#15 帰宅
あの短時間でどうやって屋上に行き、どうやってガラスの雨を降らせ、どうやって消えたのか。尽きない問いが浮かぶ。
白い刀は建物内を探しまわっているあいだはたしかに持っていたのに、建物を出たときにはその感触は消えていた。左手を閉じたり開いたりしても、現れることはなかった。
頭にクエスチョンマークが浮かんでいるうちに三澤に手を引かれ、停めてあったセダンに押しこまれる。
車が発進するまで、遠くに見えた警官らの様子をうかがった。狼狽えた様子だったが、須賀がなにごとか告げると落ち着きを取りもどしたように見えた。とはいえ、ガラスが割れて空から降りそそぎ、人間が瞬間移動するのを目の当たりにしたせいだろう、どこか心ここにあらずといった感じを受けた。
彼らはどうなるのかと三澤に問う。上が判断することだが今日の出来事は忘れてもらうことになるだろうと彼女は話した。
ピリオドを表出した女性も、合流した別の隊員たちによって運ばれていった。ものものしい雰囲気が漂うなか、神崎と三澤だけが現場をあとにした。
監視していた桑原も、ほぼ同時刻にピリオドを表出させたが、すでに保護済みだという。他者に危害を加えるそぶりがなく、本人も素直に応じたらしい。
「あの女性は、罪に問われるのですか」
「難しいところだね」三澤はウィンカーを右に出しながら返した。「器物損壊罪で逮捕されるかもしれないし、遡臓を破壊して無罪放免になるかもしれない」
桑原のようなケースがほとんどなのだと彼女はつづけた。
ピリオドが表出すれば保護し、前世の記憶如何で遡臓を破壊するか否かを決する。
その判断基準は二つで、「前世でなんらかの罪を犯しているか」と「表出時、人やモノに危害を加えたか」。後者はその程度も加味される。
昨晩の熊岡は両方イエスだったうえ、一般人を殺害したため遡臓破壊の決断がくだされた。逆に、神崎は両方ノーだった。前世は存在せず、危害もくわえていない。
「そういう場合は、いま君が経験している通りのことをするの。こちらに来るか、遡臓を破壊して社会に戻るか」
「ピリオドは弱体化できると聞きました。弱体化して普通の生活に戻ることは選べないのですか」
「それができるのは感覚型だけ」
「感覚型?」
「説明されていない?」
首を振ると、三澤は分かりやすく説明をしてくれた。
いわく、ピリオドはその特性により4種類に分けられる。
神崎の刀や崎森の針のように、なにかが武器化したり物質が出現したりする『具現型』。
須賀のように自身の肉体や物質に変化を生じさせる『変異型』。
人間が生来持っている感覚が驚異的に強化される『感覚型』。
それらのどれにも当てはまらない『特殊型』。
「熊岡とさっきの女性は変異型。君の感じた『嫌な予感』は、人間の第六感が発達したものだと定義すれば感覚型。感覚型だけが遡臓の破壊を免れるのは、弱体化させても生活に支障がなさそうだからじゃないかな。視力や聴力が良い人はさほど珍しくないしね」
「弱体化の場合、前世の記憶は」
「遡臓が破壊されるわけじゃないから、前世の記憶は残る。そこが悩ましいところ。なにかのきっかけで記憶が刺激されて、弱体化したピリオドが元にもどる可能性も捨てきれない。だから、弱体化で済むのはレアケースと思ったほうがいい。……さ、着いたよ。私はまた現場に戻るから、ここで」
棟のまえで降ろされる。大村と絹川がすでに待っていた。大村は黒の制服からスーツに着替えており、ビジネスバッグを提げている。寝癖もついていない。絹川は去りゆく車に軽く手を振ってから、こちらに駆けよる。
「怪我はない? ガラスは大丈夫だった?」
「うん。須賀さんのおかげで」
「良かった。これ外すね。じっとして」
彼女はグラインの右上腕部に触れ、なにか操作する。『解除します』の音声とともに鋼色が脱げ、アタッシュケースの形にもどった。
大村が頭を掻きながら近寄ってくる。
「神崎くん、君に聞きたいことが増えてしまった。……しかし、今日はもういい時間だ。帰宅許可が出たし、家に帰ろう。送るよ」
「帰っていいんですか」 今晩も、あの病室で過ごすのだと思っていた。予想外の申し出にぽかんとしてしまう。
「もちろん。手荷物は端末だけだったかな。いま持ってる?」
「はい」 尻ポケットをさぐる。幸い、あれだけ動いたにもかかわらず傷ひとつついておらず、正常に作動した。時刻は16時半を指していた。
「車を回してもらっている。あそこで待とう」
彼は入り口脇に備えつけのアルミベンチを指ししめした。絹川は残務があるからと言い、アタッシュケースをかかえた。
「じゃあまた今度。会えたら」
「うん、会えたら。今日はいろいろありがとう」
「どういたしまして」
彼女がにこりと笑う。色白の頬にえくぼが浮かぶ。ひらりと手を振り去ってゆく。
大村と二人、アルミベンチに並んで座った。
「屋上にいた男と面識は」
「会ったような気がしますが、思い出せません。声も聞き覚えがあったんですが」
「それは、君の記憶かな。それとも前世の記憶だろうか」
「……分かりません」
「そうか」
大村は、ここまでのあいだに辿りついた事実をつらつらと並べた。
男のピリオドは不明。どうやって検知を掻いくぐったのかも不明。建物外に出た方法も不明。建物はどの入り口、どの窓を使っても防犯カメラに映るが、建物から出る姿はおろか、室内に足を踏みいれる姿すら映っていなかった。
男が姿を消した瞬間、須賀は女性と対峙していたし、神崎の目線を映すカメラにも男は映っていなかった。
「最初見たときは、女性になにか言っているようでした」
「周辺の監視カメラに映っていた。歩いている女性を呼びとめ、男がなにかを話した。話をしている時間はさほど長くない。そのあと彼女がピリオドを表出したことを考えると」
「男が、そうなるように仕向けた」
「それか、もともとグルだったか。女性に話を聞いてみないと分からない。……まだ眠っているが、身体に異常がないのが確認されれば、すぐ遡臓検査に入る。ちなみに、須賀班長が撃った銃弾がどんなものか知ってる?」
「絹川さんに聞きました」
「ちぇ。……珍しい経験をしたね。それに君自身も珍しい。遡臓が活性化して刀を具現化したと思えば前世はない。かと思いきや、いきなり冴えわたる第六感を駆使し、装置が検知するよりも先に危険人物に辿りついた。ピリオドの種別は知ってる?」
「知ってます。一人につきひとつ、というのも」
「具現型と感覚型、異なる二つのピリオドを有している君が加入してくれれば我々にとって大きな力になるかもね」
「……」
「だがしょせん僕らの希望であって、選択権は君にある。加入すれば昨日今日経験したことに頻繁に出くわすだろう。悪夢を見ていたのだと思って遡臓を破壊し、すべてを忘れてなにもない日常を生きたほうが良いかもしれない。君の人生に関わる選択で、一人で決断すべき問題でもない。いまから君の家にうかがい、ご家族にも説明する」
「どこまで説明しますか」
「君にした説明よりは手短かつ簡素化して、といったところ。悪いがすこし話をあわせてもらう。くわしくは車内で話そう」
そう言い、大村は穏やかに微笑んだ。すこし間をおいて、二台の車があらわれ、縦列に停まった。先ほどまで乗っていたものと同じ車種だったが、色はともに白だった。
「お母様には連絡してある。話をする時間も取っていただいた。さ、1日ぶりの帰宅だよ」
前の車の後部座席ドアが自動で開く。大村は運転席側に回った。よろしくお願いします、と言って乗りこむ。
「お客さん、どちらまでですかー」
とぼけた口調で声をかけ、永田がにかりと笑った。
大村と神崎がシートベルトを締めたのを確認すると、彼はゆるやかに車を発進させた。後ろの車も静かに続く。誰が運転しているのかと振りかえれば、崎森が片手でハンドルを握っているのが見えた。口が動いているあたり、誰かと通信しているようだ。胸元がきらりと光っているのは、グラインを装着しているからだろう。
なぜ二台で移動するのか、全員そろって母と会うのかと考えていると、大村が口をひらいた。
「あ、こんなに大勢で家に押しかけるのかって思うかもしれないね。ご自宅にうかがうのは僕だけだ。二人は僕の護衛」
「護衛?」
「敷地外に出るときは護衛をつけないといけない決まりがあるんだ」
さらりと大村は言う。永田がバックミラーでこちらを見つつ茶化した。
「大村探査室長殿はお偉いさんっすもんねえ」
「崎森さんはどうして別の車に?」
「全員同じ車に乗って、車ごと爆破でもされたら全滅するだろ。リスク分散のためだよ」
おちゃらけた口調で言っているが、冗談ではないのは分かった。
管制室では制服にジャケットを羽織っただけだった永田がグラインを装着し、拳銃とナイフが入っているであろうホルダーも腕や腿に着けているのが見えたからだ。
「永田さんの仕事は、終わったんですか」
「残ってるっちゃ残ってるけど、お絹ちゃんに頼んできた。画面とにらめっこしてるより、ドライブのほうが楽しいじゃん」楽しげに返す永田に、大村は肩をすくめる。
「で、本当のところは?」
「崎森さんがいきなり『ほら、行くぞ』って車のキー投げてよこしてきた」
「カナメは後輩遣いが荒いなあ」
「いつものことでしょ。ちなみに、俺じゃなかったら松川さんでしたよ」
「うわ、それは遠慮したい。帰ってきたんだ?」
「大村さんが出たあと、すぐに。隊長と
松川という名は今日だけで数度聞いた。須賀が話すときにはその声量に耳を塞ぎ、加入したばかりの永田を放置し、車の運転はそれほど上手ではないらしい。どんな人物なのか、かえって気になる。
「神崎くん、手ぇ貸して。どっちでもいいよ」
大村に唐突に言われ、右手を差しだす。彼はポケットから細い銀色のバングルを取りだし、右手首にはめた。
「明後日の夕方まで着けていてね」
「外したらどうなるんですか」
「外れないから大丈夫」 さらりと言われる。半信半疑で外そうと試みるも、渾身の力をこめてもびくともしない。大村は明るい声で言った。「すごいだろ? 防水・防塵・耐衝撃の優れものだよ」
「いや、それよりもですね」
「そうか、着ける目的が気になるよね。君のプライバシーを侵害しない範囲で君を監視する器具だと思ってくれ」
「これも、発言を見られるんですか?」
「特定の言葉を発したときだけね。君の言動や行動しだいでは色々とアレしないといけないから」
色々とアレ、というざっくりすぎる宣言になにが含まれているのかは察した。大村はつづける。
「昨日のことだが、熊岡はトラックで被害者宅に突っ込み塀を破壊して被害者を殺害し車で逃走をはかったことになっている。そして君は、暴走するトラックから通行人をかばって軽く怪我をした、という筋書きで通させてもらう」
「はい」
いささか強引にも聞こえるが、黙ってうなずく。小さいことを気にしない気質の母なら、なんの疑問も抱かず納得するかもしれない。
「保護された記憶研で熊岡の前世を知り、なんやかんやでICTOに興味を持った、という感じかな。どうしても明かせない部分以外は話す。危険な仕事だということや進学がフイになるということも」
「設定に無理がある部分は、その、色々とアレして押しきるんですか」
「そのあたりは僕の話術しだいってところかな。……明日明後日と、よく考えるといい。分からないことがあれば連絡をくれ。説明は尽くすし、君が望むなら敷地のなかも案内する。ところで、あそこの敷地がどれくらいの広さか知ってるかな」
「知らな――」
「はーい、着きましたよォ」
永田が会話をさえぎるようにドライブの終わりを告げた。
見慣れた門扉。1日ぶりの家。日は暮れかけ、リビングに明かりが灯っている。
「じゃあ敷地面積の話はまた、機会があれば。車、1台は停めていいかな」
「はい」
「あ、崎森さん? 1台停めて良いですって。どっち……ですよねえ、そう言うと思ってました。はい、俺は別の場所を探しまァす」
別れ際、永田は「じゃあまた、会うことがあれば」と声をかけてくれた。丁重に礼を言いドアを閉める。車はその場から離れていき、一定の距離を取って後ろをついてきた崎森車がゆっくりと駐車場に入る。
玄関ドアに手をかけたとき、解錠の音がし、内側からドアがひらいた。
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