試験
#43 初動
陣頭指揮を取るのは間違いなく河野だろう。ばくばくと心臓が音を立てる。「瞬殺」の言葉が頭をちらついてばかりいる。
河野、国見、小平。脅威なのは、言わずもがな特級隊員の河野だ。
彼とは模擬練を組んでもらったことがある。ピリオドを引きだすまでもなく敗れた。崎森の後輩ということもあり、グラインの動きは無駄がなく洗練されている。こちらが隙を見せれば即座に間合いを詰めてくる。体勢を崩していても射撃の腕は確かだ。ナイフでの戦い方、投擲の正確さも遠く及ばなかった。
国見とは対人格闘で何度か対戦した。格闘術のみで言えばこちらに分がある。実地を見る限り射撃はそこそこの腕で、グラインはやや苦手。厄介なのはピリオドだ。中距離・近距離戦で本領を発揮するタイプで、周囲と連携すると途端に手ごわい。
3名の中で一番手の内を知っているのは小平。模擬練で幾度も手合わせをした。勝ったことはないが、その能力の一端は分かっている。気配を消す能力は、第六感のピリオドが正しく作用すれば反応できる。
『お二人とも、どうぞよろしくお願いしまあす』
『こちらこそー。……班長、指揮はどうしますか』
小平はいつも通り、ゆったりと語尾を伸ばして二人に挨拶をした。
フィールド上にいる4名のほか、モニター室の面々にも話の内容は筒抜けだと聞いていた。
自分も相手方のやり取りを聞いて大丈夫か疑問に思ったが、「3対1だ、これくらいのハンデは良いだろう。それに、何も君に分かるようなやり取りをするとは限らないぞ」と言われていた。
『俺は指示しない。二人とも、自分の判断で動いていい』
『分かりましたあ』
『了解です。動かれますか』
『……フィールドが出たら言う』
河野は積極的に動くつもりはないらしい。彼自身、昇級を審査する立場にあるからかもしれない。
国見・小平の両名とも、この1年で昇級試験を受験しているが昇級には至っていない。神崎はその試験がどのようなものであったのか、彼らがどのような理由で昇級を保留とされたのかも知らない。
『さて、こちらも準備が整ったが』
須賀の声が鼓膜を揺らす。モニター室を仰ぐも、室内の様子は見えなかった。
『今日は本部長もご覧になっている。十二分に実力を発揮してほしい。時間無制限、胸部に一発喰らえば終了。不測のトラブルが生じれば待機している隊員が救助に向かう。……ただし、戦闘中に介入した場合は、条件に関わらず選抜隊員を失格扱いとする』
待機組の介入。須賀からその条件は聞き及んでいた。
フィールドの動作不具合に巻き込まれたり、グラインが故障し墜落したりといった突発的なトラブルには特段のペナルティはない。「戦闘中の介入」とは、「選抜組が神崎をボコボコにする」か「神崎が選抜組を殺す寸前まで追い詰める」のいずれかだ。数の利がある選抜組は新人相手にうまく手加減をしてやれという意味でもあり、新人相手に手こずるようでは失格もやむなし、という意味でもある。失格となるのはその戦闘に参加している選抜隊員のみで、仮に国見と小平が加減なく神崎をボコボコにしたとしても、河野は失格にはならない。
『フィールド展開は、各人のピリオドを考慮し俺と崎森で決定した。では、健闘を祈る。……アレース』
『フィールドを展開します』
機械音を引き連れ、障害物がせり上がってくる。模擬練では森林や海岸沿い、ビル街と多種多様なフィールドを経験したが、今回はどんな状況か。
立ち位置が徐々に上がっていく。坂だ。3名の距離感が見て取れる高さまで来たところで、続々と生えてくる建物が視界を遮っていく。
しばしの間を置いて眼下にできあがったのは住宅街。家々が立ち並び、細い路地がいくつも点在する。商店や学校と思しき建物も見えた。5階以上の建物は見当たらない。高架線と線路も見える。
アレースの音声が響き渡った。
『ただいまの時刻は午後2時、天気は快晴です。このあとの予報は晴れときどき雨、急な雷雨にご注意ください』
直射日光が眩しい。激しく動けば暑さに体力が奪われる。じっとしているだけでも汗ばむ陽気だった。
『制限時間、無制限です。開始してください』
低いブザー音とともに、級付けは幕を開けた。
*****
「帰ったよーッ」
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
「お帰りなさい、お疲れさまです」
「お疲れーっす。矢代さんの言い方、マジでお母さんっすね」
本部棟管制室には、任務を終えた矢代茜班長の声が響いた。狙撃手を務める
迎えたのは矢代班の管制担当・
「なにバカなこと言ってんの、正真正銘お母さんでしょうがッ」
彼女が拳で小突く仕草を見せると、永田は大仰に首をすくめた。
30代半ばの矢代には、13歳と10歳になる息子がいる。たまに自らを「お母さんはさァ」と言い間違ってしまう。
吉沼は矢代より3歳年下で、高崎は間もなく30代に差し掛かろうという年のころ。2人にとって矢代は、母というより姉に近い。
「早かったですね」高崎の言葉に、吉沼が頷く。
「うん。
班の切り込み隊長である東條は級付けを優先させている。代わりに、島名
「始まったばっかりみたいだね」矢代は中央モニターを顎でしゃくる。「河野がいるんだって?」
「そっすね。河野くんと、国見と、ウチの小平」
「はーッ、なに、揃いも揃って覇気のない子ばっかりじゃないッ」
「小平はやるときはやりますって」永田がフォローを入れる。「覇気の無さで言うなら崎森さんと河野くんと笹岡さんでしょ。無気力班長トリオ」
「あ、上官の悪口。あとで班長に告げ口しよっと」
「待って、お絹ちゃん、やめて。また雑用おっつけられるじゃん、俺」
「長距離が得意な人はいないんですね」吉沼は顎に手をやってつぶやく。「もっとバラけるかと思った」
高崎もモニターを見て頷いた。「4人中3人が具現型ですけど、国見さんがどう動くかで変わってきそう」
そう言って高崎はキーボードを叩きはじめる。彼は管制担当の古株だ。ナチュラルショートの黒髪に垂れ目の風貌と穏やかな物腰は優し気な印象を与える。後輩にあたる永田や絹川にも丁寧に指導するが、機械操作は恐ろしいほど早い。
すぐさまモニターにフィールドの状況と、各個人の目線カメラが表示される。管理班の面々も自らの仕事をこなしつつ、ちらちらとモニターに目線をやっている。
「矢代さん的に、どっすか? 神崎くん」永田は
「スジはいい。固さは抜けないけど、実戦だと化ける」
「上の評価はどうでしょう」
絹川の問い。吉沼と高崎も興味があるらしく矢代を見つめる。モニターを眺めたまま矢代は言う。
「AよりのBってとこでしょ。ポテンシャルは高いけど能力の引き出しが少ない。何もなければ3級スタートで妥当」
「何もなければ?」吉沼が繰り返す。高崎が引き取る。「何かあったら?」
「そうだね、ここで何か……今までやってきたのとは違う能力を見せたり、戦い方をガラッと変えたりすれば2級もあり得る」
「1人も倒せなくてもですか?」先生に質問をする生徒よろしく、絹川は小さく手を挙げた。
「誰も倒せなきゃ3級。1人以上倒して、かつ、私たちを驚かせれば2級」
いずれにしても大変だけどね。
矢代はそう締めくくり、一同は坂を移動する神崎をじっと見つめる。
*****
開始の合図が鳴った。射撃姿勢を保って移動を開始する。音を出さないよう、グラインは起動しない。
『班長、どちらですか』
『小学校の校庭』
ちらりと、学校方面に目をやる。坂の下まで、かなり距離がある。近づくにしても途中で国見か小平にかち合う可能性が高い。近づくのは得策ではない。
『俺はここから動かない』河野は静かな声音で告げた。こちらに向かって宣言している、とも取れる。『敷地に神崎隊員が入ってきたら対応する。それ以外は任せる』
『分かりました。国見さん、合流しますか?』
『ああ』
小学校の敷地に入るまで、河野は手を出してこない。3対1が、実質2対1になった。だが、2人によって敷地内に引きずり込まれることも考えられる。
見つかるのは避けたい。下手に狙撃すれば相手に場所を知られてしまう。
じりじりと後退する。河野となるべく距離を取る。そうすれば、国見のピリオドに捕まっても時間を稼げる。3人とも、携行銃はライフルやショットガンといった大物ではない。ハンドガンであれば射程は知れている。
2人は合流したのち、こちらの居場所を突きとめに来る。できるだけ、自分に有利な――刀を存分に振るえるだけの場所を見つけなければ。
周囲に目を走らせる。神崎のいる地点は、緩やかな上り坂の途中。坂を下りきった先に河野が待機する小学校がある。付近には店と住宅が立ち並んでいる。家々は密集して連なり、その間隔は狭い。車1台が通れるくらいの細い路地が多く、中に入れば苦戦を強いられる。
線路が坂をくりぬくように通っている。プア、と音が鳴って電車が走っていった。自動運転ではあるが電車も本物だ。あれに飛び乗って駅まで近づくというのもできなくはない。
点在する建物に隠れながら坂を上りきる。住宅街が広がっていた。家一つぶんの感覚をあけている。道路も車がすれ違うのに苦労しない十分な道幅がある。
住宅街の先には解体途中か建設途中の工場が鉄筋の赤黒い骨組みを露わにしている。学校の体育館ほどの広さはありそうだ。その先には幼稚園らしき建物があり、遊具が見て取れた。
坂を上って広い住宅街か工場。あるいは坂を下って狭い住宅街と学校。
戦いやすいのは前者だ。どうにかして国見と小平を誘導したい。
狭い場所が不利なのは神崎だけで、2人のピリオドに場所は関係ない。飛び出して注意をひきつけ、こちらまで戻ろうかとも考えるが、愚策に思えてやめた。ここで迎え撃つ。
シュオ。
射出音が耳に響く。瞬時に場所を探る。音の大きさからして、かなりのスピードで向かってきている。どっちだ。国見か、小平か。
*****
「さっそく崩しにかかりましたね」
モニター室で三澤がつぶやいた。
「航大くん、よっぽどこの前の昇級が見送りになったの、悔しかったのねえ」
犬束隊長が頬に手を当てて言った。
彼の昇級は、犬束・崎森・松川・河野による異議で見送りとなっていた。松川が崎森を見やる。
「私はテンドーの指示待ちなとこが気になって反対したけど、法師は何が理由だった?」
「懐に入らないところ」
「対人格闘、避けるよねえ。ボールボーイもそうだけど」
松川は意地悪そうな目で玉池を見る。少年は胸に両手を重ねて当て、首を少し傾けて目を閉じ、図星です、と言外に表現した。
「玉池はグラインの腕でカバーしてる。国見はそれも苦手。あの能力で対人格闘に及び腰なのは致命的だ。射撃でどうにかなるもんじゃない」
「ふーん。ジョーも同じ意見だった?」
「河野は……連携に難がある、と言ってたな」
「連携ねえ」
松川は手元のタブレットに視線を落とした。
国見が神崎と直線距離で15mほどの位置で急浮上した。神崎の位置を視認し、見下ろしている。神崎は迷いなく銃口を向けた。ふむ、と隣の笹岡が何事かメモをする。
両者の視線がかち合った瞬間、国見はピリオドを発動させた。
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