#23 授業
「変な人って、どんなふうに」
「え? うーん……会えば分かりますよ。すっごく変、ってわけじゃないし」
食堂で対面に座った玉池少年は、松川班長について深くは語らなかった。
人間、いちばん困るのは説明が中途半端なときである。いったいどんな人なのかとチキン南蛮を頬張りながら考えを巡らせていると、「やっほー」と緩い挨拶をして絹川が隣に座った。
「どう? 訓練」
「筋肉痛で死にそう」
「動けるだけすごいよ。私は身体じゅう痛くて動けなかったからさあ。さすが元運動部」
「ありがとう。そう言ってもらえると少し報われる」
「絹川さん。絹川さんなら、松川さんのことをなんて紹介しますか?」
少年はチキンライスをスプーンですくって問う。内面はずいぶん大人びているのに料理のチョイスは年相応で可愛らしい。
「松川さん? なんで?」いぶかる絹川に、神崎は事の次第を説明した。
「大村さんの仕事の都合で、午後は松川さんに教えてもらうことになって。初めて会うからどんな人なのかな、と」
オーダーを済ませた絹川は口元に手をやり悩むそぶりを見せる。ネイルが白地に花柄のフレンチネイルに変わっていた。
「ちょっと変わった人だよね」
「ほらね」玉池少年が笑い混じりに言う。
「どう変なのか、もう少し詳しく」
「うーん、ものすごーく変、ってわけでもないよ?」
「ほーらね」
「説明がアバウトすぎる……」
「そうだ、私をスカウトした人だよ」
「事件に巻き込まれたところを助けたんだっけ」
「そうそう。なにも知らない私に、1から10まで教えてくれた」
「松川さんは絹川さんに激甘ですから」
もごもご咀嚼しながら少年が言うと、絹川は照れくさそうに微笑む。
命を危機を救われた管制担当と、助けた相手に激甘な班長。
説明だけでうまく描けずにいた人物像をクリアにすべく、想像をふくらませる。
玉池少年の隣席の椅子が引かれた。ちらりと目をやると、長めの髪をポニーテールにした女性が腰かけた。
髪の毛先はブルーブラックに染められていて、同じ色合いのジャケットを制服の上に羽織っている。白い肌にぱっちりと大きな瞳。鼻筋もすっと通っており、街中を歩けば数人は振り返るような整った容姿をしている。
腰かけた女性は絹川に向かい、挨拶をするふうに手を上げた。
「トコちゃん、お疲れさま。ボールボーイも」
「お疲れさまです」
「そのあだ名で呼ばないでくださいよー」
絹川はにこやかに返し、玉池は口をとがらせた。それから彼女は神崎に目を止めた。
くっきりした二重に長いまつ毛、黒く澄んだ瞳がこちらを射る。モデルと言われても疑わない美貌。たじろぎつつも会釈をすると、女性は絹川に言った。
「そちらの彼が、例の?」
「はい。新しく入った神崎真悟くんです」
口のなかにあったものを飲み込み、姿勢を正して座礼する。
彼女は「神崎くん、かぁ」と天井を仰いだ。
「……カンカン」
「はい?」
「君のことはカンカンって呼ぼう。よろしく、カンカン」
「あ、はい、よろしくお願いします」
にっこりと笑って宣言される。有無を言わさない言い方に、受け入れるほかない。
いいなあ、と玉池少年が抗議の声を上げた。
「僕も、もっとマシな名前がいいなぁ」
「いいじゃん、玉池の玉はボールの玉で、少年だからボーイ。ボールボーイ」
「絹川さんは名前で呼ぶくせに」
「立派なあだ名でしょ。灯子ちゃん、トーコちゃん、トコちゃん。可愛いじゃん。ね、トコちゃん」
「ねー」
女性は絹川に首を傾げて笑ってみせる。束ねた髪がさらりと揺れる。
仲睦まじい二人の様子を見、少年はため息をついた。
「ほんっとに絹川さんには甘いですから、松川さんは」
「……松川さん?」
松川、というワードに驚き、声が上ずった。
ポニーテールの彼女――松川は、「そうです私が、松川です」と、ひらひら手を振る。口調は誰かの真似をしたようだが、神崎には誰の真似かが分からない。
「校長から話は聞いてるよ。午後はよろしくね」
「校長?」
「大村室長。話が長いでしょ? だから校長先生」
「なるほど……」
隊員はあだ名で呼ぶポリシーらしい。なかなか的を射たネーミングだ。
変な人ではあるが、格別に変というわけでもない。少年と絹川が言わんとしていた意味を理解した。
この人が須賀の大声に耳を塞ぎ、入隊したばかりの永田を放置プレイし、運転があまり上手ではないという松川班長とは。勝手に男性だと思っていた。
松川は頬杖をついてたずねる。
「法師とハリスンから聞いたけど、カンカンは前世が無いんだよね」
「はい、そうです」
答えてから、法師とハリスンとは誰のことだと頭を巡らせる。感情は顔に出ていたようで、玉池が「崎森さんと須賀さんです」とすかさず補足してくれた。松川が微笑む。
「そうそう、針を使うから一寸法師の法師ね。前世がないならハリスンの由来は知らないかな」
「有名人ですか」
「うん。私からすれば、ジョージといえばハリスンなんだけど」
須賀の名前――丈児から来ているらしい。たしかに、会った当初は「丈児」より「ジョージ」という感じがすると思ったのだった。
「ワシントンかハリスンかクルーニーで迷って、いちばん顔が似てるハリスンにしたんだ」
その説明はうまく呑み込めなかったものの、大村とのやり取りで知ったかぶりをし過ぎたおかげで意味も分からず相槌を打った。彼女は意にも介さず、カートからざる蕎麦の載ったトレイを取りだす。
「前世が無いのにピリオドを出した人は私も初めて見た。それに、第六感が当たるんでしょう? ふたつピリオドを持ってるのも不思議。使いこなせれば優秀な隊員になりそう。早く模擬練できるまで上達できるといいね。ボールボーイ、ちゃんとグライン教えてあげなよ」
「だから、そのあだ名嫌ですってば」
「ボーイじゃなくなったら改名を考えよう。それか模擬練で私に勝つか。どっちが早いかな」
殊勝に笑って蕎麦を啜りはじめる彼女を見て、松川班の面々はは実地でもあだ名で呼ばれているのだろうか、と見当はずれなことを思う。
松川は手早く昼食を終え、準備があると言って先に出た。玉池と絹川とはしばらく世間話をしたのち、入り口で別れた。
講習場所の7階会議室は、本来はロの字にテーブルが並んでいる。神崎用に一つだけ残してほかは部屋の隅に片付けられていた。
40人は入れそうな空間に1対1でいると、睡魔が襲ってこようと居眠りなどできない。眠気が訪れるたび、崎森の「無礼な態度を取れば目と口を縫い付け」という言葉が脳裏によみがえる。
一緒に講義を受ける仲間がいればと思ったが、中途入隊は時期によりバラバラらしい。全国各地まで範囲を広げれば同期と呼べる存在はいるかもしれないと大村は話したが、そもそもICTOの組織構成の説明を受けておらず、どういった区分で分けられているか知らなかった。
聞こうとする前に「ICTOの組織構成って知ってる?」と先手を打たれ、聞いておきたかったにも関わらず脊髄反射で「知ってます」と返事してしまった自分が恨めしい。
「お待たせ、カンカン。始めようか」
松川はブルーブラックに縁取られた丸眼鏡をかけて現れた。手には指示棒を持っている。準備というのはそれらを用意することだったのだろうか。形から入る主義のようだ。
年上なのは間違いないが、大村や崎森ほどではないだろう。おそらく永田と同じくらいか。良く言えば子供心を忘れておらず、悪く言えばやや子どもっぽい。
松川の人となりが、徐々に輪郭を作ってゆく。
「ピリオドについては校長からだいたいは聞いてるでしょ?」
「はい。どういうときに現れるものか、過去の記憶に関連しているといったことは教わりました。種類については三澤さんから」
「オッケー。じゃあ私から教えることはないかな」
「え?」
「実地でも見たよね。ヒトカちゃんのと、ハリスンの」
「ヒトカちゃん、というのは」
「
「見ました。人払いの能力ですよね」
「そう。法師とハリスンとヒトカちゃんとカンカン自身のと、実地で遭遇したっていう男女のピリオドは見てるわけだ」
「はい」
「うん、だいたいタイプは網羅してるね。珍しいのはヒトカちゃんのかな。特殊型」
ピリオドは練度によって能力の幅も変わってくる。松川いわく、仁科嬢はまだピリオドを保有して日が浅いため有効範囲はそう広くないのだという。訓練を重ねればさらに範囲は広がっていくだろうと彼女はつけ加えた。
「カンカンは表出してすぐにコンクリの塊をぶった切って、二度めには空気を斬って風を巻き起こしたでしょ。どう進化するか楽しみだね」
「どうすれば、より強力な能力になるんでしょうか」
「いちばん大切なのは想像力かな」彼女は眼鏡を上げて言う。「こう使えるかも、って思ったことを強くイメージする。案外、想像通りにできたりするからなんでも試すといいよ。実地でも常に想像することが大事」
「想像……」
「こんなことあり得るはずがない、って能力を表出して使いこなす相手もいる。ピリオド保有者は、使い方が自然と分かるの。刀を出したとき、懐かしさを覚えなかった?」
初めてあの白い刀を手にした瞬間を思いかえす。身体に電流が流れたような感覚は、覚えがあった。静かに頷く。
「他人から見れば意味不明な能力でも、自分はよく知ってる。相手のピリオドを見て大したことないなあって思っていると足元を掬われるから要注意。運転でも言うでしょ? だろう運転は危険だから、かもしれない運転を心がけましょう」
「かもしれない運転……」
「まずは『普通じゃありえない』っていう先入観を抜くこと。なんでもありのファンタジーワールドと思って常識を取っぱらった子のほうが上手く動ける。……模擬練でいろんなタイプの相手と手合わせしたり、実地を管制室で見たりするだけでも違う。時間があれば見においで」
「分かりました」
的確なアドバイスは胸にすっと入っていった。玉池らの言う通り、すごく変、というわけではない。あだ名で人を呼ぶという点をのぞけば常識人だ。変人と聞いて勝手に身構えていた自分を恥じる。
なにせ、彼女は班長を務めている。教官役の中倉や三澤、玉池よりも地位は上で、崎森と須賀と同じポスト。須賀は班長職を実地における最後の砦と表現していた。彼女も相当の手練れに違いない。
「松川さんのピリオドはどういったものですか」
「それは模擬練でのお楽しみ。楽しくないじゃん、ネタバレしたら。さあ、理解も深まったみたいだし次に進むよ。次は、ピリオドへの先入観を取って想像力を膨らませてみようか。最後に宿題を出すから、次回はそれの答え合わせで」
「宿題?」
「うん。そんなに難しいものじゃないから。……そうだ、その前に」松川はこちらをちらりと見て言った。「分からないことを先に潰そうか。校長の話が長いから知ったかぶりして後で調べようとしてることあるでしょ、絶対」
痛いところを突かれる。小さくうなずくと、予想的中と言わんばかりに彼女はフフンと笑った。鎖骨のあたりに手を当て、芝居がかった声で言う。
「では、この優秀なる松川班班長・松川あかりが、カンカンの知らないことについて懇切丁寧に教えてあげましょうっ」
やはりちょっと変わってる人だ――認識を軌道修正し、口をひらく。
「この組織がどういった構成か、教えていただけますか」
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