#31 浮上
翌日、木曜。宿題に答えを出すまで残り2日。昨晩遅くから降っていた雨は止み、周囲一帯に霧がかかっていた。夕方からはまた降りだす予報になっている。
射撃訓練は集中力が高まる午前中に組み込まれている。扱いを誤れば人命に関わるということもあり、教官の遠山はひとつひとつの事項を丁寧に指導する。
「実弾を扱うのはまだまだ先だけれど、実弾を装填しているテイで教えるね。使用後はメンテナンスが必須。なぜ毎回メンテナンスが必要だろうか?」
遠山に限らず、隊員には理論派が多い。なんとなくで行動する感覚派のほうが希少とも言える。『すべての行為には理由がある』という松川の言葉は、この組織の根底にある理念とも思えた。変人に見える大村や松川でさえ、感情任せの行動をしたり行き当たりばったりの理論を展開したりはしなかった。
指導でもその組織体質は垣間見える。自分の意見を発言する機会が多いうえ、「意味は分からないが教えられたから」という行動は即座に見抜かれる。
「本体に少しずつダメージが蓄積されるため、でしょうか」
「ダメージというのは具体的には何を指す?」
あいまいな返答に、突っ込んだ質問で返される。
「金属同士が接触して摩耗すること?」
「それもある。でも、いちばん懸念されるのは弾の残りカスの残留。銃は、ガンパウダー――火薬の燃焼で得た圧力で、弾を押しだす構造になっている。火薬はすべて燃焼するわけじゃなくて、いくらかは燃えずに残る。燃えずに残った残骸と、燃焼してできるカーボンが溜まると汚れになる」
手際よく銃を分解していくその手元を凝視する。玉ねぎの皮をむくような手早さで、銃がパーツごとに分かれていく。
「銃身には弾頭の削りカスも溜まる。火薬の燃えカスのカーボンは、銃のオイルと混じってさまざまなパーツに入りこんでしまう。パーツ同士が擦れる箇所やスライド部に入りこめば動きは鈍くなり、スムーズな射撃の妨げになる」
パーツを分解し終えると、遠山は銃身部分を指ししめした。
「もっとも汚れやすいのは銃身部分のバレルと、チャンバーと呼ばれる薬室。ここに汚れが付着していると薬莢が張りついてジャムの原因になる。……ジャムは知っているかな」
「弾が装填できずに詰まること」
「そうだ」
病室で大村が勧めてきた漫画にその描写があった。両手に持った銃のうち、右手のものが
「ジャムは手入れを怠らなければ絶対に起きないわけじゃない。連射ができる銃では仕方のないエラーで、何千分の1の確率で起こってしまう。あとは銃の使い方によるかな。映画なんかで、こう、銃身を横に向けて撃つ場面を見たことはない?」
遠山は手をグーにして前に突きだし、左手でトリガーを引く仕草をみせた。
「あります」
「これもジャムの原因になる。銃を横向きにすると、排出すべき場所でない方向に薬莢が出ることがある」
へえ、と声が漏れる。違和感なく見ていたが、実は好ましくない撃ち方だったとは初耳だった。遠山は合間にちょっとした豆知識を挟んで話す。どれも神崎にとっては新鮮で面白い。
彼の知識は今世の趣味によって養われた。本人は「クレー射撃とサバゲーが好きなミリタリーオタクだよ」と謙遜するが、リボルバーやライフル、ショットガンと多種にわたる銃の特性を熟知している。
試技を見せてもらったときには、次々と現れるマネキンたちを鮮やかに仕留めた。個体ごとに姿を見せる距離や方角、身体の大きさまで異なっていたが、狙撃に適した銃を即座に判別して急所を撃ち抜く腕には興奮すら覚えた。
彼は「距離を測る」という感覚系ピリオドを持つ。物体や人との距離を即座に、かつ正確に測ることができる。いわく、「地面に巻き尺の目盛りが見える」らしい。その能力を生かして松川班の狙撃手を担っている。
「神崎くんは班長にどんなアダ名をつけられたの?」
「『カンカン』です」
「なぁんだ、パンダみたいで可愛いじゃない。僕なんて『金さん』だよ。苗字が遠山だからって、まったく」
昔話の金太郎が脳裏に浮かんだ。「有名なキャラクターですか?」
「背中に桜吹雪の刺青が入った、昔の時代劇に出てくる架空のキャラクター」
雑談を挟みながらも、パーツの名称から各部の働きや手入れのやり方を教わる。手袋をはめて実際にメンテナンスを行い、彼がチェックをして元通りに銃を組み直して本日の授業は終了となった。
「まずはハンドガンから扱いを覚えて、ショットやライフルも一通り扱えるようになるのが最終目標だ」
「分かりました」
「はじめて実弾を撃つときには戸惑うと思う。でも、君みたいに近距離戦向きの人こそ撃つことを躊躇っちゃいけない。恐怖心を少しずつコントロールできるようになるといいね」
実弾は威嚇射撃で使用されることが多いが、状況によっては射殺も許可されている。銃に関するピリオドを表出した場合は乱射戦にもつれることもあると遠山は話した。
「そうなると、近距離戦主体の人は苦戦を強いられる。班構成はそのへんも考慮されているんだ。どうしても得意不得意があるからね、補いあうように組まれている」
「接近戦が得意で射撃はからっきし、という人もいますか」
「訓練を修了できるラインはクリアしているが、それ以上は……っていう分野がある人はいるね。たとえば、河野班の清水さん。狙撃の腕は本部内で5本の指に入る。でもグライン操作は大の苦手でほとんど自動操作だし、年齢もあって近接格闘は難しい。それもあって等級は3級」
モニターで見た狙撃の場面が思いだされる。あの長距離を正確に射抜く腕をもってしても3級だという事実に目をみはる。「てっきり、1級かと」
「総合的な判断というのはそういうこと。ただ、射撃はピカイチだからね。
終了後は訓練場にほど近い「総合研究棟B」内の食堂で昼食を取り、遠山から提供された銃に関する資料を端末で確認した。ついでに「遠山の金さん」も調べてみる。刺青を入れているのに奉行というのは面白い設定だと思った。
午後はまるまるグラインの習得に充てられていた。総合研究棟Bは小高い場所にあり、敷地外の街並みも望めた。あいにく昨日からの悪天候で視界が悪く見えないが、天気が良い日の夜は新スカイツリーのライトアップが見られると絹川が言っていた。
屋外訓練場に姿を見せた玉池少年の顔には、分かりやすく疲労が浮かんでいた。
「疲れた顔してるけど、大丈夫?」
「きのう、大村さんに呼び出されまして。遡臓検査の確認を夜遅くまで手伝っていたんです。長時間モニターを見続けて目が疲れました」
「検査映像は本人と記憶研の人しか見ちゃいけないんじゃなかったっけ」
検査結果通知のときに医師が言っていたことが思い返される。
「例外があるんです。はーぁ、買い物に行きたかったのにな。数日は缶詰めですよ、もう」
がっくりと肩を落とす少年だったが、一つ二つ深呼吸をして気持ちを切り替え、「今日も頑張りましょう、オー!」と拳を上げた。つられて神崎も拳を上げる。
「おー」
「今日は最初の1時間で浮上を終わらせて、方向転換を教えます。目標は終了時間までに自分の意思で方向転換できるようになること。浮上は5mからいきましょう」
5mは建物の2階に相当する。浮き上がっていくとともに視界が広がって遠くまで見渡せるのは気持ちがいいが、足元に目をやると高さに尻込みもする。
ここでバッテリーが切れたら、だとか、整備不良で動作が停止したら、などと余計なことを心配してしまう。自然と身体の動きが固くなり、姿勢が悪くなる。
7mまで上昇すると、いよいよ恐怖心が抑えきれなくなってくる。これ以上は無理だという臆病心と焦りが身を焦がしはじめる。
こちらが
「目線は前で下は見ない。透明の床があると思ってください。『浮いている』と思うと足がすくんじゃいますよ」
『1分経過しました』AIの音声が胸元から響く。玉池は手を打ち鳴らした。
「よし、基本姿勢は解いて大丈夫です。神崎さんがこの状況でいちばん安心できる立位姿勢を取ってください。透明な床があると思って」
いちばん楽な立ち姿と言われ、自然と右足が前に出る。両足の間隔は拳ひとつぶん。左足の踵をわずかに上げ、右足の踵は皮だけが床についているイメージ。
呼吸を整え、丹田に力を入れる。肩の力を抜いて深く息を吸い、吐く。身体に入っていた余計な力が抜けていく気がした。
「安定しましたね。1分経ったら、そのままもう1m上に行きます」
『カウントを開始します』
両手をゆっくりと前に出し、見えない刀を持っているつもりで正眼に構える。意識も前方向にいき、力の抜けかけていた足が踏ん張りを取りもどす。
1m浮上して1分持ちこたえたあと、基本姿勢でまた1分。構えの姿勢で気持ちが落ち着いたおかげでAIにバランスを指摘されることもなかった。
10mまで浮上したのち、9m、8mと1mおきに下がり地上に戻る。
「オッケーです。浮上で怖くなったら今の姿勢を取ってみるのもアリですね。次に進みましょう。屋内訓練場に移動します」
ぬかるみの残る地面を踏みしめ、屋内訓練場に戻る。道すがら、少年は屋外訓練場について説明してくれた。
屋外訓練場は森を切り開いたスペースに点在している。屋内同様に障害物が自動でせり上がってくるシステムが組みこまれており、自動走行マネキンも走らせることができる。屋内と異なるのは樹木や車が設置できること、せりあがってくる建物の高さが屋内のものより高くなること。班同士の模擬練や救護演習でよく用いられる。
「逆鬼ごっこも、屋外訓練場でやることが多いかな」
「逆鬼ごっこ?」
「見学のとき、僕が自動走行マネキンを捕まえていたでしょう? その逆です。マネキンが鬼になり、走って僕らを追いかけてきます。グラインは使用禁止で、足音と距離感、地形を確認して動く。『逃走中』と同じです」
彼の出した例えは分からなかったが、なんとなくイメージはついた。鬼ごっこ、という語感から平和な雰囲気が漂うが、想定の倍はきついのだろう。
「あとは、グラインを使っての鬼ごっこ」
「マネキンが鬼?」
「いえ、班長陣です」一気に平和的なイメージが崩れた。
「崎森さんとか松川さんに追いかけられるんだ……」
「この前は松川班と
「身軽な人ほど上手い?」
「はい。あと、グラインは動きながら細かく方向転換や射出量の調整をしないといけません。個人差もありますが、マルチタスクが得意な女性のほうが操作は上手い傾向にあります」
「玉池くんも上手だろ。教官になるくらい」
「僕、前世は女性ですもん。フィーリングでなんとなく分かるんです。……須賀さんは前世も前前世も男なので、グラインは苦手だと言っていました。直線的な動きが多くてスピードまかせの部分もある。体感したでしょう?」
同行した日にリモートで体験した動きが蘇る。カクカクとした動きと急な方向転換に翻弄された。あと少しで酔う、と覚悟したほど。
「うん。酔いかけた」
「でしょ。……班長陣は女性の松川さん、
屋内訓練場が見えてきた。空は灰色の雲で覆われ、いつ雨が降りだしてもおかしくない。少年はスマートウォッチに目をやった。
「2時半から再開します。……つかぬことを聞きますが、神崎さんは痛みには耐性があるほうですか」
突然の質問に虚を衝かれるも、小さく頷く。
「人と比べたことはないけど、剣道やっていたから強いほうじゃないかな」
「良かった、安心しました」
「……身体を痛めることが待ち受けてるわけだ」
「いやあ、神崎さんしだいです。言った通り、グラインは女性のほうが向いています。次にやる方向転換、大多数の男性は壁にぶつかりまくって身体中に青アザ作るんですよね。だから念のため聞きました」
ははは、と少年は屈託なく笑った。先に言わないで欲しかった、と正直に思った。
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