#35 宿命


「2問中1問正解だけど」松川は伸びをして立ち上がる。「私の年齢とピリオド、どっちが知りたい?」

「ピリオドで」

「即答だねえ。だと思ったけど」


 そう言い置いて彼女は眼鏡を外した。顔を伏せると、動きに合わせてポニーテールがわずかに揺れる。


「模擬練で体験させてあげるよ。ボールボーイ、カンカンはどれくらいで模擬練に進めそう?」

「そうですねえ、早ければ3カ月後、ってところでしょう。半年後には確実に」

「見学で私がピリオドを使うのを見るのが先か、模擬練が先か。楽しみだね」


 アホみたいなスピードで壁に突っ込んでいる自分が、グラインを使いこなして彼女と対峙する姿がなかなか想像できなかった。


 スマートウォッチに目をやり、玉池が腰を上げた。「僕はここで失礼します」

「最後までいればいいのに。用事?」松川は不満げな顔をしてみせる。

「模擬練を土佐さんと。近接格闘を磨きたくて」

「へえ、龍馬かあ。いいね、勉強になると思うよ」

 

 見学の際に内堀から紹介された河野班のメンバーが思いだされる。国見とともに被疑者を挟み撃ちにした無精ひげの男が土佐という名前だったはずだ。龍馬とは本名かと思ったが、松川が呼ぶのだからあだ名だろう。土佐イコール高知県、イコール坂本龍馬、という思考回路は読めた。

 少年が出て行ったあと、松川はホワイトボードの前に立ち神崎に向きなおった。


「ピリオドについて気になること、疑問に思ったことはある?」


 好機だと思い、ムニンや玉池とのやり取りで気になっていた仁科のピリオドについて質問した。

 彼女の能力は特定の場所から人を遠ざけるものだが、なぜ特殊型なのか。ムニンに聞いたが答えてもらえなかった、と付け足す。


「行動を変化させる点では、変異型じゃないかと思ったんですが」

「ヒトカちゃんの場合は、人間の思考にまで干渉しているから」


 思考に干渉、と鸚鵡返しをする神崎をよそに、彼女はタッチペンでホワイトボードに棒人間を描いた。連続する小さな楕円のフキダシが付され、何かを思考しているふうになる。

 フキダシに「図書館」と書きこみ、松川はこちらを振り向く。


「図書館に行こうとしている人に、ヒトカちゃんがピリオドを発動させる」


 続けて、タッチペンの色を黄色に変えて棒人間ごと丸で囲った。赤字で「図書館」に大きくバツをつけて、「スーパー」と書く。


「この人は自然と『そういえばあのスーパー、今日は特売だった。行かなきゃ』って思考を切り替える。結果、その場から離れる」

「目的をすり替えてしまう?」

「そう。バスを待っている人に『電車の方が早いな』と思わせたり、電車なら『お腹が痛い気がする、この駅で降りよう』とかね。ただ、思考の変化の詳細までヒトカちゃんが決めているわけじゃない。肉体や物質ではなく思考に変化を及ぼしているから変異型の定義からは外れる。記憶を改竄かいざんしたり、忘れさせたりするのも特殊型」

「掛けられた人は分かるんですか」

「使用者の腕による。私でも気付かない場合もあるんじゃない」すんなりと彼女は認めた。「そういう手練れが向こうにいるかは警戒しないとね」

?」

「……校長から聞いてない?」


 怪訝な表情を浮かべる松川に、神崎もきょとんとする。微妙な空気が束の間流れ、松川は頭を掻いた。


「そっか、訓練中だもんね。……あー、やっちゃったな。法師に怒られる」

「俺に関係すること、ですか」

「かなり。いいや、この際だから話しちゃう。気になるでしょ」

 おずおずと頷く。松川は言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、口を開いた。

「最近の異能犯罪者がピリオドを表出するまでにどんな足取りを辿ったか調査したの。表出のきっかけを探るためにね。そこで、ある人物が浮上した」

 その言葉にピンとくるものがあった。「俺と須賀さんが姿を見た……」

「そう、ガラスの雨を降らせた男」


 犯行前の防犯カメラを確認すると、いずれもその男と遭遇していたという。熊岡も、河野班が制圧した中年女性も。


「言葉を交わした人もいたけれど、ほとんどは会話をしたことすら覚えていなかった。唯一、ハリスンが確保した女性は覚えていた。でも、男とは初対面だったって証言してる」

 須賀とともに現場に駆けつけたときを思い出す。「男は女性の名前を知っていました。親しげでしたし」

「名前を教えた覚えもないし、いきなり声を掛けられたんだって。それで、他の管区に照会したら目撃情報がポロポロ出てきて」

「どうして今まで気付かなかったんでしょう」

「違ったんだよ。見た目が。微妙に」

 

 AIの自動認識では同一人物は検出されなかったらしい。見た目を変えている可能性が指摘され、人力で再度照会したところ幾人かヒットした。


「顔認証で重視される箇所……耳の形、目の位置、顔の骨格なんかが絶妙に違って、AIの機能じゃ別人判定になってた。そして、その男と接触した人はピリオドを表出している。数値が低かった人も、検知されてすらいなかった人も」

「男が前世を思い出させている?」

「もしくは、ピリオドを表出させるピリオドを持っている。……そう仮定すると、不思議なのが保有する種類」


 松川は、数え上げつつホワイトボードに書き込んでいく。


「ガラスの雨を降らせる力。ハリスンとカンカンの捜索をかいくぐって逃げた力。会ったことのない女性の名前を知っていたし、話した相手の記憶をいじっている。顔を変えることもできる。前世を思い出させるか、ピリオドを表出させる力もある」

「……複数人が共謀していたりはしないですか」

「考えられる。でも調査の手が回ってない。法師は、前世犯にピンポイントで接触していることも気にしてた」

「前世で罪を犯したかどうかを本人以外に知っているのって」

「罪の重さにもよる。殺人犯だとすれば一握りの記憶研職員しか知らない。本人が他言してなければ、だけど。ウチに内通者がいても対象は相当絞られるし、今のところ怪しい動きを見せている職員はいない」

「男が、相手の前世を知る能力も持っているかもしれない……」

 独り言のようにつぶやくと、松川が頷く。「あの男を見つけられたきっかけは、カンカンの第六感だったでしょう。これまではたぶん、こちらが気付かないうちにこっそり対象に近づいて覚醒させていた。なのに、それがバレちゃった」


 あの日見た男の顔を思い出す。モデルと見まがう長身。スリーピースのスーツ。彫りの深い顔に、こちらを見下したような目。

 松川は続ける。


あの男アンノウンが異能犯罪者覚醒の原因なのは明らか。ただ、ピリオドも絞り切れなければ効果範囲も不明、どこに潜んでいるか分からないうえ、変幻自在な見た目の持ち主を警戒しろっていうのもね。今は情報収集の段階。異能犯罪者が出れば確保して身辺を調査して情報共有、共通点を洗い出しているところ」


 複数のピリオド。謎の男。どこかで会ったような記憶。

 父の姿が浮かぶ。満員電車から忽然と姿を消し、母と似た背格好の女性が離婚届を提出しに来た。

 父の失踪における不自然な点と、あの男がもたらした不審な点は共通している。


「俺の父の話は聞いていますか」

「一部始終聞いた」

「父が関係しているとしたら、俺や母の記憶が改竄されている可能性も」

「ありえない話じゃない」


 父の姿は写真として残っているが、あの姿が本来の彼だったのか。大村の眼鏡のように長時間の発動が可能ならば、変身した状態で母に近づくこともできる。

 だとすれば、姿をくらませる前の「知ってしまった」という言葉にはどんな意味があったのだろう。

 考えるうちに、すべてが曖昧に思えてくる。木刀を振る自分を見て彼が表情を変えた日。あの記憶は本当に正しいものか。自分の記憶がいじられていたらどうだろう。


 神妙な顔をする神崎を見、松川はすまなそうな顔をした。

「ごめん、重い話をして。もう少し……訓練を終えるころに話すべきだった。カンカンのことは本部にも伝わっていてね。すぐにでも実地に投入すべきだっていう声もあれば、映像越しでも発揮できるなら管制担当に据えるべきだって主張する人もいる」


 もっともな意見に思えた。映像越しに発揮できるなら、管制室でモニター越しにピリオドを表出させそうな人間を見極めればいい。この第六感について、仔細をテストすることもしていない。そもそも、ピリオドかどうかすら分からないのだから試しようがないのかもしれない。

 松川は肩をすくめ、自嘲気味に笑った。


「そうは言っても、私もどこまで話が進んでいるか詳しく知ってるわけじゃないんだよね。……ただ、カンカンと一般市民が被害に遭わないことを最大限考慮して策を取るだろうから安心して」


 そう言われ、自分はアンノウンにとっては厄介な存在であり、なおかつ顔が割れていることに考えが至る。

 「口封じ」の言葉がよぎり、身の毛がよだつ。


「俺、狙われるかもしれないんだ」

「かもしれない、どころか狙われているって思ったほうがいい。もちろん、私たちも全力で育てる。カンカンは私たちにとって要注意人物でもあり、重要なキーパーソンでもあり、貴重な戦力だから」


 自分は大きな流れの中にいる。

 これは決して偶然の産物ではない。なるべくしてここにいる、そんな思いがあった。父の失踪も、熊岡との遭遇も、白い刀を表出し第六感が鋭敏になったのも、ICTOに加入したことも、定められた運命のような気がした。

 熊岡と遭遇し崎森に助けられてからの日々は、常識からかけ離れたこと続きで頭が混乱していたにも関わらず、どこか受け入れている自分がいた。悩んでも逃げ出そうとは思わなかった。心の奥底で、父が姿を消した日から「きっと何かが起こる」と無意識に感じていたのではないかとすら思える。


 謎の白い刀、うまく説明のつかない第六感、前世がない自分、何かを知ってしまった父。それらは深く関係していて、見目を変えて異能犯罪者を覚醒させている男ともまた相関している気がする。


「詳しく教えていただいて、ありがとうございます」

「お礼を言われることじゃない。むしろ、各方面から怒られることなんだけど」


 松川は困り顔をしたが、教えられたほうが良かった。何も知らずに訓練を重ねるより、自分に課せられているものを自覚したほうがいいと感じていた。それを正直に話すと、彼女は感心するような、呆れたような声音で言った。


「肝が据わってるね」

「加入せずに熊岡の記憶を失ったとしても、どこかであの男とは会っていたんじゃないかと思う自分がいます。……こうなることを分かっていたと言うべきか、巡り合わせと呼ぶべきか……そんなもの、あるかもわからないですけど」

「巡り合わせね。あると思うよ。私もあるもん。これはきっと巡り合わせだなぁ、ってこと」

「ピリオドを表出したこと、ですか? 前世を思い出したこと?」

「それもある」彼女は柔らかく微笑む。「そうじゃないことも、ある」

「ほかの皆さんもそうなんでしょうか」

「どうかなあ」笑みを崩さず松川は言葉を紡いだ。「巡り合わせかもしれないし、必然かもしれないし。聞いてみたら? 今度、誰かに」


 出会った面々の顔が浮かぶ。皆、前世からの因縁の末に集ったのか。もしくはまったく別のきっかけとなる糸がもつれあい、ってできたのがこの組織なのか。


「……河野さんと話したとき」

「ジョー?」


 なぜ河野はジョーというあだ名なのか一瞬気になったが、この際置いておくことにした。


「河野さんは、俺に『羨ましい』って言ったんです。『前世がないなんて羨ましい』って」

「……うん。それで?」

「よくよく考えれば分かることなのに、そこではっと気づきました。犯罪者が前世の記憶をもとにピリオドを出すのなら、その被害者もピリオドを出せる」


 熊岡は「自分の力がもっと強ければ捕まらなかった」という思いゆえに、怪力というピリオドを表出した。

 被害者たちはどうか。死の間際に「ああ、私にこの力があれば」と思った者が転生したら。別人として生き、ふとした契機で前世の記憶を思い出せば、ピリオドとなりえるだろう。

 隊員のなかには前世で悲惨な犯罪により命を落とした者もいるかもしれない。河野はその一人で、だから自分を羨んだのではないか。


「私、こう見えて人の過去をあれこれ言いふらすタイプじゃないからな」

 静かに告げられた言葉は、肯定にも否定にも取れた。

「すいません、変なことを言って」

「考えは間違ってない」松川はタッチペンを弄ぶ。「私そうだから」

 はっとして彼女の顔を見た。こちらをうかがう目には穏やかな色が浮かび、口角は上がっている。

「分かりやすく『しまった!』って顔してるね」

「あの……すいませんでした」しどろもどろになり、思わず謝罪が口をついて出る。

「なんで謝るの? 事実だし、気にしてるわけじゃないし。変なの」


 彼女はあっけらかんと笑い飛ばすが、どんな表情を浮かべれば良いか分からなかった。前世がない自分は、前世の記憶を持つ人間の苦悩は分からない。まして、それが犯罪に遭った記憶であるというのなら、なおさら。


「優しいね、カンカンは。発言の真意を探ろうと努力するし、相手の立場で考えられる。人の痛みが自分の痛みのように感じられるんだろうね」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。ただ、そういう子は自滅しやすくもある」


 小さな子供に言い聞かせるような優しい口調で彼女は説いた。


「自分を救えるのは自分しかいないんだよ。他人の言葉や行いは救いの手になるけど、それを掴んで起き上がるかどうかは本人次第。……カンカンは色んな人を助けようと手を差し伸べまくって、手を強く引っ張られて転んだり、自分の体力がなくなっているのに気づかないタイプ」

「……」


 人を助けようとして苦しみ、自滅する。自分にその気質があると考えたこともなかった。松川は穏やかに続ける。

 

「救おうとすることは悪くない。ただ、救えるとは限らない。その人のいる地獄の深さは本人も分からない。浅そうに見えて底なし沼の地獄を持つ人もいる。たとえば、はっきり前世の記憶を持つ地獄。ぼんやりとしか思い出せない地獄。前世が男、前世が女、男に生まれた、女に生まれた、お金がない、親に恵まれなかった……数え上げればきりがないね。誰しも、ある種の地獄にいる。私も、カンカンも」


 松川は窓の外を見やった。抜けるような青空から降り注ぐ光が、互いの足元を照らしている。


「助けるな、深入りするなって言いたいわけじゃなくて……上手くは言えないな。助けようと思うなら地獄を見る覚悟は必要だ、ってことかな」

「……それに、人を助ける前に一人で立てるようにならないと、ですね」

 ふふ、と彼女は表情を緩めた。「そうだね。まず今は訓練を積む。死なず殺さず殺されず、一人前になること」

「はい」

「よろしい、良い返事です。……ヘビーな話をしたけど、ご家族の安全は組織一丸となって守っているのでご安心を」


 ふっと緊張がゆるむ。話を聞いたときから母の安全が引っかかっていた。顔を見られた以上、個人を特定されていることも考えられた。父が絡んでいるとすれば、なおのこと。

 だが、父の失踪以来、居住地を変えずあの場所に住み続け何事もなく生きてきた。どこまで警戒すれば良いのか分かりかねてもいた。ただ母の身が危険に晒されるのは避けたかった。


「独り立ちできるまでは外出時に護衛がつくと思う。おいおい法師から話をされることだったかな。私から話しちゃったって伝えとく。……明日だっけ。外出予定」

「はい」


 翼と祐梨の祖母――鷹野原たかのはら由香里ゆかりのお別れの会に参加するべく、日曜には家に戻る予定でいた。葬儀はすでに近親者のみで執り行われていた。


「今のカンカン相手だったら、なにも言わないで尾行と護衛するつもりだったと思う」

「気付かない自信があります」

「話しちゃったし、一緒に行動したほうがいっか。ちょっと待ってね」


 松川は自身の端末を取り出し、電話を掛けはじめた。


「いま大丈夫? あのさあ、カンカンの件、本人に話しちゃった。……ごめんって、ほらこのとーり。本当に申し訳ない、うっかりしました、私の不徳の致すところです」


 直立のまま悪びれもせず言い放つ彼女。相手は誰だろう。須賀か、崎森か。


「明日の外出、一緒に行動すれば良いじゃん、って思って。……そうそう。誰行くの? はいはい、了解。伝えとく。じゃ」


 電話を切った松川はこちらを見た。


「明日はライトニングと平家が同行する。朝9時に宿舎に迎えに行くってさ」


 いや誰と誰だよ、と冷静な自分が心中でツッコミを入れたが、口は自然と「了解しました」と発していた。



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