#51 解離
自分が目にしている人物は誰か、絹川は理解できなかった。
国見の目線カメラに映った神崎は、自分の知る彼ではない。同い年の自分にも礼儀正しく、中村に技をかけられても怒るどころかモーションの綺麗さに感嘆し、崎森に話しかけるときは少しだけ緊張した顔になる彼ではない、誰か。
こっそりと周りの面々に目をやる。何かに気付いた表情をしている者はいない。
国見は引き倒した胸元に突き立てるべくナイフを振り下ろした。神崎は身を返して避け、国見の目線は下がる。
右足に、神崎の両足が絡みついていた。左足は右腿を踏みつけ、右足は
神崎が左足で強く腿を押し、右足を引いた。無理やり膝が伸ばされて足を掬われ、国見は倒れ込む。
「中倉さんの教えじゃねえな。独学か?」
脇で永田がひとりごちた。
国見が体勢を戻す
距離を詰め、国見はナイフを振った。頸動脈、肺、心臓、足の太い血管。急所を狙いすました攻撃が繰り出されるが、その全てを神崎は右手に持つ鞘で受けた。どこを狙われているか理解しているような滑らかな防御を見せる。
ふいに彼は刀を手で回し、
異常を察知した国見の指がコマンドを描く。だが神崎の右手が先に動いた。鞘を横一文字にし、喉を狙う。片手の動作にも関わらず
――国見さんが危ない。
焦燥が全身を駆け巡った。絹川の意が
*****
『清水、減退弾の使用を許可する。本田は距離を詰めろ』
須賀の指示が飛んだ。いつもの陽気さはなく緊迫感を帯びている。了解、と短い応答ののち、画面の向こうにいる清水はすばやく弾を装填し直し、本田は移動を開始する。殺傷能力の低いゴム弾ではなく、減退弾――被弾すれば対象を気絶させ、一時的にピリオドを使えなくする弾――の使用が許可されるのは、そうあることではない。
大村は顎に手をやり考える。再び、須賀の指示が耳に入った。
『本田は獲物を、清水は神崎だ。国見は中村に任せる』
至近に控えている中村は「はーい、わかりましたァ」とやる気のない声を上げているが、視線は両名からそらさない。
大村は一度目を閉じ、再び開いた。途端に、神崎と国見の頭上に単語が浮かびあがる。それらはフラッシュのように
『殺気の立つ鼠やなあ』東條の声が響いた。『さっきの、近接格闘で習います?』
『いや』水を向けられたのは中倉だった。『似た技は教えたが、これは教えてない』
『独学なん? にしちゃあ手慣れてんなあ』
塀に打ち付けられた国見が動きを見せた。神崎の右足を蹴って拘束を逃れ、距離を取る。
『興味深いのはー……長物の太刀を逆手で持ったことですかねえー……』
ぽつりと笹岡が漏らした言葉の意を汲めず、大村はモニター室を映している画面を見た。玉池も首を小さく傾げている。彼に向かって笹岡は続けた。
『短刀や小太刀は、逆手持ちだと抜刀が早くなると言われています。忍者はよく逆手持ちしてますしねえ。ただ、彼の日本刀ほど長尺のものだとー、あの握り方はメリットがありません。国見隊員をメッタ刺しにする意図があったなら別ですがー……』
松川が同意を示した。
『剣道経験者ならこうはしない。カンカンの性格からして、土壇場で新技試すこともなさそう。ハリスンもそう思うよね』
『ああ』須賀は何事か考えている素振りだった。
その様子を見ていた正面の祓川が、静かに告げた。
「検証してみましょうか」
その言葉に、須賀と崎森が小さく頷いた。
「しかしまあ、骨のある子ですねェ」
隣の宗像は身を乗り出さんばかりに画面に食いついている。
そうだね、と兵藤が穏やかに笑んで引き取る。「普通の子なら、引き倒された時点で負けていた」
大村も同感だった。倒された時点で神崎の負けは確定したとばかり思っていて、彼が反撃を見せたときには「嘘だ」という気持ちと、「やはり」という気持ちがないまぜになっていた。
彼に対して感じていた違和感。前世のない彼が所有する二つのピリオド。二度の検査でも前世は確認できなかった。
考えうるケースはいくつかある。検査機器が反応を見せないほどうっすらとした記憶である。生まれ変わりまでに数百年を経ており検知が難しい。記憶を封じる、あるいはそれに類似するピリオドをかけられている。そして、解離性同一性障害である。
大村は「ピリオドをかけられている状態」と「解離性同一性障害」を疑っていた。前者であれば失踪した父親によるものだ。検査機器の目をかいくぐり、本人の記憶も操作しているなら相当に強大といえる。いっぽうの、解離性同一性障害――多重人格は、神崎の中に長年潜んでいた別人格が、異能犯罪者との遭遇により目覚めたケースが考えられた。
大村が前世を生きていたころ、多重人格は「何かの強いショックから逃避するために脳が新しい人格を作り出す」という認識だった。現代でも大半の例がそれだ。しかし遡臓の顕現以降、ごく稀に生まれつき複数の人格を有する者もいる。
すなわち、一人の人間の身体に二人以上の人間の前世記憶が備わっている。普通であれば、人間は前世の記憶に今世の記憶を積み重ねていく、記憶同士には線引きがなされ、どれが前世の記憶かをぼんやり理解できる。幼少時には記憶同士を混同しやすいが、成長につれて線引きははっきりとしていく。
対して、複数の人格が同居している者――原発性多重人格者は記憶が混じりやすい。主人格Aの前世と交代人格Bの前世はしばしば混同される。
現代の遡臓検査では交代人格の前世までは辿れない。神崎真悟が原発性多重人格であり、主人格が「前世を持たないルーキー」であれば、交代人格は2つ以上あって、一つは日本刀のピリオドを、もう一つは第六感のピリオドを持っていることになる。
この説なら、二つのピリオドを有すること、前世がないにもかかわらずピリオドを表出したことに説明がつく。
とはいえ、不可解な点はいくつかある。犬束・崎森・須賀の3名に説明した際にも指摘を受けた。第六感と刀のピリオドは同時に使用ができる。二つの異なる人格が同時に身体を操ることが可能なのか疑わしい。何より、多重人格者に見られがちな行動や傾向――記憶の混同や
とすればやはり、父親のピリオドが何らかの形で作用している。催眠術か、機械を欺く能力か、何かを錯覚させる能力か。
この級付けで彼を窮地に追い込めば何かが得られるのでは。生命が危険に
大村の目算は上層部に上申され受理され、幸か不幸か予想通りの様相を呈している。追いつめられた神崎は、別人が乗り移ったかのような戦いをしはじめた。
「
祓川がそう言うと、手元から綴じられた紙束を取り出して配った。紙で渡すということは、回収される可能性がある――大村は即座に理解した。
祓川隊副隊長・井沢
資料には、簡潔で端的な報告が綴られている。宗像が笑い混じりに言った。意味ありげな笑いだった。
「へえ、こりゃまた難儀な人」
「ご存知ですか」
「この年代に生きていた人の間では有名ですよォ。刀と関連があるとは思いませんでしたが」
白い刀と関係のある人間。
神崎真悟は前世を持っており、この人の生まれ変わりなのか。だとすれば。
「そうだとすれば、危険だね」
兵藤が穏やかな声音で言った。彼の目線は、国見を殺さんばかりの勢いで追いつめる神崎に注がれている。
*****
――やべえ。足がもう限界だ。
呼吸をするたび喉奥がひりつく。足が重い。動きが徐々に鈍くなっている。グラインで逃げるにしても、浮上を繰り返したせいでバッテリー残量が少ない。
一歩、また一歩と後退する。太刀筋を読み、斬撃を避けるだけで精一杯だった。リーチが違い過ぎて近づくこともままならない。
神崎は右足こそ
まるで別人。目に温度はなく、コマンドを打ち込まれたロボットよろしく無機質に狙ってくる。その冷たさがかつての父に重なり、足が止まりかける。根性と死への恐怖が、国見を突き動かしていた。
あの日から、なにもかもに苦しめられている。不意に浮き沈みしては自分を追いつめる記憶。異能犯罪者に相対する日々。身体が固まってしまう瞬間の感覚。過去の記憶に縛られている惨めさ。何もかもが怖い。自分が前世の搾りかすのように思えた。
無心に日本刀を振る彼は知っているだろうか。いきなり殴られる理不尽を。機嫌をうかがって行動するたびに背を伝う冷たい汗の温度を。遊びの計画を立てる級友の脇をすり抜け、底のすり減った靴でアスファルトの固さを感じながら夕食の段取りを考えるときの感情を。
同じような死を辿った人は何人いる? 生まれ変わり、その記憶に苦しめられている人は? 何人がピリオドを出すだろう。何人が、道を踏み外して異能犯罪者になるだろう。
暴力と虐待は連鎖する。強大な力を手に入れた弱者は虐げた強者に復讐するか、さらに弱い者を支配する。
国見は幸運だった。ピリオドを悪用せずに済んだのも、こうして守る立場にいられるのも巡り合わせでしかない。一つでも歯車が食い違っていれば、コントローラを使って誰かを車の行き交う道に飛び込ませていた。
同じ境遇で苦しむ人々が道を踏み外そうとしたら、止めたい。そう思ってICTOに身を置いた。
萎縮する必要はない。きっとやれる。あの頃とは違う。
神崎が突きを繰りだす。首を傾け、避ける。身体が左に傾き、咄嗟に左手をつく。右手を蹴られる。コントローラが宙に舞い、二の振りで粉々に砕かれる。無温の目がこちらを見下ろす。
殺される――。本能が警鐘を鳴らした。だが、鋭い眼光で睨み返す。こんなところで死んでたまるか。
返す刀が横に振られる。上半身と下半身が分断される――反射的に右手指を素早く動かし、残る手足で地面を勢いよく押した。背部と脚部のグラインが最大射出で身体を浮かせた。モモンガのごとく大の字に浮き上がる。
神崎の振りは
すばやく動力を切り真正面に着地する。相手は丸腰。今度こそ。ホルダーをまさぐり、ナイフの感触を指が感じた瞬間。
神崎が右手を振り上げた。その手には、塀にめり込んだはずの日本刀が握られていた。塀を見やる。刀は消えている。
練度の低い彼が、ふたたび右手に刀を具現できるはずがない。
――首を斬られる。
死を予感した。だが、心よりも先に身体が動いた。ナイフを抜き取り、防御の構えを取り、歯を食いしばる。
軌道を予測してナイフを
「
鋭い声が頭上から上がった。
タン、と発射音が響き、日本刀が弾け飛ぶ。刀身の真ん中で真っ二つに折れたそれは、次いだ着弾で手から零れて塀の向こうに飛んでいった。威力からして、そう近い距離からの狙撃ではない。
神崎が銃声のした方を向く。その視線の鋭さは狩りをするライオンが獲物を探るそれに近かった。
すると、別方向から連続して3発の弾が彼を襲った。バランスを崩され、膝から崩れ落ちた彼を国見は慌てて抱えた。着弾箇所を確認する。両の膝裏に2発、右手に1発。狙撃方向を見るも、スナイパーの姿は確認できない。視認できない距離から膝裏ど真ん中に当てられる狙撃手。心当たりは1人しかいない。
右手の着弾箇所に触れると、かすかに電流が走った。実地で使う減退弾が使われるとは。ゆっくりと神崎の身体を地面に横たえてやる。その身体に影がさした。塀の上に立っている射撃命令の主を振り仰ぐ。
「10分くらいで目ェ覚ますよ」
手をひらひら振る同期の声には、緊張感のきの字もない。張り詰めていたものが一気にほどけ、国見は大きな溜め息をついた。
「……もう少しやれた」
「分かってる。でも、ルールはルールですから」
待機組が戦闘へ介入する。それは無条件で、選抜組隊員の失格を指す。
アレースの声が、電柱に取りつけられたスピーカーから響き渡った。
『介入を確認。国見隊員、終了です』
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