#33 発見


 翌日も射撃訓練から始まった。ハンドガンの手入れを復習がてら行い、組み立てを学ぶ。リボルバー銃の構造に関する指導と解体実習、手入れを行ったのちに立位と座位での射撃姿勢を指導され終了となった。

 身体を動かそうとするたびに打ち身が痛み、顔をしかめてしまう。踏ん張って平静を保ったつもりだったが、遠山は苦笑し「痛そうだね」と気遣った。しかし妥協はいっさい許されず、射撃姿勢が崩れると痛む箇所であろうと問答無用で直された。心の中で発していた呻き声が、時おり言葉にならない言葉になって出た。


 午後は中倉による対人格闘の授業。昨晩からの雨は止む気配を見せておらず、屋内訓練場で行われた。

 今は格闘の基礎を築いている最中だから屋内で行うが、半年もすれば雨でも屋外で行う。そう説明を受け、窓の外を見た。勢いこそないが、10分かそこら外にいれば全身が濡れそぼるだろう。雨の中での訓練はまたつらいものになるに違いなかった。

 痛みに顔をしかめる神崎に対し、中倉はアドバイスをした。


「肉体疲労やストレスはどの仕事でも必ず付きまとう。身体の痛みを和らげるのに何がいいのか考えて試すといい。いずれ自分にいちばん向いている解消法が見つかるだろう。試せることは身体に鞭を打ってでも試したほうがいいぞ。意外に、身体を酷使したほうが早く回復したりもする。痛みを気にするあまり身体の動かし方がおかしくなると長引くからな」


 そう言って中倉はストレッチの時間を長めに取った。

 ストレッチ後は前回に引き続き逮捕術を学ぶ。相手に手首を掴まれたら、後ろから羽交い絞めにされたら、といったシチュエーションごとの対処法を教わり、ひたすら実践を繰り返す。

 犯人と対峙するときは一対一になるな、と中倉は何度も言い含めた。


「一般人相手でも、応援を呼べれば呼ぶ。相手がピリオドを持つ人間ならなおさらだ。ただ、どうしても一対一になったときに使える技を教えておく。私の胸倉を掴んでみなさい」


 右手で中倉の胸元を掴む。服越しでも硬い筋肉の感触が分かった。

 彼は神崎の右手を掴むと外側に捻り、そのまま前傾した。神崎の身体は彼の動きに合わせ、しゃがむ体勢を取る。「取る」というよりも「取らざるをえなくなった」という感じだった。


「腕を捻り、本来の力の行きどころを分散させる。その上で相手の手首に力をかけてやれば、力を逃がすためには座りこむしか道がなくなる。次。もう一度胸倉を」


 姿勢を解かれ、ふたたび胸元に手をかける。また外側に腕を捻られる。

 来る、と心構えをした刹那、中倉は外側に開いた神崎の右腕に体重をかけてきた。


「痛え!!」


 激痛が腕を襲う。無意識に痛みを逃そうとして座りこみ、捻られた腕を元に戻すべく力が入りそうな姿勢を探して身体を動かすうち、寝そべるのに近い体勢となった。押さえこみの力は一向に弱まらず、それどころか増してゆく。打ち身の痛みに相乗して、涙が出そうなほど痛い。

 うつ伏せなら痛みがマシになると気づいたときには右腕を後ろに回され、中倉が背に馬乗りになった。


「こんな感じだ。相当痛いだろ」

「はい……」息も絶え絶えといった苦悶の声が漏れる。

「たいがいはこの痛みに耐えられない。『両手を後ろに回せ』と言えば従うくらいには」


 言われるがまま左腕を後ろに回すと、右腕同様に捻られる。


「痛い痛い痛い痛い」

「で、太ももでロックする。手の位置が下がらないようにな。腕を下げてみなさい」


 極められた腕を下に降ろして楽になりたいが、中倉の太ももに阻まれて動かせない。生殺しの状態に眉をしかめて唸る。


「きっつ……」

「外でチンピラに絡まれたらこうするといい。これが瞬時に出来なくても、腕を捻れば相手の動きは封じやすい。人間の身体は流れに沿って力の向きが決まっている。力の向きを捻じ曲げれば女性や子供でも男相手に戦う手段はある」


 必死に頷くと拘束が解かれる。痛みが節々にとどまり、すぐには身体が動かせない。

 みっちり逮捕術を教わり、多種多様な方法で身体を極められる。そのうち、この痛みが中倉の技のせいなのか昨日の打ち身によるものかの境界が曖昧になっていった。

 ところが、怪我の功名と呼ぶべきか、筋肉をあちこち動かしたのが効いたようで授業後には身体の痛みが薄れていた。


「少し楽になりました」

「血行が良くなったんだろう。くれぐれも訓練以外で人に技をかけるなよ。同僚に挨拶代わりに技をかけた馬鹿もいる。教官方に絞め技で懲らしめられていた」


 いったい誰のことだろう。

 疑問が顔に出ていたのか、中倉が笑って言った。「中村には会ったか?」

「昨日会いました」

「あいつだ。当時の教官は須賀班長。たしか、崎森副隊長もいたな。あのときは本部から視察で来ていたんだったか」


 朗らかな笑いを崩さず恐ろしいほどの膂力で組み伏せる須賀と、無表情でぎりぎりと腕を極めてくる崎森が脳裏に浮かぶ。悪いのは中村とはいえ、同情したくなった。


 休憩を挟んだのちは同じ屋内訓練場で玉池少年のグライン訓練が組まれていた。

 姿を見せた少年は、昨日よりも憔悴していた。


「あンのクソ寝癖……」

「大丈夫?」少年の口から出たと思えない言葉にこちらも気を遣う。

「次から次に映像を見せられて疲れました。あと、単に寝不足」


 頭を振って意識を切り替えた少年は、昨日の復習から始めるよう指示した。神崎の動きに問題ないことを察すると次なる課題を出す。


「スピード上げていきます」


 徒歩程度のスピードから徐々に速度を上げていく。早歩き、小走り、ランニング、全力ダッシュ、それ以上、と細かく刻まれ、指示される方向にグラインを操作する。

 加速すると恐怖心がぶり返し、手元の操作が狂いがちになる。昨日以上に問答無用で壁にぶつかり、跳ね返り、床に転がる。転び慣れて受け身を取れるまでになった。転んだ痛みに呻く時間も減り、起きあがってすぐ再挑戦する余裕が生まれた。


「意外とせっかちなほうですか? 急いで習得しようと思わず、確実にこなしましょう」


 暗に「落ち着け」と諭されてぐっと気持ちをこらえる。

 次に次に、早く早くと無意識に焦ってしまう。上手くいかなかった箇所を早く修正したい、もう一度トライしたいという気持ちが先走る。その気持ちが操作を暴走させる一因だと自覚した。

 いったん起動状態を解き、深く深呼吸する。正眼の構えを取り、精神を集中させる。

 再起動してもう一度、走る速さで右へ左へと移動する。今度は上手く行った。


「良いですね。じゃあ、僕が追うので逃げてください。スピードは歩く速さで」


 射出音とともに少年が眼前に迫ってくる。後退して距離を取り、右に。右に近づいてくれば左に。思考と指の動きを直結させるイメージで、慎重と丁寧を意識する。


「スピード上げます。落ち着いて、冷静に」


 接近するスピードが上がり、距離が即座に詰まる。避けるために前後左右にコマンド操作を繰り返す。ときに壁にぶつかり、ときに壁すれすれで方向転換をする。

 動きがスムーズになってきたのを確認すると、少年はまた一段ギアを上げた。一瞬で距離が詰まる。後ずさりをしてしまい、基本姿勢が崩れた。


 挽回すべくコマンドを入れるも、なにもしないのが最善だったと入れ終わってから気づく。グラインが動きだす。アホみたいなスピードで後退を始めた。ミスを取り戻そうと前進しようとし、身体ががくんと前に傾く。衝撃で気が急いて、指が反射で動く。思考が悪循環に陥り、舌打ちをする。


 プシュ、と音がして背面から気体が射出した。煙幕のように周辺を覆いはじめる。

 須賀との模擬練で玉池少年が出したものと同じだった。まだ教えられていないが、操作を間違えて選択したらしい。

 あっという間に壁に囲まれた四方は視界が悪くなった。少年の姿も確認できない。いったん機能を停止せねばと思うのだが、気体放出を止めるコマンドが分からない。


 すっかりパニックになり、基本姿勢に戻ろうとしたが前進させてしまった。おまけに、どういうわけか斜めに浮上していく。スピードは走る速さに近いが、このままだと壁を乗り越えて向こう側まで行ってしまう。

 身体が高く上がってゆく。霧のかかった場所をから抜けだし、4mほど浮き上がった。この状態で再起動すれば、落下して怪我をするのでは。

 恐怖も相まって足がすくむ。


 玉池に助けを求めようと下を向いた。瞬間、シュウ、という音がして煙幕から少年がまっすぐこちらに向かって飛びだしてきた。彼は煙を切り裂くほどのスピードで急浮上し追いつくと、神崎の両肩を掴んだ。


「リモート接続、玉池一輝かずき

『リモート接続を開始します。管制者から5m以上離れないでください』


 身体が浮上を止め、基本姿勢に戻る。助かった、と胸をなでおろした。


「すいません、暴走しました」

「これくらいは暴走にも入りません。想定の範囲内です。焦るとヤバい、っていうのは今ので実感しましたね?」

「はい……」

「アレース、排煙をお願い」

『かしこまりました』


 自動音声が天井から降り、天井の換気扇が回りはじめる。ごう、と強風が吹くとき特有の音が響く。囲いの壁はフィールドに戻ってゆき、停滞していた煙は空間に白く広がる。

 中央まで戻るとリモート接続を解かれた。


「この煙幕は目くらましに使えます」

「すごい勢いで広がるから、びっくりした」

「これが最大出力ですから。これより薄くもできますし、局所的に……背面に立った相手だけに食らわせることもできます」


 排煙が進み、視界が晴れていく。さっきまでは火災現場にいるのではと錯覚するほどだった。両腕を伸ばした範囲ほどしか見えず、障害物があってもつまずいただろう。


「排煙が終わったらもう一度やります。少しかかるので休憩にしましょう」


 少年は息をついてしゃがみ、横向きに寝そべり肘をついた。あー眠い、とぼやいている。


「子どもの身体って、寝不足きっついんですよねぇ」

「本来は大人なのに今は仕方なく子どもの身体を使ってる、って感じの言い方だな」

「身体は子ども、頭脳は大人なんで」

「ふうん?」

「ああ、神崎さんは知らないか」

「なにが」

「そういう設定の漫画があったんですよ。……もっと寝られたら良かったな」

「昨日は遅かったんだ」

「夜中の……1時? そのへんですかね。合間に大村さんの話も入って。成長ホルモンの分泌がされなくて背が伸びなくなったらどうしてくれるんでしょう。僕が普通の子どもだったら、子どもの権利条約違反ですよ」


 前世の知識や記憶を色濃く持つ者に限り、就労の基準も引き下げられている。ただし、肉体が子どものそれであることを最大限考慮する義務が雇用者に付されている。

 玉池は目を閉じたまま、ぽつぽつ話を続ける。

 

「ひと通り終わった頃には雨が本降りになっていて……夜景でも見られたら気も晴れたんでしょうけど」

「本部棟から街は見えないんだっけ」

「上階にいればちょっとだけスカイツリーが見えます。息抜きに眺めていました」

「あれ、雨の日はショッキングピンクにライトアップされるらしいけど」

「趣味悪いラブホの内装みたいなピンクでしたよ」


 少年の口から似つかわしくない単語が出てきて声を出して笑ってしまう。笑うと打ち身が痛み、笑いながら痛みを堪える。

 休憩後も玉池少年との疑似鬼ごっこは続いた。走るスピードまで制御できたところで終了となった。

 受け身を完璧に使いこなし、また、自分がどんな場面で操作を間違えやすいかも把握した。慣れとともにミスの回数も徐々にだが減っていっていた。


「次回からは斜めの動きを入れます。来週いっぱいかけて、歩くスピードで自由自在に動くのをマスターしましょう。アイシングしていきますか?」

「うん。このあとは誰か来るかな」

「中村さんと国見さんが来ますね」


 では見学はできないか、と息をつく。

 玉池少年は大村の愚痴を聞いてくれと言って機材室までついてきた。やれ人に映像を見せておいて自分はうたた寝しているだの、やれ間食だと言って真夜中に煎餅を食べはじめて脇でボリボリうるさかっただのと漏らした。

 神崎も、午前中は中倉の授業で腕を極められたことや、中村が訓練生時代に仲間に技をかけて須賀と崎森に懲らしめられたらしいといったことを話した。


「ああ、国見さんですよ。技を掛けられたの」少年の声には国見への同情が込められていた。

「同期なのかな、あの2人」

「たぶん。僕と永田さんよりは長いですよ。年齢も同じくらいだったかな。松川さんと永田さん、国見さん、中村さんの4人は同い年か一個差くらいだったと思いますけど」


 中村と国見はフィールド入りしたのか、シュウ、シュ、という音がかすかに漏れ聞こえた。その音を背にして訓練場を出る。雨は上がり、雲間から夕陽が射しこんでいた。明日は晴れそうだ。


「僕は食堂寄って帰ります。あ、分かりました? 僕のピリオド」

「……帰ってから考える……」

「ぷっ」


 少年は「真実はいつもひとつ!」と謎の決め台詞を残して総研B棟へ歩いていった。その背を見送り、電動車を起動させる。

 西日が眩しい。木々や水たまりに光が反射し綺麗に光っている。日が射した雲はオレンジがかっている。立ちこめていた厚い雲がなくなったおかげで街並みも望めた。


「……ん?」


 頭に引っかかるものを感じた。重要なことを見落としている気がする。

 その引っかかりが何か、気づいたときには本部棟まで電動車が差しかかっていた。「あ!」と往来にも関わらず声を上げてしまい、幾人かがこちらを見た。

 すぐに絹川に連絡を取り、玉池少年と須賀の模擬練の記録映像が残っていないか尋ねる。本部棟にいた彼女は、快くアーカイブからデータを引きだして見せてくれた。


「持ち出しはダメだから、ここで見るだけね」

「ごめん、ありがとう」

「分かった?」

「……たぶん」


 該当の箇所を繰り返し再生する。絹川は表情を悟られまいと両手を合わせて鼻と口を覆っていたが、隠された口元は微笑んでいるように感じられた。

 礼を言って自室に戻り、ノートを取り出す。2人の能力への推察を書き、条件を絞っていく。考えているうちにあれもこれもと考えが及び、寝ついたのは日付が変わってからになった。


 翌日は朝から日が射し、雲一つない青天だった。

 会議室には、眼鏡をかけて指示棒を片手に持つ松川に、大村と玉池も控えている。やや緊張した面持ちの神崎に、松川は眼鏡を上げて微笑んだ。


「それじゃあ、カンカン。答え合わせの時間です」


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