#37 三度


 お別れ会を開催するのが一般人に浸透したのはここ数十年の話と言われている。

 それまではもっぱら、著名人が死去した際にファンや関係者に向けて行われるものと定義されていた。時代の潮流により葬儀の形は変化し、葬儀は親族内で済ませ、後に友人らを呼んでのお別れ会を行うのが一般的となった。

 喪服に近い服装で参加するというルールはあるが、会の雰囲気に葬儀ほどの厳格さや静謐せいひつさはない。故人を思って語らい、故人の経歴や功績が紹介される。故人が映像でメッセージを遺している場合は上映される。それを見て涙を流す参加者も多い。

 お別れ会は葬儀から1週間から1か月ほど日を空ける。各所への対応に追われていた遺族にもいささか心と体の余裕ができており、多忙を極めた遺族にとっては故人を送るしめくくりとなる。遺族をねぎらうため、親族が主催を代行することもある。


「好きなアイドルのカラーか、なるほどね」


 母は結局、深みのある赤――バーガンディのロングスカートを選んだ。白いニット、黒いジャケットを合わせている。神崎は黒いシャツに赤いネクタイとハンカチを合わせ、黒のジャケットとパンツにした。赤いシャツはやや明るすぎたのでやめた。

 「前時代のヤクザみたい。顔に傷もあるし」と母は面白そうに言った。前時代のヤクザなるものが果たしてこんな服装をしていたのかを知らないので聞き流した。


 会場は最寄りのセレモニーホールである。多人数で会を執り行い、ごく親しい者は会の終了後に故人の自宅で仏壇に手を合わせ、遺品を託されていれば受け取る。

 駐車場は満車に近かった。同じ時間帯にお別れ会を複数行うことは避ける風習がある。停まっているのはすべて参列者の車というわけだ。


「ずいぶん規模が大きいんだなあ」


 空いたスペースに駐車してハンドブレーキを引いた母は驚きまじりの声で言った。

 ちらりと周囲をうかがう。カメラを構えた報道関係者と思しき数人の男女が入り口付近に立っていた。声を掛けられないよう自然と足早に中に入った。


 ホールには10人ほどの人々が談笑していた。いずれも参列者らしく、全員が赤いものを身につけている。赤いシャツ、赤いワンピース、赤いハイヒール、赤いハンカチ、赤いバッグ、赤いスカーフ。

 年代も幅広い。同年代らしい杖をついた女性が車いすの女性と話をしていれば、学生に見える女子が数人、輪になっている。アイドル以外にも趣味のサークルや寄り合いに積極的に顔を出す人だったとはいえ、彼女の築いていた人脈には驚かされた。

 受付で席次表が配られた。200人は入れそうな広い部屋に足を踏みいれると、賑やかなポップソングで迎えられた。彼女が生前愛してやまなかったグループの曲のようだった。


 会場最奥には祭壇が作られていた。ダリアやバラ、ガーベラ、カーネーションといった花はいずれも赤色で、葉の緑とのグラデーションが美しい。中央には遺影が飾られている。

 席次表で示されていたのは見知った近所の方々で固められたテーブルで、会が始まるまでは世間話をした。皆一様に、事件を機に進学から就職に進路を変えたこちらを案じ、顔に残った怪我を残念がった。ICTOという組織を詳しく知らない者からは職務内容を聞かれ、大村や須賀から聞いた一般人向けの説明をする。


 BGMが鳴りやみ、司会の言葉とともに会が始まった。全員で黙祷を捧げ、故人の経歴が紹介される。生前の写真がスライド表示されると、すすり泣きが聞こえた。

 遺族を代表し、喪主であり彼女の息子でもあり、翼と祐梨の父でもある鷹野原たかのはら智之ともゆき氏が挨拶した。


 これほど多くの人に愛された母はきっと幸せだったことでしょう、と彼はまず母を悼んだ。

 あの事件に遭い、お別れ会というのも本当はすべきでなかったのかもしれないが「自分の葬式は好きなものと好きな人に囲まれたいのだ」と彼女がかつて話していたことを家族で話し合い出来る限り実現した。どうか意を汲んでいただければ幸いである、と続ける。


「生まれ変わると分かっていると、別れがつらくないものです。いつかまた会えると信じています」


 まばたきを繰り返しつつ、そう挨拶を締めた彼。シャッター音が聞こえる。式場のスタッフか、報道関係者か。

 司会が二言三言述べたのち、食事がサーブされる。参加者は食べながらテーブルごとに彼女の思い出話をする。

 お別れ会とはこういうものだと思って育ってきたが、母が言うには「ひと昔前の結婚式もこんな感じだった」らしい。相反するふたつが似た形式に落ち着いたのは不思議なものだと改めて感じた。

 参列者には同意見の者もおり、「かえってこの方が、湿っぽくならなくていいねえ」と涙をハンカチで拭っていた。


 生まれ変わると分かっていると、別れがつらくないものです。いつかまた会えると信じています。


 智之氏の言葉が思い出される。

 死はつらく悲しいが、いつかまた生まれ変わる。もしかすると、自分が生きているうちに、生まれ変わってきてくれるかも。

 その考えが根付き、死の持つ意味はずいぶん変わった。


 ――来世で、熊岡のことを思い出しませんように。


 ポップソングが流れる会場で、祭壇の遺影を見つめて神崎はそっと願った。

 彼女がすぐ生まれ変わり、鮮明な記憶を思い出したとき、彼女の遡臓は活性化し、ピリオドが授けられるかもしれない。

 そう遠くない未来に、彼女がまったく違う見た目で、まったく違う名前で、まったく違う性格で生まれ変わり神崎の目の前に姿を見せることだって考えられる。それも巡り合わせだろうが、そうはなって欲しくない気持ちがあった。


 途中、トイレに席を外した。戻る道すがら、受付から何やら揉めているような声が聞こえて立ち止まった。


「参列はご遠慮ください。招待していませんので、お引き取りを」


 断固した意思を滲ませて言い放つ声の主は、喪主の智之氏だった。

 有名な商社で働いている彼は多忙の合間を縫って子どもたちと遊んでいた。公園で翼とサッカーボールを蹴りあい、祐梨の自転車の特訓に付き合う子煩悩な父親。

 一度、近所のコンビニで彼らと会ったことがある。子どもたちにアイスを買ってくれとねだられ、「夕飯前なのになあ」と困った顔をしていた。

 そんな家族思いで温和な彼が、ここまで温度をなくした声を出すなんて。


「参列したいと言うつもりはございません。お仏壇にお線香を上げるだけでも、お許しいただけませんか」


 食い下がる声の主は、若い男。会には招かれておらず、このあと自宅で行われる遺品分けが始まるまでに家で焼香をさせてほしいと言っているようだった。


「お断りします。それで許された気持ちになられたら堪らない。あなた方のせいで母が亡くなった事実は変わりません」


 ぴしゃりと智之氏は提案をはねのける。

 若い男は警察関係者か。せめてもの償いで仏壇にという気持ちは分からなくもないが、神崎が同じ立場でも拒絶するだろう。

 盗み聞きをしている気分に後ろめたさを感じる。だが受付横を通らねば会場に戻れない。聞こえていなかった振りをして足を踏み出す。


「参列者の方に迷惑だ、もう今日はお帰りください。ここに来られることも迷惑なんです」

「……申し訳ございません」


 喪服姿で深く頭を下げる男が見えた。智之氏はこちらに気付いて険しくしていた顔を気まずそうに背けた。しかし見られた事実を受け止めたのか、バツの悪い顔を浮かべながらもこちらに手を上げた。重苦しい雰囲気の中に割って入ることにバツの悪さを覚えつつも軽く会釈をする。

 近づいてきた人影に反応して、男が顔を上げた。

 思わず、その名が口をついて出た。


「……沖野おきのくん」


 コーヒーショップで会った沖野伊織いおりは、こちらを認めるなり目を丸くした。


「真悟くんの知り合い?」

 智之氏に、やや棘のある声で問われる。こちらまで責められている気分になって少したじろぐ。

「高校は違いますが、同じ剣道部で」

「そうなんだ。君のところには来たの? 警察の人」

「事情聴取は、ICTO経由で」

「犯人のせいで顔に傷がついたのに、直接の謝罪もないんだね」


 沖野がはっとした表情を浮かべる。その言葉で、神崎の左頬の傷が熊岡によるものだと悟ったようだった。


「申し訳ございませんでした」


 深く頭を下げられ、いたたまれない気持ちになる。

 熊岡のせいでもあるが、自分が首を突っ込んでいったことも事実だ。彼や警察がすべて悪いわけではない。無謀な自分の振る舞いでできた自業自得の証でもあるのだから。


「気にしないでください。俺が首を突っ込んでできたものです」


 取り成すように声をかけるが、沖野は頭を下げたまま動かない。彼も針のむしろだろう。警察が動かなかったとはいえ、彼一人が重責を負うのは筋が違うとも思える。年若い彼が熊岡を軽んじたわけではない。彼の上にいる者の決断が間違っていたから起きた出来事だ。


「お父さん」


 子ども特有の高い声がホールに響いた。白シャツに赤いネクタイを締め、ジャケットを羽織っている翼が、こちらに近寄ってきた。彼ら兄妹は事件後に親戚宅に預けられていたから、事件以降に会うのは初めてだった。

 沖野はわずかに頭を上げた。その表情を見る限り、彼も翼とは顔見知りのようだった。


「どうした」

「いおりお兄ちゃん、うちに呼んであげてよ。お線香上げてもらおう」


 話を聞いていたらしい。お願い、と手を合わせている。「おばあちゃんとよくお話してたから、おばあちゃんも顔見たいと思う」

「でも、警察がちゃんとしなかったから、おばあちゃんは」

「お兄ちゃんは見回りしてくれてたもん。うちの周りも、おばあちゃんちの周りも」


 翼の声に、以前まで纏っていた元気さはなかった。祖母が突然いなくなった心痛はいかほどのものだろう。祐梨はまだしも、翼はなぜ祖母が亡くなったのか、その原因が何なのかを理解できる年齢だ。

 彼の人生にも一つの影が落ちてしまった。翼が来世でこのことを思い出したらと想像し、目をそらす。


「お願い。会わせてあげて。おばあちゃんも会いたがってる」


 苦い顔をする父に、翼は食い下がった。

 息子の顔を見、その意思の強固たることを悟った智之氏は、手で顔を覆い、小さくため息をついた。


「……5時からの会の前、10分だけなら」

「……ありがとうございます」

「最初で最後です。許したわけではありません」


 ふたたび深い礼をする沖野を見やって、智之氏はこちらを見やった。


「巻き込んですまなかったね」


 子どもたちを守ってくれた礼、巻き込んでしまったお詫び。鷹野原夫妻が神崎家を訪れた際もこのやり取りはした。治療費と呼ぶには高すぎる金銭も添えられて。

 自分の正義感で先走っただけだと固辞したものの、治療費は受け取ってくれとなかば無理やりに渡されてしまった。葬儀が終わり、宿舎に入る前の話だ。

 氏は神崎が進路を変えたのも事件によるものだと理解しており、本当にいいのか、というふうに聞いた。のちのち後悔しないか、大学に通えば良かったと思う日が来てしまうのではと終始心配していた。

 こちらの決意が揺るがないものであることを説明すると、「母のような人をこれ以上出さないためにも、頑張ってください」と、夫妻は頭を下げたのだった。


「君は、ICTOで人を守ってね。応援しています」


 智之氏の言葉は、沖野への嫌味が込められているように取れた。頷けば沖野を愚弄する。頷かなければ氏に失礼かもしれない。

 思いまどっているあいだに葬儀社スタッフが氏を呼びに来て、彼はこちらに会釈をして去った。重石おもしが乗ったような苦しさが心に残った。

 沖野と翼と、3人で残される。翼が手を引いた。


「しんごお兄ちゃん、久しぶり」

「久しぶり。元気だったか?」

「あんまり」

「……そっか」


 励ましの意味を込めて髪をやや乱暴に撫でてやる。なんだよぉ、と翼は嫌がってみせ、笑顔を見せた。久しぶりに見る笑顔だった。


「お引越ししたんだよね?」

「うん。ちょっと遠いところ。働くからさ」

「悪い人捕まえる仕事でしょ。いおりお兄ちゃんと同じ?」翼は沖野を指さす。

「警察とは少し違うかな。似てるけど」

「ふうん」分かったような、分かっていないような声音で答える。「今度いつ帰ってくる?」

「いつだろうな。帰ったら連絡するよ。遊ぼう」

「翼、どこに行ってる。戻っておいで」


 祖父らしき老爺に呼ばれ、翼はこちらに手を振って駆けていった。

 自分もそろそろ戻らねば。会釈をして去ろうとすると、沖野に「あの」と呼び止められた。


「神崎さん、進学じゃなかったんですか」

 コーヒーショップで、そんな話をしていたことが反芻された。

「その予定だったんですが、いろいろ思うところがあって」

「この件で怪我した高校生、神崎さんのことだったんですね」

「自分から首突っ込みに行ってヘマしただけです。誰の責任でもない、自業自得です。お構いなく」

「なんでICTOなんですか」


 なんでそれを、いま聞くんですか。

 問いたかったが、沖野の目は真剣そのものだった。

 絹川が話していたことを思い出す。警察とICTOは折り合いが悪い。ピリオドという異能が、世間に伏せられているがゆえに。

 沖野もまた、ICTOの存在を疎んじているのか。表情からは読めなかった。そっと口を開く。


「警察ではできないからです。俺のできることが」


 頭を下げ、踵を返した。彼は追ってこなかった。背に刺さる視線を感じたまま、会場に繋がる扉に手を掛ける。

 近いうちに、また沖野とは会う気がする。

 ぼんやりと、それでいてどこか確信めいた思いが頭をよぎった。


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