#46 突破
崎森は左ひじをテーブルにつき、タブレットに目を落としていた。画面には神崎真悟の目線カメラが全画面表示になっている。
彼は平屋部分、中央に位置する保育室で息をひそめていた。廊下との仕切り壁に背をもたせ、窓側をじっと見ている。片手には銃が握られている。外の様子をうかがいながら、ごく自然な動作でナイフの入ったホルダーの位置をわずかばかりずらした。
国見が近づいているのが分かっているようで、物音がしないか神経を集中させている。視線を巡らせ天井を見上げる姿は、警戒心の強い猫を彷彿とさせる。
彼はしばしの間そうしてから、ぴたりと動きを止めた。それから左手の銃を窓に向け、数発発砲する。
崎森の中で、国見・小平の昇級は見送りという評価が固まりつつあった。
互いのピリオドを補えばかなり強敵になった。国見が飛び出して行ったのは悪手でしかない。国見が小平を操り、グラインの煙幕を使って神崎の腕なり足なりを潰していれば評価できた。
腕を潰せば刀の威力は落ち、足を潰せば対人格闘でも勝機が生まれる。理知的で無駄を嫌う国見が初手を見誤るのは崎森にとって少し意外だった。中村から聞いていた国見の弱点について、事態が悪化しているのではと懸念が深まる。
左手首のスマートウォッチが着信を知らせる。大村禄郎と表示されている。
左耳の通信機器に手をやった。一時的に通話を優先し、他の回線がシャットダウンされる。
「なに?」
『今、僕も総裁と宗像室長と一緒に級付けを見てるんだが』
「打ち合わせは?」
『終わった。正しくは終わらせた、かな。……中村くんが控えてるんだって?』
「ああ」
『彼にピリオドを使うよう伝えてほしい。タイミングは任せる』
「……」
『その感じだと、カナメも気づいてたみたいだね?』
「思った通りの結果にならないかもしれない」
『構わない。反応を見たいだけだ。あ、こっちで誰が気づいたか知ってる?』
「知ってる」
返答を待たずに通話を切った。左隣の祓川本部長のホログラムが、見透かしたような笑みを浮かべてこちらを見ていた。本部にいる実体の彼女が真っ先に気づいたに違いない。元上司は聡い。だが、現上司も勝るとも劣らない。
「一閃くん、移動中ねえ」
元上司の向こうにいる現上司は、崎森の短い応答だけで通話相手とあらかたの内容を察知していた。
今度は右耳に指をやる。回線を中村につなぐ。
『はい、中村でぇす』
「おととい、神崎に絞め技かけたんだって?」
『ちょっ……なんで』
なんで知ってんすか、と言いかけ、彼は口をつぐんだ。須賀の眉がぴくりと動き、松川が噴き出す。彼女と絹川が目撃していたのを、中村は知っているだろうか。
「その件はあとでゆっくり話す。……大村から伝令」
手短に内容を伝える。彼はあからさまに嫌そうな声を上げた。
『全然いいっすけど、意味あります? 別に
「試すだけだ、期待してない。タイミングは指示する」
『へーい、分かりましたァ』
音声を元に戻す。画面では、神崎の視界が真っ白に染まっていた。
*****
廊下側に当たっている日光は保育室の仕切り壁で遮断されており、外に
数発撃ったのは屋根にいるであろう国見が飛び込んでくるのを予期したからだが、同じ場所に打ち込んだせいでペイント弾の威力に耐えられず、窓が粉々に砕け散って終わった。
神崎の見立てでは、小平は別の場所で待機している。右腿への被弾で動きを封じた。国見が肩を貸しでもしなければ長距離移動はできない。小平を囮にすることも考えられるが、自分だったらそんな勿体ないことはしない。いったん休ませ、そのあいだにこちらにダメージを負わせ、折を見て背後から襲わせる。
天井から、何者かが駆けだす音。窓の方に向かっている。
――飛び降りて、割れた窓から入ってくる。その瞬間に撃つ。
左手で銃を構え、右手を添える。外の生ぬるい空気が入ってくる窓を狙う。
降り立つ音とともに聞こえたのは、グラインの射出音。シュウウ、と高い音が空間をつんざき、窓の外が白んでいった。白い煙が、暑い屋外から涼しい室内へ逃げ込むように入ってくる。
「煙幕……」
一気に視界が悪くなり、立て続けに窓が音を立てた。
びしびしびし。
次々に弾が当たる音。雨のごとく降りそそぐペイント弾が相次いでガラスを揺らす。
廊下を背にし、仕切り壁にはりついていた神崎は頭を振りしぼる。この調子で撃たれたら、遅かれ早かれガラスは割れる。被弾の危険性は格段に上がる。
拳銃を構え、視線は前を向いたままで右手を引き戸にやり、素早くスライドさせた。勢いよく開いたせいで、ガン、と思ったより大きな音を立てた。
すると、足元から白い煙がたゆたって室内になだれこんでくる。はっとして廊下を見た。一面に煙幕が張られていた。廊下の幅すら分からないほどに濃い。
――もう、中に潜んでいる。
右手に寒気が走る。銃弾がガラスに当たる音に乗じ、別の場所からもう一人が廊下に侵入して煙幕を張り視覚を潰した。窓への発砲は、外に意識を向け、なおかつ射出音をごまかすためか。
反対側の出入り口に移ろうとした刹那、とうとう窓ガラスの一つが弾の威力に押し負けて砕けた。
廊下に潜んでいるほうは、出入り口に照準を合わせて銃を構えているだろう。出たら被弾する。
――
逡巡ののち、神崎は銃をホルダーにしまった。刀を抜き、すう、と深く息を吸うと、刀を振るって引き戸のドアを上下に真っ二つに斬った。重力にしたがい落ちてくる上部を、すかさず廊下に向かって蹴りだす。
右側から銃声が響き、ドアに着弾する。煙幕をものともせず正確に当てた。近い。
引き戸の下半分を引っ掴んで盾にし、身を屈め廊下に飛び出す。発砲音が響く。引き戸に銃弾が当たる。どこだ、どこにいる。
シュウ、と射出音が後方から響いた。
窓の外にいたほうが、割った窓から侵入して開きっぱなしだったもう一方の出入り口から合流した。
圧倒的不利、の言葉が脳に浮かぶ。
万事休す。今度こそ喰らう。煙幕を斬っても相手に位置を知らせるだけ。浮上して逃げる? どちらかはそれを思慮に入れているに違いない。浮いた瞬間にズドンだ。
前方で動く気配。背筋が凍る。右手でコマンドを指示し、身を屈める。グラインのモーターが唸る。
全速力で、後ろ――外から侵入してきた相手のそばへ移動する。距離は想像以上に近く、すぐに国見だと分かった。彼は迷わず発砲してくる。銃弾は右上腕をかすめ、痛みが走る。
『神崎隊員、被弾。着弾箇所、右上腕部。活動を制限します』
構わず胸部に向かって突きを繰りだそうとしたが、彼がこちらの位置を捕捉する方が早かった。銃口が向けられる。
――撃たれる。くそ、河野さんに辿りつく前にやられる。
――いや、まだやれる。殺すつもりでいく。
視線が交差する。心に秘めた命令を目に宿し、強く彼を睨みつけた。突きの手は緩めない。
――撃つな、外せ。
すると、
いける。胸部めがけて刀を突きたてようと、腕を突き出そうとして――
「国見さんっ!!」
右後ろから小平の大声が響いた。国見が、ハッと我を取り戻す。
後ろに回り込まれた。撃たれる。そう思うが早いか、左手がホルダーから銃を抜き取り、ノールックで小平に向けて数発立て続けに撃ち込んだ。
彼は彼で、右腕を後ろにひねりあげてきた。痛みに顔が歪む。刀を取り落とす。
『小平隊員、被弾。着弾箇所、胸部および腹部。活動不能と判定。終了です』
彼のグラインは強制的に動力を切られた。ひねられた腕を振り払い、刀を拾う。
国見と目が合ってしまっている、視界から外れないと。
脱兎のごとく再び部屋に舞い戻り、ガラスの破片を踏みしめて窓から飛び出した。
国見が追ってくることはなかった。
*****
『パッチを解除します』
アレースの無機質な音声が廊下に響く。視界はいまだ白に覆われているが、近距離にいる国見の顔ははっきり見える。手近な窓を開けてから小平はその場に座りこんだ。
右腿に貼っていたパッチがひとりでに剥がれ、先ほどまで苦しめられていた痛みが消失する。何度喰らっても慣れない。今回は大きな血管は外れていたからまだ良かった。そうでなければ、ここまで移動するのさえ難しかった。
「あー、痛かったあ……」
「小平、悪い」
生気を失くした声が降ってくる。見上げれば、国見が普段の青白い顔をさらに青白くさせていた。目のクマが、いつもより目立って見える。
あの瞬間、国見は確かに神崎を撃てた。だが撃たなかった。他者を操るピリオドを有する彼が、まるで彼自身が誰かに操られているかのように動きを止めた。
小平が被弾を覚悟で声を発していなければ国見は神崎の一撃を食らっていた。無傷の彼より、手負いの自分が犠牲になるべき。小平は瞬時に下した自分の判断をそう悪くないと思っていた。
「平気です、国見さんが無傷で良かった。神崎さん、やっぱり近距離だと外さないですねえ」
胸元に目をやる。着弾は3か所。胸に1発、下腹部に2発。実弾であれば、自分はもう息をしていないだろう。
呑気に話をしている場合ではなかった。今も神崎は移動を続けている。河野のところに向かっているとも考えられる。
「悪い、俺のせいだ」国見の声は微かに震えていた。「俺が撃てば、やられずに済んだ」
「いやあ、右腿に喰らった時点で無理かなあとは思ってたんで。最後に国見さんを助けることができたし、良かったですよ。……さ、無事なんだから行ってください。追わないと」
「河野さん、すいません。小平、リタイアです」
『分かってる。見てた』
「情けないところを見せちゃいましたね。また出直します」
『……小平の動きは悪くなかった、お疲れ』
「こちらこそ。ご武運を」
マネキンが入ってきて、散った窓ガラスの掃除を始める。小平も窓から外に出た。門の手前に、本田光里隊員がライフル銃を背負って立っていた。
「お疲れさまです。出口、今回はこっちです」
「はあい」
「残念でしたね。小平さん、模擬練では負けなかったんでしょう?」
重そうなライフル銃を代わりに持ってやれば、本田は礼を言って明るい笑みを浮かべた。13歳になったばかりの彼女はつややかな黒髪をショートカットにしていて、それが三澤に憧れてのものだと小平は知っていた。
「負けなかったよ。神崎さん、本番に強いねえ」
言い訳めいたことを口にし、彼の戦いぶりを思い出す。追いつめたし、勝機はあった。しかし仕留め損ねた。国見との連携をもっと図っていれば結果は違っただろうが、いまさら言おうが負け惜しみにしかならない。
神崎の場所を伝えたあと、国見は自分の元まで戻り、肩を貸して右腿に負担がかからない配慮をして幼稚園までグラインで連れてきた。彼が煙幕と銃声で神崎の意識をそらしてくれたおかげで、時間を使って煙幕を張り待機することができた。
自分の昇級は見送りになるだろう。正直、落胆の気持ちは薄い。昇級を受けること自体が前回に続き2度目。戦い方を見れば力不足は明らかだ。さらに訓練を重ねて挑むべきだと再確認できた。
国見はどうだろう。中村と同期の彼は、小平が入隊したとき2級だった。それが、2年ほど前に降格している。
降格は珍しいことではない。自らの責により手落ちを犯した者や規律を乱した者、怪我の療養で戦線離脱した者は降格となる。国見は怪我による降格だった。それも、逃げ遅れた一般市民をかばっての負傷。すぐに2級に復帰すると思っていた。
神崎が入隊したころには戦線復帰していたはずだ。この1年、復帰できずにいるのが不思議だった。実地を見たこともあるが、手落ちを犯すタイプではない。感情的になることも、命令に背くこともない。
だが、先ほどの彼を見て考えは変わった。降格はミスによるものではないか。犯人を目の前にフリーズしてしまって取り逃がしたのではないか。
「国見さん、大丈夫でしょうか。青白い顔をして出て行きましたけど」
本田が首を傾げてこちらを見上げる。木々の間を縫って歩いていると、蝉の鳴き声がうるさい。
「国見さんの顔が青白いのは、いつものことじゃない」
微笑んで返す。神崎はどこに向かっただろう。国見は追いつけるだろうか。河野はブランコにでも乗っているのかな。
彼らがいるであろう方角をぼんやりと眺める。薄暗い灰色の雲が立ち込めていた。アスファルトから、雨の匂いが立ちのぼっている。
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