#58 激昂

 本田のハンドガンには減退弾が装填されているはずだ。そうは言えど、あの距離で撃たれたら軽傷では済まない。よりによって13歳の少女を人質に取るとは。

 玉池は自らの判断の遅さに奥歯を噛んだ。視界が他者より有利であるなら、もっと早く神崎の意図するところを理解し、先手を打つべきだった。


「心配しなくても大丈夫ですよ」


 見透かしたように声をかけてきたのは、本田の上長である笹岡だった。怜悧れいりな印象を与えがちなメタフレームの眼鏡ごしの三白眼が、今はいささかの温かみをもって玉池をとらえている。


「彼女はー、あれくらいで動じる方ではありませんので」

「しかし……」

「見た目は子供ですが、度胸は人一倍ですから。ほら」


 笹岡がモニターを指し示す。銃を突きつけられている彼女は狼狽するそぶりも見せず、周囲を確認するように目を走らせている。彼女の双眸そうぼうは階下の河野と結城をとらえ、屋外からじっと隙をうかがう清水にも向けられた。


『神崎ィ、止まりな。撃ったら隊規違反だ。年端もいかない女の子に怪我ァさせんじゃないよ』


 河野と距離を置いたところに立つ結城が警告を発した。その手にはハンドガンが握られ、しっかりと照準は神崎に合わせられている。


『それともアレかい? アンタは神崎じゃない誰かなのかい?』


 重ねられた質問に神崎は答えない。

 ふー、ふーと荒い息を立て、警戒を解かず睨みをきかせている。


『……だんまり決め込まれちゃァこっちが困るんだがね。どーしたもんかねェ』

 結城の呆れ声は、駄々をこねた子供を前にした親のそれと似ていた。

『いいかい神崎、よォく聞きな。能力持ちがこんだけ揃った中で銃なんかに頼るのは悪手あくしゅでしかない。すぐに取り落とされて終わるさ』


 諭すような口ぶりは、凶悪犯に投降を呼びかけているようにも見える。

 ムキになったのか、神崎は銃口を本田のつややかな黒髪に強く当てた。河野がゆっくりと口を開く。


『撃っていいの?』


 わずかばかりのぞかせていた感情をふたたび排した彼は、冷ややかな目を向けて続ける。


『その子が捕まったのが芝居だとは思わない? わざと銃を取り落としてみせたとは考えなかった? 銃に仕掛けがないと言い切れる?』


 思考に選択肢を与える言い方だった。いくつもの可能性を提示して混乱させ、正常な判断を下せないよう仕向けている。

 誰しも、焦っているときに複数の選択肢を与えられると判断を見誤りがちになる。河野は相手に選択肢を与えながら追い詰め、ミスを誘うのが抜群に上手い。


『待った待った、ケンカ吹っかけなさんな。こちとら、お前さんに危害を与えたいワケじゃないよ』


 やれやれといったふうに結城は首を振り、おもむろに銃を下した。足元に置き、両手を上げる。指がゆるく曲がっていて、幼児がライオンの真似をするポーズに見えた。50代後半の彼がすると滑稽にさえ見える。


『ほら、よく見な。銃も置いただろ。この銃、最初の1発は閃光弾なんだ。2発目からは減退弾だけどね』


 足元の銃を顎で示しつつ結城が告げる。

 なぜそれを言った。そう言いたげに神崎の眉が歪む。


『なんで言ったか気になるかい?』ゆるく微笑むと、結城は本田と目を合わせた。『それは体験してのお楽しみ、ってとこかねェ。なあ本田』

『そうですね』


 そして、結城がゆっくりと、まばたきをひとつ。

 そこには、先ほどまでとは異なる光景が広がっていた。

 神崎に銃を突きつけられているのが結城、結城のいた位置には入れ替わるように本田が立っている。

 

『!!』


 神崎が息を飲んだ。状況を理解するより先に、結城が動く。

 不自然に指を丸めた状態で挙げた両手は、ちょうど突きつけられた銃の位置にあった。手早く銃口を掴み、もう片方の手で神崎の手首をひねり上げ、獲物を落とす。

 合間に本田はしゃがみ、素早く結城が置いていた銃を取って射撃体勢に移った。


『まァ、お前さんにしては河野相手によくやったさ』


 結城の労いの声を最後に、銃声が一発ぶん。キン、と高い音が響き渡る。

 モニター室の面々は、炸裂した閃光に目を閉じた。

 玉池だけが、光の中で何が起きているのかを目撃していた。






 *****







 事前に結城が通告してくれていたおかげで、国見は閃光が走る瞬間、とっさに目を伏せた。モニター越しの光はわずかな時間だけ部屋を真夏日の昼下がりのごとく照らした。

 こういうときでも何が起こってるか分かるのだから玉池カズのピリオドは有用だ――そう頭の隅で思い、目を細めて恐る恐るモニターを見上げた。

 神崎は銃と視覚を一瞬にして奪われた。さすがに戦意喪失しただろうと思ったが、どうやら彼の身体に居座る謎の存在はガッツに溢れるらしい。


 閃光弾を食らうやいなや、手探りでピリオドを出していた。まばゆい閃光に目をやられながらも傍らの結城に向けて刀を振るったようだが、読まれておりグラインで躱されている。正常に戻った国見の視覚は、風を伴う斬撃が、2階の手すりを真っ二つにするところを捉える。


『そんなカリカリしなさんな』


 癇癪かんしゃくを起こした子どもをあやすように、結城は後ろから神崎の両肩に手をやる。

 次の瞬間には、二人は揃って階下のフロアにおり、2階には元通りに本田が立っていた。立ち位置が入れ替わったにもかかわらず、彼女はまったく動じず神崎に照準を合わせている。

 身体にわざと自由を与えるように、結城は強く神崎の背を押した。数歩よろけた彼が振り向いて襲撃してくるのに備えるため、素早くグラインで距離を取る。


『鬼さんこちら』


 からかいの色が滲む楽しげな声色は、神崎を――正しくは、彼の中にいる誰かを――激昂させるには十分だった。振り向きざま、上から振り下ろす斬撃を一発。軽やかに浮上して避けた結城は、グラインで距離を詰めて相対し、振り下ろされた刀身に片足を乗せて動かせないようにする。


『手の鳴るほうへ』


 眼前から届く声を聞き、神崎が目を見開く。

 距離を詰めてきたのは確かに結城だったのに、いま刀に足を掛けて楽しそうに歌を口ずさんでいるのが中村だったからだろう。

 国見は表示されている映像を、素早く神崎の目線にスイッチした。ヘラヘラ、という擬音が聞こえそうなほど緊張感のない笑みを浮かべた同期は、神崎の表情を一瞥いちべつすると左手で自らの目を覆った。


『なんだよもー……そんなに怒らなくてもいいじゃん』


 顔を撫でるように中村の手は目から鼻、口へと下りていく。顎先まで手が下ろされた瞬間、神崎は息を飲んだ。

 彼の目には、中村ではない誰かが映っている。

 彫りの深い顔。外国人と見まがう、くっきりとした目鼻立ち。やや長めの黒髪。

 どこか人を見下している、冷たい瞳。


「アンノウン……」


 本部から通達の出ていた、異能犯罪者を発生させている男。姿形を変え、全国に神出鬼没に出現する謎の存在。


 これで証明された。やはり神崎には前世が存在する。

 おまけに、前世でもアンノウンと接触している。


 国見はにわかに鼓動が早くなるのを感じた。モニター室にも大なり小なり衝撃が走っているに違いない。

 中村一閃は「変身」の変異型ピリオドを有する。対象の前世、あるいは今世の記憶から任意の感情と紐づけされる人物の顔を作りだす。左手が前世の、右手が今世の記憶を司る。

 付き合ってもらっていた特訓では、しばしば左手を使ってかつての国見の父親にもらい、前世のトラウマを克服しようとしていた。今の発動で紐づけされた感情はなんだろう。「怒り」か「悲しみ」か、はたまた別の何かか。

 アンノウンの姿を認めた神崎は、般若のごとき形相で中村を怒鳴りつけた。


深見ふかみィ!!』


 足で押さえつけられた刀を引く。振り下ろされる前にアンノウンの顔をした中村が声を発した。


『相変わらずだな、志賀しが


 どこか聞き心地の良い落ち着いた声。中村の声ではない。アンノウンの――深見という男の声。神崎が、いや、志賀と呼ばれた男は驚きに声を失った。

 深見の姿をした中村が、そこで小さく手を上げた。


 2発の銃声が響き渡る。

 1発は刀を、1発は胸元を。被弾した神崎は後ろに倒れこんだ。中村が支えて身を横たえてやり、モニター室に向けて声をかける。


『どうです?』

『上々だ。……おい、ちゃんと迂闊うかつに周りを見るな』

『わかってますって。特に河野くんのことは見ないようにしていたんですから』


 崎森が淡々とした声で応じる。解け、と言われて中村は左手で再度顔を覆った。いつもの彼の顔に戻る。


『これで終了ですか?』

『ああ、お疲れ』

『中村ァ、お疲れさん。しかし、あっけないモンだねェ。やりようによっちゃもう少し粘れたろうに』

『級付けやってのエキシビションですよ? 頑張ったほうでしょ』


 結城が近づき、神崎を見下ろす。国見も中村の目線に切り替えた。減退弾で本日二度目の強制気絶をさせられた可哀想な訓練隊員の眉間には、痛みからか苦しさからか、ほんの少し皺が寄っている。

 

『アレース、終了だ』

『かしこまりました』


 須賀の指示で救護隊員が体育館内に入ってゆく。ストレッチャーで神崎は運び出され、わらわらと数体のマネキンたちが現れて破損箇所の修繕に動きはじめた。無残に切り落とされた1体のそばを通るものは、いずれも足を止めて合掌していく。


 画面の向こうで片付けが進む中、端末を取りだす。

“深見 志賀”で検索する。めぼしい結果はなし。

“志賀 刀”で検索。室町時代の志賀関という刀鍛冶がヒットした。そこまで遡る話とは思えない。

“志賀 白い刀”で検索。結果は同じ。ヒントになるものも引っかからない。


『どうして名前が分かったんです』


 端末に向けていた視線を上げる。指示を出す結城、銃の片づけを行う本田から距離を置いて中村と河野が並んでいた。こちらを――中村を見る河野の視線はいつもと変わらない。自分に向かって敬語を使っているようで新鮮に思えた。


『本部長が個別回線で教えてくれた』

『総裁と本部長はあれが誰だか知っているんですね』

『らしいね。志賀って誰、ヤバい奴? 河野くんは知ってる?』

 あっけらかんとした口調で中村は首をかしげた。

『調べました。苗字でも出てこない。“刀”と入れてもヒットしない』

 河野は自らの端末を中村にかざして見せた。

『ただ、“志賀 殺人犯”で検索したらヒットしました』

『ふうん』

『……分かってた、って顔をしていますね』

『え、この顔のどこが? 驚き顔でしょ、どう見ても』

『どうだか。……俺や崎森先輩も微妙にかぶっているんですよ、この男』

『前世が?』

『はい。あまり覚えていないですけどね、この事件自体。……かなり大騒ぎになったはずなのに』


 “志賀 殺人犯”で検索をかける。一番上に躍りでたのは、「驚愕の事件まとめ 令和編」と題されたゴシップサイト。令和といえば、およそ100年前の時代だ。

 サイトをタップする。元号が令和だった時代の主な重大事件を取り上げているサイトだった。遡臓が発見された時代も令和だったはずだ。

 目当ての事件はすぐに見つかった。


“前世の罪を洗い流す!? カルト宗教に洗脳され斬首された125人”


 おどろおどろしいタイトルの記事に目を通す。

 遡臓が出現し、前世の存在が一般的になりつつあるころ。いくつもの新興宗教が生まれ話題となった。

 手を変え思考や見方を変えて様々な教祖が現れ、崇め奉る熱狂的な信者が増え、いくつかはそれまで存在していた宗教を飲みこみ、あるいは手を組んで勢力を広げていた。

 その中で、「前世の罪をすべてゆるし、安らかに今世と来世を生きる」という理念を掲げた宗教が勢力を持ち、関東圏を中心に支持された。

 だが、信者が行方不明になることが相次いだ。宗教の総本山に警察が立ち入ったところ、本部付近の湖から大量の頭蓋骨が発見された。その数、125人分。どうやら首をで切断されたようだったが、警察の捜査の甲斐なく、凶器になりうる刃物は発見されなかったという。

 教祖の男は逃亡し警察が追跡したが、姿をくらませて今も見つかっていない。とっくに転生しているのかもしれない。


「“凶器も犯人も消えたいわくつきの事件ですが、犯人が転生しているとしたらぞっとしますね”……」


 ぽつりと読み上げる。こちらの音声が聞こえているはずがないのに、聞いていたかのようなタイミングで画面越しの河野が言った。


『“浄前教じょうぜんきょう信者大量殺人事件”。主犯の名前は、志賀新助しんすけ

『それが神崎くんの前世?』

『おそらく。もし仮に、この記事の通り125人を殺していたのが本当なら』

 一呼吸おいて、河野は続けた。その声は相も変わらず何の感情も乗っていない。

『志賀新助は、有史以来最も多くの人を手にかけた殺人犯です』


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