#21 決断
警官は明らかにこちらを知っている様子だ。昨日の出来事は色々とアレされたのではないのか。
下手に声を上げてしまったせいで、向こうもこちらが顔を知っていると思ったかもしれない。思考をめぐらせ、観念して愛想笑いを浮かべた。
「すいません。名前、思いだせなくて」
先手を打って申告する。男は微笑んだ。笑うとやや幼く見える。振る舞いは落ちついているが同年代だろうと踏んだ。
見覚えがある気がしなくもない。ただ、ここ数日で何度も自分の記憶がいかに曖昧かつ信用ならないものだと知らしめられた。覚えがあるのも思い違いかもしれない。
「防具越しだと分かりづらいですよね。中央高校の神崎さんでしょう。西高の
その言葉で記憶がよみがえる。他校の剣道部員だ。対戦したことは何度もあるが、挨拶を交わす程度で話をしたことはなかった。確か、沖野
団体戦では常に一番手を務めており、
二年の途中までは大会で顔を合わせたが、飛び級をしたのかいつの間にか見なくなっていた。
警官になったんですかと喉元まで出かかるも、いまの服装だけで警官とは判断できないと思い、寸前で言葉を変えた。
「飛び級したって聞きました」
「そうです。いまは警察官です。そちらは?」
「進学の予定です」
「大学でも剣道続けるんですか」
「考え中です」
「ええ、ぜったい続けたほうがいいですよ。めっちゃ強いじゃないですか。このへんで個人で全国に行けたの、神崎さんくらいでしょう。もったいない」
できることならそうしたいが、そうもいかない事情ができた。
話してしまいたい衝動に駆られる。彼の端末が鳴ったことで衝動は鳴りを潜めた。
「すいませんでした、いきなり話しかけて。じゃあ」
こちらに会釈をして、すぐ戻ります、と通話相手に詫びつつ彼は小走りで出ていった。後ろ姿を見おくり、コーヒーを受けとる。
どうやらきちんと色々とアレされており、昨日会ったことも、妙な出来事に遭遇したことも覚えていなかった。
席に戻れば瀬名にも会話は聞こえていたようで、彼は意味ありげな笑みを浮かべていた。
「ライバル校の選手も覚えてないのかよ。向こうはちゃんと知ってたのに」
意地の悪い顔で茶化される。
「それは、開会式とか閉会式で」ぼそぼそと答えると、ああ、と瀬名もうなずいた。
「あれだけ入賞してりゃ、顔も覚えるわな」
歴の長さと元来の性格、それに経験者だった父の影響もあり、神崎は強豪・中央高校にスポーツ推薦で入学して早々に頭角をあらわした。主将の座を任せられ、団体でも個人でも全国大会に出場した。試合の様子を他校の部員が研究目的で録画していたのも一度や二度の話ではない。
沖野がこちらを認識していたのも不思議ではなかった。
「それで、聞いてほしい話っていうのは」
瀬名がそれとなく水を向けた。沖野の話はそこで終わり、思考をすばやく切りかえる。
まずは一昨日の
父についても話した。幼いころに別れたきりだとは話したことがあり、彼も覚えていたため理解は早かった。前世の記憶に関して携わる機会が増えれば、自分でもなにかを思いだすかもしれないし、父に繋がるなにかを掴めるかもしれない、と添える。
瀬名は終始、真剣に聞いていた。こちらが話しおえると「受けるつもりでいるわけだ」と意思を確認してきたので首肯で応じる。
彼は腕を組んでソファにもたれかかった。
「迷っているから相談に乗ってくれ、って言われるのかと思った」
「どちらかというと、気持ちを整理するために聞いて欲しかった」
「教員になるのは諦める?」
その問いに押し黙る。瀬名は眉をあげた。「ああ、そこに踏ん切りがつかないわけだ」
「踏ん切りって言えばいいのか、なんて言うべきか」
なにも知らずに守られて生きているよりも、すべてを知ってでも苦しい道を歩むほうが良い。父の失踪が関係しているとあれば、なおさら知りたい。
昔からの夢を追えば、見知らぬ誰かが自分を守ってくれているのに気づかずに生き、父が失踪した真実を知る機会も失われる。
誰かを守る道を選ぶには、追いかけてきた夢を捨て自らを危険にさらすことになる。父がもし生きていれば再会できるかもしれない。
二つの道の分岐点で、気持ちにうまく折りあいがつかない。
「ユウが公務員に就職した決め手は、なに」
すでに道を決めている彼に問う。瀬名はあっけらかんと答えた。
「やりたいことができると思ったから」
「どういう職種だっけ」
「お前は本当に人の話を聞いてないことあるな。普通だよ。普通の事務職」呆れまじりの声で返し、彼は窓の外を見てぽつりとこぼした。「なんの変哲もない人生のほうが、いいだろ」
前世は普通に死ぬことができなかったような口ぶりだった。詳しく問うのをためらわせる雰囲気があり、それ以上は深く聞かなかった。
互いに無言の時間がしばし続いた。雨はときに風を伴いながら、絶え間なく降りそそぐ。
「2回目の人生でよく覚えていることがある」
瀬名が唐突に言葉をこぼした。黙って耳をかたむけた。
彼の二度目の人生で女性に生まれ、
髪を切るのは半年に一度。伸びに伸びた髪を、町の床屋でバッサリ切ると後ろ姿は男子に近い。父はいつも「短く切っちゃって」と指定していた。
半年に一度しか散髪ができないのは、父と母が無駄な金を使いたくないからだ。そう思い、高校進学後はアルバイトをし、貯めた金で美容院に行った。さほど切らず、整える程度にしてトリートメントもしてもらった。
髪を切ったことを告げると、彼女は驚いた。彼女はいったいそれのどこを切ってきたのかと詰問した。少しだけ切ってトリートメントをしたと伝えると、「またそんなムダ金使って」と語気を荒げた。
「なんか、かわいそうだな」
「俺も自分で自分がかわいそうに思っていた。でも違うんだよ」
働きはじめて数年したころに結婚した。相手は割と裕福な家庭の出で、価値観のズレに驚くことが増えた。美容院についてもその一つで、夫は毎月美容院に通っていた。彼の育った環境では、散髪は月に一回というのが常識だった。
「当たり前の定義って、人によってめちゃくちゃ違うんだと思ってさ。なにかにつけてよく思いだす。インターネットも普及していない時代だったから、自分が知る範囲が世界のすべて、みたいなところがあって」
自嘲ぎみに笑い、瀬名はマグカップを口元にもっていく。
「いまなら分かる。親も悪気があったわけじゃない。あの人らはあの人らで、自分たちの親に教えられた価値観で俺を育てた。でも、ちょっと怖くないか。常識だと思っていたことが他人にとっては非常識だったとしても、気づかないまま次の世代に受け継がれていくのは」
ひとくち
「インターネットが普及しても親は使いこなそうとしなかった。何度言っても聞かなくて、調べればわかることも俺に聞いてきた。知らないでいるのは楽だけど、逃げでもあるな、ってそのとき思った。知ろうとしないと実情が見えない。実情が見えなければ自分のなかの常識をずっと信じていられる。それがネットの発達でまず変わった。その次に、遡臓ができて
前世の記憶は、経験するはずのなかった世界線を
貧困で餓死した子どもが富豪の子どもに。黒人は野蛮だと差別を繰り返した白人が黒人に。女性は男性より劣ると主張し続けた男性が女性に。
前世で学ぶ機会のなかったことや興味のなかったこと、知りたくもなかった事実を、今世で知ることになる。
遡臓によって社会は変革し、まったく別の立場に生まれ変わることで人間は多様性をより深く理解した。そのおかげで正しい方向へ転換した問題もあれば、そのせいで悪化した問題もある。
天井を振りあおぐ。瀬名は足を組みかえながら言った。
「進路に悩む真悟くんに良い言葉を教えてあげよう。『自分の考えた通りに生きなければならない。そうでないと、自分が生きた通りに考えてしまう』」
「どういう意味」
「来た道に後づけで答えを用意するな、自分が決めた道は不安でも頑張れ、ってところかな」
誰の言葉かと問えば、瀬名は上司から聞いたのだと言った。偉人の名言を引用するのが好きな女性が直属の上司なのだと彼は話した。
その流れで、瀬名は自らの配属先について語った。多忙な部署で、直属の上司がひと癖あって絡みづらいという。しかし、しばらくのあいだ手伝っていたインターン先の上長も負けず劣らず変わった人で、その人とうまくやれたのだから慣れるだろうと彼は話を締めくくった。
それから小一時間ほど他愛のない話をした。
「建てなおしたスカイツリーのニュース、知ってるか」
瀬名の聞きかたに大村が頭にちらつく。
「前の跡地より離れた場所に建てたんだっけ」
旧式の跡地から離れた場所に建てられたそれは、スカイツリーという名は引き継いだ。場所は変わっても見た目はまったく変わらないというのを売りのひとつにしている。
「あれ、雨の日の夜限定でショッキングピンクに光るんだと。視界悪くて遠くまで見えないのに、なんでだろうな」
「飛行機に分かるように、じゃないの」
「だとしてもショッキングピンクはないだろ。林家ペーとパー子じゃあるまいし」
「あ、午前中にうちの母さんもその人らのこと話した」
「この時代に一日でペーパーの名前二度も聞くなんて逆にすげえよ、お前」
日が落ちるまえ、引っ越しに向けての買い物があるという瀬名と別れた。帰宅するとAIが音声で出むかえる。
『おかえりなさい。琴美様は事務所に行っています。お戻りは19時ごろです。伝言をあずかっています』
「メシ作っておいて、でしょ」
『そのとおり』
喪服一式を買ってもらった手前、文句も言わずとりかかかる。
昨晩のカレーをドリアにすることにした。母子そろって、同じようなメニューが続いてもまったく苦ではない。
サラダ用のレタスを千切りながら考えた。カレーが翌日にアレンジを加えられるように、今世の経験も来世で生かせるはず。前世の記憶を覚えていればの話で、来世も無事に生まれ変われたら、の話にはなってしまうけれど。
知らないで終わるより、後悔してでも知りたい。
ここ二日間でぼんやりと浮かびあがっていた決意は、いつの間にか強固なものになっていた。
帰宅した母に改めて意思を伝えた。彼女は「死なない程度に頑張ってね」と静かに言い、「身体安全御守護」と刺繍された紺色のお守りをくれた。
勤務先に用事があったのではなく、お守りを買うために外出していたらしかった。決意がどちらに傾いているかを、彼女は本人よりも先に気づいていた。
翌日には大村に連絡を取った。彼は須賀と三澤を帯同してふたたび神崎家を訪れた。
今回は須賀も家の敷居をまたいだ。母が大村にいくつかの質問を送っており、それに大村が回答し須賀が補足を加えた。説明ののち、大村は父について調べのついたことを報告した。
遡臓検査の結果は案の定破棄されていた。家族に関しても調べが及んだが、両親ともに早くに亡くなっており、早くに児童福祉施設に預けられている。縁戚と呼べる存在は確認できなかった。母は失踪時の資料をまとめあげており、大村に託した。情報交換と諸事項の説明は日没まで及んだ。
大村と須賀が帰るときになり、母は深く頭をさげた。
「息子をどうぞよろしくお願いいたします」
彼らも同じくらい深く頭を下げる。
「真悟くんならきっと、多くの人を救ってくれると思います」
須賀が朗らかに言うと、大村もうなずいた。
軽率な決断だったと嘆く日が来ても、自らの手で真実を探り、自分が考えた通りに生きたい。父について知りたい。
突きうごかされる好奇心のまま、神崎真悟は新しい道に舵をきった。
*****
3月31日、ふたたびあの敷地を訪れた。荷物を積んだトラックが敷地内を抜け、誘導どおりに宿舎前に着く。
わざわざ家まで迎えに来た三澤へ丁重に礼を述べて降りたつと、建物から一組の男女が出てきた。絹川と永田だった。
やっほー、と絹川が胸の前で手をあげる。
「また会えたね。もろもろの説明をしにきました」
「あと、引っ越しの手伝いね」永田も絹川の挙動をまねる。
「ありがとうございます。仕事は大丈夫ですか」
「それが聞いてよ、お絹ちゃんだけかと思ってたら崎森さんが『なにしてんだお前もだぞ』って、さも前々から決まってたかのように言ってきて」
「班長は永田さんがお気に入りですから」
「こんな気に入られ方は嫌だよ」
会った日と変わらない二人の様子に笑みがこぼれる。そして、母が大村と須賀にしたのと同じくらい深い礼をした。
「これからよろしくお願いします」
永田が口角をあげる。「神崎くんは真面目だな。引っ越しソバとか持ってくるタイプでしょ」
「母に持たされてきました。みなさんでぜひ」
「マジか」
「私、引っ越しソバもらうの生まれてはじめてです」
引っ越し業者が、あの、と所在なさげに声をあげた。
「どちらのお部屋までお運びすればいいでしょうか」
「ああ、ご案内します。リフトこちらにつけちゃって大丈夫っす」
永田が指示を出し、絹川は神崎を手まねきし、エントランスのドアを開けた。
「じゃあ行こっか。神崎隊員」
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