#52 光明

 神崎を横たえた拍子に国見の足も悲鳴を上げた。長時間の酷使に音を上げて力を失い、へたり込む。そっと手を当ててみる。負荷をかけられたモーターのように熱を持っていた。じわじわと痛みが湧き上がってくる。

 アスファルトに照り返す熱気が相まって、意識が薄ぼんやりとしてきた。熱中症になりかけている。グラインをオートモードに切り替えて日陰までなんとか移動する。中村は神崎を抱え起こして同じ場所に移動させた。仰向けに寝かされた新人は、一向に目を覚ます気配はない。


「ほい」


 冷えたボトルを投げ渡され、一気に飲み干した。身体が落ち着きを取り戻していく。近くの民家から駆けだしてきた自動走行マネキンからアイシングバッグを手渡される。マネキンは新しいボトルを数本置き、空になったものを回収して屋内に戻っていった。


 中村は神崎の額にマネキンが持ってきた濡れタオルを置き、通信を交わしている。

「みっちゃんも清水さんも、結城さんとこ行っていいよー」

 国見も右耳に手をやり、河野に告げた。「国見、リタイアです」

『見てた』

「すみません、新人相手に」


 思ったよりも意気消沈した声が出て自分でも驚く。年若い上司も感じていたのか、わずかにを置いてから話した。


『巻き返しは悪くなかった。終わったら具体的に話す。あとは中村隊員の指示に従って離脱。足の状態は医療スタッフに見てもらうこと』

「……了解です」


 回線が切れ、小さくため息をつく。あれほどの覚悟で挑んでも、上手く立ち回ることはできなかった。


「溜め息つくと幸せが逃げるぞ」


 ひと通りの処置を終えた中村が隣に胡坐あぐらをかいた。ちらりと横を見る。彼との差も実感させられる。かたや3級に降格し、イップスに悩まされている。かたや2級から順調に昇格し、今では崎森班の切り込み隊長を務めている。


「もう逃げてる」新しいボトルを手に取り、やけになって飲んだ。

「近接格闘に持ちこんで目立った負傷がないのはプラス評価だと思うけど」

「失格になりゃ世話ねえよ。小平がやられた時点で望みは薄い」

「まあ、今回は無理でも次はどうにかなるんじゃん?」


 軽いノリで笑いかける同期。彼が揺り戻しに苦しむ自分に辛抱強く付き合ってくれたおかげで「自分を操作する」能力を開拓できた。それに、彼のピリオドもイップス克服に一役買ってくれた。

 だが、目指す場所には到達できなかった。別人のように動きを変えた神崎に畏怖の念を抱きつつ奮起したといえど、また図体が大きく威圧的な男性相手に動きが止まってしまったら。嫌な気分が脳裏をかすめる。


「国見は」中村は、神崎に目をやったまま口を開いた。「生まれ変わりたくなかった?」

 普段の様子とは一転して真面目な口調だった。真剣な話だと理解し、逡巡して口を開く。

「思い出すまでは、生まれ変わるのは楽しいことだと思ってたよ」


 なんとなく知っている昔の出来事、なんとなく知っている風景、なんとなく覚えている学校のルール。虐待の記憶が蘇るまで、生まれ変わりは面白いものだった。

 お前はどうなんだ、と顎をしゃくって促す。緩い笑いが返ってくる。


「俺はまぁ、4回目だし。そういうもんだと思ってる」

「ピリオドを出したのは今回が初めて?」

「いいや。でも、当時はICTOここの発足前だったから」


 隣の男が自らを語るのは珍しい。正直に話すのは、なお珍しい。それに驚きを覚えていることが悟られないよう水を向ける。


「嫌な記憶を思い出すこと、あるか」

「あるねえ。3回目はずいぶん苦労した」

「克服できた?」

「思い出す頻度を減らしていった感じ。忘れることはなかったな。……楽しい記憶を積み重ねたよ。嫌な記憶を思い出すのはたいがい、気持ちが落ちてるときだろ。だったら落とさないようにすりゃいい」


 お前がいつも軽いノリで楽しげなのは、前世の記憶を思い出したくないからか?

 浮かんだ疑問は口に出さなかった。聞いても、はぐらかされるに決まっている。代わりに、「俺はどうすればいいと思う?」という言葉が口をついて出た。


「中年オヤジが怒鳴っているのを見ると足がすくむ。双子を見ると無意識にイライラする。楽しそうな小学生を見るとしんどい。長く生きられなかった、楽しめなかった、できなかった……ないものねだりの自分が嫌になる」


 葛藤、混乱、執着。前世のおかげで人間の苦しみは増えた。前世を苦にして自殺する者、糧にする者、成功する者とさまざまだ。自分がゆっくりと破滅に向かっている気がする。なんとも言えない焦燥がくすぶっている。

 仕事をすれば変わるか。子どもを持てば考えが変わるか。たまに考える。しかし、前世の両親と同じ立場になっても、理解しようとも許そうとも思えない。

 過ぎ去ったことだと割り切れればどんなに良いか。忘れてしまえればどれほど楽か。忘れたい、思い出したくないと思えば思うほど、あの日の自分が袖を引く。


「ないものねだり、ねえ。あるものが増えれば少しは変わるかもな」

 能天気な声が返ってくる。

「あるもの?」

「長生きして、めちゃくちゃ人生楽しんで、人助けしまくれば? やりたいことやって自然に自分を癒すのが一番」

「自分を癒す……」

 きらりとボトルに日光が反射し、光った。中村は大きく伸びをする。

「フラッシュバックするのは、自分が納得してないからなんだと。前世でできなかったことを今世でしてやると、心の中にいる前世の自分が納得して思い出す頻度が減るってわけ。……前世の国見少年は? 何がしたかった?」

 頭の中に問いが浮かぶ。何をしたかったか。どうして欲しかったのか。

「……ゲームを、気が済むまでしたかったかな」

「あとは?」

「普通に……和やかに飯を食いたかった」


 ひとたび口を開くと、自分を恨みがましく見ていた前世の己が泣きじゃくりはじめた。お母さんの作ったお弁当が食べたかった。テストで良い点を取ったら褒めて欲しかった。甘やかして欲しかった。わがままを言いたかった。

 そのどれも、今世で両親が叶えてくれた。だが、そのあとに記憶を思い出した。胸の内に住む前世の自分は家族との温かな経験を一度もしていない。


「賑やかにメシ食いたけりゃ呼べよ。永田と小平、カズに神崎、松川と絹。そんだけいりゃイヤでも賑やかになる」


 騒がしくなりそうな面々に顔が綻ぶ。

 イップスの克服までにはまだ時間がかかる。ただ、出口の見えないトンネルを歩いているような不安は消えていた。この一戦で得た経験と成功が光になった気がする。

 神崎がここまで自分を追い詰めなければ死にもの狂いの覚悟を決めることもなかった。敗戦は悔しいが、意味のある負けだったと思うことにする。

 だしぬけに、あ、と中村が発した。


「なんだよ」

「通信つながったまま喋ってたけど、大丈夫?」

「……」


 疲労ですっかり失念していた。モニター室の面々に筒抜けだった。ちらりと中村をみやれば、どこか楽しげに見える。そうだ、こいつはそういう奴だった。天を仰いで大きくため息をつく。


「なんかもう、どうでもよくなったわ」


 あれほどまで隠しておきたかった過去。克服できるかもしれないという希望が見えた今は、不思議と気にならなかった。中村は面白そうに言う。


「東條さんあたり、ねだったらゲーム買ってくれんじゃね?」

「マジ? 東條さーん、あとでお小遣いちょうだい」

 手でメガホンを作り、声を張る。モニター室からの音声が国見の通信とつながった。

『アホ、台無しやわ。言わんかったら渡したんに』


 東條の呆れ声に肩を揺らして笑った。そして深く深呼吸をし、呼吸を整えてから須賀の名を呼んだ。


「須賀さん」

『お疲れ様。どうした』

「……俺が戦っていたのは、いったい誰でしょう?」


 クニミサン、ナニイッテルンデスカー。カンザキデスヨー。

 中村は神崎の手を取って脈をはかりながら、能天気な裏声でアテレコを始めた。






 *****






 視界の端に狙撃手2名が見えた。結城ほど近づいては来ないが、狙撃しやすいポイントを見極めて散っていく。

 ブランコを漕ぐのをやめる。河野の視線は相変わらず端末に落ちている。中村の目線カメラが神崎の様子を映していて、脈拍に体温、瞳孔の開き具合を手際よく確認した。目を覚ますまで、あと数分。


『先に、君の所見を聞かせてくれるか』


 須賀にしては控えめの声だが、それなりの音量で鼓膜に響いた。ゆらゆらとブランコに揺られていた身体は、徐々に振り幅を小さくしていく。


『……利き腕』

『うん?』

 彼の過去を知っているからか、須賀の声音には父親然とした優しさが滲んでいる。

『小平と二人で木から落ちた神崎を追いつめたときや、建物の廊下であと一歩のところまで行ったとき。それに、さっきの住宅街でも。無意識に左手を使う場面が多かった』


 実践が長いこともあり、彼は細かいところまで気づいていた。小平はそこまで気が回らなかったろう。この分析能力は場数を踏むことでしか掴めない。


 国見・小平の両名に銃で狙われた際、神崎は左手でナイフを抜いて小平に投擲とうてきした。そのナイフはまっすぐ小平の胸元に届いた。

 練熟した隊員でも利き手と逆の手で投擲すれば狙いは外れやすい。訓練期間1年の隊員はなおさらだ。けれども、神崎のナイフは寸分たがわず小平の胸元に届いた。


 幼稚園の教室に潜み、両名を待ち伏せした際は左手に銃を持ち、外の様子をうかがいながらわずかにナイフホルダーをずらした。に。

 住宅街で国見と対峙したときも、無意識に左手で刀を握る場面が多かった。国見が最初にピリオドをかけた坂道で、彼は逃れるべく道沿いにあった看板をほうったが、そこでは右手で刀を抜いていた。

 短時間で利き手が代わる人間など存在しない。二人に追いつめられた時点で神崎には異変が生じていた。


『決定打になったのは、最後の……やられる間際の刀の出し方』


 振られた刃をグラインで浮き上がって回避した国見は、神崎の腕を塀に叩きつけるように蹴りを入れた。刀は塀にめり込み、抜けないかと思われた。だが神崎は右手を振りあげ、その手には刀がふたたび具現されていた。

 

『練度が低いうちは、具現物を取り落とすと無意識に目で追うでしょう』


 具現型は自在に具現物を出し入れできる。国見は好きなタイミングでコントローラを表出させるし、崎森は離れた場所にいる相手の眼前に針を突きつけることができる。むろん河野も、自身の具現物を意のままに表出できる。

 意識と想像はピリオドの力を大きく左右する。部下の指導をする松川が口を酸っぱくして「想像力」と言うのは、ここに由来する。たとえ手に持っていた具現物を落としたとしても、自身の想像力と思考さえ及べば手に具現させなおすことも可能だ。


 河野が入隊した当初、崎森が例を見せてくれた。大村の眼鏡を手にし、ハンドガンでレンズを撃ち抜いた。「フレームを曲げるくらいでいいのに」と隣に立つ大村は苦笑いしていた。河野がじっと崎森の手中にある眼鏡を見ていると、まばたきのあいだにそれは消えた。地面に落ちた細かな破片までも、だ。

 はっとして大村に視線をうつせば、彼は何事もなかったように眼鏡をかけて微笑んでいた。そのレンズにはヒビのひとつも入っていなかった。「こういうこと。習得にはコツがあるんだけど、知ってる?」と得意げに言う彼に、どう返すべきか悩んだのを覚えている。


 表出して間もない者は、そうはいかない。具現物を落とせばその方向を見、「落ちている」ことを認識してしまう。ゆえに、「拾いに行く」という無駄な作業が生じる。

 考えて対処できるものではない。ピリオドを何度も使い、模擬練を繰り返すことで会得する。手から離れても間髪入れずに再度表出させることができるまで、最低でも1年はかかる。


 訓練期間中、神崎は会得できなかったと聞いている。映像を見てもその気配はなかった。刀を落とされると視線がそちらに向き、隙を突かれて仕留められる。なのに先ほどは、左手の刀をすぐに意識の外に放り出し、右手に表出させた。

 他にも気になる点はある。刀身の長い刀をわざわざ逆手持ちしたこと。中倉の教えていない格闘術に、急所を狙ったナイフ術を鞘のみで躱した手腕。どれをとっても新人の動きではない。国見はそれらにも言及した。


『あとは、目が全然違いました。本当に殺すつもりで来ていた。多重人格なのかと思いましたが、そこまでは掴めず』


 言い終えた国見は小さく頭を下げた。須賀はそこで、神崎にかかっている疑義について説明をした。ピリオドをかけられている状態か、原発性解離性同一性障害か、まったく違う原因があるのか。国見は腕を組んで考えこんでいる。


『先に説明しておけば良かったかな』

『いえ、事前に言われていたらかえって意識したと思います。……このあとはどうするんですか』国見は神崎を見やった。『右腿の刺し傷、かなり深いですよ。班長まで辿り着くのは無理でしょう』

『評価は固まっている。ここからは、エキシビションマッチだ』


 須賀が言うのとほぼ同時に、画面に映る神崎のまぶたがピクリと動いた。

 静止したブランコから降り、河野は大きく伸びをする。


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