#50 窮鼠

 角から国見が飛び出してきたとき、神崎は「見切れる」と思った。右手にナイフを持っているのが見え、銃はホルダーにしまわれている。近距離ならこちらに分がある。落ち着いて対処すれば、刀でナイフを落とし、胸元に致命傷を食らわせられる。

 しかし、彼が想定を超えるスピードで――グラインをもってしても桁外れなほどだった――こちらに近づいてきた。これまでの比ではなく、須賀の瞬間移動に近い。身体が反応するよりも先に、彼が間合いに入り込んできた。


 胸元に一撃、という言葉が脳をかすめる。左手が瞬時にホルダーをまさぐり、銃を構えた。トリガーに指をかけた瞬間、国見はさらに加速した。グラインのモーターが唸る音。発射したペイント弾はアスファルトに花を咲かせる。彼の移動速度の方が上だった。寒気が全身を襲う。まずい。


「利き足もらった!」


 彼は高らかに宣言し、刃を右腿に突き立てた。ゴム製と言えど、かなりの勢いで叩きつけられて鈍い痛みが走る。刀の柄で彼の手ごとはたき落とす。すんでのところで動脈は避けたが、勢いからしてかなり深い。


『神崎隊員、負傷。部位、右大腿部。活動を制限します』


 パッチが飛んできて腿を覆う。途端に、どくどくと血があふれる感覚と焼けつくような痛みが襲いかかる。顔をしかめ、足を踏ん張って正面から横に刀を振るった。まとわりつくぬるい空気ごとぶった切る。

 確実に間合いの範囲内だったが刀は空を切った。胸元で振るった太刀を、即座にしゃがんで回避された。

 形勢逆転。後方に距離を取るも、国見は加速し、距離を詰めてくる。

 返す刀でもう一太刀浴びせようとすれば、彼は右手の銃で刃を受け、つばぜり合いの様相を呈した。


 互いににらみ合う。膂力りょりょくはこちらが上。だが、前に出した右足は踏ん張りがきかない。左手の銃を彼に向けた瞬間、右腿を激痛が襲った。容赦なく蹴りを食らわせてきた。

 足を庇おうと左手が反射的に出かける。そこを狙われ、今度は左手に鈍痛が走った。コントローラで銃が弾かれ、乾いた音とともにアスファルトに転がる。


「……!! このッ」


 勢いに任せて国見の銃を薙ぎ払う。彼は簡単にそれを手放した。銃身に傷がつき仕様が困難なのを悟ったか、最初から捨てる目的だったのか。ともあれ、互いに刀かナイフのみとなった。ふたたび後方に最大射出で距離を取る。国見は臆せず追ってくる。

 近距離戦が苦手な国見が銃を捨てるなら勝機はこちらにある。数分前までなら、そう思えた。今は違う。窮地に陥っているのは明らかに自分の方だ。


 利き足を負傷し、自走は難しい。血が流れる感覚は止まない。動き回れば失血死判定になる。グラインで移動するにも、追尾から逃れられるとは思えない。何より、彼の動きは開始当初のそれとはまったく違う。まるで別人のような――

 合点がいったときには、国見がナイフを右手に構えてこちらに向かってきた。


 ――待て、まだだ。


 自分を律する。引きつけて、相手が間合いに入った瞬間を狙え。

 正眼の構えを取り、呼吸を整える。

 一足一刀の間合い。一歩踏み込めば相手に打突が届き、一歩下がれば相手の打突を避けられる距離。策があるのか捨て身なのか、国見はナイフを構えてまっすぐに進んでくる。グラインを使わず自らの足で走ってきているが、やはり普段の彼の脚力でなせるスピードとは思えない。


 ――自分で自分の足を操っている。


 現に、コントローラは左手に出しっぱなしで、右手一本で銃とナイフを繰り、かつグラインを操作していた。陸上選手並みのスピードにグラインの推進力を重ねれば、爆発的な機動力が生まれる。

 刀を突きだす。喉元を狙った突きは、国見が急後退したことで届かなかった。動きを読まれた。型通りに動いたせいで、痛む右足がわずかに前に出る。

 ナイフで切っ先がいなされ、勢いも殺される。彼の顔、右脇すれすれを刃が通る。再度つばぜり合い状態になった。

 ここからどうする。頭が高速で回転を始める。

 そこで神崎の右足は悲鳴を上げ、視界が一転した。






 *****






 小さく息をつく。手ずから操っているとはいえ、運動能力自体が向上したわけではない。無理やりに早く動かしている。中村との特訓後、しばしば筋肉痛に見舞われた。少しずつ使用時間を延ばしてきた。

 機動力のおかげで足を潰せた。切れ味の鋭い刀をまともに受けた銃は早々に見切りをつけてほうる。有用な武器も、使えなければただの荷物でしかない。

 後ろに下がっていく神崎を追う。やはり行動がワンパターンだ。模擬練での彼の動きを何度か見ていたが、不利な状況では刀の間合いを確保するために距離を取る傾向にあるのは掴んでいた。

 前方に敵がいるなら後方に。後ろを取られれば前に。基本に忠実、意を返せば短絡的。動きを読むのは容易く、次の行動が読みやすい。


 吸った空気が喉を震わせる。喘鳴に似た音が喉の奥に響く。飲み込み、せき込むのを防いだ。息が上がるのが早い。高い気温で体力の消耗が激しい。

 まだやれる。叱咤するように左手がコントローラを操作し、ひとりでに足がアスファルトを蹴る。


 忌避してきた近接格闘で、自分より体躯たいくの大きな相手にじゅうぶんに戦えることが示せれば、昇格が見送りとなっても希望は持てる。これまでのように自分に失望しなくて済む。違う人間として生まれても過去の記憶に苛まれる弱い自分を払拭できる。

 選抜されたのは僥倖ぎょうこうでしかなかった。実地では身体が委縮する。訓練は自分をぎりぎりまで追い込めない。級付けという限りなく実地に近いこの状況で、何としても。


 腰のホルダーから新しいナイフを取り出す。慣れた手つきで空中で回転させ、柄を掴む。左手がコントローラを繰れば、足がギアを上げて走り出す。目の前で刀を構え待ち構える神崎から視線は外さない。


 剣道の腕が立つことは聞いている。動画サイトで検索すれば、現役時代の彼の試合がわんさか出てきた。級付けで選抜されることを想定し、念入りに予習していたのが役に立った。

 遠い間合いから相手が距離を詰めて来る際、彼は迂闊うかつに打ち込んでこない。切っ先を微動だにさせず、カメレオンが獲物を捕食するかのごとく、射程範囲に相手が入ってきた刹那、恐ろしいスピードで迷いなく打ち込んでくる。


 ――俺だったら、突きで仕留める。


 彼のテリトリーに足がかかる。瞬時に刃が胸元に突き出される。

 予想通りに動いたことに思わず顔がほころんだ。グラインで後ろに下がる。急ブレーキをかけられた足の筋肉が痛みを訴えるが気にしていられない。勢いに乗り突っ込んでくる彼に応じるように、加速をつけ、ナイフの根元で切っ先をずらす。


 神崎は自負がある。剣道で好成績を収めてきた自負。剣道ならば負けないという自負。刀のピリオドを出したことで、彼の思念はより強化されている。自分は誰よりも刀の扱いが分かっていると、無意識にうぬぼれている部分も。

 つばぜり合いになる。コントローラは手放せない。自然と右半身を前面に出し、半身になる。彼は片足が潰されたが、こちらも片手しか使えない。力で押し負け、せり合った勢いで後ろに重心が掛かる。わずかに右足が浮く。左足が踏ん張りを見せる。足裏がアスファルトにこすれる感覚。

 相対した神崎の瞳には迷いが浮かんでいた。ここからどうするか、どう動けばいいかを思索する顔。今だ、と思った。


 浮きかけた右足を素早く内側に寄せる。神崎の、ぎりぎり踏ん張っている右足に引っ掛け、力強く払った。バランスを崩し、彼の身体は傾く。肩を入れて勢いを乗せ、上半身を崩しにかかる。

 自分より10センチ近く高い身体が、綺麗に横倒しになった。


「――ッ!!」


 苦悶の表情が顔に浮かんでいる。何が起こったか分からない、と言いたげにも。

 やれる。ナイフを握り直し、構える。







 *****





「みっちゃん、射撃体勢で準備」

『どっちですか?』

「神崎くん。清水さーん、国見頼んでいい?」

『はい、了解』

『中村、そっちどうなってんだィ』

「両方とも頑張ってる。河野くんはどうです?」

やっこさん、さっきからずっとブランコ漕いでる。呑気なもんだ』

「はは、かわいーじゃない」


 交戦エリアから通りを挟んで1本奥にある3階建ての住宅。その屋根から中村は彼らの戦いを見下ろしている。本田隊員は後方50mの雑居ビルの外階段で、清水隊員はさらに離れたマンションの屋上から待機し、中村の指示を待っている。


 神崎が二度目の後退を強いられたところで、本田と清水に指示を出した。移動中に崎森から聞いていた状況が整いつつある。果たして結果が出てくれるかどうか。

 右耳のイヤホンが専用回線からの受信を告げる。


「ここで使います?」

『様子見。出方によって考える』

「何かあっても制止だけ?」

『そう。狙撃のタイミングは任せる。回線は繋いどけ』

「りょーかーい」


 崎森との通信を短く切り上げると、音声と目線映像をモニター室とつないだ。静かにグラインを起動し、音もなく二人の近くに寄る。双方、こちらに気付く気配はない。

 神崎が突き技をするのは中村にも読めた。重心移動の仕方や手元のブレ、目線の動きで大体の動きは察知できるものだ。

 試合であれば防具で分かりづらくもなるだろうが、顔や手の動きは時に口よりも饒舌じょうぜつに情報を吐きだす。新米の彼はそれを隠しきれていない。5年以上前線で戦ってきた国見の方が圧倒的に力量は上だ。


 ――高校の部活じゃ習わないよなぁ。


 後方に建つ住居の屋根で待機し、引き倒された神崎を見て同情の念が浮かんだ。

 足払いは、高校生が試合で行えば即座に反則を取られるが、警察剣道では許容されている技の一つだ。

 つばぜり合いになる瞬間、間合いは詰まり意識は自然と上に向かい、手元に集中する。足元は視界から外れ、意識からも外れる。巧者に仕掛けられれば何が起こったか分かるまい。

 訓練隊員時代に須賀に教えてもらったことがある。長尺の獲物を持った相手への対処法の一つとして。


 まぁ使う機会はさほどないが、と歯を見せて笑った彼を見ていたはずが、次の瞬間には屋内訓練場の屋根を見ていて、半身がびりびりと痛かった。

 いやせめてなんか一言掛けてくださいよ、と軽口を叩きたかったが、背をしたたかに打っていて言葉が出なかった。国見がざまあみろと言わんばかりにニヤリと笑っていたのが思い出される。ふざけて彼に技を掛けたのがバレた翌日だった。にやついていた彼もニコニコと笑う須賀に同じ目に遭わされて憤慨していたが。

 神崎の級付けが差し迫ってきてこのかた、国見は折を見て足払いも幾度か試しており、「スムーズすぎて何をされたか分からない」程度にまで上達を見せていた。


 腕ではなく足を先に潰したのは、機動力を殺し上肢になおの集中を寄せるよう仕向けるためだろう。銃をはじき、自らの銃も犠牲にしたのも同じ狙いかもしれない。もしくは、イップスの克服を目的にあえてほうったか。

 いずれにしても絶体絶命。ここで神崎が何を見せるか。

 視線は二人に向けたまま、ホルダーからナイフを抜きとる。実戦用のそれは長年使い込んだ型でよく手に馴染む。もしもの事態が起これば、躊躇ためらいなく相手の喉元を掻っ切ることができる。


 中村の視界には、横倒しになった神崎の姿が見えた。何があったのかを理解できていない顔は、懸命に迎撃を試みる。けれども、国見の反応のほうが早く、手元に落ちた刀を蹴飛ばした。


 鋭い眼光が国見を射る。温厚篤実おんこうとくじつな彼とは思えない、憎悪と嫌悪を露わにした表情。普段の彼を知っている身からすれば同一人物には見えない。

 射すくめられたように、国見の動きは止まった。


 さて、どうする。

 いつでも介入できる体勢で二人を見下ろす。

 窮鼠猫を噛む。この場合の「鼠」は、果たしてどちらか。

 


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