#39 相談

 相手が職員とはいえ、外部の人間に変わりはない。言葉を選び、口外してはならないことを話さないよう注意し、ぼかせる部分はぼかして話した。

 彼女は「へえ」「あらあ」「まあ」と感嘆の相槌を打ちつつ聞いてくれた。


「そっかあ。急いでも仕方がないって分かっていても、焦っちゃうのねえ」

「そうなんですよねえ」


 女性は口内で黒飴を転がしながら語尾を伸ばして言った。こちらもつられて語尾が伸びる。


「気負ったところで、と思ってはいるんですが」

「自分が『まだなにも成し遂げてない』って思っちゃってるのかしらねえ」


 言葉が胸に刺さる。「そうかもしれません」と口から出た声は沈んでおり、視線もおのずと下がった。

 自分はアンノウンにとって、父にとっても重要なカギを握っている。にも関わらず、貢献できていない。歯がゆく、この状況を打開したい、どうにかせねばと思っている。なのに対人格闘では投げられてばかりだしグラインも壁にぶつかってばかりだ。ピリオドに至っては、自分の意思で操ることもままならない。


「正しく努力をしていると思っていても、実力が伴っていない気がして」

「訓練のこと?」

「そうです」

「運動神経良さそうだものね。自分がいちばん力不足っていう状況が辛いのかしら」


 図星であった。運動神経は良い。たいがいの運動は初めてでもそれなりの成績を残せたし、コツを人に教えることも多かった。

 しかしここでは、持って生まれた運動神経よりも、躊躇ためらいなくトリガーを引く決断力や周囲の状況を把握する観察力の方が重要だった。運動神経如何いかんはそのあとの話だ。

 真面目に取り組んでいるつもりでも、心のどこかで「きっと今までのように上手くできる」というおごりがあったことは否めない。むしろそれが、現実との乖離を見せつけてきて焦りの遠因になっていると薄々は気付いていた。認めたくはなかったけれど。

 恥を承知でそのことも話す。女性は責めることも笑うこともなかった。ぽろりと本音が口から出る。


「我ながら、自分の傲慢さがショックなのかもしれないです」

「気付けたなら万々歳じゃないの」女性は優しく諭す。「そういうのはね、分からない人のほうが多いわよ。何十年も生きてきても、自分の思う通りに行かないことを他人のせいにする人もいるんだから。真悟くんは18年しか生きていないのに気づけて良かったじゃない」

「そうでしょうか」

「そう。自分を知り尽くしている人間こそ強い」


 何事につけてもそうなのだ、と彼女は続けた。自分の欠点を知り、深く理解し改善できる者こそが、最短距離で正解に辿りつける、と。


「あなたは自分が『もっとうまくできると思っていた』と理解できたでしょう。だったら、『できると思っている今までの自分』を捨て去って、『何もできない自分』だと思えばいいんじゃない?」

「何もできない自分……」

「できると思っているからハードルが勝手に上がるのよねえ。自分で自分に期待をしちゃう。できないとショックで、本当はもっとできるはずだと思って焦る」


 自分で自分に期待。知らず知らずのうちにしていたように思う。

 長年剣道をやってきて、全国大会に出たこともある。大学の体育学科に受かった経歴も持っている。だからこそ、訓練もできるはず。

 無意識のうちに起きた、自分への期待。

 改めて考えると笑ってしまう。いま自分が経験していることは、一般人として生活していく上では経験しえない。今までの経験と同一視することに意味はない。同じカテゴリに分類して考えていたゆえに勝手に期待を抱き、勝手に失望していた。

 二つを切り離し、ゼロから始める気持ちでいるべきなのだ。そのほうが自分を客観視できる。これまでの功績に頼っていると、勝手に補正がかかって主観でしか自分を見ることができない。

 上手く説明できなかった感情の糸が徐々にほどけていく。胸がすく思いがした。


「……そうか、今までの自分と、きっぱり切り離さないといけないんだ」

「完璧に切り離す必要はないけれど、上手く行かないことは切り離して考えたほうが楽じゃないかしら」

「ありがとうございます。なんだか、気持ちが楽になりました」

「あら本当?」女性はにこやかに笑いかける。「なら良かった。おばさんもたまには若い子の役に立ってみたかったの」

「聞いてもらえて良かったです。自分だけで考えていたら、いつまでも悶々としていたかも」

「嬉しいこと言うじゃない。おやつあげちゃいましょ」


 トートバックからビスケットやクッキーが次々と出てくる。きっちり三角に折りたたまれたコンビニのレジ袋を一緒に取り出し、女性はお菓子をぽんぽんと入れて神崎の手に握らせた。


「食べ盛りの子はいっぱい食べないとね」


 うふふ、と楽し気に言う彼女に丁重に礼を言って頂戴する。

 気持ちが落ち着き、ぼうっと池を眺めた。彼女も話を振るでもなく同じ方向を見ている。頬を撫ぜる風が心地良かった。

 互いに無言であったが、居心地の悪いものではない。素性も分からない女性に心のうちを打ち明けるのは初めてだったが、彼女の醸す優しさに救われた。自分もいつか、誰かの心を軽くすることができたらいいな、と思った。


 しばらくして、一人分の足音がした。本部棟の方向から聞こえてくるそれは、自分たちの後ろを通り過ぎていくのかと思ったが、神崎らの背後でぴたりと止まる。


「……何をしてるんですか」


 呆れた声が降ってくる。聞き覚えのあるトーンに振り向くと、河野が立っていた。

 相も変わらず表情は読めないが、しらーっとした感じを出しているのは分かった。休憩していることを咎められたのかと、居ずまいを正す。


「すみません、ちょっと休憩を」

「……君じゃなくて」


 河野はそう言い、女性に目を向けた。彼女は呑気に「あらぁ、聡史さとしくん」と口に手を当て、小さく手を振っている。


「どうしてこんなところで油売ってるんです、犬束いぬつか隊長」


 犬束隊長。

 思わず声が出そうになった。何度か耳にしたその名は、東京本部第1中隊長を指すはずだ。では、隣に腰かけている人の良さそうなこの女性が?

 嘘だろ、と思って彼女を凝視する。女性は、あらあ、と素っ頓狂な声を上げた。


「6時からじゃなかったかしら」

「いいえ、4時半からです。皆さんお揃いです」

「やだ、悪いことしちゃったわねえ」


 よっこらしょ、と声を出して女性――犬束あきら第1中隊長は腰を上げた。仕草も話し言葉も何もかもが「その辺にいるおばさん」にしか思えず、神崎は口を開けたまま呆けていることしかできない。


「じゃあね、真悟くん。訓練頑張って」

「すいません、俺、初めてお会いするのに……」


 慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。無礼なことを言っていないだろうかと不安に思ったが、犬束は口に手を当て、笑んだ。


「いっぱい迷う人のほうが、沢山の道を知れるものですよ」

「……はい」

 彼女はエールを送るように、神崎に向かって握りこぶしを作ってみせた。そして河野に向きなおる。

「聡史くん、ごめんなさいね。探しに来てくれたの?」

「そんなとこです」


 連れ立つ二人にもう一度礼をした。河野はこちらに一瞥を寄越したが、何も言わずに視線を前に戻して歩いて行く。


「いつまでその姿でいるんですか」

「いいじゃない。親しみがあって話しやすいでしょ」

「だから部外者と勘違いされるのでは?」

「あら、カナメくんと同じこと言うのね」


 遠目から見れば母子にも見える二人の背を見送る。「いつまでその姿でいるのか」とはなんだろう。彼女は見目を変えられるのか、単に制服に着替えることを指しているのか。

 よくよく考えれば、彼女はこちらが名乗ってもいないのに「真悟くん」と名を呼び、年齢も知っていた。自分が誰かを知ったうえで話していた。

 隊長は多忙だと聞いていた。須賀から「今日の訓練、隊長が見ていたぞ」と声を掛けてきたこともあったが、姿を見たことはなかった。あの姿であれば見られていても出入りの職員だと思ったに違いない。中村は隊長について「その辺にいそうな人」「なんで部外者がいるのかと思った」と話していたではないか。あの姿なら気付かないはずである。

 教官陣か大村あたりがそれとなく話をしてくれていたのだろうか。新人がどうも空回ってしまっている、とでも。


「いっぱい迷う人のほうが、沢山の道を知れる……か」


 もう一度、芝生に寝転がる。沈んでいた気持ちは霧消し、波立っていた感情は凪いでいた。

 


 ここのところ浅い眠りを繰り返してばかりだった。今夜はよく眠れるのでは。

 悩みに一筋の活路が見出みいだされ安心したこともあり、その晩は布団をかぶって間もなくまどろんだ。


 そして、奇妙な夢を見た。


 白い床、白い天井、白い壁、白い服。視界に映るありとあらゆるものが白い。窓のない四角い部屋に一人、佇んでいる。手にはあの白い刀がある。目の前には白い椅子が、白い扉に向かって置いてある。

 誰かが入ってくる。髪の長い女性。彼女もまた白い服を着ている。生気のない目がこちらを見、こちらの顔を見るなり両手を合わせ、何度も頭を下げる。

 ありがとうございます、ありがとうございます。

 彼女は何度も感謝の言葉を述べる。大粒の涙を零し、拭うこともせず、椅子に掛けた。

 女性の後ろに立つ。彼女は深くうなだれ、首を差し出す姿勢になる。両手を合わせたまま、何かに祈りを捧げている。


 夢の中にいる自分は、ためらいもなく左腰に手をやった。刀を抜き、彼女の真横に立つ。白い刃をひたりと彼女の首につけ、大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろした。


 場面が変わる。教会を彷彿とさせる建物の、広い部屋。自分は誰かを隅に追いつめている。後ろには身重と思しき大きな腹の若い女性がおり、彼女を守る盾のごとく中年の男女がその前にいた。彼らは身重の女性の目を覆っている。これから起こることを見るなと言わんばかりに。

 しゃがみこんでいる男と目が合う。くっきりとした二重。彫りの深い顔立ち。憎悪と怨讐おんしゅうが入り混じった瞳。纏っている白い服は、赤く染まっている。

 携える刀は赤く染まっている。眼前の男を切りつけて、ここまで追い込んだのだろう。男は、鋭い眼光でこちらを見据え、はっきりと言った。


 ――何度生まれ変わっても、お前らを破滅に追い込んでやる。

 ――呪ってやる。呪い殺してやる。


 言葉を継ごうとした口を白刃が突いた。壁に刃が刺さる感触が、手に伝播でんぱする。

 素早く抜き、男を袈裟斬りにした。鮮血が飛び散り、苦々しい顔を浮かべた男が鬼の形相でこちらを見る。


 場面が変わる。少女がいる。後ろには警官と思しき男が数名。白い建物の入り口に彼らは立っていて、自分は屋内にいる。左手には刀を、右手は年端もいかない男児の手を握っていた。


 ――あのひとです。


 少女がこちらを指さし、警官が銃を向ける。男児を後ろに庇い、刀を抜いて振った。警官たちのいた場所の頭上の屋根が崩落した。


 草むらを走る。右腕に少年を抱いている。自分の服も、男児の服も鮮血で染まっている。影から誰かが飛び出してくる。左手の刀で切り捨てる。男児は、何をしているのかと無邪気な声で問う。答えずに走る。

 

 車に乗り、夜の闇を縫って逃げている。深い森の中にある一軒家に男児を預ける。一人、車に乗り込む。右手を見る。手のひらが赤い。白い服は、赤い服になっている。

 森を抜け、丘を走る。バックミラーを確認した顔は、自分ではない。知らない顔で、どこかで見た顔だった。何かから逃げるため、車は山道を猛スピードで走る。

 眼下に夜景が見えた刹那、大きな衝撃が走った。何者かに襲撃された。運転席のドアを開け、転がり出る。刀を持って森に身を隠す。誰かが名前を呼んでいる。


 ――約束通り、呪い殺しに来ましたよ。


 身を隠していた木が轟音とともに倒れた。追跡者がこちらを見ている。

 彫りが深く、モデルと見まがう長身。スリーピーススーツをきっちりと着こなしている。

 そこで、自分は初めて声を上げた。


 ――深見ふかみ。そうか、ずっと君だったのか。


 刀を傍らに放った。男がゆっくりと近づいてくる。膝をつき、頭を垂れるように首を下げる。うなじに、何かが当たる冷たい感触。ゆっくりと目を閉じる。


「……っ!!!」


 飛び起きた。はー、はー、と荒い呼吸音が耳に届く。首に手をやる。何かが当たっていた感覚は消えている。胴と首はきちんとくっついている。

 電気もつけず、手探りでキッチンに向かいコップに水を汲み、一息に飲んだ。


「……誰だったんだ」


 誰の夢か。現世の記憶ではない、誰かの過去の記憶。数十年か、あるいはもっと前の時代のもの。

 深見と呼んだ男は、間違いなくあの日、ビルの屋上で見た男――アンノウンだった。どういうことだ。自分は一度、深見を殺した。彼は呪い殺すと言い遺し、その通りに自分を殺しにやってきた。そして現代になり、夢と寸分たがわぬ見目のまま目の前に現れた。


 白い刀を持った夢の主。知らない顔で、どこかで見た顔の男。人の首を斬り、最期には自らの首をも斬られた男。


「俺の前世……?」


 背が粟立つ。なぜあの男の名前を呼べた? 夢に出てきた白い刀の男は誰だ。二人の間に何があった。あの白い部屋で、男はなぜ人の首を斬っていた。これは夢か、誰かの記憶か。そうだとしたら、いったい誰の。


 ――前世がないはずの俺が、どうして。


 浮かぶ疑問は、吐き出す息とともに夜のとばりに消えた。自分しかいないこの部屋に、あの男――深見がいるのではないかと、そのときばかりは闇を恐れた。


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