#59 謝罪
「その節は本当にご迷惑をおかけしました……!」
本日何度目かの謝罪。ちらりと視線をやれば、丁寧に腰を折って頭を下げる神崎の前には、きょとんとした顔の本田隊員がいた。145cmと小柄な彼女の後ろには180cm越えの笹岡班長が立っており、さながら新人教師が生徒と保護者に不手際を詫びているようだ。笑ってはいけないと思いつつ、小さく笑みがこぼれてしまう。
「絹、なーに笑ってんの? なんか面白いことあった?」
隣に座る笹岡班の
「ここ数日、毎日神崎くんが誰かしらに謝っているのを見ていまして。今日もかぁ、大変だなあ、と」
「えー? そこは笑うとこじゃないでしょー?」
おっとりとした口調で彼女はふんわりと笑む。対照的に、白く細い指は恐ろしい速さでキーボードを打っている。
10歳年上の彼女は、第1中隊の管制担当6名の中では最古参に当たる。絹川は配属当初から彼女に仕事を教わり、慣れない一人暮らしに戸惑いを見せていたころには何かと世話になった。
「そうですけど、謝られた人がみんな呆気に取られているのが少し面白くて」
本田隊員は目をぱちぱちさせ、何事かと笹岡班長を振り仰いでいる。
「聞きしに勝る真面目くんだよねえ。これまで誰に謝った?」
「おとといが小平さん、昨晩は結城さん、今朝が清水さん、昼間に中村さんと国見さん」
「そんなに? むしろ彼のほうが謝られる側でしょ。先輩たちが手加減なしで向かってきたワケだし」
「今回は色々とイレギュラーがあったので」
「みっちゃんも班長も話してたねえ。イレギュラーなルーキーくん、本配属まで遊軍扱いだっけ。大変だねえ」
「そうですねえ」
通常であれば、訓練隊員は級付けののち一週間程度で配属先が決定する。けれども今回に限って上層部は「諸般の事情を
3日前、神崎が減退弾で倒れてすぐ、大村の手配で3度目の遡臓検査が行われた。志賀を名乗る人物の記憶が拾えるのではと期待に満ちた顔で本部から帰ってきた大村だったが、検査結果を見ると「どーーーしてだよォーーー!」と文字通り地団太を踏み、文字通り床を転げ回った。3回目の結果も変わらず、「前世は確認されない」との結果だった。
精密検査を終えた彼はその晩、大村に付き添われて管制室に顔を出した。崎森班が当直であったが、崎森は指揮を
茶会のような雰囲気のもと、絹川はモニターに河野との交戦映像を投影した。昼間のうちに矢代班の高崎が編集した映像は、ちょうどいいタイミングで各人の視線カメラに切り替えられ、検証映像のような出来だった。
神崎はしばらく映像を見ていたが、体育館で河野に鞘を投げつけたところで「え?」と声を上げた。
「記憶にないかな?」
須賀が問う。大村は何かを確かめるように、じっくりと神崎の横顔をうかがう。
「てっきり、低体温で気絶して運ばれたものだと思っていて」
「そうか」
バスケットゴールを落とした場面が流れると、自分がした所業と思えないのか、画面を食い入るように見つめていた。絹川もモニターを見ていたが、画面の反射で崎森が大村に視線をやったのが見えた。大村は小さく首を振る。
嘘はついていない。――そう伝えているのが分かった。
マネキンを破壊し、少女を人質に取った自分。さらに、アンノウンを深見と呼び、志賀と呼ばれた自分。ひととおり映像を見終わると、神崎は視線を下にやり、口を手で覆っていた。
「びっくりしちゃうわよねえ、自分が自分じゃないみたいで」
茶をすすって犬束隊長が言う。場を和ませる意図の発言に違いないが、当人は血の気の引いた顔をしていた。
「……顔が変わるのは、中村さんのピリオドですか」須賀に向き直り、神崎はまず質問を投げかけた。
「そうだ。相手の記憶から任意の感情と紐づいた人物に変身できる。左手が前世、右手が今世の記憶。君の前世が無いのなら、左手を使った中村の顔は変わらないはずだった」
神崎は口を覆っていた手を顎にやり、何事か考えている。大村が間近のオフィスチェアに腰掛け、足を組んで言った。
「ある意味では狙い通りの結果になった。……君には前世がある。でもなぜ、君にその記憶がなく検査にも引っかからないのか。考え方は幾通りもあるが、失踪したお父さんがピリオドを持っていて、それが記憶の操作に関することだと考えると筋は通る」
「俺の記憶が書き換えられているってことですか」
「『錯覚させられている』という表現のほうが正しいかな。強烈な暗示の類。ただ、完璧なものではなくて……死の危険に晒されると、志賀という男の人格が一気に前面に出てくるようだね。死の間際、あるいは死を覚悟する場面が相当に強烈に記憶に残っているせいかもしれない」
「俺が死にそうになると、志賀ってやつの前世の記憶が活性化して、暗示のピリオドを突き破った……」
「お前がピリオドを出したのも」そこで崎森が口を挟んだ。「熊岡の襲撃に遭ったのが元凶だ。あの時を思い出してみろ。何か脳裏に浮かんだりしなかったか」
記憶をたどるように神崎の視線は宙を仰ぎ、それから彼は「白い服」とこぼした。
「白い服が、なんだって?」大村は組んでいた足をもとに戻し、前かがみになる。
「白い服と、白い壁、それと、白い刀が頭に浮かんで……。気づいたらあの刀を」
「その瞬間には志賀の人格が出ていたんじゃないかな。だが直後にカナメに助けられ死の危機は去った。志賀の人格はまた引っ込んだが、彼の出したピリオドだけは残った」
「学校で受けた遡臓検査でも、同じものを見た気がしたんです。ただ、何かの見間違いじゃないかと言われて」
「学校の機器には反応した? 待ってくれ、2回目の検査とさっきの検査では何も見なかった?」
大村がぴくりと眉を動かす。神崎は小さく、それでいてしっかりと首を振った。
「印象に残るものは何も。夢も見ませんでした」
「記憶研の検査のほうが精度は格段に上だ。どうしてだろう」
眉をしかめて考えこむ大村に、犬束が微笑みかける。
「
「無意識下であり得るんですかね。精度が高すぎる弊害かな? ああ、考えれば考えるほど深まるばかりだ。……ところで神崎くん、ルーキーが見る夢ってどんなのか知ってる?」
「はい。体験したことや学んだことの整理」
「ご名答、遡臓ができる前はそれが一般的な夢の定義だった。……じゃあ、前世につながる夢を見た経験は?」
「……あります」
すっかり忘れていたが深見という名前を聞いて思い出した、と断りを入れてから神崎は話しだした。
訓練隊員のころに見た夢。窓のない部屋、視界一面が真っ白の部屋で、髪の長い女性が何度も自分に礼を言っていた。さらけ出された彼女の首めがけて白い刀を振り下ろした。
大広間で誰かを追い詰め、それがアンノウンに似た男だった。生まれ変わっても呪い殺すと言う男を滅多斬りにした。
少女が警官を連れてきた。屋内で自分は刀を持ち、少年と手をつないでいた。草むらを走り、少年をどこかに預けて一人、車で逃げた。
夜景の見える場所で襲撃に遭った。自分を追い詰めたスーツの男の名が深見だった。
「深見の名前を呼んだのは覚えています。運転中、バックミラー越しに自分の顔も見ました」
崎森は端末を繰り、神崎へ掲げた。
「この6人の中にいるか?」
神崎はしばらく画像を見、記憶を手繰り寄せようと視線を宙に
「上段の、真ん中の男に覚えがあります」
「……浄前教という宗教を聞いたことは?」
「日本史の授業で、確か」
「どこまで知ってる」
「遡臓の顕現後に新興宗教が世界中で乱立して、日本でもカルトじみた宗教が起こって……浄前教はボランティアを積極的にしていたから大衆ウケが良くて、多くの人が支持していて……でも、ほかのカルト系が問題を起こしたせいで、遡臓や前世を扱う宗教自体が後ろ指をさされるようになって下火になった、と学びました」
「両親の出身地はどこだ」
崎森は表情を変えずに質問を続ける。
「母の出身は兵庫です。父はわかりません」
「長野県を訪れたことは?」
「……記憶にある限りは、ありません」
「親族に特定の宗教を信奉している者は」
「母方の大叔父はクリスチャンです」
「新興宗教に傾倒している者はいないか」
「いないはずです。……教師とか議会議員とか、硬い職業の人が多いので」
新興宗教の信奉は、2100年代に突入した今でもあまり良く思われないのが実情だった。パブリックイメージを至上とする政治家や議員、子供と接する機会の多い教師などはその影響力から新興宗教との関わりを忌避する傾向がある。
信仰の自由を国が認めていても、社会の目が許さない。カルト宗教が引き起こした数々の事件を人々は忘れてはいない。ましてや、その時代を生きた人や当事者が生まれ変わり、当時のことを語るすべを持ち合わせている今ならばなおさらだ。
「父親と母親が知り合ったきっかけは?」
崎森は質問の手を緩めない。いささかプライベートな内容に触れていても、神崎は正直に答える。
「母が弁護士で、父の友人がDVに悩まされていて、友人の付き添いで母の事務所を訪れたと聞いています」
「父親の家族構成」
「分かりません。子供のころに一家離散したと聞いています。母も詳しくは知らないです。名前からして上に姉か兄がいる可能性はありますけれど」
神崎はそう言って、父の名を告げた。ミナガワソウジ。皆に川、物にしたごころ、次。その説明で、皆川惣次、と絹川の脳裏に漢字が浮かぶ。
「母方は、結婚するときに身辺調査したんじゃないのか」
「しました。調べても
「父親が特定の宗教にのめりこんでいた可能性は?」
「一時期それを疑ったことがあったんですが、痕跡はありませんでした。……あの、志賀って人は、浄前教の関係者ですか」
ちらりと神崎を一瞥し、崎森は自らの端末をモニターと接続した。画面に一人の男の顔が映し出される。
優しそうな顔をしている。垂れ気味の一重まぶたは細められ、薄い唇は弧を描いて微笑んでいる。頬には浅くえくぼが刻まれていて人懐こい印象を受ける。やや長めの髪は天然パーマなのか緩くカールしている。新進気鋭の芸術家と言われたら信じてしまいそうだ。
「志賀新助、浄前教の教祖とされる男だ。浄前教自体は今も存在するが、隆盛を極めたのは遡臓が一般に周知されるようになった2030年代から2040年代にかけて。2045年、長野県にある総本山近くの湖から人間の頭蓋骨が大量に見つかり大騒ぎになった。入信した信者の首を志賀が斬っていたらしい。凶器は見つかってない。本人も逮捕前に姿を
「白い刀で首を斬った?」
「話の流れからするとそうなる。お前の見た夢が前世の記憶だとするなら、志賀は深見に殺されている。場当たり的なものではなく、明確な殺意を持って、な。……呪い殺すと言い残して志賀に滅多斬りにされた奴も深見だとすれば、生まれ変わって復讐しにやってきたとも考えられる」
「俺を見たときにガラスを降らせたのは、因縁の相手がまた生まれ変わってきているから……?」
「なぜ100年近く経っているのに奴の顔が変わっていないのか、生まれ変わって姿かたちも違けりゃ記憶すらないお前をどうして志賀だと断定できたのかは疑問が残るけどな」
自分の前世は人殺しかもしれない。
酷な事実を突きつけられたにも関わらず、神崎はさほど取り乱さなかった。狼狽こそしていたが、普段通りの彼に見えた。
不安を拭い去るように犬束隊長が声をかける。
「真悟くん、あなたの前世がこの志賀さんだっていう確証はまだないわよ」
「ですが……俺がもし今日のように自我を失って誰かを襲うことがあれば」
「誰かに危害を与えてしまったら、残念ながらあなたは異能犯罪者になってしまうわね。今回は試験だったけど、実地で同じことをしてしまったら隊規違反になる。そうしたら遡臓を破壊して、記憶をいじって、何事もなかったかのようにお家に戻るでしょう」
「俺の遡臓を今のうちに破壊すれば、アンノウンは出てこなくなるんじゃないですか? 目の敵にした存在は消えるわけですし」
「そうとも言い切れないわよねえ。彼の目的が志賀さんに復讐したいだけとは、思えないのよねえ。何か別の目的があるのかも」
「別の目的?」
「ピリオドの力で世界征服とか、ピリオドを持つ人間だけの国家を作る、とかね。彼の目的が分かれば追い詰めもできるし、対処法も分かるんじゃないかしら。だとすれば、ここであなたの遡臓を破壊するのは早計だと思わない?」
「それは……」
一理ある考えだとは絹川も思った。組織として「死の危険を感じれば大量殺人鬼の前世が出てきてしまう隊員」という爆弾を抱えはする。ただ、彼が志賀という人格を御する術を身に着けるか、彼が志賀に主人格を明け渡しても対処できる体勢を整えておけば、アンノウンを引きずり出すことも可能になる。犬束は穏やかに続けた。
「
「……」
戸惑いの表情を隠せない神崎に柔和な笑みを浮かべ、犬束隊長は彼の胸を指した
「まずは、あなたの中にいるその人について知りましょう。彼がどういう人なのかを調べて、彼が出てくる条件を調べて、彼とうまく共存する方法を探しましょう。そうすればゆくゆくは、お父様が行方を晦ました理由がわかるかもしれないわね」
「……俺は、このままここにいていいんでしょうか」
「危害を与えなければあなたはあなたですもの。それに、もし志賀さんが出てきたとしても大丈夫。私たちのほうが強いから」
にっこりと笑って断言する彼女。自らの率いる隊員たちが精鋭揃いであると疑わない顔だった。
彼女をしばし見つめていた神崎は、ゆっくりと首を縦に振った。得体のしれない存在が内面に存在する恐怖や、自分が大きな歯車に組み込まれていることを理解し、覚悟を決めた顔にも見えた。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
律儀に頭を下げる彼の髪を、犬束隊長は少し皺のよった手で撫ぜた。
「しばらくは遊軍として、どの班にも所属せず人手不足のところにヘルプで入りましょう。たらい回しみたいになっちゃうけど、そのほうが色々な戦い方を見て体験できる。手っ取り早く強くなるにはうってつけ」
「分かりました」
「
「ええ」
黎明とは誰の名前だったか。モニターの向こうで一般人に紛れ市街パトロールを行っている班員たちを見やるふりをして考える。思いだすより先に、須賀が口にした。
「志賀新助の事件が発覚したころに存命だった隊員がいる。本部長の護衛も務める特級隊員なんだが、当時の記憶も鮮明だそうだ。数日後に君を訪ねてきてくれる。記録資料だけでは情報は不十分だろうから、いろいろ聞くといい。何か思い出すきっかけになるだろう」
本部長護衛の特級隊員、と聞き、一人の男の名がパッと浮かぶ。
あの人かあ。神崎くん、大丈夫かな。
ちらりと神崎をうかがう。
実直な彼は、人との対話で距離感や感情を汲み取るのが上手い。ICTOに入ってから1年と少し経つが、真面目さと誠実な姿勢は年代問わず好印象を周囲に与えている。彼に分かりやすく牙をむける者もいなければ、陰口を言うものもいない。真面目すぎる点を呆れ混じりにからかう者はいるが。
聞き上手で物覚えもよく、ノリもいい。中村同様、営業マンになっていれば大成するタイプだろう。だが対話を重んじる傾向ゆえに感情の起伏が乏しい人に苦手意識を持っているようだ。特に崎森と河野に対しては顕著に思える。
井沢隊員は決して感情を表に出さないタイプではない。むしろ感情豊かといえる。しかし、対話に重きを置く彼のコミュニケーションが井沢隊員に対して通じるかどうかは怪しい。
「井沢隊員とは初対面だろう。独特な人で最初は気圧されると思うが、臆することのないように」
「独特……」
反芻して想像を膨らませる神崎の考えを読み取ったのか、大村が苦笑交じりに補足する。
「独特というか、強烈、って感じだね」
「強烈……」
「この中じゃカナメが一番付き合い長いんじゃない? なんて説明すればいいだろうね?」
大村に促された崎森は、一瞬視線を外して考え、それから神崎の目を見て言った。
「お前とは絶対に反りが合わないタイプ」
きっぱり断言され、神崎は「えぇ……」と分かりやすく困惑の表情を浮かべた。
その夜から3日経った本日。
予定では間もなく井沢隊員が到着する。神崎は彼が最初に姿を現す管制室に待機し、そこで本田と笹岡の姿を認めるやいなや流れるように頭を下げたのだった。
多方面に迷惑をかけたと謝罪
なんでもないから大丈夫ですよう、とニコニコ笑う本田隊員にもう一度頭を下げ、担当区に向かう二人を見送る神崎の背を見ていると、ピロ、と軽快な電子音が室内に鳴り響いた。モニター右下に通知が踊る。
「井沢さんが到着したみたい」
「了解」
「緊張してるね」
「そりゃするでしょ、反りが合わないタイプが来ると思ったら。絹川さんは? 会ったことある?」
「うん。……なんていうか、その、根っこの部分は悪い人じゃないんだよ。本当に」
「……なんとなく、言いたいことは分かった」
「うん。たぶん、その認識の方向で合ってる」
顔を見合わせ、どちらともなく笑いあう。
ふう、と神崎が深呼吸をしたところで、管制室の扉が開いた。
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