#40 経過


 訓練の日々は、恐ろしいほど時の流れが早かった。

 来る日も来る日も吸収と反復を繰り返した。手抜かりやミスが命取りになると思えば、肉体的疲労だけでなく精神的な疲労も相当だった。少しずつ身体を慣らし、できることが増えるほどに課されるハードルも上がってゆく。


 近接格闘と護身術は、訓練開始7か月目で既定プログラムを修了した。中倉・三澤両教官からはこれまで受け持った中でも最速だと褒められた。しかし、いまだ二人から一本を取ったことはない。8か月目からは先輩隊員との実践を主眼に置き、グライン操作を含めた上級プログラムに移行している。


 射撃も銃の組み立てや構造の理解は早い段階でマスターした。命中率は中の上、遠距離射撃はさほど得意ではないが、近距離であれば命中率は高い。

 実弾を使った訓練の際は、最初の1か月は尻込みしてばかりだった。ペイント弾よりも命中率が落ち、適切なタイミングでトリガーを引けなかった。

 指先の動きひとつで人を殺せる。その思いから慎重になりすぎる神崎を見、遠山は河野班の狙撃手・清水隊員を講師に招いた。


ICTOここで使う銃の目的は、あくまで動きを封じるためです。人の命を奪うためではなく」


 屋外訓練場の一角、やや小高い場所。穏やかな口調で切りだし、清水はその手にスナイパーライフルを出現させた。

 彼女のピリオドは「銃を具現化する」というものだった。発動中は視力と身体能力が若年期のそれに戻る。ただし外見には変化がない。


「誰かを傷つけるのでは、と不安がる気持ちも分かります。見たところ、状況判断も的確ですし、むやみに撃つ真似もしない。良い傾向です」

「そうでしょうか」

 少しばかりの安堵が声に混じった。撃てないことも不安だが、自分が下している判断が適切なものか自信を持てないこともまた不安の種だった。

 清水は銃をいじりながら続ける。

「気がはやる人間がいちばん危ない。冷静であること、自信を持つこと。この二つが大事です。腕に不安であれば、場数を踏み実力を上げる」


 やわらかな声音で話しつつ、彼女はスナイパーライフルのスコープを覗いた。射線上はるか遠方で、2体の自動走行マネキンがランダムに動き回っている。肉眼では豆粒ほどにしか見えない。

 数秒の間を置き、彼女は素早くトリガーを引いた。タン、と小気味良い音が鼓膜を揺さぶる。見事に1体に着弾し、マネキンは前のめりに倒れ込んだ。


『着弾箇所、左足膝関節。距離、325mです』


 ムニンの声と共に、手近のモニターにマネキンが映る。

 左足を抑えてうずくまっている。生身の人間だったらと想像して慄然とした。この距離なら銃弾が膝を貫通するか、膝下ごと千切れてもおかしくはない。


「怖いでしょう。生身の人間だったらと思うと」こちらを見上げ、彼女は静かに告げた。「怖い気持ちがあるなら大丈夫です。銃を過信してはいけない。これは戦闘をサポートするものに過ぎず、万能な武器ではありません。殺さずとも動きを止めるすべはいくらでもありますしね。たとえば」


 ふたたびスコープを覗いた彼女は、2発続けて撃った。すぐに双眼鏡を構え、行方を追う。

 いまだ無傷で走り回っているマネキンの、頭上を覆うように広がっていた枝葉を撃ち抜いたようだった。ばさりと落下してきたそれに、マネキンは慌てふためく。


「すげえ」双眼鏡を外して感嘆の声を漏らす神崎の隣で、遠山はうんうんと頷いている。彼女のげんに賛同を示すようにも、射撃の腕を称賛しているようにも見えた。


「実地は何度も判断を迫られます。撃つか撃たないか、どこを狙うか、タイミングは今なのか。『殺すしかない』と思えば、相手しか見えません。殺したくないと思えば、おのずと視界が開けて選択肢が増えます。いかなる状況でも理性を保ち、最善の策を取る。そのためには撃つことを恐れずいとわず、自信が持てるまで経験を積むことが大事です」


 彼女はそう締めくくり、その後もたびたび指導に訪れた。技術的な面を遠山に、戦術的な面を清水に学ぶうちに実弾を使うことへの恐怖心は薄れていった。清水と四方山よもやま話を重ねるうち、彼女の前世が元軍人だということも知った。


 グラインは、半年をかけて訓練生用から実戦用のそれに切り替えた。強い苦手意識があったものの、自在にコマンドを組むことが許可されるとバタつくことも減り、わりかしスムーズに操作ができるまでに成長した。とはいえ、中間評価ではグラインのみがC評価と最も悪い。最低のD評価まではいかないが、じゅうぶん改善の余地あり、との見方である。


「身体に叩き込んでください、ありとあらゆる状況への対応を」


 玉池少年の指令のもと、屋外・屋内訓練場では先輩隊員との模擬練が繰り返された。

 少年が話していた通り、男性隊員よりも女性隊員のほうが滑らかに、かつ速く動く。須賀班の駒場こまば和沙かずさ隊員、松川班の佐久間さくま千佳ちか隊員、河野班の山口やまぐち穂波ほなみ隊員は特にそうだった。こちらの動きは読まれ、あちらの動きは読めず翻弄される。3名とも2級を有しており、射撃や近接格闘でも軽々と神崎の上を行く。

 崎森班の木島きじま飛鳥あすか1級隊員や矢代やしろ班班長・矢代あかね特級隊員といったオールラウンダータイプには手も足も出ない。近づけばナイフで一撃、距離を取ろうと退けば即座に撃たれ、ペイント弾が制服を汚す。


 しかし、負け続きの模擬練で収穫を得た。若干とはいえ、ピリオドが向上を見せたのである。


 「案外、想像通りにできたりするからなんでも試すといい」。松川の助言に頭を巡らせるうち「銃弾も斬撃で防げるのでは」と考えつき、矢代班長との模擬練で実行に移した。

 わざと距離を取り、隙を見せて射撃を誘う。殺気を放つ彼女が銃口をこちらに向けた瞬間、ぞわりと背が粟立った。

 慣れた感覚で腰に手をやり、鍔に手を掛け一太刀で振り抜く。アンノウンと遭遇した際、ガラスの雨を風で飛ばすものに近い動き。


 振ると同時に風が巻きおこる。だが銃弾のスピードに押し負けた。振り抜いて無防備になった胸にペイント弾が当たり、鈍痛が走る。


「惜しいッ。でもセンは悪くないね。忘れないうち、もう一回やるよッ」


 矢代は両手を叩き、仕切り直しを宣言した。 

 ワンレンボブのダークブラウンの髪にすらりとした体型、長く細い足。切れ長の瞳にきりりとした眉は凛々しく、どこか近寄りがたい印象を与える。だが外見と裏腹に内面は世話焼きで面倒見が良い。

 神崎がペイント弾を食らえば「濡らしたティッシュでトントン叩いときな! 染みになるよッ」と声をかけ、雨天の模擬練後には「ちゃんとお風呂であったまるんだよッ」と注意し、不注意でグラインを暴走させかけたときには「ほんとにアンタはもう落ち着けって何回言えば分かるかねッ」と、ぴしゃりと叱った。


 東條が言うにはどの隊員にも同じように接しており、一回り以上年下だという河野には、会うたび「アンタはもう眠たげな顔してないでシャキッとしなさいシャキッと!」と口酸っぱく言っているという。

 彼女の指導もあり、抜刀で風を起こすことは時間をかけてマスターした。さらに鍛錬を積めば銃弾を斬ることもできるだろうが、まだその域には達していない。


 模擬練が解禁されてからしばらくして、松川とも対峙した。「トドメを刺すとき以外はハ銃もナイフも使わない」というハンデ付きだった。

 移動するというよりも「舞う」と表現するにふさわしい彼女の動きは予想をはるかに超えるスピードだった。少ない射出量で音もなくこちらに近づき、一気に間合いを詰められる。判断を下すより先に彼女が先手を打つ。


「両足もーらいっ」


 掌で軽く神崎の両腿を叩くと、彼女は後退した。体勢を直して距離を詰めようとする。けれども、射出量を増やしているはずが彼女との距離が縮まらない。

 考えるより先に身体が違和感に気づいた。足が動かない。腿から下、まさに彼女が触れた部分が固まっている。膝関節は曲がったまま伸ばすことができず、セメントで塗り固められたように動かない。

 じわじわと距離が開いていく。状況を打開すべく射出量を最大にした。スピードはやや上がったが、縮まりはしない。不自然な体勢で固まっているせいでスピードに乗れないのだ。

 遮蔽物のない状態の屋外訓練場を、松川はこちらを向いたまま、すいすいと後退していく。

 50mほどの距離ができたところで、装着していたイヤホンから松川の声が響いた。


『カンカン、いくよ』


 視界の先、彼女は右手をかざした。

 指を打ち鳴らした破裂音が、イヤホン越しに届く。


 音に呼応し、足が自由を取り戻す。止まっていた血がにわかに巡りだすような感覚がした。

 体勢を直すも、最大射出を続けるグラインがアホみたいなスピードで前進を始めた。身体が射出の勢いに引っ張られる。

 落ち着け、慌てるな。

 自分に言い聞かせる。ここで壁に激突し怪我でもすれば、松川は盛大に話を持って矢代に言いふらすだろう。矢代から「っとにアンタはもう命知らずのバカチンだよッ」と小言を頂戴する未来は想像に難くない。


 方向転換する猶予はない。腿のホルダーに手をやり、右手にナイフを構える。間合いに入った瞬間、松川の胸元めがけて突きを繰り出した。


 がち、と鈍い音が響く。刃が胸部を捉えたそれではない。分厚い何かに当たった。左手にしびれが走り、ナイフを持つ手が緩む。

 何か、固いものにぶつかった。


「ざんねーん」


 眼前の松川は不敵に笑っていた。

 ナイフは彼女の手の平に当たっている。が、貫通はしていない。よくよく見れば刃先が零れて折れてしまっていた。両足に体験したのと同じ硬質化が、彼女の手に発生している。

 松川の空いた右手、細くしなやかな指先が神崎の左手を覆う。即座に手が自由を失う。どんなに手を開こうとしても微動だにしない。

 動かせる右手で素早くホルダーから銃を取りだす。だが、照準を合わせる前に手首を掴まれ、自由を失う。感覚こそ失ってはいないが力が上手く入らない。するりと撫で上げられると上腕までも固まった。

 あっさりと銃を奪われ、「はい、ずどーん」という気の抜けた声と共に正面から容赦なくペイント弾を浴びせられる。


『終了です』

「お疲れさまぁ」松川は微笑んで指を鳴らした。封じられていた身体が自由を取り戻す。

「なんですかこれ、鉛みたいな……」

「コンクリート」

「コンクリ?」その特性が頭に浮かんだ。「だから、触れてから固まるまで時差があるんですね」

「時間は調節できる。触れた瞬間に固められるし、時間を置いてじわじわ固めることもできる」

「人にも物にも使えて、指をはじくのが合図?」

「モノには使えない。それがデメリットかな」


 自身に使えば銃弾やナイフを防げる。相手に使えば拘束も可能。近接戦向きの能力だが、使いようによっては中距離型の敵にも有用だろう。


 コンクリートが強く残る記憶。

 彼女は、前世が犯罪被害者と言っていた。


 何がピリオドの引き金になったのか考えそうになり、小さく首を振る。話さないことを詮索しようとするのは浅はかだと思った。


「私と当たったときの参考になればいいね」

「分かっていても、対応できるかどうか」

「堅いこと言わない、コンクリートだけに。なんちゃって~」


 自らの発言に笑っている松川を呆れ顔で見やる。

 コンクリートも斬れると思えば斬れるかもしれない。「固いものは斬れない」「刃こぼれする」と咄嗟に浮かんだ。想像力が不足し先入観が邪魔をした。未熟さが露呈し、歯噛みする思いだった。


 ピリオド訓練では、須賀の瞬間移動に対応できてきた。厄介なのは東條で、「いや普通ここで出さないだろ」と思うものを出してくる。マーライオン、ガトリング砲、大玉ころがしの大玉、銅鑼、猫型ロボットのぬいぐるみ、まきびし、エトセトラ、エトセトラ。

 繰り出されるものにいちいち反応を示してしまい、「斬れるかどうか」を考えてしまう。逡巡の間隙を突いて別の攻撃――東條が投擲したナイフであったり、正確に胸元を狙ったペイント弾であったり――にやられるのがルーティーンと化した。


「対応力と想像力をつけなアカンな。次はゲスト呼ぶか」


 そう言った東條に、どこかの班員が手本を見せてくれるのかと安易に考えていた。

 翌日、東條と共に訓練場に現れたのは崎森だった。


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