#44 傍観
金属がこすれ、断続的に高い音をたてる。足を曲げるたびに身体は前へ後ろへ揺れる。グラインを着けた右手で、真横から上に向かって伸びるチェーンを掴んだ。日光を浴びたそれは燃えるように熱く、長く握っていられるものではなかった。
河野はそっとチェーンから手を離した。指先から鉄の匂いが立つ。どこか懐かしい。今世は飛び級で早々に大学を出た。小学生だった期間は1年もない。
こうして小学校の校庭でブランコに揺られることに懐かしさを覚えるのは、前世の記憶によるものだ。そこまで考え、思考をやめる。思い出は良いものばかりではない。蓋をしておかないと、
左手の端末に視線を落とした。ちょうど、3名が動き出したところだった。
特級隊員が級付けに選抜された際は、訓練生と交戦しつつ他隊員の戦いぶりを評価せねばならない。しかし、大方は特級隊員に辿りつく前に倒される。例外は多くない。先輩隊員らの連携を崩すことはできず、せいぜいが訓練通りの能力を見せるにとどまる。
優れた訓練隊員であれば訓練で発揮しえなかった能力を見せて先輩隊員を制圧し、2級をもらう。1級になれるのは、特級、もしくは1級隊員と互角の戦いができた者に限られる。1級をもらった隊員の一部は本部に配属され、祓川本部長の元で対異能犯罪者の対処を叩きこまれる。彼女は人の長所を見出し、伸ばすのが上手い。自らを過大評価する人間を見抜く才にも長け、生意気な新人の鼻っ柱を、自尊心を傷つけぬ配慮をしたうえで叩き折るのも上手い。
本部配属の時点でエリートと称されるが、すぐに祓川隊入りを果たした者は羨望のまなざしを向けられる。分隊に戻されても目覚ましく活躍すれば引き抜かれるものの、級配――級付けによる配属で祓川隊へ抜擢されたほうが一目置かれるという謎の共通認識がICTO内にはあった。
河野の指導官にあたる崎森は、羨望の
その日は鮮やかに思い出せる。それまでの模擬練で、彼相手になかなか良いセンまで迫っていたという自負が単なる自惚れに過ぎないものだと知らしめられたからだ。念入りに念入りを重ねた手加減をずっと施されていたと悟ったときには、胸元に彼の針が突き刺さっていた。
祓川本部長や大村は、たびたび河野と崎森を「似た者同士」と形容する。それが互いの過去を指していると悟ったのは河野が崎森の前世を知ってからだ。崎森もまた、河野の前世にまつわる事件を知っていた。かつては同じ時代を生きていた。
河野は崎森より先に亡くなったが、彼の前世に関するニュースを調べたときは総毛だつ思いがした。松川や須賀、矢代や笹岡の過去も知ってはいる。だが、崎森のそれは異質だった。あの事件の当事者だからあれほど強いのだと納得した。
そのことを思うたび、自分が今の地位にいるのも拭いがたく忌々しい記憶によるものだと思い至る。それが河野をときに追いつめ、ときに苛立たせる。
前世を持たないらしい神崎を相手にするのも何かの巡り合わせかもしれない。
彼のひたむきな真面目さは、
辛い過去を持たず記憶に囚われることもなく、前世が今世に何を及ぼすのかを知らない神崎が本心から羨ましい。叶うものなら自分の遡臓と彼の遡臓を取り換えてしまいたい。神崎の姿を見て、何度かそう思った。
敵意ではない。憎いと思っているわけでも嫌いなわけでもない。ただ、羨ましい。
思いだしたくもない、切り離したくとも離せない過去がなければ今の地位にいない。多くの上級隊員も同じだ。脳裏に浮かぶことすら嫌な記憶を鮮明に覚えている者もいる。
視線は端末に落としたままで、右耳に手をやった。
『航大くん、よっぽどこの前の昇級が見送りになったの、悔しかったのねえ』
犬束隊長は見送りを提言したひとりとは思えないほど気の毒そうな声を上げた。
特級隊員に限りモニター室との通信が許されている。手元の端末ではフィールドの全貌がうかがえるが、国見と小平の動きを見るためであり神崎の目線は表示されない。
国見の連携の話になり、端末を国見の目線に切り替えた。
『ねえジョー、聞こえてる?』
「聞こえてますよ」
『テンドーの連携に難があるって、どういうこと』
画面のなか、国見は左手に黒色の物体を出した。その視界には驚いた顔の神崎が映っている。彼の銃口は国見の胸部を狙っているが、距離と腕からして命中確率は低い。見越したうえで国見は飛び出した。
左の親指を使い、国見はなにごとか操作する。すると、神崎の身体が動きだした。彼の意に反して。
「相手によっては、国見の守りがザルになるんです」
キィ。高い音が鳴る。子ども向けにあつらえてあるブランコは、22歳になる河野には小さい。
*****
トリガーに指をかけるより先に、国見がピリオドを使った。
彼の左手には、黒い物体。かつて世界中で大流行していたゲーム機専用のコントローラが握られていた。
ばちりと目が合う。しまった、と悔やむより先に、足が動き出した。身を隠していた場所から一本坂の方向へとひとりでに足が向かっていく。素早く周りを見渡す。小平はいない。辿りついていないのか、どこかで射撃体勢で待機しているか。
射出音が消え、前方に国見が降りたった。左手にはコントローラを持っており、右手にハンドガンを構え、こちらを狙っている。足は止まってくれない。このまま進めば、真正面から胸に一発だ。
左前方の脇道に工事用看板が立てかけてあった。それを認めるやいなや、無我夢中で右手に刀を抜き、左手で鞘を抜いた。
左腕を最大限伸ばして鞘で看板を引っかけ、自身と国見の目線上に来るよう力いっぱいに放った。ぱらぱらと土埃が舞う。申し訳なさそうに頭をさげる作業員のイラストが目に映る。
タン、という発砲音が響き、看板に着弾する。すんでのところで間に合った。看板が視界を塞ぐとともに足は自由を取り戻す。身を返し、グラインから煙幕を放つ。
「ちっ!」
軽い舌打ちが聞こえた。射出量を増やし、全速力で逃げる。照りつける陽光が眩しい。十分な距離をおいたところで射出を切る。
緑地公園を見つけ、グラインで浮きあがり一本の大木の幹に身をおいた。砂場の真上に位置し、子ども用のジョウロや土の成形に使うカップが砂場の
広まった視界を利用し2人の姿を探す。国見は煙幕を抜け、住宅街に足を踏み入れている。小平の姿は、いまだに確認できない。
国見の能力は実地で知った。片手にゲームコントローラを具現し、対象の下肢を操る。任意の場所に移動するよう仕向けることができるが、停止させることは出来ない。
発動条件は分かっていなかったが、今の流れを汲めば、国見と目が合う、ないしは一定の範囲内に入ることで発動すると考えられる。解除条件は彼の視界から身を隠すことだろうか。相手を視界に入れなければ発動できないという予測は当たっていた。
国見にも神崎の腕を甘く見ていた面があったのか、操られているときの速度は走る速度と変わらなかった。実地では陸上選手並みの速度にしたり、逆にゆっくり歩かせて狙撃や確保の補助的役割を担っていたりしていた。
息を整え、思考を巡らせる。目はフィールドを観察する。国見がこちらに気づく様子はない。小平の姿は見えない。
さわさわと、葉がわずかな風にその身を揺らし、こすれあう音が流れていく。ミンミンゼミがそこらじゅうで鳴いていて、うるさいくらいだ。木が多いせいだろう。
小平の能力は機動力が厄介だった。自身の身体から発する音がかき消える。グラインの音や拳銃の金属音こそ聞こえるものの、足音がしない。音はせずとも姿は見えるが忍び寄られて気づかない事態もありえる。機動力を奪うのが先決。銃で狙うなら両足だ。
いっぽう、国見は浮上が面倒だ。視界を広げられたら見つかる確率も上がる。ピリオドの術中にはまれば、上肢だけで反応するのを強いられる。
さっきは看板が的代わりになってくれた。そう何度も同じ手が使えるわけでもないし、グラインの煙幕も回数に限りがある。足、それか背部のグラインパーツを破損させて浮上の手段を削げば、地上戦に持ちこめる。
国見の射撃は神崎よりやや上、小平は同程度。近接戦はいずれもこちらに軍配があがる。不意打ちに対応でき、なおかつ国見のピリオドを食らわなければ勝機はある。
――それにしても、小平さんはいったいどこに。
依然として小柄な彼の姿が見えない。この住宅街のいずこかに隠れているのは確実なのだが、国見と合流する気配もない。どこかに隠れているのか、すでに近くにいるのか。
シュウ。
セミの鳴き声のはざま、わずかな音が聞こえた。紛れもない、グラインの射出音。
気配を察知するより先に、背が
幹を背に立ったおかげで射撃されても直撃はない。そっとナイフを取り出し、刃を傾ける。鈍く光るナイフのボディ部分に、ぼんやりと人影が映りこんでいる。立ち位置を確認し、右手に銃を構える。
すう、と息を吸いこみ、当たりをつけて後ろ手に1発。着弾音がしない。外した。
寒気もやまない。けれど、撃ってくる気配もない。どう出る。どう対処する。背にしている幹ごと、刀で斬ることもできる。視界が開けた瞬間に小平が撃ってきたら? このまま木から飛び降りるか。こちらが動くのを待ちかねている?
シミュレーションを頭に巡らせるうち、枝に銃弾が当たる鈍い音がした。数発撃ってきた。こちらに当てる意思はなく、神崎のはるか頭上を狙った。だいぶ見当はずれの方向だ。
国見に居場所を知らせるためか。ならば、なぜ通信を使わない。
がさり。何かが眼前に降ってきた。
――殺さずとも動きを止める
いつぞやの清水隊員の言葉が思い返される。
あの日彼女は、銃で、マネキンに。
落ちて来た頭上の枝葉に、ほんの一瞬反応が遅れる。右手で払ったときには、
不敵な笑みを浮かべ、コントローラを片手に持っている。ちくしょう、やられた。
「見ーっけ」
今度は、神崎が舌打ちをする番だった。足がひとりでに右に動く。木から踏み外し、身体はバランスを崩して落下する。
――落ちる。落ちて、撃たれる。
落ちても打ち所が悪ければ死ぬ。撃たれても死ぬ。ぎりぎりの思考でいる頭は、軽率に死を意識した。
右手はグラインを操作すべく無意識に動いた。次いで、左手がホルダーにかかる。右手が柄を握る。ナイフを構える。刀を引き抜く。
グラインが体勢を直そうと射出を始めるのと、国見と小平が神崎に向けてトリガーを引いたのは、ほぼ同時だった。
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