#54 臨戦
校庭に足を踏み入れたところで雨に降られた。地鳴りに似た雷鳴に急かされる。用具入れと
防水仕様の制服は雨を弾き、生地の上でゆるやかな弧を描いては跳ねていく。校舎に辿り着き、
どの入り口を選ぶか。1階から入るか、浮上して上階を選ぶか。窓を割るか、音もなく忍び入るか。
正面入り口で待ち伏せされていたら。上階の、自分が選んだ場所のすぐ近くにいたら。窓を割った音で近寄られたら。かすかな気配を感じ取られていたら。こうして考え込んでいる間に雨音に乗じて背後を取られていたら――。思わず周囲を見渡す。人の気配も、姿もない。
一つの選択肢を選ぼうとすれば最悪の予想が一つ浮かぶ。国見や小平との対峙ではここまで考えなかった。屋外で視界も開けた場所だったから、いくらでも策を講じられた。
屋内、学校という空間。物が多ければ刀の可動域は
いや、待て。及び腰になってどうする。
心中の自分がストップをかける。
中村は「腕試し」と言っていた。こちらの限界を見極めるためだとも。力量に差はあれ、即座に仕留められる可能性は低いのではないか。じっくりと追い詰めて冷静さを失わせ、無我夢中になったときにおのずと出てくる本性を見られる。それが自分であれ、自分ではない誰かであれ。
そう考えれば、初手に足を竦ませていても意味がない。対峙しないと始まらない。
意を決し、頭上を振り仰いだ。雨どいを伝って浮上し、最上階のベランダに降り立つ。静かに室内を窺う。大きなグランドピアノが置いてあり、壁には音楽家の肖像画と音楽史の年表が貼られている。いずれも状態は古く、ところどころは黄ばみ、剥がれかけている。
室内につながるガラスをスライドさせた。鍵はかかっていない。銃を構え、
待ち構えていたかのように、スピーカーからチャイムが鳴った。気を取られるも、すぐに警戒を取り戻す。単調なリズムの音が鳴り響く中、屋内を見渡す。誰もいない。机と椅子は等間隔に並べられている。掲示物を見る限り、この建物が現代のものではないのは明らかだった。住宅街の家々はいずれも現代様式だったが、この学校は違う。意図的にそうしたのか、フィールドの展開上そうなったのかは分からない。
木目調の床も、牧歌的な歌詞が綴られた校歌の掲示も、照明のスイッチ一つを取ってみても神崎には新鮮だった。歴史の教科書や過去を懐かしむ番組でしか見たことのない光景が広がっている。自分には覚えがなく、一部の人にはなじみ深いであろう光景。
入り口へと歩を進める。引き戸は存外にも大きな音を立ててスライドしたが、
河野はどこにいるだろう。正面入り口から入って1階で待ち構えているか、上がってきているか。
彼の人となりを詳しくは知らない。常に冷静、指示は明確、表情は分かりづらいが礼儀正しい人間は嫌いではない。そういう表面上のことしか知らない。
ただ、新入隊員を待ち受ける立場である彼ならば、この建物には堂々と入り口から入りそうだと思った。根拠はないが、あながち間違ってもいないと思っている。だから距離を取って室内の状況を確認すべく最上階を選んだ。
河野を狙うなら銃で足を潰す。教室もそう広くなく、廊下の幅も3人が横並びに立てるほどしかない。グラインを使うには
長い廊下を歩き、一つ一つの教室に目を走らせる。黒板には英文が白のチョークで書かれている。手前の教室は等間隔に机と椅子が並んでいたが、次の教室では椅子が机の上に置かれ、後ろに下げられていた。その次の教室は、椅子も机もない。
男子トイレと女子トイレを挟み、さらに教室が二つ。片方はロの字に机が配置され、もう片方はまた等間隔に並べられていた。教室の中にもつれこめば、ナイフか銃でないと苦戦しそうだった。各教室の出入り口は前方と後方の引き戸、室内で身を隠せるのは隅にある灰色の用具入れのみ。
反対側まで辿りつき、警戒しつつ階段を降りる。踊り場に差しかかり、そっと階下を見下ろす。誰もいないのを確認し、2階に到達する。
階段を降りてすぐ右に、3階にはなかった連絡通路があった。まっすぐ進めば体育館へ、右へ曲がれば渡り廊下を通じて別棟へ。別棟は3階建てで、増築されたのか今いる本校舎よりも新しい。渡り廊下を中央に左右に1部屋ずつの構造だった。
目線を戻し、廊下の先をうかがおうと首を回す。
ちょうどそこで、反対方向の階段から黒い影が姿を現した。身体がびくつき、隠れるか逡巡する。だが、向こうがこちらを視認するのが早かった。
あまりにも普通で、それこそ登校した学生が気だるげに階段を上ってくるがごとくだった。視線がかち合う。
撃つにしても、射程が遠くて当たらないかもしれない――。
思考が渦巻く。どう出よう。どう出てくる。トリガーに指をかけ、狙いを定める。
彼はこちらを見、ゆっくりと右手を腿に持って行った。
*****
「あー、疲れたァ」
誰もいない控室で国見はつぶやいた。だるさの残る足をなんとか引きずりベンチに寝転がる。横向きに寝そべって頬杖をつき、モニターを眺めた。
三つ連なる大型のモニターには待機組4名の目線カメラ、そして河野と神崎の目線カメラ、室内の防犯カメラの映像が表示されていた。
狙撃手2名は別棟と職員駐車場付近で待機、結城は1階で状況把握につとめ、中村は屋上で雨をものともせず
指示を出しているのは4名の中で最もキャリアの長い結城だ。
『中村ァ、別にバレても構やしないさ。すぐ入れる場所にいな』
『はいよー』
『本田、清水の位置はなるべく固定する。状況見て位置取り考えなさいよ』
『分かりました』
神崎の目線カメラに目を移す。河野がガンホルダーから銃を抜き、無造作に床に
『須賀さん、回線繋いでもらえます?』
『了解。こちらの通信はいったん切る』
『分かりました』
須賀と短いやり取りを交わしたのち、河野は神崎へ声をかけた。
『聞こえる? 聞こえたら返事して』
視界が僅かにぶれる。神崎が銃を構えた状態で耳に手をやったのが分かった。
『はい、聞こえます』
やや緊張ぎみの声が返ってくる。モニター室との通信を切断する代わりに、河野と神崎の回線を繋いだらしかった。こうも激しい雨が降っていれば通信なしでは声を相当張らねばならない。河野が声を張るシーンを、国見は久しく見ていない。
『俺は、ナイフも銃も使わないから』
『はい』
神崎の声は落ち着いていた。河野が武器を手放したところで劣勢が揺らがないのを分かっている声音だった。国見の予想では、0%だった彼の勝ち目が、ハンデによって0.5%になった程度だ。
訓練を終えたばかりの新入隊員と、入隊してすぐに1級を拝命したキャリア組。赤子の手をひねるどころではない。やっと歩き始めた幼児と横綱が相撲を取るレベルに近い。普段の神崎のままであれば。
自身との対峙で見せた、彼ではない別の誰か。左利きで、容赦なしに人の首を斬ることを選ぶ人間。彼、あるいは彼女が今度はどう出るか見ものだった。河野が負けるとは
国見は河野との模擬練で勝利を収めたことはない。勝てると思ったこともない。厄介なその能力は何度喰らえど身体が適応できず、初めて手合わせしたあとは数日寝込んでしまい、かえって彼に心配をかけてしまった。
型通りの戦い方が通用しない相手に、どう動いてみせるのか。せめて自分に勝利したのだから、20分は粘って欲しいところだが。
後輩と上司、どちらの側に立つか考えあぐねているところで耳元から声が飛んだ。
『国見ィ! アンタ終わったからってだらしなくしてるんじゃないよッ! ちゃんとアイシングしときなッ!』
部屋の隅の防犯カメラを見る。矢代が管制室から見ているらしい。母親然とした注意に苦笑し、カメラに向かって軽く会釈をした。彼女の差し金か、自動走行マネキンがアイシング用具を持って部屋に入ってくる。受け取る隙に、二人はまた言葉を交わした。
『じゃあ、始めようか』
『……よろしくお願いします』
律儀に応対する後輩に笑みが零れる。性格というより、持って生まれた性分だろう。
画面の中では河野がグラインを起動させ、全速で向かっていった。神崎は距離を詰められた途端にトリガーを続けざまに引く。
身体を起こし、アイシングバッグを足に当てた。ふたたびモニターに目をやったときには、廊下に点々と蛍光カラーが花を咲かせていた。
照準を合わせるよりも先に回避行動を取られる。銃に不慣れな人間がどう撃ってくるかを理解している動きだった。
わずかな、ほんの一呼吸か二呼吸の間に両者の距離は詰まる。河野の左足が弧を描き、銃を弾き飛ばした。顔をしかめ、神崎は腰に手をやる。白い刀を引き抜く。蹴りの勢いで綺麗に空中で一回転した河野は、振り向きざまに能力を発動した。
左手に握られたサバイバルナイフが白い刀身と刃を交えた。金属がぶつかり合う鈍い音が響き、窓の外では閃光が弾け、雷鳴が鳴り響いた。
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