#28 冷静
管制室に足を踏み入れたときには現場で動きがあったようだった。
メインモニター付近の島では、須賀班への同行時に目にした腹の突きでた中年男性とひっつめ髪の中年女性が
メインモニターの操作盤には3人の男女が座っていた。40代くらいの男性と若い女性、そして永田。男性は現地の隊員へ指示を入れている。
「
『オッケー、正面回ります。逃げ遅れた人は離れたかな』
『
「東側に救護隊を差しむけます」
『了解』
大村が小声で話す。
「いま話しているのが
「ありがとうございます」
こちらに気がついた永田が、気を利かせて近くのキャスター付きの椅子をこちらに転がす。礼を言って腰かけた。
「河野班は見るの初めてっしょ?」
「はい。お邪魔します」
永田はモニターを指さす。「対象は50代女性。前世はDVで奥さんと子ども2人殺している。こっちが現着したタイミングでピリオドを表出。近くを歩いていた女性を人質に取って逃走中。ほかは全員保護した」
モニターを仰ぎ見る。家々のシェルター機能が発動し、街並みは無機質なものに変わっていた。
閑散とした通りの一本向こうには昔ながらの商店街がある。熊岡のときのような、目に見える大きな損壊はない。
「まあたぶん、あの能力は――」
「ストップ」言いかけた永田を大村が制した。「神崎くん、映像を見て君なりに予想を立ててみようか」
「ああ、宿題出されたんでしたね」
「懐かしいだろ?」
「俺んときは、お綾と大村さんだったな。今度はカズと大村さんでしたっけ」
「なぁに、呼んだ?」
中谷管制担当がこちらに顔を向けた。「なんでもない」と永田はひらひら手を振る。「お邪魔します」の意を込めて小さく会釈をすると笑って手を振られる。
明るめの茶髪、くっきりした目鼻立ちを際立たせるメイク。芯があり聞き取りやすい声と相まって、華やかな印象を抱いた。
「懐かしいな。俺は大村さんの外したんだっけ。ま、頑張ってよ」
励ますように肩を叩き、永田はモニター前に向きなおる。
画面に目を凝らす。大通り、歩道橋を駆けあがる人影が二つ。
先を行くのが被疑者のようだ。白いパンツに青いシャツ、藤色のカーディガン。どこにでもいそうな中年女性に見える。スーツ姿の女性の手首を掴んで引き連れている。人質女性の顔に恐怖や戸惑いの色はない。無表情で、連れられるがままだ。その不自然さに、ピリオドの影響だと察する。身体を操る
女性2人は歩道橋を登りきるとともに、場に独特の射出音が響く。
2人の隊員が歩道橋の
前を陣取った若い男性隊員は銃を構えている。須賀が使ったのと同じ、ピリオドを一時的に無力化する弾が込められているはずだ。後方に立った無精ひげを生やした男性隊員が、人質女性の肩を掴む。肩を引かれ、被疑者の手から女性の手が離れる。
「撃つな!!」
被疑者が前方の隊員に大声を上げた。
撃つなと言って撃たないわけがない。そう思ったが、命令された隊員はトリガーに手を掛けたまま硬直している。
「触るな!!」
被疑者は次いで、人質の肩に手を置いた無精髭の隊員にも叫んだ。とたんに、その隊員の手も止まる。
「ついてこい!」
そう告げ、被疑者はふたたび人質の手を掴み駆けだす。隊員2人はその場から動かず、距離は開いてゆく。
「声で相手を操る能力ですか」
「そう」 推察を大村が肯定した。「前世の映像を確認したが、怒鳴って家族を屈服させるタイプだった。口答えをした子どもを絞め殺すほどプライドが高く、感情にブレーキを掛けられない」
被疑者たちが階段を中ほどまで降りたところで、2人の隊員は身体の自由を取り戻した。一定の時間か距離を置くことで解けるのかと見当をつける。
前方の若い男性隊員は狼狽するそぶりも見せず、すばやく銃をホルダーに収納して耳に手をやった。通信音声がこちらにも響く。
『班長』
『距離を取って威嚇、ポイントに誘導』
『了解』
応じたのは、若い男の声。呼びかけた隊員と同じくらいの年代に思えた。
2人の隊員はグラインで移動を開始する。ともに、表情や行動に焦りは見られない。そう訓練されているか、今しがたの出来事は想定の範囲内だったのか。
被疑者らは歩道橋を降り、通り沿いをまっすぐ走っていく。進行方向の物陰から女性隊員が1名飛びでてきた。立位で銃を構え、被疑者を狙う。
「止まれ! でないと撃つぞ!」
明瞭かつ鋭い声が飛ぶ。負けじと被疑者も彼女の目を見て声を張った。
「動くな!」
女性隊員はフリーズする。逃げる方向を見定めようと被疑者は左右を確認した。しかし、タン、という軽い発砲音が鳴り響く。彼女の足元に音を立てて銃弾が当たる。
被疑者は一瞬びくつくも、すぐさま弾が飛んできた位置を確認した。
道路を挟んで反対側、物陰に立つ無精ひげの隊員が銃を向けている。
もう一発、今度は被疑者の後ろから銃声がし、すぐ脇の看板に着弾した。若い男性隊員が歩道橋の影から狙っている。
「動くな! お前もだ! 動くな!!」
被疑者は2人の隊員に顔を向けて声をあげた。2人はものともせず、次弾を放つべく照準を定めている。効いていないようだった。
分割されたほかのモニターで位置関係を把握する。動きを封じられている女性隊員との距離は5mほど、身を隠しながら狙撃をする2名との距離は10mはある。
一定の範囲内でなければ作動しないのかと思ったが、連れられている女性が動きを止めるそぶりはない。相変わらず無表情で被疑者にぴたりとついている。
歩道橋の上でも、隊員らの位置を確かめて声を上げていた。それも人質の女性には効いていなかった。
「相手の目を見るのが条件なのかな」
ぽつりとつぶやく。大村が口笛を吹いた。「いいね、状況判断が的確だ。実地でその冷静さを保てるかは別の話だけど」
相手の目を見ることで命令に従わせる能力。だとすれば近接格闘は分が悪い。銃撃も、今のように姿が見えている状況下では撃つタイミングを計られて人質の身が危険に晒されそうだ。遠くから相手の動きを制御する能力を誰かが持っていれば。
いや、と考えを改める。歩道橋で挟み撃ちにしたのは、最初から制圧が目的だったのか? 撒かれても2人は落ち着いていた。相手のピリオドを見極めるためにわざと出たとも考えられる。「死ね」と目を見て言われたらどうするつもりだったろう。そうなっても大事に至らない自信と目算があるのか。
あれこれ考えているうちに、女性隊員の拘束が解ける。彼女はすかさず射撃体勢に入り、被疑者は三方向から囲まれるかたちになる。逃げ道は唯一、左の細い路地。
「盾になれ!」
被疑者は人質に命令し、左方向へ駆けだした。女性は無表情で路地の入口に立ち、両腕を広げる。誰が撃っても、仕損じれば女性が撃たれる。
このままでは逃げられる。焦りが胸を駆けた瞬間、先ほどの若い男が声を発した。
『
『バッチリですよお』
応じた声は、年老いた女性のものだった。
タン、と射撃音が管制室に響く。被疑者の胸に銃弾が命中したのがモニターに大写しになる。バランスを崩し、後ろに倒れこむ。後方から女性隊員がグラインで滑りこみ、身体を支える。
別の視点を見る。両手を広げていた人質女性が、きょろきょろと周囲を見渡している。
『
『了解』
若い男性隊員が女性に駆け寄った。困惑している様子の彼女に怪我の有無を確認している。無精ひげの隊員は、グラインで浮き上がり周囲の状況を確認している。
狙撃位置を探る間もなかった。どこから撃ったのかと分割モニターをひとつずつ見ていく。右下の画面に、老齢女性が映っているのを見つけた。
身長ほどあろうかという長さの銃を手にしている。狙撃用に特化された銃を、縁側に座って茶を飲んでいそうな白髪の老女が持っている。
ほかのモニターと見比べて彼女の位置を確かめる。被疑者が逃げ込んだ路地の正面方向だが、100m以上は離れている。被疑者からは姿すら見えないだろう。
1発で正確に胸もとを撃ち抜いたことも衝撃だったが、銃の大きさからしてさらに遠距離からの狙撃も可能と思われる。その事実に、二重に衝撃を受ける。
後処理がはじまる。救護隊員らしき人物が映り込み、内堀管制官は指示を飛ばす。
被疑者のピリオド発動範囲を見極めて距離を取り、狙撃位置まで相手を誘導する手法は、接近戦で動きを封じられる可能性を考慮すれば最適なやり方に思えた。
3方向から狙撃する者がいることを示したのも、被疑者が人質を盾にすると見越していたからだろう。うまく人質と被疑者を引きはがし、逃げ場のない路地に誘いこむ。女性を路地に連れ込んでもグラインを使えば数の利で制圧できる。もし被疑者が女性隊員に向かっていったとしても、二の矢、三の矢が控えていたに違いない。
被疑者が逃走を開始してから確保まで、10分も経っていない。ものの10分で被疑者のピリオドを見極め、街の構造を見て被疑者の動きを予測し、人質を無傷で保護する策を考案し指示する。班長の判断力と指揮、その指示を完遂した隊員たちの手腕にも驚嘆する。
若い男の声だったが、どんな人だろう。気になってモニターを見まわす。タイミング良く、同じ声がスピーカーから響いた。
『終了。戻ります』
「お疲れ。相変わらず早いねえ」
『永田さん、いたんですか』
「うん。新人の神崎くんと、大村さんも」
『へえ』
『班長、今後の動きについていいですか』
どこにいるのかとモニターを目で追っていると、永田が指さした。
「河野くんは、この人」
示されたのは、路地の監視カメラの映像。無精ひげの隊員と話している青年。
黒髪のマッシュヘア。身長は神崎よりも低いように見えた。細身ながら体幹がしっかりしているのは明らかで、背すじはしゃんと伸びている。立っているだけで凛とした雰囲気を醸している。
「お若いですね」素直な感想が感嘆のため息とともに口から漏れた。
「神崎くんよりは年上だろうけど。何歳だったかな。ねえ河野くん、いまいくつ?」
『今年で21になります。それがなにか』
「神崎くんは、お絹ちゃんと同い年だっけ。18か」
『神崎隊員、隣にいるんですか』
「いるよ。話す?」
『いえ、別に』
モニター越しの河野の表情にはいっさい変化がない。崎森に似ている、と直感で思った。
背後から、大村の笑い混じりの声が飛んでくる。
「カナメに似てるな、って思ったろ。出てるぞ」
「あ……バレましたか」見透かされた思いで苦笑いする。
「河野くんは彼の教え子だからね、似ている部分もあるだろう」
「教え子?」
「彼の入隊時に、カナメが指導官。須賀班長と玉池くんみたいな関係と言えば分かりやすいかな? 河野くんも元祓川隊だよ」
本部の精鋭揃いの部隊に、この青年も。どんな能力を持っているのかと興味が沸きあがり、同時に「絶対に目をつけられないようにしよう」という謎の決意が強く固まる。
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