#47 硬直

「難しそうですね」


 後ろの吉沼が静かに告げた。狙撃手という立場からか、彼は実地でも平時でも大局的見地で状況をうかがい客観的に物事を観察する。彼の言葉が国見と小平の昇級を指していると理解した絹川は、そっと左後方の矢代をうかがった。


「無い」彼女はきっぱりと断言した。「小平はともかく、国見はアウト」

「肝心なところで攻めきれないなんて、彼にしては珍しい」

 高崎の私見に矢代は首を振る。「あれは判断ミスじゃない」

「違うんですか?」思わず口を挟んだ。「神崎くんの動きに翻弄されて、どう動くか迷ったふうに見えました」

「違う違う。どう動くかは分かっていた。気圧されて動けなかっただけ」


 動けなかった。小さく口の中で言葉を転がす。

 国見が硬直したとき、絹川は彼の目線映像を見ていた。映っていたのは鬼気迫る表情の神崎。ふだん接しているぶんには見ることのなかった、殺気をまとった彼の表情は新鮮だった。眼光は鋭く、「撃つな」と目で命令しているようにも感じられた。


「揺り戻しでしょうねえ」

 永田が頬杖をつきながら零す。

「だろうね。永田、アンタ知ってたの」

「いや? 今のを見たら何となく。2級に戻れないのも、中村と非公開で模擬練していたのも納得いきます。隊長と崎森さんはご存知なんじゃないすか」


 矢代が左耳に手をやる。モニター室と通信を繋いでいるのだろう。

 分割されている目線カメラを見上げる。

 河野は相変わらずブランコに腰かけており、端末に視線を落としたままだ。神崎は注意を払いつつ住宅街を抜け、坂を下ろうとしている。国見はグラインで神崎を追っている。神崎が河野に辿りつくのが先か、国見が神崎に追いつくのが先か。

 頑張れ、と心のなかで小さくエールを送る。モニターに映る神崎が、かすかに頷いたかのように見えた。





 *****







「こりゃまた難儀ですねェ」


 右脇から呑気な声が上がり、大村は首をわずかに動かして声の主を見やった。

 垂れた長髪でその表情は隠れている。首をすっぽりと覆い肩甲骨のあたりまで伸びている髪を、彼は決して結わない。髪を縛ると頭痛がする気質だという。ならば短く切れば良いのではと思うのだが、その選択肢はないようで、何度女性に間違われても切ろうとしない。

 宗像むなかた悦志えつし解析室長は、線の細い身体つきと顔つきから若く見られがちだ。大村と並んでも同年代だと勘違いされる。実際は彼が一回りほど年上だ。物言いは円熟しているが、年甲斐もなく腹を抱えて笑い転げることもある。

 何においても余裕があり動じない一方、発言に子供っぽさがあるのも否めない。だが、それも部下たちには受け入れられている。不思議な器の持ち主だと大村はよく思っていた。

 今日は彼の招集で集まっていたが、大村が神崎の級付けを見たいと申し出ればあっさりと応じて早々に会議を切り上げ、そのうえ「僕も見ていいですか?」とついてきた。


「1年前から症状が出ていると聞いていましたが、経過はどうでしょうか」


 涼やかな声が室内に響き渡る。正面に座す祓川本部長が発した声は、さほど声量はないのに明瞭に耳に届く。

 通信で応じたのは崎森だ。


『降格後、本人から河野に申告がありました。影響が出ない範囲で実地でも改善を図りましたが今のところ効果は見られません。本人もカウンセリングは定期的に受けています』

「分かりました」


 本部長は静かに返し、総裁をちらりと見た。「だ、そうですよ」

 黒く豪奢なテーブルと揃いの黒革のチェアに腰を下ろしている兵藤ひょうどうあらた総裁は、投影されている映像をまじまじと眺めている。

 宗像と違い、さっぱりと短い黒髪はワックスで整えられ、清潔感がある。やや色黒の肌にくっきりした二重瞼、快活さを滲ませる瞳。この部屋にいる者のなかで唯一、制服ではなく仕立ての良いスーツを着ている。国際組織の日本総裁というより、ベンチャー企業の社長といったほうがしっくりくる見目。


「ケアはしっかりしないとね。これを機に悪化するのは避けたい。良いポテンシャルを秘めている。揺り戻しを克服さえすれば上に立てる器だろう」


 朗らかに言って微笑むと、目じりに皺が寄る。彼の笑みを見るたびに、大村は前世で好きだった俳優を思い出す。

 気付かぬうちに凝視していたのを悟られたらしく、兵藤は大村に顔を向けた。「国見隊員の情報を教えてもらえるかな」


 度重なる会議や政府との折衝、各支部の視察といった業務に忙殺されている彼が、一支部の一隊員の級付けを見ること自体珍しい。

 慌てて国見のパーソナルデータを呼び出し、彼の端末に送った。


「国見航大3級隊員、25歳。第1中隊河野班所属、具現型です。ゲームコントローラを手に表出、目が合った人間を操ることができます」

「操れるのは一人だけ?」宗像が横から質問を投げかけた。首肯して応じる。

「1人だけです。ただ、同時に操作できないだけで次々にターゲットを変えることは可能です。操作といっても、脚部のコントロールしかできません」

「降格したと聞いているけれど、どういった経緯だろう」


 兵藤はゆっくりと両肘をつき、指を組んで顎を乗せた。その瞳には抑えきれない探求心が浮かんでいる。彼はピリオドや隊員への好奇心が人一倍強い。自分の眼鏡も、説明をした際にはずいぶん熱心に手に取って眺めていた。


「入隊時は2級でした。3級への降格は2年前の2月です。一般市民の救助中、落下物に足を挟まれ右足を複数箇所骨折。落下物は異能犯罪者のピリオドによるもので、市民は国見隊員のピリオドで安全な場所に避難していました」

「名誉の負傷ってやつですね」のんびりと宗像が言う。「復帰はいつです?」

「リハビリと復帰訓練を経て、翌年1月に。神崎隊員は4月入隊です」


 通常、怪我による降格者はたいがいが1年以内に元の級に復帰する。降格は身体の鈍りや怪我による後遺症、心的外傷後ストレス障害PTSDを懸念したものだ。

 降格から元の級に戻る際に最も重視されるのは、当該隊員を率いる所属班長の意向である。他の上層部より多くの時間を共にし、状況と適性、復帰前の状態を知っているからこそ大きなウェイトを占める。隊長と副隊長の賛成があっても、班長の反対で見送りになった例も大村は知っていた。


 河野は国見の昇級について、一貫して見送りを提唱していた。寡黙な彼は理由を多くは語らず、どうしてかは疑問だった。

 国見はソツがない。対人格闘、射撃、グライン、ピリオドの練度、どれをとっても劣るものはない。器用貧乏といえるが、それが見送りの理由にはならない。右足は完治しており、後遺症も見られないと担当医も証言していた。


 選抜組が決まったと同時に、河野は大村に連絡を取ってきた。彼から着信があることは多くないので驚いたが、内容を聞き、本部のアーカイブを引っ張り出してきた。

 タブレットをモニターと接続し、大写しになっているフィールドの映像を縮小して代わりの映像を再生させる。


「国見隊員が怪我をした日ですが、本来は土佐隊員・村上隊員とともに異能犯罪者を取り押さえる予定でした」


 2年前、国見の降格を決定づけた映像が流れる。

 異能犯罪者はいかつい身体つきの大男。国見が真っ先に飛び出して相手を操作、村上と土佐が任意のポイントで次の手を打つという手筈だった。

 大男は目の前に突如現れた国見に狼狽ろうばいし、殴りつけようと拳を上げる。両者の目が合ったとき、異変は起こった。

 国見は怯えた表情を見せ、咄嗟にしゃがみこんだ。頭を抱えて蹲り、大男の拳は宙を切る。これ幸いと男は脇をすり抜けて走りだす。

 土佐と村上からは、角度的に彼の姿は映らなかった。目にしていたのは、当時の河野班管制担当と河野のみ。国見はすぐに我に返って立ち上がったが、河野の指示が早かった。


『土佐、国見が抜かれた。フォロー』

『?! ……了解』

『村上、20m北東に移動して土佐の援護』

『分かりました』

『国見、マーク付近に要救助者1名。救助後は区域を離脱』

『……はい』


 国見が救助者のもとに辿りついた直後、異能犯罪者のピリオドが発動し彼は足を負傷した。救護対象者への対処は完璧だった。

 上映を終え、大村は淡々と説明を続ける。


「フリーズしなければ取り押さえられましたし、怪我することもありませんでした。河野班長は国見隊員と面談を行って原因を聞き、カウンセリングを勧めています。犬束隊長、崎森副隊長にも情報は共有されました」

「怪我から復帰したあとは、実地で直していく予定だったんです?」眉を上下させて宗像が言う。「荒療治ですねェ。イップス直してから復帰の方が良いでしょうに」

「本人の希望でもあります。河野班長は念頭に入れた上で配置を動かしています」


 答えながら、大村は宗像の放った単語を反芻する。

 イップス。精神的な状態が起因し、思い通りの動作ができない症状。主にスポーツの世界で用いられる用語だが、国見の症状は酷似している。

 特定の人物を前にすると、身体がこわばる。動けなくなり、遂にはしゃがみこむ。


「誰にでも、というわけではないようですね」祓川の指摘に、補足を加える。

「症状が出る対象はすべて男性だそうです。目つきが鋭かったり、殺気立った目をしていたり、大声を上げている者、大柄な者」

「ああ、だからさっきのですくんじゃったんだ。新人くんのが背も高いですしね」

 納得した声音で宗像は応じた。それで、と兵藤がふたたび大村を向く。

「彼の前世と関係があるんだね?」

「……モニター室と音声を繋ぎます」


 大村が告げると、AIが音声を切り替えた。集音マイクがテーブルからせり上がり、口元にセットされる。

 国見は知られたくなかったはずだ。年下の玉池や、よく接する東條などには特に。しかし、彼がイップスを克服するまでに何かあれば一般人の命が危険に晒される。多くの人々に状況を知ってもらっていれば講じる手立ても変わってくる。彼のピリオドは犯人確保に有用だ。不足があれば補いあえばいい。そのためにICTOは班を組んでいる。

 確認した国見の遡臓検査の映像が頭に浮かぶ。河野は彼の前世についても情報共有をしたほうがいいと提言していた。


 ――国見は前世が露見することを恐れていますが、このままでは遅かれ早かれ知られるでしょう。取り返しのつかない事態が起きる前に処置を取るべきです。……本人には俺から話しました。ありえないミスをしたら開示して構わないそうです。


 電話口の河野は相変わらず愛想のあの字もなかったが、部下をおもんぱかっていることはひしひしと伝わった。彼の前世もまた、彼自身を苦しめているからに他ならないと大村は理解している。


 揺り戻し。大村の脳裏に単語が浮かぶ。

 前世を持つ人間特有の症状。前世の記憶が鮮明に思い出され、自らを苦しめること。前世の記憶を夢に見たり、頻繁に思い出したりすることで、今世での活動に支障を及ぼすこと。

 国見のイップスはまさにそれが原因だった。


「大村です。今しがたの国見隊員の動きは揺り戻しによるものです。今後の対処を検討するにあたり、彼の遡臓検査結果を共有します。河野班長から本人へ、情報開示の許可は得ています」


 モニター室は静まり返っている。シュウ、と画面からグラインの音がする。国見は懸命に神崎を追っていた。


「前世は男性、享年10歳。死因は‎外傷性脳挫傷。彼は、被虐待児であったと思われます」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る