#57 獲物
視界の隅で、自動走行マネキンが数体こちらをうかがっている。縦横無尽にフロアを走行するプログラムが組み込まれているはずだが、モニター室の采配か、用具室の引き戸を半開きにし頭と肩口だけを出した状態でこちらの様子を探っている。
目の前から空気を切り裂く音がして、河野は意識を正面に戻した。
心臓付近めがけてまっすぐに投げられた刀の鞘を、サバイバルナイフで防ぐ。ガランガランと音を立てて床に転がるそれは、陸に打ち上げられた魚のように幾たびか跳ねて動きを止めた。
鞘の持ち主を見やる。いっときは「万事休す」と顔に書いてあるほど焦燥の色を浮かべていた。今や、まるで別人のように据わった目をしている。
そのくせ、それを覆い隠すように怖がっているフリをしている。眉は下がり呼吸は浅いが、瞳の奥に迷いがない。次にどう動くかをすでに決めている者特有の目。
何かを企んでいる。あるいは起死回生の策を有している。どちらにしても河野が取る手は変わらない。じっと目をそらさず、ゆっくりと踏みだす。距離を取りたいのか、神崎は座り込んだまま後退していく。安っぽいサスペンスドラマさながらの構図に、胸の奥がわずかに焦げついた。
『聡史くん』
イヤホン越しに、犬束の柔らかい声が届く。
「なんでしょう」
『いったん、もとに戻してあげましょう』
「戻っちゃうかもしれませんよ」
『そうならないように、聡史くんが頑張って』
「……分かりました」
ピリオドを解け。身体を自由にさせたらどう動くか観察したい。恐怖心が薄れて普段の人格が戻ってこないよう圧は加え続けろ。
柔和なトーンで覆われた命令の意図を汲み、手に持っていた二つの武器の具現を解いた。
大半の具現型能力者は、具現を解くことで効力も解ける。河野の場合はサバイバルナイフとアイスピック、双方の具現を解くことが必要だった。誰かを長時間かけて痛めつける際は、どちらかは具現した状態を保たなければならない。
たちどころに身体が温度を取り戻したはずだが、神崎は何もアクションを見せない。震えの止まった手で傍らの刀を握り、視線は河野から外さない。尻をついて後退する姿勢を正そうともせず、警戒心を抱く猫のように、ただひたすらにこちらを見、じっと距離を取り続ける。
後退する彼にペースを合わせて歩を進める。傍から見ればさぞ滑稽な光景に見えるだろう。
河野が備えつけのバスケットゴールの真下に到達したとき、神崎が動きを見せた。のそりと立ち上がると身を低くし、居合の構えを見せる。
左足を前にして刀を右脇にとり、剣先を後ろに下げるその姿勢は、手習い程度の経験がある河野には何か分かった。脇構えと呼ばれる剣道の基本の構えの一つだった。
斬撃で身体ごと真っ二つにするつもりかと思い警戒したが、神崎は刀を下から上に大きく振り上げて風を起こした。ぶお、と音を立てて旋風が巻き上がる。まともに受けたらひとたまりもなさそうな渦を伴った風は、河野の頭上、バスケットゴールと壁面をつなぎとめている部分を、強固な金具もろとも斬った。勢いを失わない風は巻き上がり、2階の窓がみしみしと揺れる。
頭上から降ってくる金属の塊を避けるべく、河野はグラインで素早く前進した。背部の射出口が破損しているせいで全力でもさほどスピードは出なかったが、直撃は免れた。
一気に距離が詰まる。神崎は読んでいたようで、近づいた河野の腕を絡め取ってひねり上げた。
勝機を掴んだと希望を持ったであろう彼に、冷や水を浴びせる。
「まさか、手にしか具現できない……なんて思ってないよね?」
途端に、河野の背後に音もなくサバイバルナイフが現れ、鋭い切っ先を神崎に向けたまま飛び出していく。ミスリードを誘う目的で常に手に持って戦っていたが、一定範囲内であればどこにでも具現できる。何なら、神崎の背後から一撃食らわせてもよかった。
神崎の右前腕をかすめたナイフは刀で切り伏せられる。続けざまにアイスピックを神崎の頭上から右腿めがけて落とした。しかし、鋭敏な第六感が危機を察知したのか、急速度で落下を見せるそれを見切り、彼は
お返しとばかりに眼球めがけて突き出される。背を反らして躱すも、頬をピックの先端がわずかに掠めた。速度も相まって鋭い痛みが走る。初めて一撃を食らった。
見切られる可能性は考慮していたが、即座に反撃に転じるとは予想しておらず、かすかに虚を突かれた。
態勢を立て直すのに一歩下がれば、シュウウと空気が噴射する音が響き、足元に煙が漂いはじめる。最大出力の煙幕が瞬く間にフロアを包む。気体の流れに乗じて神崎は身をくらませた。
風向きで位置を探ろうと白煙の流れを見る。相手もそれを察して細かな方向転換を加えているようで正確な位置までは掴みきれない。
ちらりと窓の外に目を向けた。狙撃手1名――背格好からして本田だろう――が位置取りを変えるべく動きだした。
窓沿いに1人、内部に1人。俺ならそう指示する。
思考を読まれたように、2階の一角から静かに誰かが進入したのが分かった。
*****
『また煙幕かよ。だっる』
『医療道具はその場に置いて上で待機。神崎から目ェ離しなさんな。……本田、中に入っといで』
『了解。2階南東側で待機します』
『私は動かないでおきます』
『構いやしない。そこならどこにいても一発だろ』
けだるげな声をあげつつも中村は天井付近まで浮上した。素早く2階に身を隠した本田は狙撃できる体勢で必死に目を凝らしている。彼女の目には一面真っ白な世界が広がっていて、とても狙いを定めるどころではないはずだ。ステージ袖からフロアをうかがう結城も、気持ちばかり眉をしかめている。
唯一外で待機している清水は、スコープ越しに動きを見せるものがないか神経を研ぎ澄ませている。
玉池は各人の立ち位置を確認すると、隣の遠山にタブレットを差しだした。体育館の平時の画像を表示させ、彼のタブレットに映る真っ白な視界と見比べ、手早く4人の現在地を伝える。
「神崎さんの位置、中央から西よりですかね。この緑のラインのあたり。河野さんは倒れたバスケットゴールらへんにいます。中村さんはこの線の真上に浮上中、本田さんはここ、結城さんはこっち」
玉池が指さした位置と現況を眺め、遠山は各人に声をかけていく。
「中村くん、右に5m動けば神崎くんの真上だ。天井までの距離は12m。結城さん、2時の方角向いてください。……そう、そこからまっすぐ15mです。本田さん、11時の方角に直線距離で24m30cm。清水さん、向きは合っていますからもう10cm下げてください」
全員が指示通り動くと、完全に神崎は包囲された。
密閉された空間で煙幕はしばらく効果を発揮する。河野は瓦礫と化したバスケットゴールに背をあずけて目を閉じ、聴覚に神経を集中させているように見えた。
煙幕に乗じて動きを見せたのは控えていたマネキンたちだ。おのおの自由にフロアを動き回りはじめた。ガシャンガシャンと特有の足音を立てるのもあれば、足裏に内蔵されたローラーで音を立てずにふらふら動くものもある。
全員に状況を伝えるべく、玉池は平時の画像に丸をつけてモニターに表示した。
「赤丸が神崎さんの現在地です。青は河野さん、緑は控え組です。マネキンが3体動き回っています。神崎さんはしゃがんで動きがありません」
「何かを待っているのかー、万策尽きたのかー……」笹岡がぽつりとつぶやいた。「囲まれていることには気づいていますか?」
「はい。たぶん、全員の位置もざっくり把握しているようです。3人が動いたとき、何かに気づいたように動きを止めて、目を走らせていました」
「ふぅん」
笹岡は片眉を上げた。通常の神崎ならばここまで距離のある相手、しかも複数人の気配をたどることは難しいことを知ったうえでの反応に見えた。
犬束と崎森を盗み見る。両名ともにタブレットに目線を落としている。崎森はいつもの――松川の言う「何を考えているか分かりづらくて外で見かけたら職質されそうな顔」をしており、犬束隊長もまた、いつものようにわずかに笑みを浮かべて画面を見ている。
この二人は煙幕が張られていてもくっきりはっきり何が起きているか見えているのでは。そう思ってしまうほど、二人は落ち着き払っている。
神崎が動きを見せた。そっと立ち上がり、一方向を見つめる。漂う白煙がうねり、姿を変える。煙の動きで何者かが近づいているのを察知したらしかった。
彼の目線カメラに切り替える。左手からマネキンが1体、彼の前に躍り出た。ローラーで動き回っているそれは、神崎を認めると「こんなところに人が!?」と言わんばかりに肩をびくつかせる。なんとも人間らしい反応だった。
だが、マネキンを見るやいなや神崎は素早くその首を掴んだ。そこには
マネキンが抵抗を見せる。振りほどこうと両手をバタつかせると、あろうことか彼は抜刀し、両腕の肘から下を切り落とした。
ゴトリ。
腕がフロアに落ち、鈍い音を立てる。中村と結城は銃を抜き、本田はトリガーに指をかけた。
神崎は、暴れ続けるマネキンの膝から下を一太刀で切り捨てる。
うわ、と思わず声が出た。ほかの面々も同じアングルの映像を見ていたようで、いつも陽気な東條でさえ眉をしかめている。
「ダルマにするなんて、むごいことしよるな」
「今ので1体、行動不能です。煙幕はあと数分この状態でしょう。排煙しますか」
須賀は犬束と祓川に向って問いかける。しかし、返ってきたのは兵藤の声だった。
『続行しよう。ただ、何かあれば君の判断で排煙してくれて構わない』
「了解」
『玉池隊員、誰かに危害が及びそうになったら速やかに知らせてくれるかな』
「もちろんです」
四肢を失ったマネキンは動きを止めた。神崎はさらにその上腕を切り落とし、腰から下も落とした。そのたびにフロアにいやな音が響く。中村と結城は何が起きているのか予測できているのだろう、眉をひそめていた。河野は表情一つ変えず、目を閉じたままでいる。
上半身だけとなったマネキンは片腕で掲げられるほど軽くなった。
これがもし、生身の人間だったら。
ふと及んだ考えに背筋が冷たくなる。
マネキンを眼前に突きだすようにして神崎はグラインを起動し、一直線に河野の居場所へ動いた。河野は気配を察して迎撃態勢を取る。
河野の目線に切り替える。全速力の移動で周囲の煙幕が風を切って薄まったが、白い
けれども、その攻撃はすんでのところで
隊員は一般人への被害を最小限にとどめることを叩き込まれている。彼の判断は正解だ。むしろ、あのスピードでよく間に合ったと玉池は驚嘆した。
常に冷静で
マネキンの胸部から、刃が生えてきた。
『あんのバカタレ……!!』
別室の矢代の声が耳に届く。
マネキンごと刀で貫き、河野を刺しにかかった。
回避行動を取ったがさすがに避けきることはかなわず、切れ味の鋭い日本刀はたやすく河野の上腕を隊服ごと裂き、肌に赤い線が引かれ血がほとばしった。
距離を取った河野は神崎の左右後方から二つの武器を具現し、同時に狙う。
どちらかは当たるだろう、当たってくれ、という玉池の希望にも似た思惑はあっさり破れる。
サバイバルナイフはマネキンを盾に、アイスピックを素早く抜き去った刀で凌ぐと、神崎は足元に叩き落としたアイスピックを拾い、河野に投擲し返した。
人差し指と中指で刃先を挟んで止めた河野の瞳には、怒りの色がにじんでいた。反撃を受けたことにではなく、本来なら攻撃対象外であるマネキンに易々と手を上げ、あげく盾代わりに使った行動に対しての怒りであることは明白だった。
マネキンに突き刺さったサバイバルナイフが消え、河野の手中におさまる。
彼の目線には左手で刀を持ち、だらりと脱力してこちらを見つめる神崎が、白い膜がかって映っている。一見隙だらけに見えるが、なんとも言えない近寄りがたさがあった。何をしでかすかわからない怖さにも似たそれは、玉池の恐怖心をくすぐる。
いつもの神崎とはまるで別人。まるで、どころではない。頭のてっぺんからつま先まで、まったく違う誰かだった。その目はじっとこちらを――河野を見据えている。
ただ見ているだけにも見えた。何か、どこか別の場所に意識を集中しているようにも見えた。煙幕のせいで河野はそのわずかな機微に気づいていないようだった。
河野がサバイバルナイフを投げる。神崎は鞘と足で無造作にマネキンを拾い上げ、眼前に放った。国見と初めて対峙したときに看板をひっかけたのと同じやり方であったが、それがかえって玉池の胸をざわめかせた。別人だと思っていたのに、まさか同一人物なのかと疑いが湧く。
ナイフはマネキンの頭部に突き刺さる寸前で消え、河野の手に戻る。マネキンに当てまいとナイフに意識を傾けた一瞬をついて神崎は後退し、煙幕にふたたび身を隠した。河野も後を追う。だが、進んだ先に彼の姿はない。忽然と姿を消していた。
チッ、と河野が舌打ちをひとつ。玉池は彼の思考を理解し、はじかれたようにタブレットに飛びつき、フロアの映像ごしに大声を上げた。
「本田さん、右だ!!」
本田隊員が言われるがまま首を向けるより早く、2階の手すりに立つ神崎が刀を振り下ろし、彼女の狙撃銃を真っ二つにした。襲撃を理解した彼女は飛びのき、ハンドガンを構えるも、力加減のない蹴りを食らい取り落としてしまう。
「アレース、緊急排煙」
『かしこまりました』
「清水さん、2時の方角、60度右、20cm上!」
須賀と遠山の指示が飛ぶ。見越したように神崎は本田の華奢な体を掴み起こして射線上に突き出した。玉池はフロアにいる全員に向け、声を張り上げる。
「撃つな! 本田さんが射線上に出されてる!」
ごうごうと音を立ててフロアの煙が吸い上げられていく。
本田の頭に銃口を突き付ける神崎の姿が、モニターに大写しになった。
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