#26 研究


「ここでは会いたくなかった、って顔してるね」


 こちらの顔を見、大村は意地悪そうな笑みを浮かべた。的を射た発言に内心冷や汗をかきながら「まさか」と首を振る。


「そう? このあとの予定は?」

「2時間空きがあって、三澤さんの訓練が。それまで管制室を見学しようと思っていたんですけど」

「けど?」


 眼前に佇む、芸術的な寝癖をまったく気にしない男。

 彼のピリオドを探るチャンスではないか。ここで別れるより、成果を上げられずとも探りを入れたほうが、のちのち役に立つかもしれない。


「大村さんさえよろしければ、話を聞きたいことがあって」

 その申し出に、大村は眼鏡の位置を直しつつ答えた。

「いいよ。僕のピリオドに関する質問でなければ何でも答えよう」


 記憶研の職務内容について知りたい旨を話すと、本部棟脇の「総合研究棟A」に連れて行かれた。

 本部棟と連絡通路で繋がれたその建物に、神崎は初めて足を踏みいれた。6階建ての建物は中央部が吹き抜けになっている。光がふんだんに取りこまれ、室内全体が明るい。エスカレーターとエレベーターが中央に設置されており、大型ショッピングモールを彷彿とさせるつくりになっている。

 ずんずんと進む大村の背に声をかける。


「宿題のことはご存知なんですね」

「もちろん。どう? 分かりそう?」

「このタイプかな、という目星は、なんとなく」

「それは優秀だ。この時間で予測があっているか分かると良いんだけど。……管制室にも寄りたいだろ? 1時間くらいでこちらは終わらせよう」


 彼は、2階のいちばん奥まった場所にある部屋の前で足を止めた。掲示には「室長室」とある。

 神崎がドアに手を触れるなり、生体認証を求められた。指紋や静脈、虹彩をスキャンされる。人定がなされるとロックが開いた。


「悪いね、厳重で。偉い人はもっと簡素に済むんだけど」

「いえ、お気になさらず」


 大村の立場を考えれば厳重な警備になるのも頷けた。

 室内は、先ほどまでいた会議室2部屋ぶんはあった。意外にも綺麗に片付いている。

 まず目についたのは本棚だ。壁沿いに並ぶ棚、上から下までぎっしりと本で埋めつくされている。入りきらない本も数十冊はあり、カートに背表紙が見える状態で置かれている。そこだけ見れば図書館のようだった。

 入ってすぐの場所は簡易応接スペースになっていた。黒い革張りのソファーとガラステーブルが置かれている。いずれもかなり高級なものだと見てとれる。

 扉の真正面には、透明な自立型パーテーション――おそらく防弾仕様――があり、奥に執務机が置かれている。広い机のうえにはデバイスや端末、タブレットの類が乱雑に置かれている。

 

「フギン、1時間したら知らせてくれ。あと、お茶を2人分もらえるかな」

『かしこまりました』


 大村が言うと、壮年男性の声が天井のスピーカーから響いた。

 ソファーに座るよう促される。人型ロボットが部屋の奥から現れ、二人分の緑茶をテーブルに置いて下がっていった。


「広い部屋ですね」

「掃除が大変だからもっと狭くてもいいんだけどね」

「急に入った仕事は、終わったんですか」

「うん。ちょっと怪しい人物が引っかかって、調査していた。いま、河野班が向かっている。このあと管制室で見学できると思う。それで、聞きたいことはなんだろう」彼はにこやかに笑い、両手を広げた。「なるべく話そうじゃないか」


 さっそく、松川の講義でリマインドした内容を切りだす。

「松川さんから、記憶研の話を聞きました。探査室と、解析室、あとナントカ室があると。……遡臓や組織関連の話は聞きましたが、記憶研のことはあまり聞いていなかったと思いまして」

「僕らの仕事内容を聞きたいってことだね」


 大村は立ち上がり、執務机からタブレットを持ってきた。しばらくそれを操作してから、こちらに差しだす。


「記憶研は、4つの部門に分けられている」


 松川が会議室でホワイトボードに書いていたのと似た組織図が表示されている。最上部に「本部」があり、3つに枝分かれして「探査」「解析」「鑑定」とある。


「どこがどの中隊と一緒、っていうのは知ってる?」

「聞きました」

「ならいいや。……3つの部署と本部がある。遡臓検査は全部署で請け負っている。AIで要約した文章を確認して、必要に応じて映像を見る。ショッキングな映像は差し替えや編集したり、要約文を変えたりもする。本人に提示する前には本部の承認を得ないといけない」

「はい」

「では前世で重大な罪を犯していると判明した人間に対してはどうするか。……まずここ、探査室に情報がすべて送られてくる」


 大村は「探査」という文字をタップする。文字が翻り、「対象の映像を確認」「時代背景を推察」と出てくる。


「悪いね、一般向けのパンフレットだから説明が簡易で。やることは考古学者に似ている。映像を見て、どの時代を生きた人間なのかを捕捉・特定する」

「どの時代を……」

「生まれ変わりの時期は人によってバラバラだからね。最近は、明治時代に殺人を犯した人の映像を見た」

「明治!? 200年くらい前ですよね」 

「そう。人によって年代には幅がある。前世が日本人でない場合もあるし、前世の記憶と前々世の記憶が混同していることもある。衣服、言葉の訛り、話の内容、街並みなんかから目星をつける。そうして探査室でまとめた内容は、次に解析室に送られる」


 大村は「解析」の文字をタップした。「事実関係の確認」と出てくる。


「解析室は、探査室が調べた個人の情報を元にして、どの事件に関係がある人間かを探る。その年代、その地域で発生した事件との関連性を調べる。もっとも、中には居住地から遠く離れた場所で凶行に走る人もいる」

「だとしたら、全国の事件を洗いだす必要があるんじゃ」

「そう。探査に差し戻されて、被害者の身元を特定できないか頼まれることもある。解析がどの時代のどの事件かを調べた後は、鑑定室に送られる」


 「鑑定」をタップする。「真偽の判定」と出てくる。


「鑑定は字の通り、探査と解析が出した結果を精査する。記憶っていうのは、自分目線の映像なんだ。当たり前だけど」

「はあ」前世なしと診断され、きちんとした映像を見たことがない神崎はあいまいな返事をした。大村もそこに思い至ったのか、苦笑して説明をくわえる。

「僕がここで君を殺すとする。記憶が来世の僕に引き継がれ、遡臓検査に出る。すると、僕がこの目でいま見ている映像が表示される。君の顔は映っているが、僕の顔は鏡を見でもしなければ映らない。この部屋や話の内容から、大村禄郎という記憶研職員が神崎真悟を殺した事実を突き止めないといけないから、まあ大変だよね。……鑑定室で真偽判定がなされたのち、最後に本部が確認をする。これでやっと終了。遡臓検査の結果、君の学校は1週間くらいで届いただろ?」

「はい」

「早く届いたってことは、AIの要約で引っかかることがなかったからだ。引っかかるようなことがあれば調査で遅れる」


 ヒントを探すのも大変なんだよ、と大村は嘆いた。


「テレビに映っていた映像をヒントに年代を特定しようにも、再放送だったりする。いちばん嬉しいのはニュース番組だね。ローカル局のニュースだったりすれば特定が楽だ」

「特定まで、どれくらい時間がかかりますか」

「場合による、としか言えない。やってみる?」

「え、できるんですか?」


 彼はタブレットに目を落とし、操作をはじめる。「サンプルがあるんだ。新入職員に研修で出すようなやつが」と言い、1本の動画を再生してこちらに渡した。


「ある職員の前世の映像。読み取れる内容を言ってみて。自然災害の映像が出るけど大丈夫かな」

「問題ありません」


 タブレットを受け取る。

 再生された映像はいくばくかもやがかっており、画面の解像度もさほど高くない。


 まず映ったのは赤ん坊だ。白いおくるみに包まれた赤ん坊を、この記憶の主が抱っこしている。記憶の主は青いズボンに黄色のTシャツを着ている。身体の大きさからして、記憶の主も幼い。向かいに30代くらいの男女が座っていて、笑いかけている。両親だろうか。

 画面が切り替わる。母親と思しき女性に手を引かれて走っている。女性は抱っこひもで弟を背負っている。記憶の主はランドセルを背負っている。高台を目指して走っていく。周囲の建物は崩れているものもある。電柱や看板が歪んでいる。

 高台から見た風景。手を握った母は泣いている。眼下の街は茶色い水に浸かっていた。

 「連絡ください」と母が書いている。二人分の名前が連なる。老いた男性が頭を撫でてくれている。

 仏壇。二人の遺影。中年の男性と年老いた女性。父と祖母。母が泣いている。仏壇にはグローブが置いてある。

 野球をしている。ポジションは外野。試合後、優勝旗を持って記念撮影。

 新幹線のホーム。祖父と母、弟が手を振っている。仙台駅で下車した。寮で、他の男子学生と笑いあう。

 野球をしている。監督に怒鳴られながらバットを振り黙々と練習する。

 泣きながら電話している。「なんで」「最後の夏が」「選手だけでもやれる」と言っている。誰に電話をしているのか。

 

「ここまで」大村は動画を止め、こちらを見やった。「分かることを述べてごらん」


「……弟がいて、両親と、祖父母がいました。津波から逃れるために高台に避難した。父と祖母は亡くなった。父はたぶん、野球をやっていた人」

「うん」

「この人も野球をやっていて、高校入学のタイミングで地元から仙台に一人だけ引っ越した」

「それで?」

「えっと……練習を続けたけど、最後までレギュラーにはなれなかった」


 神崎の答えを聞き、惜しい、と大村は言った。


「本筋は合っているが細部が違う。この人がいつの時代を生きたかは予想つく?」

「津波を巻き起こした地震で思いつくのは2030年代の茨城沖大地震と、2090年代の南九州大震災ですけど……仙台に引っ越していたし、AIもさほど発達してないように見えたので、2030年代に高校生だった人かと思ったんですが」

「なるほどね」


 意味ありげな顔をする大村を見て、自分の推論が間違っているのだと直感する。


「外しましたよね」

「考え方は合っている。不足しているのは歴史と時事に関する知識だね。観察眼はなかなかのものだと思うよ。……正解は2002年、岩手県生まれ」


 まったく見当違いだった。性別しか合っていない。大村は映像を見せながら説明する。


「この災害は2011年の東日本大震災を指す。避難途中で映っていた電柱や看板から住所が分かる」


 電柱には住所がしっかりと書かれていた。看板には、地方特有の店舗名や電話番号が記載されている。人物に気を取られ、すっかり見逃してしまっていた。


「残念ながら祖母と父は亡くなった。父が野球をしていたというのは正しい。高校は地元を離れて仙台市の学校で寮生活を送った、これも合っている。間違っているのは、『高校でレギュラーになれなかった』という点。レギュラーになれなかったことへの悔しさを電話で誰かに話していると思ったのかな」

「内容が、そう聞こえて」

「注意深く聞くと、『選手だけでもやれる』と言っている」

「はい。特に気に留めていませんでした」

「これがいちばん重要。『選手だけでも』というのは、選手がいればできるのにそれが許されない状況、とも取れる」


 大村はタブレットを操作し、「感染症の歴史」と題されたページをしめした。


「2020年初めから、新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延した。接触感染するタイプで、重症化すれば肺がやられて死に至る。世界中でパンデミックを巻き起こし、人が集まる行事が次々と中止になった。夏の風物詩でもあった全国高等学校野球選手権大会も中止。第2次世界大戦以降初の出来事で、当時は大きく話題になった」

「お詳しいですね」

「僕、このとき生きていたから。……結論、彼は2020年に高校3年生。飛び級制度もない時代だから、単純に2020引く18で、2002年生まれ。こういうことを僕たちは日々やっている」


 映像から垣間見えるわずかなヒントと出来事を照らし合わせ、何億といる人のなかからターゲットを絞り込む。

 途方もない作業に思えた。その作業を管轄する部署のトップにいるのがこの寝癖の男と思うと、大村に対する認識が改まる。

 神崎が見直しているのをよそに、大村は過去を回想し懐かしがる。


「あのころは大変だったなあ。コロナが収束して数年とおかず別のパンデミックが起きて。おかげで、あのころ発見されたばかりの遡臓は大してクローズアップされなかった」


 もう一つのパンデミック。

 神崎もその名は知っていた。

 歴史の教科書、生物の教科書でも大々的に取り上げられている。


「神崎くんは知ってる? あとの方は」

「はい、知ってます」

「なんだ残念。でもそうだろうね」


 大村は懐かしいものを思い出すようにつぶやいた。「クレイウイルスによる死者の方が圧倒的に多かったし、歴史に残る大事件だったからなあ」


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