#53 休憩
うっすらと目を開いた。射しこむ光の眩しさにやられ、すぐ閉じてしまう。背中に熱を感じた。湿気を孕んだ空気に、雨が降る直前特有のにおい。外にいる。ごつごつとした感触はアスファルトだ。寝かされていると気づき、ゆっくり起き上がった。
額から何かが滑り落ちる。濡れタオルが当てられていた。日差しは強烈で、通り沿いの家のガラスに反射した光が目を刺激する。ごしごしと目を擦る。
今は級付けの途中で、国見と一対一でやりあって、どうしたんだっけ。
「やっほー」
「中村さん? どうしてここに」
緩いテンションの彼に、状況を飲み込めない。国見はどこだろう。視線を彷徨わせると、塀にもたれるように座りこんでいる姿が見えた。こちらに気づくと彼は軽く手を上げた。
中村は神崎の右手首を取り、何かの機器をはめた。次いでペンライトを取りだし、「光るよ」と言うが早いか、目の前に
「指の動き、追って」
眼前に人差し指が立てられた。上下左右に動くのを眼球の動きだけで追う。
部活でバランスを崩し後頭部から転んだ際も顧問が同じことをした。ぼんやりと思い返すうち、意識を失う直前の記憶が蘇ってくる。
無我夢中で動いていた。どうにかして国見に勝ちたいという思いが強く、身体が勝手に動いた。追いつめられているときの心がひりつく感覚には懐かしさも覚えた。今世の記憶ではないのは確かだと思える。
ピロリ。軽い電子音が鳴ると、手首のそれを中村は一瞥した。
「ぜんぜん大丈夫だな」
「俺、撃たれたんですよね」
「ゴム弾と減退弾で。痛む?」
「動きに支障が出るほどではないです」
ゴム弾は強度の弱いものを使ったのだろう。バランスこそ崩されたが、さほど痛みは残っていない。
「なら良かった。はい、右手グーにして力入れて」
手早く機械を外され、制服をまくり上げられる。慣れた手つきで血管のありかを確認され、アルコール消毒が施される。
「ちょっと血ィもらうわ。あとカンフル剤みたいなやつ打つから」
「え、あ、はい」
言われるがまま頷く。懐から細い注射針を2本取り出した中村は、まず
機械が止まるまでのあいだに中村は状況を説明した。国見の生命に危険が及びそうだったので控え隊員が介入した。よって国見は失格。減退弾の効果はまもなく切れる。見たところ異常はないが、念のため簡易な血液検査をしている。
「パッチは外すから」
「被弾したのに、ですか」
「級付けはここまで。ここからは腕試しタイム」
「腕試し?」
腕と腿のパッチが外される。検査機器のアラームが鳴った。表示された結果を見、中村は「はい、問題なし」と告げた。マネキンが一式を回収して屋内に戻っていく。
「追いつめられてからの動きは目覚ましかったな。その記憶はある?」
「断片的に。……夢中だったからか、ぼんやりとしていて」
「なるほどねえ」意味ありげな笑みを浮かべつつ、中村は続ける。「追いつめられると力を発揮するタイプは多い。極限まで追い込まれてピリオドが進化するヤツもいる。君の能力は発展途上だが、かなり有用。底力を見極めて能力を開花させるために、河野くんと一騎打ちしてもらおう、って話になった」
「……一騎打ち、ですか」
「パッチは外すし、装備もここで一新する。河野くんにはハンデも課される。食らいつけば本部配属も夢じゃない。……それに、アンノウンに深く関係してるだろ。何かの手掛かりを掴んだり、思い出すかもしれない。それも狙いらしい。……拒否権はあるけど、どうする? 体力的に辛いのは承知してる。それに、100
高い気温と国見との交戦で大幅に削られ、頭には
しかし、河野のピリオドを見てみたい気もあった。具現型と聞いているが、どんな能力か。自分とどれほどの差があり、彼はどう戦うか。あの鉄仮面は戦闘でも同じなのか。
特級隊員との交戦は、そう機会があるものではない。松川との模擬練は、彼女のピリオド披露のため手加減されていた。崎森と手合わせをしてまったく歯が立たなかったのも記憶に新しい。死の危険を感じれば自分の第六感は研ぎ澄まされるのでは。いつの日かに夢で見た深見という男の正体を思い出すことができるのではないか。
「……やらせてください」
自然と口が動いた。中村は口角を上げる。
「言うと思った」
自動走行マネキンが数体、両腕に武器を抱えて歩いてきた。ハンドガンやショットガン、ナイフも種類は多岐に渡る。
「好きなのどーぞ。何丁でもいい。弾はゴム弾かペイント弾、ナイフは実地と同じもの」
説明を加えながら、中村はマネキンからグラインのバッテリーを受け取り、神崎のそれを取り換えてくれた。自分でやろうとするも、「じっとしてろ」とたしなめられる。
「薬液は疲労回復に効果がある。河野くんは準備運動中。体力をある程度回復させてから来いってさ」
「分かりました」
「身体に異常は?」
「疲労の倦怠感があるくらいです」
離れた場所で座っていた国見が、おもむろに立ち上がり塀伝いに歩いてきた。足を引きずっているあたり、彼もだいぶ疲弊している。目の下のクマがいっそう濃く見えた。近くまで来ると彼はずるずると座りこんだ。立っているのも辛いのだろう。頭を下げる。
「ありがとうございました」
「こっちこそありがとう。いろいろ吹っ切れた」
「吹っ切れた?」
国見は前世の記憶とイップスの症状について手短に話した。思うところはあったが気持ちの区切りになったとも添えられる。
「もう少しやれたかもしれない。でも、これが俺の現在地ってことで。……神崎、2級はもらえんじゃない? 先輩になっちまうな」
「いえ、介入がなければ斬撃を見切られて終わりでした。国見さんは動きに無駄がないし早いしで、ぜんぜん反撃できなかった」
「5年以上いれば嫌でも進歩する。……班長とは? やったことあんの?」
「ありますが、ピリオドは見ていません。実地も俺が入隊してからここまでは……」
「河野くんが出るまでもなく、って感じだったな」
中村が継いだ言葉に頷く。自らの班が優秀であると暗に褒められた国見は、心なしか顔つきが穏やかになった。
「班長の能力は崎森さんのと近い」
「武器の形状が、ですか」
「それもあるし、使い方も。ただ、喰らうと厄介だ。……これくらいは教えてもいいよな」
国見は中村を仰ぎ見た。さあどうでしょう、と言わんばかりに中村は首をすくめ両手をあげる。
「あれは体感するのが一番でしょ」
銃は同じものを1丁だけ携行する。ガンホルダーも新しいものを受け取り、付け直した。ナイフもいくつか取り、動きの邪魔にならない場所に収納した。ふたたび水分補給をし、立ち上がって全身の
注入された薬液が効果を発揮したのか、だるさは抜け、思考にかかっていた靄も消えていた。即効性に驚きを隠せずにいると、顔に出ていたようで中村が補足した。
「あ、打ったのはもちろん合法のブツだから安心して。救助で使われるやつ、習ったろ」
「はい。……中村さんは、医療関係の経験があるんですか」
ふと気になった。訓練でもあらかたの救命法を叩きこまれたが、注射までは学ばなかった。刺された痛みもなく、腕が立つと見受けられる。
「非合法なやつで慣れてるからさ」
にっこりと笑みを浮かべて注射器を腕に打ち込む仕草を見せる彼。ドラッグ、という単語が浮かんで表情が固まる。
「嘘つけ。お前の前世、医者だろ」
国見が
気を取り直してハンドガンを数発試し撃ちする。狙い通りにはいかず、修正が必要だった。刀を振るったことによる疲れが出ている。至近距離なら当てられそうではあるが、過信できない。拳を握り、開く動作を繰り返す。握力は落ちてはいない。起きぬけには感じていた痺れも遠のいた。
「もう大丈夫です。行けます」
中村は右耳に手をやった。何事かやりとりを交わし、こちらに向きなおる。
「行っていいってさ。俺はまた近くから見てるから。死にそうになったら助ける」
「ありがとうございます、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
国見が手を振った。彼にも一礼し、グラインを起動させて小学校を目指す。向かう先は厚い雲が立ち込め、ゴロゴロと雷鳴が轟いていた。
*****
「追い詰めるっていうのは、どこまでです?」
河野は両手首をぶらぶらと揺らしながらモニター室に問う。そうだな、と応じたのは崎森だ。
『全治1か月くらいまでなら、まあ』
「骨は?」
『ダメだ』
「分かりました」
『ジョー、大丈夫? ちゃんと手加減できる?』
「松川さんよりはできますけど」
『なんだとー』
『河野、できるだけ長くモニタリングの時間を取りたい』須賀が言い置く。
「何分あればいいですか?」
『少なくとも15分』
「了解」
校舎へと足を向ける。3階建ての建物はさほど大きくなく、田舎の学校と形容するにふさわしい古さを
額に雫が当たり、そっと手で拭う。大粒の雫が地面に水玉を描きはじめる。校庭の砂は色を変え、湿った匂いが強まった。雷鳴が近くで音を立てる。強いにわか雨になりそうだ。
正面玄関から中に入る。目の前には「職員室」と掲示があった。トロフィーの並んだ棚の脇に、緑色の公衆電話。その鮮やかな緑は、味気ない空間に映えていた。
平成の時代。子どもたちが端末を持つようになる前。プレイステーションが隆盛を迎えていたころ。テレフォンカードがどこにでも売っていて、インターネットもまだ発達していなかった。あの頃は、どこの学校にも一台は公衆電話が置かれていた。
過去の記憶を引っ張りだそうとする。ざあざあと雨が勢いを増し始める。
鐘が鳴った。スピーカーを通し、辺り一帯に聞こえるくらいの音量で。鍵盤ハーモニカでこの音階を弾いて遊んでいた記憶がよみがえる。唾液の混じったチューブの匂いと、空色のバッグに書かれていたかつての自分の名も。
一音一音が長いチャイムは、戦闘開始のゴングにしてはあまりに間が抜けている。
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