#20 再会


 考えるべきことは山ほどあった。しかし、ベッドに入ってすぐ眠りに落ちた。自覚している以上に身体は疲弊していて、一度起きたが頭が重く意識がぼんやりとし、とても起きれたものではなかった。二度寝を決めこみ意識を投げだしたのは覚えている。

 快適な睡眠は、自室に流れる大音量の音楽で強制的に終わりを迎えた。


『8時です。起きてください』

「起きた! ストップ!」

『ベッドから離れてください』

「離れた! 離れました!」


 慌ててベッドからはい出たところでようやく音楽が止まった。

 神崎家、といってもほぼ神崎真悟専用に設定されている起床用の音楽は母が設定したものだ。二度目に設定したアラームに気づかず寝過ごしていると鳴る。

 流れてくるのは、大音量で鳴るとどうも急がないといけない気がしてくる音楽。テンポは速く、「つるぎの舞」と似ている。チャカチャカとしたリズムに急かされるが、間の抜けた印象もあり憎めない。


 母にとって聞き馴染んだ曲らしいが、神崎は長らくなんの曲か知らなかった。中2の夏だったか、瀬名が泊まりに来た翌朝、そろって寝坊して曲がかかった。彼は曲を聞くなり腹を抱えて笑いころげた。

 「おばさん、センス良いなぁ」とゲラゲラ腹を抱えているので、これはそれほど笑うような曲なのかとたずねたら、彼は「ドリフのオチの音楽じゃん」と、笑いすぎて出てきた涙を拭いながら教えてくれた。

 ドリフとはなにかから質問を重ね、この音楽は元号が昭和の頃に一世を風靡したお笑い番組において、コントの終盤にオチの意味でかかる音楽だということを知った。

 もう100年以上も前の話だというのを聞いたときには、100年後にこうして一般家庭で目覚まし時計がわりに使われているとは作曲した人も予想しなかっただろうと違う意味で感慨深かった。


 階下に降りると、母はすでに支度を整えていた。慌てて身支度を整える。朝食はちゃんと取るよう厳命され、パンを牛乳で流しこみ、追加で出されたヨーグルトとバナナも食べた。

 外は雲が立ちこめ、叩きつけるような勢いで窓ガラスを雫が襲っている。母がAIに声をかける。


「ジャーヴィス、今日はずっと雨かな」

『はい。午前中は雨足が強いです。午後には勢いが弱まり夕方ごろ霧雨に変わりますが、いずれにしても傘は手ばなせません』


 雨の日はどうしてこうもぼんやり眠いのか。頭にうすくもやがかかり、しゃっきりしない。

 母の運転で紳士服店へおもむき、喪服を購入する。靴やネクタイ、Yシャツなど一式を買うとそれなりに値が張った。


「葬儀の形は変わっても、マナーはあんまり変わらないな」

「昔はどんなのだったの」


 店員が購入したものをまとめているあいだ、彼女は前世での葬儀マナーについて話してくれた。静かに流れる店内のBGMは、ザアザアという雨音に負けている。


 昔は通夜と呼ばれる習慣があり、読経や焼香をする場があった。通夜の後には料理が振る舞われた。翌日に告別式が執り行われ、読経と焼香、弔電の披露があり、そののちに出棺。近親者が火葬場にて骨上げする。

 通夜は、親しいものが遺体を夜通し守ることが起源とされている。母が生きた時代では2時間ほどで終わる「半通夜」というものに変容を遂げていた。そして、生まれ変わるまでのあいだに通夜という習慣そのものが消滅した。

 現金を包みに入れて持参する習慣もあったというが、それも時代の潮流に押され、事前決済に取ってかわっている。

 マナーはさほど変わらない。服装は黒で、死を連想する言葉は避ける。ギラギラしたアクセサリーを身に着けるのはダメ。ファーやスエード、革製品などの殺生せっしょうを連想するものを身に着けるのもダメ。


「明治時代のはじめごろまで、葬儀といえば白だったんだって。その100年くらいあとの私の前世では黒が主流。そこからまた100年近く経ったし、てっきり違う色に変わっていると思ったんだけど」

「違う色って、たとえば」

「ショッキングピンクとか」

「やだよ、そんな葬式」

「だよねえ。林家ぺーとパー子の葬儀ならまだしも」

「だれ?」

「昔、いたの。テレビに出るときはいつもピンクの服を着ていた人が」


 死という概念も遡臓の顕現で変わった。人は死んだらあの世に行き、それから生まれ変わる。死は永遠のものではなく、一時的なものと解釈されるようになった。

 故人の棺に、生まれ変わっても遡臓が覚えているよう願いをこめて家族写真を入れる習慣や、葬儀では『ご愁傷さまでした』よりも『またお会いできるといいですね』といった言葉を使うのが良いとされるようになったのも、ここ数十年の話だ。

 愛する人を亡くすことは耐えがたく辛いが、もしかしたら生きているうちに生まれ変わってきてくれるかも。自分のことを覚えているままで。

 悲しみに暮れる遺族にとって、この考えかたは一筋の光にもなった。

 

 そうは言えど、生まれ変わっても、前世で出会った人とふたたび同じ時代に生まれるかどうかは分からない。

 記憶研の調べでは、最短で死去の1か月後に生まれ変わった人が確認されているが、生まれ変わっても前世を覚えているかは個人差がある。

 家族の生まれかわりを追跡調査した国もあったが、全員が見事に同年代に生まれ変わったという例はごく稀だった。娘が先に転生し、50歳を過ぎてから父親の転生が確認できた例もあったし、4人家族の母親だけ生まれ変わりが確認されていないという例もある。


 遡臓が確認されて当初は、遡臓を持っている人類――2020年以降に生まれた人類――のみが生まれ変わるものだと誤解されていた。じっさいは、死亡当時に遡臓を持たなかった人類も生まれ変わりを遂げている。

 人間はもともと生まれ変わりをしつづけている生きもので、ただ前世の記憶だけが抜け落ちてしまっていたのではないか。記憶をとどめたままに生まれ変わりたいという人間の願いが進化に反映されたのが遡臓なのではないかという説を唱える者もいる。


 ほかにも、人間の数そのものは変わっていないという説もある。増え続けていると思われていた世界の人口は、単に生まれ変わりの時期が集中しているだけ。人間は決められた人数しか存在せず、生まれ変わることができなかった者の数だけルーキーが誕生する。そう唱えるのはイギリスの学者で、一部では大きく支持されている。


 いまだ侃々諤々かんかんがくがくなのが、死んだ場所と生まれ変わった人種の相関である。全世界で生まれ変わりが生じているにも関わらず、日本人の前世は7割以上が日本人であった。

 前世が外国人か日本人かの違いを生じる原因は研究の真っ最中であり、いまだ結論は出ていない。諸外国においても過半数は前世も自国人であり、数割は外国人の生まれ変わりと統計が出ている。

 有力視されているのは「前世で亡くなった場所の国民に生まれ変わる」というものだが、断言できるほどの根拠はない。にもかかわらずこの言説を信じ、つい棲家すみかを生まれ変わりたい国に構える者も出てきている。


 自宅に戻ると、母はどうしてもやらなければならない仕事があると言って書斎に籠った。

 自室に戻り端末をる。瀬名悠一の名前を呼びだした。数コールで繋がる。

 彼には母から連絡が行っていた。開口一番に心配されるも、こちらの声を聞くうちに元気であることを理解したようで、しだいにいつもの彼の口調に戻った。

 午後に時間を取れないかという唐突な誘いを彼は快諾し、「おとといのコーヒーショップに1時でいいよな?」と待ち合わせ場所まで指定してきた。


「通話でもいいよ。引っ越し準備あるんだろ」

『だいたい済ませたからへーきへーき』


 それじゃあまたあとでー、と緩い返事で通話は切れた。

 昨夜の残りのカレーで昼食を済ませる。書斎の前まで行ったが、母が仕事関係の通話をしているのが漏れ聞こえたので引き返した。彼女がすぐ食べられるような状態にしてラップをかけておく。


「ジャーヴィス、出かけてくる。瀬名と、いつものコーヒーショップまで。6時までには戻る。遅くなるときは母さんに連絡するから」

『かしこまりました、琴美様に申し伝えます。お気をつけて行ってらっしゃい』

「行ってきます」


 黒いスニーカーを履き、大きめの雨傘を傘立てから引き抜く。ざあざあ降りだった雨の勢いは多少弱まっている。道のところどころに水たまりができていて、雫が落ちるたび波紋が広がる。

 こんな雨の日に異能犯罪者と対峙するのは大変そうだ、グラインは雨でも使えるだろうが視界が悪いと不利なのではないか、と、とりとめのないことを考える。玉池や崎森、須賀らの姿が浮かぶ。次いで、ゆうべの話が思いだされる。


 電車や防犯カメラから姿を消す方法。あれがピリオドによるものだとすれば、それは父の能力か。それとも共犯がいるのか。共犯がいるとすれば、昨日の男か。

 そもそも父は存命なのだろうか。とっくに亡くなっていることも考えられる。生きていても、整形していたらどうだ。実は何度も会っているのに、自分が気づいていない可能性もあるのでは。


 考えたいことは数多あまたにあるが、すべてに謎がついてまわる。考えるほどにモヤモヤが頭を埋めていき、閉塞感を覚えて考えることを放棄したところで店に着いた。

 雨のせいか空席が目立つ。瀬名は窓際のソファー席に座っていた。手元には湯気の立つマグカップと、昼食とおぼしきサンドイッチの包みがあった。

 こちらを見るなり、彼は頬を指さした。


「怪我? おとといの件で?」

「うん。痛みはもう引いたけど、痕になるって」

「あーらーら。ファンの子が見たら泣くんじゃないか。いや、男前度が上がったって騒ぎになるかも」

「茶化すなよ」

「茶化してもらえるだけありがたいと思えー? こっちはこっちで肝が冷えたんだから」

 笑って軽口をたたく彼だったが、こちらの身を案じていたのは目を見て分かった。

「悪い、心配かけて」

「生きていたならなにより」



 席に荷物を置いて注文を済ませる。無意識に手がパッチの貼られた左頬を触った。朝、張りかえたときにまじまじと傷を見た。色味はやや薄まったが依然として赤黒く、傷の深さを物語っていた。

 甘いものでも食べようかとショーケースをながめる。スーツを着た男がひとり、さきに待っていた。年若い短髪の男だ。神崎より背は低いが、背すじが伸びており悠然とした印象を受けた。


 前の男が呼ばれ、ドリンクの入った袋を受け取る。店員に礼を述べた彼がこちらを向き、目を見開いた。


「あっ」


 ばちん、と擬音がしそうなほど、はっきりと目が合った。


「あれ」


 思わずこちらも声が出た。

 きのう職質をしていた、若い男性警官だった。


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