#19 母子


 警察は、電車でのことが頭にあったのもあり丁寧に調査を進めた。だが、設置されていた防犯カメラはある大手メーカーの製品だったが、当時そのメーカーの製造品で動作不良が頻発しており、最後にはカメラの不具合という結論になった。


「私が届け出たことになっていたので、調停も起こせませんでした。両親もカンカンで、もう縁を切れとも言っていたので最後には自分で自分を納得させました」

「大変でしたでしょう」

「もう、小さいこの子を抱えてほうぼう走りまわって。警察にも変な目で見られるし。……思いかえせば色々と疑う部分はあるんです。でも、いまさらどうしようもないなあ、って気持ちもあります。すみません、お役に立てる話じゃなかったですね」

「いえ、決してそんなことは」


 遅くまで失礼いたしました、と深く頭をさげる彼に母もまた深い礼で返した。神崎もそれにならう。見送ってくる、と言いのこし、ともに外に出た。

 静かに雨が降っている。街灯の光が雨に反射して白く光っている。玄関ドアを閉め、ポーチに二人で立った。崎森の車がエンジン音を響かせる。シャアアという音がして、永田の車も前の道に滑り込んで停まった。


「お父さんの件、こちらでも調べてみよう。今日の男と関係がありそうだ。申し訳ないが、こちらの内部でも共有させてもらう。取り急ぎは上の人間だけに」

「上の人間、とは」

「君が会ったなかで言えば、崎森班長と須賀班長には。あとは彼らと同等もしくはそれ以上の地位の者。10人とちょっとくらいか」

「分かりました。俺も、なにか思い出したら連絡します」

「明後日、こちらからも連絡する」

「はい」


 気遣うように大村が優しく笑った。「君は本当に状況の飲み込みが早いな。普通なら取り乱しそうなものなのに」

「驚きもあります。でも、考えられない話じゃないとも思って。だって」

「『ありえないなんてことは、ありえない』?」

「そう」

「そうだな。そうなんだよ。ありえないなんてことは、ありえないんだ。この世界は」


 なかば自分に言い聞かせるかのごとく小さくつぶやき、それじゃあ、と小走りで雨のなかを車まで走っていった。一礼をして見送る。

 車は静かに動きだし、敷地を出て行く。永田があいさつ代わりに短くクラクションを鳴らし、崎森車に続いた。

 

 リビングに戻ると、夕食の支度が進んでいた。二人分のサラダと麦茶がテーブルに並んでいる。


「カレーはセルフサービスね。明日、9時には出かけるから準備しておいて」

「なにかあったっけ」

 母は温め直しているカレーを混ぜながら言った。「喪服、仕立てないといけないでしょう」


 空気が重くなる。母も、翼と祐梨の家族――鷹野原たかのはら一家の全員と交流があった。母自身も訃報にショックを受けているだろう。ましてや、息子が現場を見たとあらば。


「ご自宅も、塀が壊れたり窓が割られたりして人手が必要みたい。お父さんお母さんは葬儀と修繕の手配で大変そう。翼くんと祐梨ちゃんはお母さんのご実家で見てもらっているそうだけど、ショックでしょうね」

「おじさんかおばさんから聞いたの」

「うん。今日の午後、ご夫婦で来たよ。うちで二人を預かったのもあったし、どうなったか伝えにきてくれた。取り乱す様子はなかったけど、お母さんの方が憔悴しきってたなあ。あそこは仲良かったからね」


 カレー皿に白米をよそう。セルフサービスだと言ったくせに「私の分もよろしく」と調子よく頼まれ、彼女の分もよそった。皿を渡し、カレーをいでもらう。


「家の修理、手伝いに行こうかな」

「気を遣われるからやめた方がいいんじゃない。向こうは巻きこんでしまった、って思っているだろうし」


 母は冷蔵庫から福神漬けを取りだし、キッチンばさみを使って開封した。そのまま神崎の皿に、ふりかけをかけるかのように豪快に福神漬けをトッピングする。案の定、大量の福神漬けがトッピングされたが彼女はまったく気にすることなく自らの皿にもぞんざいに福神漬けを振った。


「それに、まだ警察も出入りしてるから、かえって邪魔になるかも」

「ああ、そっか。そうだよな」

「あそこの向かいの岸田きしださん、心配して来てくれたよ」


 毎日決まった時間にこのあたりを散歩しているご隠居の顔が浮かぶ。数年前に息子夫婦に譲るまで床屋を営んでいて、瀬名が勧めていた美容院に通いだすまでは神崎も彼の常連だった。


「お父さんは警察に強く抗議していたんだって。通報を受けていたのになぜ動かなかったのか、って。ジャーヴィス、ミュージカルの音楽かけて」

『かしこまりました』


 テーブルに着き、いただきますと手を合わせる。「Seasons of Love」が流れだす。前世はアクション映画が好きだったという母だが、今世ではミュージカル映画を好んでいる。「あのとき見にいけばよかった~」とこぼしながら、大昔の映画の配信を見ている。


「手伝おうか、って岸田さんも声かけたけど、岸田さんちも塀がちょっと壊されていてね。これ以上迷惑をかけるわけには、って平謝りされたんだって。だから、手伝うのは向こうから頼まれたときでいいんじゃない」


 それから、話題は進路の話にうつった。彼女は記憶研、およびICTOという組織については好意的な印象を抱いていた。

 ICTOが警察に不審人物の件を報告していたこと、昨晩の緊急警報を発報したのも警察ではなくICTO側だったというのをニュースで聞き及んでいたのも幸いした。


「遺体の引き渡しまで、警察は司法解剖で数日かかるって言ったんだって。居合わせたICTOの人が、うちなら1日あれば、って代わりに引き受けたらしくて。やっぱり国際組織は規模が違うんだね」

「親としてどう思う? 俺がもし入るとしたら」

 母は真剣な顔をしてカレーをすくう。「あなたの人生だから、あなたが決めたら応援するまで」

「心配はないんだ」

「まさか。殉職する可能性があるって言われて心配しない親はいないでしょ。それでも遅かれ早かれ人間いつかは死ぬわけ。私はあなたの人生に責任取れないもん。たまたま巡りあわせで親になったから全力で面倒見てきたけど、成人したあなたが決断するのに、私の意見はさほど重要じゃない。むしろ、重要視して欲しくない」


 カレーを咀嚼しながら彼女は続ける。


「突きはなした言いかたするけど、私が『危険だからやめて』って言って、あなたが断念するじゃない? でもそれは私の責任になると思わない? 何年かして、やっぱりあのとき入っておけばよかった、って思っても私のせいになっちゃうでしょう。それは違うと思うんだよね。どの道を選んでも自分の判断で決めて、後悔するにしても自分の責任で後悔して欲しい。母さんのせいで、って言われるのも嫌。あのとき母さんが言ったから、って思われるのも嫌」


 それは逃げでしかないから、と彼女は断言した。「あなた自身の考えと判断で生きて欲しい。親と子の話じゃない、対等な大人同士の話なの、これは」

「俺が先に死ぬかもしれない」

「かもしれない、の話はキリがないでしょう。私だって明日にでも事故って死ぬかもしれないでしょう。いつ死ぬか分からないのに、やりたいことにフタをして生きるほうが馬鹿らしい。ましてや、声をかけてもらったんでしょ。これをのがして次はあると思う? あなたの人生はあなたの人生。はい、復唱」

「俺の人生は俺の人生」

「よろしい」


 満足そうに言ってまたカレーを頬張る母を見る。

 個人の意見を尊重する人ではあった。剣道は自分の意思で続けてきたが、他に気になる習い事があると言えば経験させてくれたし、肌に合わないからやめたいと言えばすんなりやめさせてもらえた。

 約束ごとや期限内にすべきことについては厳しく、破れば容赦なく罰則がくだされたが、それ以外はわりかし大目に見てもらえた。

 自身の子育てについて、母はしばしば「雑な育児」と周囲に話す。遠目に見ればそうかもしれないが、「子ども」というよりも「一人の人間」としての尊厳を重視してくれている。そのスタンスはいまも変わっていないと感じ、同時に彼女の人としてのありように敬意をいだいた。


 生死に関わる仕事であるから反対されるのではと考えていたが、それは見事に裏切られた。かといって、彼女がまったく不安を抱いていないというわけでもない。

 夕食後には、大村が置いていった資料を手に端末とパソコンでなにか調べていた。

 そのあいだに皿洗いを進める。時刻を確認しようと時計をあおぎみて、大村から聞いた話を思いだした。


「そういえば、母さんは前世の記憶ははっきりあるの」

「まあ、それなりに」

「目覚まし時計を使わないで起きられるのは、前世と関係ある?」

「どうしたの、急に」いぶかしむ彼女にあわてて付けくわえる。

「大村さんが、前世が原因で生活習慣が変わる人もいるって」


 右手のバングルに水が当たり、はねる。

 大村はバングルについて「健康状態の追跡調査のための器具です」と説明し、いくつかの機能を見せた。彼が操作すると脈拍や血圧、酸素濃度が表示された。表向きの機能もしっかりと搭載されているところは用意周到と呼ぶべきか、細やかだと評すべきか。

 洗いものを終えてタオルで水滴をぬぐう。


「寝坊で死んだからなあ、私」母は大きく伸びをしつつ言った。「寝坊していつもより1本遅いバスで出勤したの。そうしたら、バスの横っ腹にトラックが突っこんできて。ふっ飛ばされたけど意識はあってさ。痛いなあ、なんで今日にかぎって寝坊しちゃったんだろうって思っているうちに、ね」

「それで、目覚まし時計不要人間に」

「そう考えると、人間の身体ってつくづく不思議だなあ。……記憶研のかたは、検査映像も見ることがあるんでしょう。大村さんも大変なんだろうね」

「ああ、そんなことは言ってた」


 彼の発言を思いかえす。ショッキングな内容の場合は、記憶研が映像を確認し、差し替えや無難な映像に切りかえることもある、と。

 母の検査映像がショッキングな事故映像であったとしたら、彼ら記憶研職員は、それを見たことになる。

 モザイクもボカシもない、リアルな映像を。

 思わず口から言葉が漏れた。


「事件とか事故の被害者の映像を見るのは、大変だろうな」

「私は、逆のほうが大変だと思うな」

「逆?」

「加害者側の映像。人が人を殺す瞬間が見えちゃうんだよ? 犯人が分かってる件ならまだしも、未解決事件の加害者が生まれ変わってきたら、知るつもりがなくても真相を知ってしまう。いくら生まれ変わった人を前世の罪で裁けないって言っても、怖くない?」


 ――敷地外に出るときは護衛をつけないといけない決まりがあるんだ。


 車内での大村の言葉、その真意を悟った。

 真相を知った者への口封じに、元犯罪者が命を狙いにくるかもしれない。

 ICTOに加入するということは、そういった存在とも対峙たいじしなければならない。そう思うと、背筋に冷たい汗が伝った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る