#32 衝突


 少年はトイレに行くと言い、席を外した。

 その背を見送りながら彼のピリオドに考えを巡らせる。大村に頼まれて遡臓検査の映像を見たという事実は大きなヒントになりそうだった。


 大村・玉池とも視覚に関する能力を有する。その読みは神崎のなかで固まりつつあった。

 松川が対象として玉池を選んだのには彼でないといけない理由があるからで、具現型・変異型・特殊型の可能性は低い。映像を見て発揮される感覚型能力とすれば視覚か聴覚に絞られる。昨晩思いついた大村のピリオドへの仮説を合っていると仮定し松川の出題意図を汲めば、玉池少年も視覚に関するものだと考えるのが適切に思えた。

 視覚だとすればどんな能力か。「見ることで何かを得る」なのか、「見えないものが見える」なのか。遡臓検査の映像で何が分かるだろう。思考を展開させる。


「見れば相手の身元が分かる……?」


 屋内訓練場の中央であぐらをかき、左ひじを左腿に乗せて顎をつく。指先はまた無意識に頬の傷に触れている。

 相手の年齢や名前が分かるというのはどうだ。大村にとっては願ってもないピリオドだろう。だがそうだとすると、須賀との模擬練で使う理由が浮かばない。

 弱点が見えるとしたら。いや、須賀の弱点など教え子の彼ならとうに分かっているのでは。

 「次の動きが予知できる」というのも考えたが、模擬練での戦い方に説明がつかない。須賀が瞬間移動で塀の上に立った際、玉池少年は舌打ちをしていた。あれは予想していなかった動きに対してのものであった。


「お悩みのご様子ですね」


 玉池少年が戻ってきた。松川から聞き及んでいるらしく、「さっきの話がヒントになっちゃったかな」と、にんまり笑っている。


「ヒントになったけど、いまいち掴み切れない。玉池くんのほうが難しい」

「大村さんのは当たりをつけたんですね。当たるといいですねえ。僕らも答え合わせの場には呼ばれているので、楽しみです。それでは休憩終了。気持ちを切り替えていきましょうか」

「はい、よろしくお願いします」


 立ち上がり礼をする。少年は手を2回叩いた。


「アレース、訓練モードで四方囲いを」

『かしこまりました』


 中性的な声が天井から響き、白い壁がせり上がってくる。一辺が7、8mほどの長さの壁に四方を囲まれた。高さは神崎の身長と同程度――180cm弱といったところか。


「訓練用の壁です。通常のスピードであれば、ぶつかっても痛くありません」


 言うやいなや、少年はグラインを起動し後退させて後頭部から壁に突っ込んだ。壁はクッション性があり、やわらかにたわむ。ゆっくりと壁に押し戻され、玉池は直立姿勢に戻った。


「このように、衝撃を吸収して押し戻してくれます。が」

「が?」

「アホみたいなスピードで突っ込めば、押し戻しの力も強いです。着地にミスして尻もちをついたり、地面に叩きつけられたりします。今日やってもらうのは浮いた状態での上下左右への移動になりますが」


 少年は説明しながら指を滑らかに動かし、前後左右に自在に移動してから1mほど浮き上がってみせ、壁に向かって後退し、再度ぶつかった。

 腰から下は壁に触れて押し戻されるが、腰から上は押し戻すものがなく後退を続けようとする。足が弧を描き、宙返りした。勢いのまま壁の向こうに消えるも、一呼吸置いて浮上し戻ってくる。


「今みたいに、浮上したまま衝突して壁の向こうに転がっていった、という人もいます。どこの永田さんとは言いませんけども」


 いったいどこの管制担当なんだ、と口を開く。「永田さんも玉池くんが教えたんだ?」

「同期です。2人で崎森班長に教わりました。訓練に1年少し費やして、実働してもうすぐ2年になるかな」

「……前から気になってたんだけど、玉池くんって今いくつ?」

「誕生日が来れば14になります」


 12歳かそこらで級付けを受けて3級と2級を制圧したことになる。対人格闘や射撃も一通り習得したのかと思うと感心を通り越して尊敬の意を抱いた。


「すごいなあ。須賀さんのところの仁科にしなさんも、その年で……」

「ああ、仁科さんは後方支援です。人払い系のピリオドを持つ人は班に所属しません。フリーランス扱いです」


 玉池はフリーランス組は複数人おり、一部は記憶研職員であると説明した。出動するときには隊員が近場で護衛を行うという。


「さて、始めますか。まずは方向転換のやり方から」


 オーソドックスな操作を教わる。浮上は音声でAIに指示をしていたので、自分で操作するのはこれが初めてだった。

 右手を主に用い、軽微な方向転換は足の体重移動でも可能だと聞かされる。利き手や好みで左手をメイン操作とする者も多く、起動時の設定で変更ができる。

 グラインは装着すると指先が開いたオープンフィンガーグローブの形状を取るが、電極が埋め込まれており指の細かい動きを察知する。脳からの電気信号を読み取る技術も搭載されており装着者の意に反する動きは取らない。


「戦闘中に指が動いても反応しません。動かすぞ、っていう意思を持って指を動かした場合のみ反応します。飛来物を検知すれば知らせてくれますし、頭部への衝撃が想定される時はフルフェイスヘルメットが形成されます」


 少年は胸元に向かって「頭部保護」と声をかける。すぐさま背部のパーツが形を変え、頭部を覆った。おお、と驚嘆の声が漏れる。


「もし神崎さんが浮上したままアホみたいなスピードで壁に突っ込んで向こう側に頭から落ちても、ヘルメットで衝撃は緩和されます。打ち身はしますが頭を打って死にはしないのでご安心を」

「フラグを立てられている気がする」

「現実化するかどうかは神崎さんしだいですよ」


 続いて、指の動きを教わる。動きによっては煩雑なコマンドになるが、上級者は自分の好きなようにコマンドを改良している。少年も例にもれず改良しており、久々に基本操作をすると言って思い出しつつ教えてくれた。

 上下左右と浮上・降下の動きを学んだところで起動し、実際に動いてみる。


『訓練モード。アシストします』胸元でAIの音声が流れる。

「はい、まず浮上」


 そっと指を動かす。足が浮きあがり、つま先が下がる。

 上がり過ぎた、と思って降下のコマンドを取ると、焦りが指の動きに反映されて勢いよく着地し足に衝撃が走った。足裏もグラインで覆われているとはいえ、じんじんとした鈍痛が足先に響く。


「いってえ!」

「焦るとそうなります。はい、もう1回」


 二度目の挑戦でもやはり浮きすぎたが、少年はOKのサインを出した。「次、前進いきます」

 たっぷり時間をかけて前進と後退を教わる。進むスピードを制御するのが難しく、何度か壁に激突した。顔から壁にぶつかって押し戻されると、クッション性のある壁にはアニメや漫画で塀に人がぶつかった時にできるのと同じ人型ひとがたが形成された。

 左右移動はなおのこと難しい。1m移動のつもりが、5m以上動いてしまう。慌てて戻ろうとすると逆方向に10m進んで壁に激突する。

 焦りは禁物だと繰り返し指導される。


「真面目な性格がここで仇になってますね。教えを忠実に守ろうとして焦りが出ています。行き過ぎると『修正しなきゃ』と反射で思っているでしょう? グライン操作に必要なのは正確性と冷静さです。あたふたするとうまく行きません。修正は後でいくらでも学べるので、多少オーバーランしても心配しないでください」

「了解」

「じゃあ次。右、前進、左、後退と3mずつ移動を繰り返して同じ位置に戻ってくるのを試しましょう。浮上は2m、速度は歩く速さで」


 深呼吸をして静かに指を動かす。指先に神経を集中し、体勢を維持する。

 右方向と前進は上手くいった。だが左への移動でオーバーランしてしまい、焦燥が手元を狂わせてスピードが増し、スピードが増したことでさらに動転した。なぜか50cmほど浮上し、アホみたいなスピードで壁にぶつかって空中で宙返りして壁の向こうに膝から勢いよく着地した。

 プロテクターからの衝撃が全身を揺らす。これは青アザになるやつだ、と痛みに顔をしかめながら思う。


「大丈夫ですか? 膝からいきました?」

「痛ぇー……」

「痛いって言えるならまだ大丈夫ですよ! ファイト!」


 見目とは裏腹に少年はスパルタで、神崎が何度壁の外に吹っ飛んでも自分で方向転換を覚えるまでは同じ動きを反復させた。

 終了予定時間には試せる転び方はすべて試したのではと思うくらいにあちこち打っていた。身じろぎするたび、身体のどこかに痛みが走る。しかし、そのおかげで浮上への恐怖心やオーバーランへの焦りは薄まり、方向転換は習得した。


「今日はこんなところにしましょうか」

「ありがとうございました……」

「異常に痛む箇所はありますか?」

「まんべんなく痛い。激痛ってほどのはない」

「了解です。出て右、機材室にアイシング機器があるので患部はよく冷やしてください。置いてある湿布は自由に持って行って大丈夫です。温めると痛みが増すので、しばらくは湯船に浸からないことをお勧めします」

「はい」


 痛む身体を叱咤し、グラインを外して片付ける。患部を摩ろうにも全身が痛く、どこを摩れば身体が楽になるかもわからないくらいだった。

 揃って入り口を出たところで、2名の男性隊員と出くわした。


「あ、カズに神崎くん」


 河野班の国見くにみが手を振った。今日も目の下にはクマが目立つ。

 隣の隊員は初見だった。国見や永田と同年代に見える。背は国見より高く神崎と並ぶくらいで、黒髪を刈り上げのツーブロックにしている。国見と対照的に色黒で、風体からして活動的な印象を持った。

 彼は玉池に向かって、よ、と軽いノリで声を掛けた。玉池少年も手を上げて応じる。


「お疲れ様です。こちら、新入隊員の神崎さん。神崎さん、崎森班の中村なかむらさんです」

「どーもー」

 中村は人懐こい笑みを浮かべて言った。どことなく、永田と似た雰囲気が漂う。

「神崎です。よろしくお願いします」

「身体超痛そー。へーき?」初対面とは思えないほどの軽さで中村は聞いてきた。

「あちこちぶつけました」

「あはは、みんな最初はそうなるって。カズから見てどう? 神崎くんは」

「永田さんに比べれば全然見込みアリです」

はやてはマジでヤバかったもんな」


 気のいい近所の兄ちゃんを思わせる中村は、国見と模擬練をするために来たらしい。


「あの、差支えなければ見学させてもらえませんか」

 戦い方やグラインの扱いを学びたい一心で頼みこむも、国見が顔の前で手を合わせた。

「悪い、非公開にしてるんだ」

 玉池が分かりやすく口をとがらせる。「なんでー? 国見さんのけち」

「許してやって。昇格に向けてこいつなりに頑張ってるところなんだ」

「ホントにゴメン。また次の機会に」

「いえ、お構いなく。こちらこそ突然すみません」


 この上なく申し訳なさそうな国見にかえって恐縮する。

 彼らがフロアに入っていくと、扉が自動で施錠された。


「昇格試験は年に何度かあるんでしょ?」

「不定期開催です。今年はまだだったかな。神崎さんと級付けで当たるかもしれませんよ」


 端末で2人の情報を確認する。中村一閃いっせん隊員は1等級、国見航大こうだい隊員は3等級と記載されていた。

 玉池少年は機材室までついてきてアイシング装置の使い方を教えてくれた。湿布の場所を教えてもらう。世間話をしていると彼の端末が通知を知らせた。


「もう行かないと。……そうだ、大村さんがお礼に食事を奢ってくれるって言っているんで、そのときはぜひ神崎さんも一緒に行きましょう」

「いや、俺は手伝ってないし」

「僕だけだったら長話で何時間拘束されるか分からないじゃないですか。道連れは多いほうが良い」

「少しは本音を隠せよ」


 あっけらかんと言ってのける彼を苦笑いしてたしなめる。舌を出して笑ってみせ、少年は出ていった。

 念入りにアイシングを施し、湿布をいくつか頂戴して昼間の食堂に戻った。帰宅して自炊する気にはなれず、筋肉痛と疲労回復に効果のありそうな弁当を作ってもらう。弁当を受け取り外に出るころには、霧雨が降っていた。

 瀬名がいつぞやに言っていた、雨の日はショッキングピンクにライトアップされるという新スカイツリーのことがふと頭に浮かんだ。ここから見えないだろうかと目を凝らしたが、雨でけぶる視界の中では街並みすら霞んで見えなかった。


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