけた感覚になり、次の瞬間には病院で目を覚ました」

「アンノウンは……触れることで相手の過去でも読み取れるんでしょうか」

「だとしたら厄介でしょうねェ。……いちばん厄介なのは、本来なら異能を表出するレベルになかった人間の異能を呼び起こした点ですがね」


 生島の遡臓検査の結果と周辺の人物への聞き取り調査の結果が表示される。本人はおぼろげながらも前世の記憶を有していた。ざっと目を通し、気になる箇所を読みあげる。


「『朝方や夜、公園で女性を狙って抱き着くなどの迷惑行為を繰り返し逮捕歴あり』……これ、本人は思い出していましたか」

「ええ。逮捕後は会社に解雇され、肩身の狭い思いをしたそうで。明確に思い出したのは遡臓検査の6年後だそうです。それまでの彼は真面目一辺倒の優等生。記憶を取り戻して以降は、前世の過ちを繰り返すまいと一層自分に厳格だったとか」

 いずれの資料も、今世の生島を要注意人物と認定するには至らないものばかりだった。ピリオドを表出する可能性も低いと判断され、監視対象ではなかった。

「なのに、アンノウンと接触してすぐに表出、前世で犯した罪と深く関わるピリオドだった……」

「皮肉なもんですよねェ、同情したくもなります。前世の自分を恥じて、ひたむきに生きていたわけでしょう。にも関わらず、ピリオドは触れた人の動きを一定時間封じるものだったなんて。彼の深層心理でそういう願望があったのかもしれませんが」


 報道はどうなっているかが気になりニュースサイトで検索すると、「次々と女性に暴行 会社員の男を逮捕」という見出しが目に入った。

 建造物や人への被害の度合いにより、異能犯罪者の起こした事件には報道規制がかけられる。動画や写真を現場で撮られることが少なく、ある程度「普通の人間が起こした犯罪」で済ませられるものはそのまま報道されることもある。神崎が熊岡くまおかと対面した事件はそうだった。

 一方で、たとえ常人の能力の範囲内と取れるピリオドであっても、事件の凄惨さによっては模倣犯の出現や類似の事件に関わった者が記憶を想起するのを防ぐために報じられない場合もある。いずれもケースバイケースであり、フランス・リヨンに本部を構えるICTO本部が基準を設定している。

 今回の件は「報道しても問題なし」と判断されたようだ。記事には浅草寺付近で会社員の男が突如女性に掴みかかり数人が怪我をした、とまとめられている。宗像はすでにどう報じられているかを知っているようで、げんなりした声をあげた。


「生島の名前、顔写真も出回っています。『女性に危害を加える最低男』、『きっと前世も犯罪者に違いない』、『死んで償うべき。二度と生まれ変わるな』といったぐあいにネット上では言いたい放題」

「アンノウンによって強制的にピリオドを表出させられていたとしたら」

「彼も被害者と言えます」宗像は長い髪の毛先をいじりつつ続ける。「勤務先までご丁寧に書いてありますよ。『犯罪者を採用した企業の責任はいかに!?』って、問い合わせを煽動するようにね。正義を名乗る暇人ばかりですねェ。道端のゴミを拾ったほうがよっぽど有益でしょうに」

 

 彼の言葉には分かりやすく侮蔑の念が込められており、大村も同意して首を縦に振った。

 前世と今世は違う。誰しもが理解していても、依然として差別は深く根を張っている。

 改心したといえど中身は同じなのだから、また罪を犯すに違いない。大仰に口をすることがなくとも、一度は誰もが考える。

 人種や年齢、性差による差別が減った反面で前世差別はむくむくと頭をもたげている。どれほど時が経とうとも差別は根絶せず、ひっそりと人々をむしばむ。時に人の人生を踏みつけにし、時に国同士のいさかいにまで発展する。

 ため息をついて顔を手で覆った。眼鏡がずり上がり、邪魔だと思った瞬間にそれは消える。

 生島のこの先はどうなるのだろう。会社員の彼はまた解雇されるだろうか。家族はいるのだろうか。老親がいるのか、幼い子どもがいるのか、一人で暮らしているのか。自宅はどこだろう。彼のしてしまったことは近所にもう知れ渡っているのか。

 考えるほどに陰鬱な気持ちになる。自らの意思ではなく強制的に犯罪者にかもしれない彼の行く末を案じずにはいられなかった。


「思ったんですけど」

 遠慮がちにモニターの向こうから掛けられる声に、はい、と顔を覆ったまま応じる。

「一連の動きは何を意図しているんでしょうねェ。全国各地で目撃される顔の違う男、自在に変化する見た目、強制的に異能犯罪者を生み出せる能力。異能犯罪者を量産したいのなら生島よりも適任はごまんといるはずです。だが、あえて彼を選んだ。わざと報道されることを選んだようにも見える」

「それは僕も思っていました」

「誰かにアピールしたいのか、警告なのか、お遊びなのか脅迫なのか、ICTOわれわれに喧嘩を売っているのか、はたまたテレビを通じて味方に何らかの指示を出しているのか」


 アンノウンに協力者がいるのではという疑義は当初から挙がっていた。一人でも起こせなくはないが、協力者がいるからこそ異能犯罪者が頻発しているとも取れる。巻きこむターゲットを選定しているなら、協力者がいると思うのが自然だ。


「もしくは、そうですねェ……特定の誰かへのメッセージ、とか」

「そうかもしれません」


 小さく零す。特定の誰かと聞いて思い浮かぶのはただ一人。2040年代、アンノウンが「呪い殺す」と言った人物。

 志賀への当てつけだとすれば、このニュースをどう見たのだろう。はこのニュースを聞いて何か感じたのだろうか?


 今日の彼は公休だ。敷地外に出ているかもしれない。明日にでも顔を合わせたら聞いてみようか。神崎くん、浅草で起こったこの事件、知ってる?……






 *****





『前世への救済 ―浄前教じょうぜんきょうがもたらしたものたち』

『浄前教の原罪』

『あの日の記憶 浄前教信者だった私たちの“いま”』

『浄前教信者大量殺人事件のすべて』


 仰々しいタイトルが連なる。浄前教に関する本は冊数こそ多くない。しかし、一冊一冊の厚みが違う。

 手にとってはパラパラとめくり、棚へ戻す。「宗教」とカテゴライズされた棚を熱心に見ているのは自分くらいだった。

 井沢の訪問後、神崎は敷地内の図書館で資料を漁った。志賀しが新助しんすけないし浄前教に関する事実を知れるだけ知りたかった。目ぼしい資料は見つからず、こうして休日に最寄りのショッピングモールの大型書店へ足を運んでいる。


 電子書籍が主流となっても、電子書籍開発以前の時代から生まれ変わった人々は依然として紙媒体を好んでいる。出版業は衰退期から盛り返しを見せており、書店は紙媒体と電子書籍用の値札を併用して販売している。実物を手に取って電子書籍版を買うこともできるし、電子書籍で試し読みしたものを書店で取り寄せることもできる。

 断固たる紙媒体派の母の影響もあり、神崎も本はたいがい紙のほうを買う。すぐに読みたいページをひらけるし、あとどれくらいで読み終わるかがひと目で分かるのがいい。よほど厚い本でなければ目当ての本は買って帰るつもりでいた。

 

 今日は護衛に小平おだいらがついている。「べったりくっつくわけじゃないんで気にしないでください」という言葉通り、ひとたび意識を反らせば彼の気配は感じない。視界の隅で最近放送の始まったアニメのプロモーション映像に見入っている。パーカーにジーンズというラフな格好で、客の一人として完全に溶けこんでいた。

 敷地外に出る折には必ず先輩隊員1名が護衛につく状況は、1年も経てば慣れた。能力の特性上、小平と一緒になることが特に多い。自分の都合で彼を連れ回す申し訳なさを言葉にするたび、彼は「待機番って何もなければ暇ですし、外に出られるほうが僕も嬉しいので」といたずらっぽい笑みを浮かべる。

 実働の6班は日勤・夜勤・待機・休みを組み合わせたシフト制で、今日は河野こうの班が公休、須賀班が待機番だった。朝方に日課のランニングをしていると国見くにみと顔を合わせ、彼の誘いで何度か近接格闘の手合わせをした。級付けで酷使した足の疲労はすっかり取れたようで、繰り出された蹴りの速さは反応するのがやっとだった。


 一歩下がって書棚全体を眺める。新興宗教を扱う書籍はバリエーションに富み、これほど多くの宗教が日本にあるのかと驚かされる。中にはすでに淘汰されたもの、他の宗教に吸収されたものもある。書籍の多くは生まれ変わりを遂げた当時の信者による手記や回顧録だ。いずれの帯にも「鑑定書付属」と記載がある。


 現行法上、生まれ変わりの詐称は罪に問われる。遡臓が顕現した当初に政治家や著名人などの社会的に影響力を持つ者の名を騙った詐欺が横行したことに端緒たんちょを発する。

 自身の前世を証明するには国立記憶科学研究所が発行する鑑定書が必要となる。鑑定書には、前世がいつ生まれいつ没した誰であるかを証明する旨が記載されている。

 2010年代後半から活発になった動画配信は今なおプラットフォームを変えて健在で、有名人の生まれ変わりを告白する動画は注目を集めるカテゴリのひとつだ。

 彼らは仰々しい素振りで鑑定書をカメラに向かって掲げる。記憶がある者はそのころを振り返り、動画や書籍でその痕跡を残す。

 前世の年代によっては生まれ変わった者の記憶は貴重な資料として重宝され、多くの歴史的発見を生んでいる。それゆえに、生まれ変わりをかたることは固く禁じられている。かつては鑑定書の偽造事件も起き社会問題となったが、神崎が生まれるより前の話だ。現行の鑑定書は偽造が困難な技巧がなされている。


 数冊の本をめくり、鑑定書の内容を確認する。

 手にした本の作者は、2044年にこの世を去った浄前教信者。鑑定書の隣のページには、前世の彼女に関する記事が掲載されていた。DNA鑑定の結果、打ち捨てられていた大量の頭蓋骨のうちの一つであることが確認された旨の記載があった。

 便利な時代だと常々思う。自分が生まれていない時代を、今生きている誰かの言葉で知ることができる。「だったらしい」「と、伝えられている」「のように推察される」といったあいまいな文末表現抜きで語られる出来事は、教科書の文章よりも鮮明に心に残る。

 いっぽうで、語られている真実と異なる側面から描かれる過去は残酷でもある。

 急激な経済成長の裏で過労死した人、多様性を重視する世の中で差別に苦しんだ人、三面記事で語られるに留まった事件で一生が大きく変わった人。

 記憶は光と影を作り出す。それらが形となり、目の前に陳列されている。

 自分は生まれ変われるだろうか。生まれ変わったら、今のこの人生をなんと語るだろう。自分の中に存在しているという志賀は、移り変わったこの国を、当時の人々が語る浄前教をどう捉えているのだろう。


 うちに潜む彼に思いを巡らせて、3冊の本を選んだ。ずっしりとした重みは、手だけではなく自分の肩にも感じられた。

 会計の列に並び順番を待つ。3人ほど並んでいたが順調にけていき、すぐ先頭に立った。

 どのレジがくか観察していると、左奥で会計を終えた男性がビニール袋を手にした。大小異なるサイズの本が数冊入っているせいで、袋がいびつな出っ張りを見せている。

 男性がレジを離れこちら側に流れてくる。頭上のレジ番号が点滅し、「お次でお待ちのお客様、こちらへどうぞ!」と自動音声が流れる。

 レジに向かおうとしたところで、流れてきた男性がこちらを見てを止めた。立ち止まって見るほどこの本は変なチョイスだろうかと反射的に彼を見、自分も足が止まる。


「あ……」


 お疲れ様です、の言葉がすぐに継げず、反射的に頭が下がり会釈をした。

 歪な形のビニール袋を提げた河野が、まじまじとこちらを見ていた。


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