#62 矜持

「誰も告発しなかったのは、薬物使用がバレるからでしょうか」


 神崎が問えば、井沢は「それもある」と言った。

 ほかに何か理由がある。必死に頭を――想像力を働かせる。

 自分が浄前教のボランティアに助けられた身、深い悩みを持つ若者の一人だと仮定する。


 親しくなり、彼らの人となりを尊敬し、より近づきたいと欲し教団に連れてこられる。

 教祖らしき男女の言葉に耳を傾ける。自然と気持ちが高揚し、生きる気力が湧いてくる。不思議な体験に感動し、何度となく通い、入信する。共同生活を経て絆は深まり、比例して教えに強く依存する。

 ここで善行を積めばこれから先の人生は満ち足りたものになるに違いない。薄い金属板がわずかな力で歪曲していくように、思考も徐々に歪んでいく。

 生活するうちに綻びが生じはじめる。以前まで感じていた高揚感は――身体がすっかり薬物に慣れてしまって――さほど感じられなくなる。それどころか、反動で無力感が募る。

 信者同士のいさかいが生まれたこともあるだろう。脱退、棄教、改宗をにおわせる者がいたら、教祖たちは手に入れた個人情報をもとに脅す。万全なセキュリティで逃げるのもかなわない。

 警察への密告を考える。だが本部に警察の手が伸びれば、違法薬物の取り扱いが露見する。自分が加担していたことも知られる。捕まったらどうなるか。


 揺れ動く心情に懊悩おうのうするなか、昨日まで一緒に生活をしていた者が手錠をかけられて連れていかれる。志賀新助が入っていく。彼のまとう雰囲気は部屋を出てきても変わりない。ルーティーンをこなしたような、玄関先まで郵便物を取りに行ってきたかのような平然さで部屋を出、去っていく。

 そっと部屋の扉を開ける。昨日まで将来について語り合っていた仲間の首が転がっている。見開いた目が何かを訴えてこちらを見ている――。


 想像を巡らせただけで、その空間の異様さと脱出の困難さは汲み取れた。人の死体を見てしまったらなお、抜けたいなどとは言い出せない気がする。処理に加担させられたら、違法薬物使用のみならず死体損壊・遺棄、ひいては殺人そのものまで罪に問われるのではないか。

 自分が教祖だったらどうする。どんな立場の者に死体の処理をさせる。


「裏切りそうな人々に死体の処理を命じて、恐怖を植えつけた、とか……」

 考えを整理するために呟いた言葉を、井沢は聞き逃さなかった。

「当たりだ。さすが前世で渦中の人物だっただけはあるな」

 嫌味とも取れる言い方をされ、どう返せばいいか戸惑う。

 彼は一瞬だけバツの悪い表情を浮かべた。

「いや、今のは失言だな。撤回する。すまない」


 意外だ、と率直に感じた。痛罵つうばの言葉が続くのではないかと無意識に身構えていたものだから、彼が即座に発言を取り下げたのは予想の範疇になかった。そして、今のやり取りで読み取れたこともあった。

 元警察官の彼は志賀新助が行ったとされる非人道的行為に批判的で、前世はこの事件に注力していた。前世の記憶と今世の人となりを混同するのが非常識だと理解しており、役職の隔たりがあれども自らの非を即座に認め謝罪する良識がある。

 根っこの部分は悪いわけじゃない。絹川の言葉が反芻される。

 人となりの再考と再認識に脳内処理が割かれ次ぐ言葉を見失っていると、井沢はバッと音がしそうな勢いでこちらを向いた。数秒前に浮かべていた表情はどこへやら、つい先ほどまでの自信満々な、高慢さがわずかににじみ出た顔に戻っている。今度こそ身構えた。


「何を黙っている、こういうときは気を利かせてフォローの一つや二つを入れるのが礼儀というものだ。ビジネスメールもまともに返せないペーペーの新入社員ですら『とんでもありません』の一言が出てくるぞ。真面目で礼儀正しいと聞いていたがデマだったようだな、認識を改めさせてもらう」

「……とんでもありません……」

「なんでこのタイミングで言うんだ、その『とんでもない』は『君が真面目で礼儀正しいというのがデマだ』という部分に係るだろう。慇懃無礼に見られたくなければ日本語は適切な場面で適切な表現を使え、母語を理解してから何年経つと思っている」


 認識を撤回する。やっぱり根も悪い。印象を改めた自分がバカだった。こちらに非があってもどうして沸々と怒りに似た感情がこみ上げるのだろう。

 複雑な思いが挙動に現れぬよう細心の注意を払ったつもりだったが、お見通しだとばかりに松川がにやついた笑みを浮かべてからかってきた。


「カンカーン、いまさーあ、『こいつ、こんなんでもちゃんと謝れるんだな~って見直しかけたのに損した!』って思ったでしょ」

「思ってないです!!!!!」

「だったらなぜそんなクソデカい声で否定する。思っていたと認めたのと同義だろうが、はっ倒すぞ」

「あっパワハラだ、本部長に言っちゃお」

「いわれもしない非難に対する正当な抗議だ馬鹿者」


 吉岡と絹川が顔を見合わせ、視線で会話を交わしら。

 またやってるねえ。

 やってますねえ。

 そんな声がしそうだった。少しの恥ずかしさが今更に押し寄せる。

 松川が仕切り直しと言わんばかりに手を叩く。


「話を戻しましょう。信者たちが告発に踏み切れなかった理由は何ですか?」

「……神崎、君は日本の死刑制度がどうなっているか知っているか」

「話を戻しましょうって言ったんですけど」

 唇をとがらせる松川を意にも介さず、井沢はこちらを見やる。

「今に至るまで200年以上継続して行われている、人間を合法的にこの世から葬る絞首刑が、どういう経緯で行われているか知っているか」

「聞きかじった程度の知識ですが」逃げの枕詞を入れてから答えた。「死刑囚は踏み板の上に首をロープで結ばれた状態で立たされて、別の部屋にいる人がスイッチを押すと踏み板が外れる仕組みになっている、だったかと。スイッチはいくつかあって複数人で押すけれど、どのスイッチが踏み板と連動しているのかはわからない」

「私は『死刑がどういう経緯で行われているか』を聞いたんだ。執行の仕組みじゃない。まあ、内容はだいたい合っているから良しとする。……そこに至るまでの過程を聞いたんだ」

「過程?」

「死刑制度を支えているのはこの国の官僚制度だ。死刑の執行はまず検察庁で上申がなされ、法務省内で検討されたのち官房長や次官といったお偉方えらがたを経て最終的には法務大臣による決裁で決まる。起案書には30人以上が署名をする。執行も死刑囚に目隠しをする者、踏み板の上まで連れていく者、ロープを掛ける者、ボタンを押す者、全員別だ。見方を変えるとこれはどう見えるか」


 井沢はそこで言葉を区切り、モニターに目をやった。


「関わる者たちに『殺す』という意思はない。だが全員が関わることで死刑執行が決まる。綺麗に仕事を分担し、要所要所で確実に課せられた仕事をこなす。その結果として人が死ぬ。……ある者は死刑を『システマチックな殺人』と表現しているほどだ。仮にこの死刑制度をたった一人でこなすなら、重責と人を手にかけた後悔にさいなまれるだろう。作業を分担することで責任は分散する。罪悪感が宙に浮く」

「宙に浮く……」

 松川が指先を上にむけ、くるくる回すしぐさを見せた。

「『俺は命令に従っただけ』『悪いのは俺じゃない』『殺したのは私ではない』とそれぞれが責任転嫁する。浄前教の内部ではこれと似た仕組みで裏切者が告発された。執行人が志賀一人だったという点は異なるが」

「信者一人一人が何かしらの形で関わりを持ち、結果として処刑に至った」

「システムに上手く組みこんで共犯者に仕立てあげた、というほうが正しい。熱心な信者たちを集めて怪しい動きを繰り返している者を発表する。大勢の前でそいつはを明らかにされ咎められる。狂信者や死の恐怖に怯える者はそいつを激しく非難するだろう。誰も庇えない。庇えば自分がターゲットになるからだ。いじめの構造と同じだ」


 井沢は絹川に目で合図を送った。彼女がキーに触れると画像が入れ替わった。

 一見、教会にも見える広い講堂の写真。白を基調とし、中央部には浄前教のモチーフなのか、遡臓を模した紋章が描かれている。


「徐々に人格否定が入り、仲良くしていた者たちが自分を罵倒してくる。罵倒がやむのは指摘されたこと……戒律破りを認めることだ。。集団の意志に屈した者は教祖の元に連れていかれる。連れていかれるまでにもいくつかの手順がある。罵倒に加わった全員が処刑を認める旨の文書に書面を残す。忠誠心が薄いと判断された者たちは手錠をかける役、部屋に連れていく役、志賀を呼びに行く役、部屋の掃除役に任命される」


 指示を下された者はどんな心地がしていたのだろう。彼らの境遇は、神崎の想像では到底到達できない場所にあった。


「戒律破りを自白させられる場面は録画され都合よく編集して残されていたし、処刑に関する署名――哀れな信者に慈悲深い話をしてくれという『陳情書』の形を取っていたが、これも署名する場面の録画と署名された用紙のどちらも保管されていた。次の脅しの種になるからな。関わった者は教祖の教えを忠実に実行したと胸を張るか、後ろめたさを責任転嫁する。どちらにせよ組みこまれた歯車として機能させられる。一人一人に本当に殺す意思がなくても、署名が集まればシステマチックな殺人が成立する」

「……考え抜かれていますね」絹川が画像を見上げて眉をしかめた。

「浄前教が編みだした手法じゃない。全員が関わる点は死刑制度のメカニズムを模しているし、信者の前で告発して罪を認めさせ、録画して脅しの材料にするのは人民寺院というカルト宗教で行われていた手口の模倣に過ぎない」

「日本の話ですか?」

「1970年代のアメリカだ。南アメリカ大陸のジャングルを切り開いて教徒だけの街を作っていた。閉鎖環境で信者たちを洗脳し、最終的には教祖含め900人以上がいっせいに服毒自殺を遂げている」井沢は憎々しげに眉根を寄せる。「カルト宗教や秘密結社の危うさは遥か昔から訴えられている。フリーメイソン、ナチス、クー・クラックス・クラン、オウム真理教、イスラム国、そして浄前教。だが、かがり火に引き寄せられる虫のように人々は集まり、閉じた世界で教えにのめり込み、時に取り返しのつかない事件を起こす」

「教団に警察が踏みこめたのは、誰かが逃走に成功したからですか」


 神崎が問うと、井沢は力なく首を振る。


「違う。違法薬物の取引現場を抑えて製造元を割り出し、教団が関係していると踏んで一斉捜査に踏み切った。以前からキナ臭いと睨んでいたが、踏みこむ理由がなかった。浄前教は世間の評判もさして悪くなく、捜査当時は警察が言いがかりをつけて信仰の自由を侵害していると世間から叩かれたくらいだ。……湖のほとり、岩の間に隠すように放置されていた頭蓋骨を目にした瞬間は忘れられない」

 大きく息をつき、彼は天井を見上げた。かつての記憶を手繰るように目を閉じる。

「頭蓋骨は見つかっても、胴体部分は見つからなかった。が、捜査を進めるうちに臓器売買の形跡を見つけた。遺族の中には『どこかで誰かの身体の一部となって生きているならそれでいい』と涙を流す者もいた。その言葉を聞いて、志賀へ強い怒りを覚えた。頭蓋骨一つになった彼らは、教団に足を踏み入れなければ死ぬこともなかった。死んだあとも金の道具にされることもなかった」


 そっと目を開き、井沢はゆっくりと立ち上がって神崎に正対した。

 「見る」というよりも「見据える」に近かった。無意識に背筋が伸びる。


「指名手配も空しく、志賀は結局見つからずじまいだ。死んだ、整形した、殺された。いろいろな説を耳にした。それが今、君の身を借りて姿を現している。……君の父親が、息子が大量殺人犯の生まれ変わりだと知り、自らの能力で記憶を封じこめた気持ちはわからんでもない。遡臓検査で前世が露見すれば当然ICTOにマークされる。ひとたび記憶を取り戻せば、人殺しの前世は一生を左右する重石おもしになり、責任を感じて自らの命を絶つかもしれない。ピリオドを出してしまえば最後、遡臓を破壊されるか、最悪は殺される。何も知らないまま平和な人生を送らせるために記憶を封じる。君の父親のした行為には一定の理解を示そう」


 井沢の言葉はすとんと胸に落ちた。自分の現状を整理してくれているように思えた。彼の内なる優しさか、それとも志賀への言い尽くせぬ感情のはけ口にさせられているのかは分からない。けれども、浴びせられる言葉の一つ一つが自分の状況をクリアにしていく感触があった。


「とはいえ、君に真実を知らせずにいた不誠実さは非難する。おかげで君は人殺しのとがを持つ凶暴な別人格を抱えている。今の人格が父親による仮の産物だとすれば、元の人格である志賀がいつか君の思考を支配する可能性もある。そうすれば、そのクソ真面目で慇懃無礼で青二才で世間知らずな人格はどうなる? 消えるのか、共存するのか、飲みこまれるのかは私たちの誰も分からない。分かるとすれば唯一、君の父親……皆川惣次だけだ」


 浄前教という存在が何をしてきたかをつぶさに語られた今、自分に宿るものが末恐ろしく思えた。足が力を失いかける。手が震える。


「君に言って効果があるのかどうか知らんが、君の中の志賀新助に言っておく」

 井沢の眼光が鋭くなり、一呼吸おいて彼は告げた。

「前世は逃したが今世は逃さん。再び人を手にかけることがあれば逮捕では済まさない。無論、この神崎真悟を殺すことも許さない。この世間知らずのポンコツ青二才も指揮系統で言えば私の部下だ。私の部下の命を軽々に扱うことを私は絶対に許さん。このポンコツの身体を使って暴走したければ私の眼前でやれ、喜んで相手してやる。偶然にも今の私はお前と同じ武器を持つ。力の差を思い知らせてやろう。臆して私がいない場所で暴走しようとも無駄だ、優秀な部下たちが潰す。あの頃と同じだとは決して思うな」


 言い含めるようにゆっくりと低いトーンで発せられた言葉の底には強い矜持と覚悟があった。全身が一気に鳥肌を立てる。それが自分の発したものか、自分の中に存在する志賀新助のものかはわからなかった。



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