#38 焦燥


 外出を終えて宿舎に戻ってからの日々、神崎は代わる代わる7名から「焦るな」とたしなめられた。


 遠山の射撃訓練では組み立てに必要な部品を一つ取りこぼし、三澤の護身術訓練では手近なもので防御をしようとして手を切った。中倉の対人格闘ではすタイミングを見誤ってに背を打った。そして玉池少年のグライン訓練ではアホみたいなスピードで壁にぶつかった。

 何かしらの訓練で焦りが出、大村はわざわざ多忙の合間を縫って訪れ「焦燥」「拙速」「訓練」「終了」と出ているから落ち着けと諭した。食堂で会った松川や絹川にも「焦っても良いことないぞう」「そうそう、急がば回れだよ」と声を掛けられた。


 自覚はあった。早く一人前にならないと、という焦り。アンノウンを突き止めたいという気持ち。それらが混ざって勇み足になった。ひよっこの自分がどこまでやれるか分かり切っていることなのに、早く早く、と知らぬ間に気がいてしまう。


 ピリオドをうまく使いこなせないのも原因の一つだった。

 グラインを使い始めて1か月のうちに、なんとか一人でも乗りこなせるレベルまでこじつけた。それに伴い、ピリオドを使っての訓練も開始された。

 担当教官は須賀と、矢代班に属する東條とうじょうという男性隊員である。


 東條大介だいすけ1級隊員は須賀と年の頃が近い。やや小柄で中肉中背、ボリュームのある黒髪を8:2にセットしている。今世は大阪の出身だが、腕を買われて大阪中隊から引き抜かれたという彼の言葉は標準語と大阪弁が入り混じっており、親しみやすさがあった。

 彼と須賀が交代で、ときに両名で行われる訓練の初歩は「自分の意思でピリオドを出し入れすること」だった。神崎はまず、その初歩につまずいた。


「出し方があるんですか」神崎が問うと、東條は「あるよ」と関西訛りで応えた。

「ある、というより、『分かる』感じやな。出すぞー、って思うと出てくる」


 見とき、と言い置いて彼は両の手の平を上にしてみせた。

 すると、右手に筆が、左手に細長い短冊がどこからともなく現れた。たっぷりと墨が含まれている筆で彼は短冊に文字を連ねる。慣れた手つきは堂に入っていて、歌人のようだ。

 「竹林」と達筆な字で書いた短冊を見せ、東條はそれを目の前に落とした。軽い音とともに短冊は床に落ち、一瞬ののちに竹林そのものに姿を変える。鬱蒼と生い茂る竹林が眼前に立ちはだかり、東條の姿は見えなくなった。


「こんなふうに、使おうと思ったら出てくる。よいしょっと」


 竹のあいだから東條がひょっこり顔を出す。彼がちらりと竹林に目をやると、またたく間に竹林は消え、先ほどまでの光景に戻った。東條の手元に短冊が戻っている。書きつけたはずの文字は消えていた。


「もう要らん、と思えば消える。持続時間は練度による。試してみよか」


 促され、脳内で白い刀を出すイメージを繰り返した。

 しかし、開始から2週間経つまで刀を出すことができなかった。「出てこい」と念じても、表出した出来事を思い浮かべても反応しない。腰に手をやっても何の感触もない。

 分かりやすく気落ちし狼狽える神崎に対し、東條の対応は寛容だった。


「まあ、ピリオドが2つある時点で普通の考えが通じるとは思っとらんわ」

「すいません」

「謝るこっちゃない。そのうち出てくるやろ。もしくは刀のピリオドは何かしらの理由で消えて、第六感だけが残った、とかな」


 東條の仮説を証明するために、5月の半ばに行われた訓練では、秘密裏に小平が参加した。

 須賀と東條の話を聞いている神崎の後ろから音もなく忍び寄り銃を突きつけるという役割だったらしい。それに気づけば第6感のピリオドは消えていないというのが須賀の考えだった。


 実際、彼の目論見もくろみ通りだった。背になんとも言えない違和感を覚えて振り向いたとき、数m後ろに銃を構えた小平が立っていて驚愕した。彼がトリガーに指をかけたのを見て、思わず左腰に手がいった。と、あの白い刀が具現した。躊躇なく刃を抜き、斜めに振り上げて払う。そこに自身の意思はなく、ほぼ反射に近い動きだった。

 銃身は真っ二つになり、小平は素早くグラインで距離を取った。ピリオドは2種とも失われたわけではなかった。


「すいません、怪我はないですか!?」

平気へーきですよお」

「なんや、ちゃんと出るなぁ」

「身の危険を感じると出るタイプかもしれないな」


 慌てて小平に駆け寄る神崎をよそに、須賀と東條は冷静に分析していた。

 だが言われてみれば、白い刀を表出したのはいずれも神崎が危険な目――主に、死を意識するほどの出来事に遭遇したときなのも確かだった。


「死にそうになると出る、なんて例があるんですか」

「聞いたことないなあ」間延びした声で東條は言う。「だいたいは自分の意思で出し入れできるんや」

「訓練が足りないんですかね」

「どうやろ、人によるとしか言えん。慣れれば自分の意思で出せるんちゃう?」


 それ以降は「身の危険を感じさせる」状況で訓練がなされた。ペイント弾ではなく、当たるとわずかに電流が走る弾を。ナイフの刀身は、ゴムではなく人工的な錆をつけた刃に。

 教官陣も手加減の度合いを下げていく。幾度も攻撃を食らい身体を倒されていくうち、刀を出す頻度も上がっていった。それでも、自分の意思で出し入れする段階には至らなかった。


 5月の最終日に当たる本日の訓練は、東條との模擬戦闘だった。グラインは使わず、胸元に一撃浴びたら終了というルールで5ラウンド繰り返し、いずれも敗北を喫した。

 「手錠」や「足枷」と書かれた短冊を接近戦で身体に貼りつけられると、具現化されたそれらに拘束されて動きが取れない。

 数度は気配を察知して刀で切って捨てたが、動きのクセを看破され「盾」や「人形」で躱された。手も足も出ず息だけが上がり、何度も肩で息をする。

 無力感に打ちひしがれ大の字になる神崎を見下ろし、呼吸どころか髪の毛一つ乱れていない東條は面白そうに言った。


「不思議やなあ。こちらが殺気を出せば出すほど俊敏に対応取れる。手加減すると刀自体出せん」

「……訓練を舐めているわけではないんです」

「そんなん、見れば分かる。お前の性格からして、訓練舐めるなんて無理やろ。本能やないか?」

「本能……」

「実践のが上手く立ち回れるし、出来ることも増えるタイプやな。訓練以上のことが実践で出来るやもしれん。だったらなおのこと焦るのはアカン。訓練で出来んもんは実戦でも出来ん。実戦はもっとうまくできるとタカをくくってもアカン」


 訓練で120%を尽くせと言われ、頷く。「頑張りや」という東條の励ましで訓練は終了した。

 節々が痛む身体を鼓舞し、管制室で実地を見学する。

 2カ月近く足しげく通ったおかげで全ての班の実地を一通り見ることができ、幾人かの隊員のピリオドも把握した。


 班には特色がある。被疑者の動きに合わせて柔軟に対応する班、被疑者をこちらの思惑通りに誘導する班。取る方針は班長の指針と班員の能力による。

 松川班と須賀班は前者だ。被疑者の能力を素早く見極め、最小限の被害に食い止める策が即座に取られる。笹岡班・矢代班は後者で、その場で最適と思われる制圧方法で被疑者を追いつめていく。狙撃が有効ならば狙撃ポイントまで誘導する。被疑者は気付かぬうちに策にはまっている。崎森班と河野班は二者のハイブリッドで、能力により対応を変える。

 班員の動きにも違いがある。須賀班・松川班・笹岡班はチームとして動く。互いが互いを補い、手ぬかりなく被疑者を追いつめる。

 崎森班・河野班・矢代班は、腕利きの隊員が先陣を切り他の隊員がサポートに回る。切り込み隊長が1人で制圧できればそれで終了、状況によっては次の作戦が展開される。

 先陣を切る隊員はほぼ固定されている。崎森班は中村、河野班は土佐、矢代班は東條と、いずれも1級隊員だ。玉池や清水、矢代班は吉沼よしぬまといった射撃の得意とする隊員がサポートとしてつく。

 見学に訪れた際には松川班が異能犯罪者を制圧する間際だった。松川の落ち着いた指示がスピーカー越しに聞こえてくる。


『佐久間、そのまま確保。田中が援護。右手に警戒』

『了解』

『遠山、南に30m移動。射線上に現れたら撃っていいよ』

『分かりました』


 彼女は、ふだん見せる茶目っ気や呑気さを実地ではいっさい見せない。班員は名前で呼び、短く的確な指示は河野を彷彿とさせる。狙撃手の遠山よりも状況が見えており、射撃角度や距離まで的確に把握している。

 いまだに彼女がピリオドを使う場面は見ていないが、たとえどれほど些細な能力だとしても彼女の判断力と分析力にかかれば脅威になる。一瞬で撃破されるのも想像に難くない。そうしてまた、もっと早く一人前にならねばと気が急いてしまう。負の循環を止められず、じりじりと胸にさざ波が立つ。


 見学後、気持ちを落ち着けようと本部棟の近くで休憩することにした。

 屋内訓練場へ向かう道すがら、緩やかになる下り坂の脇に直径15mほどの池がある。向こう岸は森に囲まれており、池のほとりは芝生が整備されている。ときどき、寝転んで昼寝している者を見かける。自分も寝転んでリフレッシュしたくなった。


 からっとした陽気だが、雨天の日も増えてきた。そのうち梅雨を迎えるだろう。16時過ぎだが日は高く、風が吹いているからか制服を着ていても暑いとは感じない、過ごしやすい温度だった。

 芝生に寝転ぶ。定期的に業者が整備しているのだろう、ふかふかとした感触が背に伝わる。


「焦ってもしょうがねえのになあ」


 青空を見、ため息が出る。

 実地や訓練で上官たちとの力の差を見せつけられるたび、そわそわする。刀を思う通りに具現化できないことが歯がゆく、グラインもいまだに壁にぶつかる。 

 果たして、きちんと訓練を修了できるのか。日課として続けている自主練は役に立っているのか。剣道や勉強のように、積み重ねた努力が実を結ぶというものでもない。能力を使いこなせないと意味がないのに、自分はそれですら出現条件が曖昧だ。


 級付けでコテンパンにされるのではという恐怖。思った通りに結果が出ないことへの苛立ち。父の消息を突き止めたいという気持ちも日に日に大きくなっている。


「どうすればいいのかなあ」


 教官含め、他の隊員も神崎には優しい。誰が言い回ったのか――触れ回るような人物には心当たりがあるが――神崎イコール礼儀正しい、と周知されていた。分からないことは質問すれば教えてくれる。自分で考えろとなじられることもなければ、意味なく敵視されることもない。

 それがかえって不安だった。戦力としてカウントされていない、お客様状態として見られているゆえではないか、とか、2つのピリオドを持つ人間、まして前世もないということで何かを疑われており、他人行儀になっているのではないか。

 自信のなさと力不足が相まってネガティブな方面に頭が傾く。自己嫌悪も募る。

 何もかもが停滞している気がして、大きく息を吐いた。


「あら、お兄さん。何かお悩み?」


 不意に、女性の声が降ってきた。声の主の姿が見えず、上体を起こして左右を伺うと背後に立つ人影で視界が暗くなる。

 見上げれば、視界に上下さかさまに女性の顔があり、目が合った。

 おかっぱ頭にフチなしの丸眼鏡をかけている。50代かそこらに見え、口元にはくっきりと法令線が刻まれている。口角は緩い弧を描き、上品に微笑んでいる。

 黒いパンツに青いシャツ、ボーダーのカーディガンを羽織って白い布地のトートバックを肩から提げている。敷地内で私服なのは業務を終えた職員か出入りの業者くらいだ。

 風貌から、出入りの業者だと直感した。記憶研職員もICTO隊員も、きびきびと話し、すたすたと歩く。目の前の女性は、隊員のなかでは動作がゆったりとしている小平よりも穏やかで、おっとりした声音だった。


「あ、はい。……色々と」

「あらぁ。アメ舐める?」


 彼女は「どっこいしょ」と掛け声を口にしつつ隣に座った。トートバックから個包装の黒飴を取り出してこちらに寄越す。礼を言って受け取る。


「おばさんで良かったら、話聞くわよ」


 自らのぶんの黒飴を手に取り、個包装を破きながら彼女は言った。

 話してから高価な壺や水を勧められたり、怪しい宗教に入信しないかと誘われたりやしないか。訝しく思う気持ちが湧く。

 けれども参っているときの人間は正直なもので、口からは先ほどまで考えていたことがするりと出てきた。


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