#45 交錯


 がちん。金属がぶつかり合う鈍い音。続けて、銃声が2発分。

 目を閉じかけるも、耐える。右手に鈍い衝撃。刀身にペイント弾が着弾した。国見なら足を狙ってくる。読んだうえで、足を守ろうと立てた刀に命中した。

 小平の一発は上に逸れた。逸らした、と言うべきか。左手で引き抜いて投擲したナイフはまっすぐ彼の胸元に飛びこんでいった。対処しようと彼が身をそらしたおかげで、銃弾が逸れた。


 眼前には目を見開いている国見が見える。手には黒いコントローラがある。思案している暇はない。

 体勢をただちに立て直すと、落とされた場の土を――砂場のやわらかな土を前方に向かって蹴り上げた。砂が飛び散る。即座に、右手に構えた刀を国見のほうへ振るった。

 一振りで生じた風は、砂をともなって彼を襲う。


「くそッ」


 彼が手で顔を覆う。足が自由を取り戻す。すかさずグラインで煙幕を噴霧した。ふたりの射線から外れるよう、手近な木に身を寄せた。

 全身に意識を集中する。左手に銃を持つ。右手はかすかに震えている。凪いだ海に一石が投じられたかのごとく、ふるえは腕に伝播していく。


 ――右から迫ってきている。


 違和感が肌をざわつかせる。近い。確信し、右手の刀で白煙を切り裂いた。


「――!」


 ひらけた視界、右前方5mほどの位置。ナイフと銃を持った小平は瞠目している。最初の煙幕は身を隠す目的で使った。今度も同じ意図で使ったと彼は思いこんた。だが実際は、煙幕に乗じ無音で距離を詰めてくる彼を、射程内までひきつけることが目的だった。

 左手人差し指がトリガーを引く。パン、と小気味良い音がし、ペイント弾が小平の右腿に命中した。彼も怯むことなく撃ち返してくるが、幹を盾にして逃れ、浮上して木に登り、もう一発放つ。しかし彼もグラインで後退し、回避した。


『小平隊員、被弾。着弾箇所、右大腿部。活動を制限します』


 アレースの声が響き渡る。小平は後退を続けるが、眉をしかめている。

 ひとまず彼の機動力は潰した。これ以上とどまると国見に見つかる。最大射出で浮上し、神崎は住宅街方面へ移動をはじめる。





 *****





「あーらら、当たっちゃった」


 選抜組が待機していた屋外訓練場控室では、設置されているモニターを見上げ、中村一閃1級隊員が呑気な声を上げていた。

 その声音には他人事感が漂っている。スポーツ中継を見、点を取られたチームに掛けるかのような。


『誰がですかぁ?』


 少女の声がスピーカー越しに響いた。笹岡班狙撃手、第1分隊実働最年少の本田ほんだ光里みつり3級隊員の声だ。彼女はいま、背丈ほどはあろうかという銃をかかえ、訓練場付近をグラインで移動している。


「小平。神崎くんのが右腿に。手加減したにしても、ねえ」

『あら。右腿というのは大変ねえ』


 清水梓3級隊員の穏やかな声が続く。ですよねえ、と中村は応じる。

 2名の狙撃手は訓練場すぐそばで待機している。神崎のピリオドが暴走しても他隊員の身に危険が及ばないよう、随時持ち場を移動している。本田は自らグラインを操作しているが、清水はすべてAI任せだ。

 と、背後に気配を感じた。


「あたしが気になるのはね、国見だよ国見。お前さん、一緒に特訓してたんだろう?」

「してましたよ」


 振り向いて答える。松川班の結城ゆうき久尚ひさなお1級隊員が腕を組んで立っていた。

 中村とはぴったり30の年の差があり、松川班最年長。中肉中背の身体つきにスキンヘッド、彫りが深く険しさの漂う顔立ちは、時代が時代であればそのすじの人間と誤解されていただろう。そのじつ、本人は話好きだ。落語好きが興じて平時でも「あたし」という一人称を使い、噺家はなしかを思わせる口調とイントネーションでせかせかと喋る。


「特訓したって割には、新人相手に翻弄されてるじゃァないか」

「まあ、『特訓』っつーより『リハビリ』に近いんで」

「リハビリ?」

「そ。リハビリ」

「なんのことだか、あたしにゃさっぱりだねェ。……どっちがいい?」

「俺、こっち行きますよ。結城さんは河野くんの方で」

「了解」


 つい1時間前、直属の上司である崎森から呼び出しを受けた。数日前に神崎にふざけて絞め技をかけたのがバレたのかと一抹の不安を覚えたのも束の間、待機場所に屋外訓練場を指定され、呼び出しの意図を悟って胸をなでおろした。

 選抜組に国見が入っていたのには驚いた。彼の悪い予感が的中していた。


 ――神崎相手だとやべえかも。こいつ、たまに怖え。


 神崎の訓練映像を見、彼はぽつりと零していた。できれば当たりたくないという意思表明にも思えた。

 中村がこの1年彼に付き合っていた非公開の模擬練。それが何を目的としていたか知るのは犬束隊長と崎森、河野のみだ。他の面々はただの「仲の良い隊員同士の腕試し」としか思っていない。

 神崎相手に何か手落ちを犯してしまえば、モニター室の面々に国見の弱点について指摘が入る。そうして、彼が隠しておきたかった事実が露見する。国見はそれを恐れていた。

 控室を出る直前、中村はモニターを見やった。右足を引きずる小平の姿が見えた。






 *****






 ――住宅街に逃げ込んだか。


 小平が撃たれ、国見は深追いをやめた。下手に距離を詰めても神崎相手に近距離戦はしたくない。対人格闘はS評価と聞いている。Cに近いB評価の自分が上手く対処できるとは思えなかった。


 右大腿部への被弾。アレースが告げたとき、また舌打ちをしそうになった。戦い方が的確だ。小平の最大の利点である機動力を殺しにきた。

 模擬練ではペイント弾は単に染みがつくだけだが級付けは違う。負傷箇所は武器の如何いかんをAIが判断し、痛みを負わせる。小平の被弾した右腿にはパッチが貼られ、本物の弾丸を受けたのと同じ痛みが走っているだろう。走ることは出来まい。右足を引きずっての移動になる。出血量も律儀に計算されている。動きすぎれば再起不能とみなされ、失格となる。立位姿勢を保てなければグラインも操作しづらい。射撃にも影響が出るのは必至だ。


 神崎の機転が利かなければ。どちらかの発砲が当たっていれば。

 時すでに遅しだが、思わずにはいられない。小平が無事だったら自分の能力を彼に使うこともできた。速いスピードで走らせても彼なら足音がしない。背後から襲いかかるのは容易だった。初手を見誤った。いきなり飛び出るのではなく、先に合流すべきだった。

 連携の面でマイナス評価になる。これ以上ミスをすれば昇級が見送りになるのは誰が見ても明らかだ。なんとかして一矢報いないといけない。

 周りに気をくばり、国見は住宅街に入っていく。


 小平は模擬練で神崎相手に負け知らずだった。かつ、さっきの状況は間違いなくこちらが絶対的に優位だった。にもかかわらず彼の機転で状況は逆転した。

 神崎は逆境に強いと東條が話していた。砂場の砂と風を組み合わせ、こちらに飛ばしてくるとは予想しなかった。噴霧した煙幕を早々に斬る芸当もそうだ。模擬練の彼と同一人物だとは思わないほうがいい。

 応用力に欠ける、優等生気質、良くも悪くも上の中。……他の隊員の、神崎真悟への評価の数々を国見は忘れることに決める。

 

「小平、動けそうか?」

『近距離であれば狙撃は問題ないですかねえ。格闘は、ちょっと』

「分かった。西に、壁面が緑色の家がある。その周辺におびき寄せる。待機してくれ」

『了解しました』


 小平は痛みをこらえた声で返した。

 痛いよな、分かるよ。

 出かかったのをこらえた。国見も食らったことがある。右脇腹だった。パッチが人工的な痛みを与えているだけで血は一滴も流れていないのに、ずきずきと走る痛みと熱さ、血が滴る感覚は本物さながらだった。

 コントローラと拳銃を持ち、警戒しつつ住宅街を進む。どこかに隠れている。目が合えばこっちのもの。懸念すべきは、第六感のピリオドと刀の攻撃範囲。


『国見さん』

「どうした」

『2ブロック先、赤っぽい壁の幼稚園があります。神崎さん、そこに入りました』

「分かった」


 小平はなんとか浮上し、神崎の居場所をとらえることに成功したようだ。ちらりと彼の方面を見る。右足をかばい、ゆっくりと降下していくのが見えた。

 2ブロック先には彼の言うとおり、黒い屋根に赤っぽい壁の建物が見えた。二つの建物はL字を成しており、長い辺は平屋、短い辺は2階建ての構造だ。園庭は森と接していて遊具がいくつか設置されている。

 2階建て部分の裏手には鉄骨の骨組みがあらわになっている廃工場が、平屋部分の脇には3階建てのアパートが建っていた。道路沿いの駐車場には数台の車が停まっており、芸が細かいことに、青いSUVの運転席にはマネキンが座している。エンジンのかかった車の中で悠々と端末をいじっている。


 建物を陰にして幼稚園に近づく。動くたび、汗が顎を伝って鎖骨をくすぐる。最高気温を記録する時間帯で、さっきからずいぶん動いている。神崎だって体力を消耗している。いや、剣道という夏は暑くて冬は寒い競技を長年続けている彼なら慣れているだろうか。

 中をうかがった。誰かがいる気配はない。静かに浮上し、2階隅の窓を開けて侵入した。1部屋ずつ見回る。上階は職員室と医務室で、階下は調理室と数部屋の保育室。神崎の姿はない。

 ふたたび2階の窓から出、浮上し平屋の屋根に移った。足音に細心の注意を払い、グラインの射出量は最小限にとどめる。物音がしないか耳をすます。


 いつかの任務でも、立てこもり犯と対峙したことがあった。河野が班長に昇格し、河野班が組まれて間もなくのころだったと記憶している。ふと思いがよぎれば、当時のことが鮮やかに脳裏に浮かんでゆく。



*****




 異能犯罪者ではなく、一般人による犯行だった。別の目標を追尾中に偶然遭遇した特異なケースだった。


 ――助けてください、娘が。


 半狂乱になって路地を叫んで駆ける中年女性を山口が目撃し話を聞いた。高校生の娘がストーカー男に捕まった。家に刃物を持って立てこもっている。男は、娘のことを前世の妻だと言って付きまとっていた。

 矢継ぎ早に話す女性の声は、イヤホン越しにキンキンと耳に届いた。

 河野の判断は素早かった。土佐と宮沢、清水の3名に追尾続行を命じ、自らを含む残りの4名で現場に向かった。


 母親が指ししめしたのは2階建ての小ぎれいな洋風建築の家で、1階リビングに男は立てこもっていた。はす向かいの空き家からリビングの様子がうかがうことができ、ずんぐりとした体型の中年男が少女を羽交い絞めにし、細い首元に刃物を突きつけているのが見えた。刃渡りの長い包丁は、少女の細い首など易々と切れそうだった。包丁は男が持参したものだと母親が震える声で証言した。


 少女は硬直し、抵抗する素振りは見せなかった。少しでも動けば喉を掻っ切られる恐怖で動けないようにも見えた。

 男が少女の腰に自らの股間を擦りつける動作を繰り返しているのが見え、醜悪さに吐き気を覚えた。そばにいた河野も、表情こそ変えなかったが同じ気持ちだったに違いない。


 ――俺が無効化する。国見は誘導、山口は保護、村上は確保準備。人質が最優先。


 河野の判断にしたがい、山口と村上は音もなく移動した。じきに警察も到着したが、幸運にも指揮官の物分かりが良かった。邪魔をしないよう距離を取って一般人を遠ざけ、こちらを見守りながらもいつでも加勢できるよう備えていた。

 野次馬が集まり始め、閑静な住宅街は異様な空気を醸していた。表だって騒ぐ者こそいなかったが、みな口々に囁きあっている。誰もが興奮を隠せずにいた。犯人が気づいて錯乱し人質に何かするのではと、内心ヒヤヒヤしていた。


 国見は河野の脇、遠目でリビングが見える位置に控えた。犯人の武器を河野が無効化し、視線をこちらに誘導する。目が合ったら国見がピリオドを用い、犯人を玄関まで移動させる。山口がタイミングよく玄関ドアを開ければ、「罪の意識に耐えかねた犯人が投降してきた」と映る。


 男が少女に何か話している。彼女が激しく首を振ったとたん、男は力任せに少女の身体を返し、床に引き倒した。長い黒髪がなびくさまが網膜に焼き付いた。白く細い足がばたつく。男がナイフをちらつかせ、馬乗りになる。

 暴行。その2文字がちらついた。班長、と国見が口を開いたのと同時に、河野は表情をいっさい変えず、自らのピリオドを発動させた。


『聡史くん、マスコミが来ちゃったみたいねえ』


 犬束隊長の困惑した声が、不意に鼓膜を揺らした。

 やんなっちゃうわねえ、と言わんばかりの声音に、ハの字に眉を下げて困り顔をした隊長の姿が浮かぶ。

 ほんのわずか、河野の動きが止まった。素早く左右に目を走らせたのが分かった。集まった群衆のなか、フラッシュの光がまたたいている。動画配信をしているのか、何事か喚いている者もいる。


「……分かってますよ」


 間近で発された声は、平時の、あらゆる感情を排したものとは違っていた。湧き上がるものを押さえつけようと取り繕ったものに思えた。

 リビングで動きが生じる。河野のピリオドで犯人が包丁を取り落とした。男は何事かと周囲を見、その間抜け面と目が合った。すかさず国見はピリオドをかけた。男は身をひるがえし、ひとりでに廊下に向かって歩きだす。


「山口さん、お願いします」

『オッケー』


 彼女がドアを開け放つと、男が奇声を発して玄関先に現れた。

 なんだよこれ、なんだよお。

 醜く叫びつづける男を村上が拘束した。山口は入れ違いで中に入り、少女を保護した。

 確保したぞ。

 群衆がどよめく。なすすべもなく地面に組み伏せられた男は、何だよこれ、どういうことだよ、と、パトカーに押し込まれるそのときまで大声を上げていた。河野は一瞥もくれることなく、少女が母親に抱きしめられているのを眺めていた。


 今だから分かる。犬束隊長が声をかけたのは、そうしなければ河野が犯人を殺していたからではないか。ああ言って河野を牽制したのではないか。

 衆目がある。目立つことをするな。そう、彼に言い含めているとも取れた。

 分かっていると答えた、彼の声音。少女が母親と抱き合うのを眺めていた彼の瞳に浮かんでいた、わずかな感情の残滓ざんし

 前世に起因する何かがあると思った。しかし、彼とその話をしたことはない。誰にでも触れられたくない過去と、触れられたくない前世が存在する。それは国見も同じだった。


 神崎が動きを見せる気配はない。こちらが侵入するのを待っている。中の様子はうかがえないが、室内の構造は想像できた。長い廊下が走っており、隣接していくつかの保育室とホールがあるのだろう。

 正面から突入するか、奇襲を試みるか。脳をフル回転させて結論を出し、国見はすぐさま行動に移した。



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