#36 帰路


 翌日午前9時過ぎ、部屋のインターホンが鳴った。黒のボトムに白シャツ、濃紺のカーディガンに着替えた神崎は足早に玄関に向かった。

 「ライトニング」と「平家」が誰か、松川には聞きそびれた。いったい誰だろうと思いつつ、静かにドアを押し開く。


「お迎えに上がりましたァ」

「……中村さん」


 崎森班の中村一閃いっせんが片手をひらひら振っていた。一閃イコール光る、で「ライトニング」かと納得する。隊服の上にグラインを装着しているが、上に濃灰色のチェスターコートを羽織っている。

 隣には初めて見る男性隊員がいた。やや緊張した様子で立つ小柄の青年。目は細く垂れ気味で、道に迷った人から声を掛けられそうな人の好さが滲んでいる。彼もまた黒の制服の上にモスグリーンのマウンテンパーカーを着ていた。その下にグラインの鋼色がのぞいている。彼に向かって頭を下げる。


「初めまして、神崎です。お世話になります」

「こちらこそ、よろしくお願いします。須賀班の小平おだいらといいます」


 柔らかで優しそうな声音の持ち主は丁寧に礼を返した。

 ついてきて、と中村に促され宿舎を出る。隙を見て端末を確認し、小柄の彼が小平将平しょうへいという名前であると確認する。等級は3等級だった。字面が平将門と被るから平家だろうか、と松川の命名経路を予想した。

 宿舎裏の駐車場には黒いセダンタイプの車が停まっていた。座る位置を指定され、運転席の後ろに乗りこむ。中村が運転席に、小平は神崎の隣に座った。


「出発進行ー」


 ゆるい調子で中村が言い、車がゆっくりと動きだす。運転は手慣れているのか、ナビを入れる様子はない。自動運転に任せることもなく、自らハンドルをっている。

 ウインカーを出し、公道に合流したところで彼が口を開いた。


「初めての外出がむさ苦しくて悪いね」

「いえ、むしろ俺の外出に付き合ってもらう形になってしまって恐縮です」

「気にしなくていい。護衛ったって、送り届けて遠くから見てるだけだし。小平はソワソワしてたけど」 中村に矛先を向けられ、小平は照れたように笑った。

「第六感があるって聞いたから、バレるんじゃないかと気が気じゃなくて」

「借りてきた猫みたいじゃん。年近いんだろ?」

 そうなんですか、と目を向けると小平は小さく頷く。「僕、19です」


 ひとつ上と聞いて親近感が湧く。信号待ちになり、車を停止させた中村がバックミラーごしにこちらを見た。


「絹と同い年なんだろ? 若いねえ」

「中村さんはおいくつですか」

「25」


 玉池の話が思い出される。中村と永田、松川、国見の4名は年齢が近い。1歳差ほどだと言っていた。とすれば松川は24歳から26歳のいずれかであり、彼女の3歳年上だという崎森は27歳から29歳のいずれかとなる。

 6名から8名で構成される班で、崎森班は玉池・中村・崎森が10代と20代。管制担当の絹川も含めれば班の平均年齢はかなり若いとみえる。


「崎森班は若い人が多いですね」

「まあね。平均すりゃ崎森班ウチが一番若い」


 中村は、崎森班が6名構成であり、他に30代と10代の女性、40代後半の男性がいると加えた。6人を平均するとちょうど崎森くらいで、絹川も頭数に入れると更に下がる。

 第1の実働最年長は河野班の狙撃手・清水あずさ隊員だと小平はつけ加えた。最年少は玉池かと思っていたが、笹岡班に12歳の隊員がいるとも聞かされる。


「第1は他に比べると若いほうです。班長の半分は20代で、最年長の笹岡班長でも40代ですし」

「ほかの中隊は年齢層が高いんですか」

「第2は隊長が60代後半ですし、70代で現役の人もいます。犬束隊長も、上層部にしては若いほうかも。……あ、隊長には会いました?」

「いえ、それがまだ。どんな人でしょう」

 名前こそ教えてもらったが、多忙を極める隊長とはいまだ会えていなかった。

 悩む素振りを見せ、小平は中村に問いかける。

「隊長って、どんな人でしょう」

「その辺にいそうな人」

「適当だなあ」

「初めて会ったとき、なんで部外者がいるんだって思ったもん、俺」


 愉快そうに彼は言った。交差点が近づく。減速し、通り沿いのコンビニから道に出ようと様子を窺っていた軽自動車を先に行かせる。

 部外者と見まがうなら、気付いていないだけで既に会っているかもしれない。

 いったいどんな人物かと思いを巡らせる。ものすごく奇妙な人だったらどうしよう。松川以上に独特な人物だったりするのだろうか。


 車はスムーズに街中まちなかを抜けていく。道路は混んでいるが、渋滞になるくらいではない。中村は運転すると独り言が出てくるタイプのようで、「先行けばいいのに」「ウインカー出せよ」と、たまに呟く。


「お別れの会なんですってねえ」


 小平が話を振ってくる。彼にはわずかに語尾を伸ばす癖があり、それがかえって人の好さを引き立てている。のんびり、だとか、ゆったり、といった擬音が合う口調。


「……はい」

「このたびはご愁傷さまでした。神崎さんのせいではないですから、自分を責めないでくださいね」


 気遣う小平に、わずかに胸のつかえがとれる。

 巻き込まれたといえど、自分に力があればと思わずにはいられなかった。

 訓練で玉池に指摘された「せっかち」という欠点は、生来の性格だけではなく、このことにも起因している。早く誰かを守れるようにならないと。あんなことがまた起こってしまう前に。その無意識の焦りが動きに出ている。

 きっとこの出来事は生涯引きずる。生まれ変わることができれば、来世まで。


 ほどなくして、家のある区内に入った。1週間と少し不在にしていただけで新鮮に思えるから不思議だ。中村は相変わらずナビに頼らず、すいすい運転していく。先が混雑していれば脇道に入って渋滞を回避しているあたり、道に詳しいのだろう。


「この辺は、よく来るんですか」

「2・3回目くらいかな。初見でだいたい道は覚えられるんだよね、俺」

「それって」

「ピリオドじゃないよ」こちらの胸の内を見透かし、中村はニヤリと笑う。

「お二人の能力は俺を尾行するのに適したものですか」

「俺のはそうでもない。小平の尾行向き」

 隣を見ると、えへへえ、と語尾を伸ばして小平は照れた。「使いませんでしたけどね」

「見せてもらえますか」

「いいですよ。右を向いていてください」


 指示通りに右を向く。窓の外の景色、流れていく住宅街を眺めていると、すぐに異変に気づいた。

 隣にいるはずの小平の気配が、ぷっつりと消えたのだ。

 先ほどまでは聞こえていたわずかな呼吸音、衣服が擦れる音、なにより「人がいる」という感覚がすっかり消えた。車内に中村と自分しかいないように感じられる。

 須賀と同じたぐいかと左を向く。だがそこには人の好い笑顔を浮かべる小平がいた。姿が消えたわけではない。


「はい、これです」

「気配が消えました」

「そう。自分が発する音や気配をシャットダウンできます」

 彼は両手をブンブンと振ってみせた。かなり激しく動かしているが、なんの音もしない。

「足音も消せますか」

「ええ。でもグラインの射出音や銃を扱うときの金属音なんかは消せませんし、姿はバッチリ見えちゃいます。闇討ちにはうってつけなんですが」


 優しい声音で恐ろしいことを彼は言ってのける。夜道を歩いていても彼が後ろから音もなく近づけば気付かないだろう。

 どんな前世を送れば、そんな能力を。松川とのやり取りが思い出される。自分の気配が消せたならと強く印象付けられる出来事。想像することも躊躇ためらわれた。


「ずいぶん親切に教えてあげるじゃん。級付けで当たるかもしれないのに」

「あ、そうだった! やっちゃったなあ」


 中村のからかいに、小平は困ったように眉を下げた。

 しかし、「知っている」と「対処できる」の間には大きな隔たりがある。彼が玉池と組むのは恐ろしい。雨天であれば最悪だ。雨で視界がぼやけ、音も聞こえづらい場内。明瞭な視界を持つ玉池に位置を捕捉されれば一巻の終わりだ。雨音に紛れた小平に近寄られ、気付いた瞬間には胸元にナイフを突き立てられている……。

 正直に思ったことを口にした。


「玉池くんと組んだことを想像しました。すぐやられそう」

「またまた。訓練始まったばっかりでしょうに」


 3等級の小平と2等級の玉池が選抜されたなら、残りの1名は特級から2級のいずれかである。班長陣や中倉・三澤といった1級も怖いが、遠距離狙撃の得意な遠山が選ばれたりでもしたら勝機はなお薄い。

 もっと頑張らないと。そう決意を新たにしているうち、車は家の近くにある公園脇に停まった。翼と祐梨が助けを求めてきた、あの公園。あれから長い年月が経ったかのような心持ちがする。


「こっちは気にせずゆっくりしてきな。帰るときは端末で呼んで」


 中村は欠伸まじりに言い、自身の端末情報を送信してきた。行ってらっしゃい、と小平に手を振られ車を出る。

 中村のピリオドは聞きそびれてしまった。またの機会を待つことにする。大村のときのように、2台に分乗しなかったのも関係あるのかもしれない。


 久しぶりというほどでもないが、これほど長く家を空けたことがなかった身からすれば若干の懐かしさがあった。玄関に入れば、ジャーヴィスが『おかえりなさい。お久しぶりです』と迎えてくれた。


「ただいま。久しぶり」


 おかえり、と母の声が飛んでくる。ただいま、と返して彼女のいるリビングに足を踏みいれた。

 服がいくつか広がっていた。カーディガン、ロングスカート、シャツと様々ある。いずれも赤っぽい色だ。それらを目の前に、母は腕を組んで首をかしげている。


「なに悩んでんの」

「真悟さあ、赤い服って持ってる?」


 自室に残してある服を思い出す。前開きのシャツでそれに近い色のものがあったはずだ。


「シャツならある」

「良かった。今から買いに行く時間ないもんね」

「なんで?」

 彼女はテーブルの上に置いてあった紙をこちらに見せた。

「お別れ会、ドレスコードがあってね。赤い服でお越しください、だって」


 へ、と頓狂な声が出た。

 お別れ会とはいえど故人を偲ぶ会である。喪服に近い服装で行くのが礼儀だ。それに、凶悪犯の手にかかり亡くなった人のお別れ会に赤というのは、いささか不謹慎ではないか。

 遺体を見つけたときの光景がよみがえる。バラバラに千切れた手足から流れていたどす黒い赤の鮮明さが思いだされ、頭を振る。


「赤って、なんでまた」

「さあ。『故人の遺言により』としか」


 おばあさん、赤なんて好きだったっけ。記憶の糸をたどる。孫を溺愛していて、お菓子を作ったりもしてくれて、若手アイドルの追っかけをしていて、あんまり熱心に話をしてくれるものだから、アイドルの顔をと名前を憶えて……。

 そこまで考えて、思い当るものがあった。

 赤は、彼女が推していたアイドルのメンバーカラーだった。 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る