#55 侵食

 エッジを残して黒にコーティングされたサバイバルナイフはブレードだけで20cm以上あり、支給品よりも長い。ハーフセレーション半波刃の先は鋭く尖っていて、一突きで相手を仕留めることも容易いだろう。

 大村も、河野がピリオドを使う場面を久々に見た。最後に見た記憶を辿ろうと頭を働かせるが、いつだか思い出せない。もしかすると、神崎が入隊してからは実地で出していないかもしれなかった。


「思い切りのいい子ですね」

 宗像が言った。河野を評しているのかと視線を向けると、穏やかさをたたえた瞳が見返す。

「訓練を積んだ人間が銃を撃ってくるのに正面から切り込むなんて肝が据わっている。当たらない自信がなければできない芸当です。さすがは元祓川隊」

 一切の他意のない彼の褒め言葉に、祓川は微笑み謙遜してみせた。

「彼の努力の賜物でしょう」

「一番若い班長さんでしたっけ。おいくつです?」

「今年で22になります。神崎隊員は19歳」大村が情報を付すと、彼はへえ、とも、ふうん、ともつかない声を上げた。

「同じ具現型で、ともに刃物を扱う。どう戦うのか楽しみですねェ」

「ナイフだけではありませんよ」


 祓川がやんわりと添える。宗像は不思議そうに片眉を上げた。タブレットをっていた兵藤がげんを継ぐ。


「もう一つある」柔和な笑みを浮かべて兵藤は続けた。「二つあるから厄介なんだ」

「どういう意味です?」

「映像だけでは分からないかもしれないね」

 そう言って兵藤は視線をタブレットに戻す。説明してくれと言わんばかりに宗像は大村を見た。彼の言う通り、あの能力は見た方が分かりやすい。

「折を見てご説明します」

「ちぇー」


 自分だけが知らない状況にへそを曲げた宗像だったが、河野が神崎とのつばぜり合いを制して身を屈めた瞬間、その右手に現れたものを見るなり「おっ」と興味深そうな声を出した。





 *****






 ――班長の能力は崎森さんのと近い。

 ――ただ、喰らうと厄介だ。


 国見の助言が脳内を駆ける。現れたサバイバルナイフを刀で受け止めると、頭は「いかにして攻撃を食らわないか」を探りはじめた。

 河野はこちらの意図など気にもせず、グラインの動力を上げた。崎森がかつて模擬練で見せたものと同じ。瞬間的に大きな推進力で押され、競り負ける。身体がよろめきを見せると、すかさずサバイバルナイフで刀をいなされた。河野は姿勢を低くし、右手をわずかに引く。


 ――もう一本持っている。


 左手が鞘を引き、眼前に構える。ほぼ同時に河野は右手を動かした。シュウ、とグラインの音が響く。推進力を伴って突き出されたそれは左耳をかすめた。刺すような痛みが走る。

 咄嗟に鞘を手放し、突き出された右手を掴む。派手な音を立てて鞘が転がる。内側に捻り込もうと全力で引き倒しにかかったが、河野はものともせずに体勢を変えた。容赦のない蹴りが飛んできて、刀を持つ右手にクリーンヒットする。

 体術ではかなわないと悟り、彼が体勢を整える前にグラインの出力を上げて横をすり抜ける。取り落としたハンドガンは階段の踊り場に落ちていた。彼を狙うべく、拾い上げて胸もとに構える。

 息遣いが乱れている。大して動いていないのに、全力でダッシュしたような息苦しさを覚えた。河野の姿は壁にはばまれて見えない。


 近づくべきか、と思った。だが身体は一歩も動けなかった。その場にいるのを強いられているかのように、足が床に根を張って動かない。本能的な恐怖が身体を包んでいた。銃も当たらない、近接格闘でも敵わない。脳内でサイレンが鳴り響く。

 呼吸はどんどん浅くなっていく。河野は壁に身を隠したまま姿を見せない。階段を上り彼を追いつめるか、降りて1階に逃げるか。選択肢が与えられているのに脳が決断を拒む。どちらを取っても追いつめられる。ほんのわずか刃を交わしただけなのに、直感が危険を告げている。


 刹那、総毛立つ寒気が左半身を覆った。毛穴という毛穴が開き、危険を知らせる。微かに揺れて照準の定まらない銃口を階下に向ける。

 カツ、カツ。

 足音が響く。ゆっくりとした足取りで、階下から河野が姿を現した。連絡通路か窓を使って1階に降り立っていた。その左手にはサバイバルナイフが、右手には先ほど神崎の左耳をかすったもの――長針のアイスピックが握られている。

 恐怖心に耐えきれず、指が勝手にトリガーを引いた。彼の足元、20cmほどずれた場所に着弾する。河野はいっさい動かなかった。


「……この距離で外すなら、持たない方がマシじゃない?」


 温度を感じさせない声。冷気を纏った瞳。這いあがる寒気に足がすくむ。左耳から流れ出る血が首筋を伝う。

 右手のアイスピックに視線が行った。サバイバルナイフとほとんど変わらない長さだ。身体を動かすタイミングが違えば、今ごろ耳にピアスホールが空いていたに違いない。

 喰らえば厄介と国見は言っていたが、今のところ異常は見られない。時間が経ってから効果を発揮するのか、かすり傷では発動しないのか。

 こちらがどう出るのかを河野は見ている。というよりも、こちらが動かない限りは河野も動くつもりはないようだった。無言のうちに数秒、視線が交錯する。


 一定の時間はもらえるはずだ。すぐに倒されはしない。だったら、最初のうちに攻撃を食らって彼の能力を探ればいい。

 竦んだ足を叱咤し、銃をホルダーに収納する。手が震えてうまく納まらなかったが、河野はそのさまをじっと見ていた。

 ふと、その瞳が誰かと重なった。誰だろう。どこかで見たような。河野ではない誰か。いったい誰で、いつの記憶だっただろう。思考を振り払い、神崎は静かに刀を抜いた。






 *****






「狩られる前の草食動物みてえな顔してんなあ」

 憐れんだ永田に、吉沼が「そりゃあねえ」と調子を合わせた。

「模擬練で班長たちと手合わせしたって、しょせん『模擬』でしかないから」

「でも河野班長、今度は動かないですね」絹川の疑問に、永田は伸びをして答えた。

「脅しと牽制でしょ。極限までビビらせて本性を見る、的な。やっぱり崎森さんの後輩なだけあるわ、やり方が一緒だもん。良くも悪くも意地わりィ」

「あ、また悪口言った。告げ口しますよ」

「やめてよマジで」


 すぐさま悲壮な顔をして乞う永田に思わず笑ってしまう。中村といい永田といい、何かにつけて崎森に悪事がバレてお灸を据えられがちだ。中村には模擬練、永田には膨大な量の雑用といった形で示されるそれは、幸か不幸か彼らが優秀な戦闘員、優秀な管制担当となる礎にもなっている。


 神崎は意を決した表情でグラインを起動させ、一気に階下に辿り着き刀を振るった。勢いに乗った斬撃は風を伴い壁に傷をつけるが、河野は見切って躱した。

 彼は左手でサバイバルナイフを器用に回し逆手に持ち替え、アイスピックを投擲する。神崎は鞘でアイスピックは防いだが、斬りかかってくるナイフは防げなかった。鋭い切っ先が、今度は彼の右腕を裂く。


 河野の戦う姿は絹川にも新鮮に見えた。彼が実地で動くことは少ない。

 彼の指揮下の国見や土佐、山口はいずれも実戦経験が長い。宮沢みやざわくるみ1級隊員などは次期班長候補として有望視されており、河野の代わりに指揮を執ることもある。

 河野班において不安要素たるのは経験の浅い村上むらかみ涼太りょうた3級隊員と異動してきたばかりの内堀うちぼりつよし管制担当だが、村上には清水狙撃手がサポートに入っており、河野は内堀以上に状況把握に優れる。


「神崎くん、配属はどの班でしょうねえ」

 絹川の頭に浮かんだ問いを、高崎が先に口にした。私も同じことを思っていましたよ、という意を込めて彼の目を見るも、通じなかったようでキョトンとされる。

「能力と適性からすれば、崎森班か笹岡班だね」 矢代がモニターから目を離さず言った。

崎森班ウチだと、玉池くんを狙撃手に回す感じですか?」

「そうなる。笹岡班なら、近距離は手塚と伊東じゃまだ手薄。もう一人、近距離ができる子を入れてもいい」

「なんだ、ウチじゃねえんだ」

須賀班アンタんとこは三澤に中倉、小平までいるでしょーがッ」

「そりゃそうですけど。崎森班は若い人ばっかじゃん。矢代さんとこも若い風を入れたほうがいいんじゃないっすか」

「余計なお世話!」


 ぴしゃりと言いきられ、永田は肩をすくめて笑った。絹川の脳は各班の隊員の年齢を思い出しはじめる。管制担当は業務の一環で隊員の個人データを見る機会が多く、自然と年次や年齢も頭に入っていた。

 矢代班の平均年齢は第1中隊内で最も高い。最年少は17歳の春日美晴2級隊員で、その次は20代後半の柳橋やなぎばし桃香ももか3級隊員になる。30代は高崎・吉沼・矢代・東條がおり、谷田部やたべ亮子りょうこ2級隊員は40代後半、最年長の島名しまなひろし2級隊員は還暦間際だったと記憶している。

 対して最も若いのが崎森班だ。最年長の岡崎おかざき辰哉たつや狙撃手が40代後半、次いで木島きじま飛鳥あすか1級隊員が間もなく40代といった年のころ。木島と崎森は10歳離れていて、中村は松川と同い年だから今年で26歳になる。新山にいやまみさき3級隊員は春日隊員と同じく17歳、最年少が玉池の14歳だ。ここに19歳の神崎が加われば1歳ばかり平均年齢が下がる。

 そうは言えど、班が若いのが良いわけでもない。若く体力があるのだからと他県の応援に飛ばされやすくなる。若手の多い班への転属を渋る者もいるくらいだ。


「お、また入った」


 高崎が感心の声を上げた。その声には格闘技の試合をテレビ中継で見ているような気楽さが漂っていた。

 距離を取って刀で戦うのに有利な状況を作りたい神崎の目論見もくろみをあざ笑うかのように、河野はするりと距離を詰めて細かい攻撃を重ねていく。彼の動きは実にしなやかで、猫が障害物まみれの床を悠々と歩く姿を彷彿とさせる。

 彼は自分の身体がどう動くかを熟知しているように見えた。グラインは意思と直結するかのように動き、空中であろうとグラインを使っていようと完璧に己の身体をコントロールできている。確実に相手に届く攻撃を瞬時の判断で取捨選択する姿に無駄はない。

 追いつめられている神崎の腕には切り傷がいくつかついていた。すべてがサバイバルナイフによるものだろう、10か所近くはある。河野の手加減でかすり傷程度に収まってはいるが、ぽたりぽたりと血が床に落ちていて痛々しい。一つ一つの攻撃を見切ろうと最大限努力しているのはうかがえるが、身体がついていっていない。積み重なった疲労がのしかかり、二撃三撃と続く河野の攻撃を躱すのも覚束おぼつかない。


「そろそろだね」


 ぽつりと矢代がつぶやく。時計を確認すれば、二人が交戦してから5分が経過していた。

 画面の向こう、二人に見えない位置で控えている結城が、視界にいる本田狙撃手にハンドサインを送った。小柄な彼女は静かに移動を始める。


「私、河野さんのピリオドをしっかり見るのは初めてかも」

 ぽつりと零すと、永田が「マジで?」と驚きの声を上げた。

「てっきり知ってるもんだと思ってた。どんなのかは知ってんの?」

「松川さんに聞きました」

「なんて聞いてる?」ちらりと矢代がこちらを見た。松川がの言葉をそのまま口にする。

「『じわじわと相手をいたぶるのにぴったりな力』」

「言うねえ」わずかに彼女の表情が緩んだ。「でも、的を射た表現ではある」


 けほ、と咳きこむ声が聞こえ、絹川はモニターを仰いだ。

 神崎が肩を大きく上下させ、苦悶の表情を浮かべ荒く呼吸をする姿が映っていた。


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