#49 肯定

 遡臓検査で前世の映像を見ることはしなかった。要約文に「父親からの虐待」とあったのを認めると、用紙を医師に突き返した。答え合わせをした気分だった。

 生まれてこのかた、謎の夢に悩まされていた。テレビゲームを熱心にやっているのに、胸がざわめき立っている夢。こんなことをしている場合ではない、でもどうしてだろう。理由は分からない。頻繁に見るその夢のせいで、テレビゲームそのものが苦手だった。


 それが、17の夏。

 一人でショッピングモールに買い物に来ていた日。雑貨屋で男が刃物を振り回す現場に遭遇した。


 女性客を人質に取った犯人の男は、駆けつけたスタッフや警察官の説得に応じず、人質の喉元に刃物を突きつけていた。国見は上階から眺めていた。吹き抜け構造になっているショッピングモールは、上階からでも店舗内が見て取れた。

 犯人の位置と人質の様子、店舗内に取り残された数人の客の位置がうかがえた。どうにかして助けられないだろうか。強く思った。


 ピリオドを表出したのはそのときだ。

 何も持っていないはずの手が何かに触れている。視線を落とすと、夢の中で自分が握っていたのとまったく同じコントローラがあった。指が硬い感触を感じると、これが何に使えるのか、どうすれば使えるのかが電流のように脳に入り込んできた。

 視線を合わせた人を操作できる。足を自在に動かすことができる。操作方法は、夢と同じ。

 急に出現したコントローラへの疑念はなく、ただ目の前で繰り広げられている膠着状態を打開するのに使えるという確信だけが脳内を占めた。


 ――あの夢は、今日の予知夢だったのか。


 このコントローラは見られてはいけない。漠然と頭の中で思っていた。上着を脱いで左手にかけ、コントローラを隠す。階下に降り、人垣を縫って進む。犯人の視界に入れば、このコントローラで足を操作し警官のいる方へ歩かせればいい。最前列まで躍り出て、勢いのまま一歩踏み出す。

 犯人が警戒した目でこちらを睨んだ。今だ。


「てめえ、何して――」


 男が包丁をこちらに向かって突き出したと同時に、手元のコントローラを動かした。男はつんのめりながらも、よたよたと警官の方へ歩いていく。

 だが、上半身が操れないのが裏目に出た。男は勝手に動く足に逆らおうとしてナイフを振り回しはじめた。周囲から悲鳴が上がり、野次馬の人垣がさざめいた。

 走らせる方法もが、男がこのまま走れば余計な被害が出るのは明らかに思えた。

 俺が近づいても危ない。警官の腕に任せるしかない。


 内心焦っていると、店内に取り残されていた客のひとり、背の高い学生風の男が悠々とした足取りで後ろから男に近づいて肩を叩いた。まるで友達に声を掛けるような気軽さで。


「ねえ、ちょっと、おじさん」

「ああ!?」

「えー、そんな怒んなくたっていいじゃん」


 激昂しつつ振り向いた男に、学生は笑いかけた。男の肩を叩いた手で自らの頬に触れ、首を傾げている。この状況で、よく笑っていられるな。豪胆さに感心さえした。


 ところが、学生と相対した男はヒュッと空気を飲んだかと思うと、その場で尻もちをついた。ナイフを取り落とし、あ、あ、と声にならない音を口から漏らす。

 警官がその隙に男へ飛びかかり確保した。あっという間の出来事だった。


「君、怪我はないか」


 施設スタッフが学生に近寄り彼の肩を掴んでこちらまで避難させた。横に立つ彼を、そっと盗み見た。

 淡い青色のシャツに、グレーのズボン。どこかの学校の生徒に思えたが、制服に心当たりはない。半袖から伸びている腕は日焼けしていている。屋外系の運動部か。


「大丈夫っすよ。なんでしょうね、いきなり。クスリでもやってんのかな。ねえ?」


 あっけらかんと笑い、同意を求めるように彼はこちらを見た。慌てて目をそらす。見ていたのを気取られていた。態度によらず、聡い。


「マジでさあ、いきなり歩き出すかと思ったら人の顔見て怖がるし、ビックリだよねー」

「……そうですね」


 自分のやったことが見透かされている気がした。視線を外して短く応じる。学生は気にもとめず、連行される男にひらひらと手を振っている。またね、と言わんばかりに。

 その後、国見と学生は事情聴取のために別室へ連れて行かれた。

 部屋で待ち受けていたのは警察でも施設関係者でもなく、派手な寝癖をした白衣の黒縁眼鏡の男と、背の高いワンレンショートボブの上下黒ずくめの服の女性だった。


「やっと見つけたよ! 君の居場所調べるためにどれだけ労力使ったか知ってる!?」


 寝癖男は学生に向かって呆れた声を上げ、学生は学生でニッコリ笑い「マジ? 俺、人気者じゃん」と応じた。女性も、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。


「やっと居場所を掴んだかと思ったら面倒ごとに巻き込まれるなんて、心配させんじゃないよッ。……しッかし、もう一人出るとはねえ」

「思わぬ収穫、というのは正しい表現かな。……国見くん、だっけ? 君、さっき犯人の動きを操っていただろ? どうしてそれができたか知ってる?」


 眼鏡越しの視線がこちらを見据える。

 そこで国見は「知りません」と答えてしまい、長々と話を聞かされた挙句に学生ともども車に乗せられ国立記憶研究所に送還され、今に至る。

 同期となった学生――中村一閃が、なぜ大村に捜索されている身であったのかは、いまだ知らぬままだ。本人に聞いても「食堂で食い逃げしたのがバレてさあ」と、分かりやすい嘘ではぐらかされている。





 *****






 シュボ。

 低い音がして、空気が震えた。近い。

 振り返る。国見は豆粒ほどの大きさだったが、ゆっくりと浮上していった。5mほど浮きあがると、最大射出で空を滑走してくる。追いつかれると察し、迎撃態勢を取る。グラインは、練度が高い者ほど速く動ける。


 ホルダーから銃を引き抜き、こちらに近づいてくる彼を狙うも、向こうからすればこちらが格好の的だ。パンパンと高い音とともに、地面にペイント弾が着弾する。

 細い路地に入り込み、住宅の一つに身を隠す。河野の潜む小学校までは数百メートルだが、このまま国見を引きつけて向かえるとは思えない。ここで国見に倒されるか、彼を倒して先に進むか、交戦状態で雪崩れ込むか。

 アスファルトを蹴る足音がして射出音が止んだ。地上に降り立ち移動を始める国見の位置を確認する。直線距離で15mもない。1ブロック先の路地を警戒して進んでいる。この距離では、自分の腕では射撃で仕留めることは難しい。


 冷静に状況を整理する。相手は無傷で、勝算があるのは近接格闘のみ。腕のかすり傷はパッチを貼られて熱を持ち痛むが、刀を振るうのにさわりがあるほどではない。

 路地は車一台が通れる程度で狭く、住宅が密集している。さっきまでと違い、横に刀を振るうのははばかられる。もっと学校側に行けば道幅が広がる可能性はあるが、神崎がそれを望むのは国見も見越している。現に、彼はこちらの行く手をはばむ位置取りをしている。


 学校に最短ルートで向かうなら国見のいる場所を通る必要がある。回り道もできるが、細い路地を通らないといけない。それこそ、車も通れない――つまりは、刀を使うのが難しい――細い道を。


 正面突破するしかない。ふう、と静かに一息ついて、再び国見のいる方角をうかがった。

 そこに、つい先ほどまであった彼の姿はなかった。いつの間に移動したのかと周囲を警戒する。


「近距離では監視対象から目を離さない。実地の鉄則だよ」


 頭上から落ち着いた声が降ってくる。反射的に、声のしたほうを振り仰いだ。

 潜んでいた住宅の屋根に、国見が立っている。目がぴたりと合い、刀を引き抜くよりも先に、身体が動き出す。







 *****







 怪我をした日から起こった揺り戻しは、ひどく国見を混乱させた。

 対峙した犯人がかつての父親に似ていたのがいけなかった。目の前に立った瞬間、すべてを思い出した。何をしたのか、何をされたのか、どうして死んだのか。全てを、ありありと脳が再生した。

 そしてその瞬間、国見は自分がとうに成人をし特別な訓練を積んだ戦闘員であるということを忘れ、10歳の少年に戻ってしまった。身体はコントロールを失い、犯人を取り逃がした。

 状況を見ていた河野には原因を見破られており、病室で二人きりになると開口一番揺り戻しを指摘された。ありのままを話し、カウンセリングを受けることを促された。その日の記録映像は、河野の権限で閲覧制限をかけてもらった。


 その出来事を皮切りに、悪夢にうなされることも増えた。思い出したおかげで夢にまで父親が浸潤した。怒号、拳、蹴りが、ゲームをしている自分を襲う。

 視界のはるか先で、のっぺらぼうの母が双子を抱いてこちらを見ている。顔は忘れた。見ているだけで決して助けてはくれない。何度も飛び起き、朝まで眠れない。

 足の怪我よりも心のケアが問題だった。前世に関する書籍を敷地内の図書館で読み漁り、同じ症状を持つ人々がどう対処しているのかを学び、片っ端から試した。

 揺り戻しが起きる人間には種類がある。不運の死を遂げて今世は普通に生きる者、今世より前世が恵まれている者、前世で誰にも言えぬ苦悩を抱えたまま死んだ者などだ。国見は「不運の死を遂げ、今世は普通に生きている」パターンだった。


 何の変哲もない穏やかで平和な日常を送っていると、記憶が訴えてくる。なんでお前ばかり、と前世の自分が声を上げる。

 なんで今のお前は幸せなんだ。だったらどうして、前世はあんなに苦しまないといけなかった。何の非があって、あんなに苦しみ抜いて死ななければならなかった。

 そう言わんばかりの暗い瞳で、細く背の小さいかつての自分が恨みがましくめつける。目が合うと、なんとも言えない罪悪感がこみ上げる。


 好きなものを買おうとするとき。好きなものを食べるとき。行きたいところに行くとき。温かな布団で眠りにつくとき。友人と笑いあうとき。そのときどきで、仄暗い色の目をした自分が、数歩後ろでこちらを見ている。


 ――羨ましい。その楽しさのほんのひとかけらでいい、僕に分けてくれ。


 痣だらけの腕で、腫れあがった頬で、じっと見られている。

 楽しむことに後ろめたさを覚え、部屋に引きこもる日が増えた。訓練で自分より体格の良い男に引き倒されると、視界の隅にかつての自分の幻影が見える。


 ――ほら、懐かしいでしょ。ずっと忘れていたもんね。


 どこか得意げな笑みを浮かべる幻影のせいで、ただでさえ不得手な対人格闘を、さらに避ける癖がついた。

 前世の自分とは違う。どんなに首を振っても、湧き水のごとく記憶は浮かび、苦しめる。不眠と抑うつ傾向をなんとか押しとどめ、周囲の者に気取られないよう気を張って任務に取り組む日々が続いた。


 何度も前世の自分の幻影を振り払った。ついてくるなと夢の中で叫び、夢に出て来た細い肩を押したときには嫌悪していた父と同じ行動を取ったことに愕然とした。かつての自分はぼうっとこちらを見ている。何かを訴えるその目が怖い。どうしてお前は生きているんだと言われている気がして、自分の今世が否定されている気がして。


 自分が今世、この能力を持ってここにいるのは他の誰かを助けるためで、幸か不幸か前世の経験が生きている。無駄な死ではなく、これまで、そしてこれから先、多くの人を救うための能力だと自信を持って肯定したかった。辛かった過去を認め、先に進みたかった。

 そうでもしないとやりきれない。生きていけない。なんで生きているんだと言外に責める過去の自分に答えを出してやりたい。恐れることはないと言い聞かせたい。

 

 ――新入隊員にやられてたまるか。なんとしても成果を上げる。ここで討ち取る。


 神崎が即座に放った斬撃は屋根をえぐった。後方に下がり、屋根から飛び降りる。ふかふかとした芝生の感触が足裏に伝わる。目の前には、ガラスに反射した自分自身。

 中村との特訓を思い出す。ほとんどがリハビリに近いものだったが、耐性がついてからはピリオドの練度を上げるべく努力を重ねた。忌々しい記憶を思い出しつつも、ひとつ、体得したものがある。

 コントローラをしっかり握る。大きく息を吸い、真正面の自分と目を合わせた。


 ――中村以外に試すのは初めてだが、上手くやってみせる。


 自分の後ろに気配があった。神崎ではない。常に自分を見つめ、何かもの言いたげにしている前世の自分の幻影。アスファルトに照りつける光が見せる鮮やかな陽炎かげろう


 近づいてくる足音を耳が拾う。指を動かしコントローラを繰ると、自分の足が自分のものではないかのような速さで動き出した。


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